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旧美杉村太郎生日神、不動院に焼け残された不動石仏が有る。
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ここは何度来てもその地名の読みを忘れてしまっていつも戸惑う・・・・太郎生と書いて「たろう」、日神と書いて「ひかわ」と読ませる。
曰く因縁の有りそうな地名だが・・・2~3年間を於いて訪ねるとすっかりその読みを忘れてしまっていたりする。
日神の集落は麓を走る国道368号線、飯垣内(はがいと)より約1.5林道を登った山間集落、・・・・もの好きはこの奥にある日神墓地の石仏群を訪ねここまでやって来る。
墓地から一谷挟んで対面する山肌に不動院なる小堂が建ち、この地域独特の鎌倉期の種子板碑や、珍しい「オハツキイチョウ」の巨木が残って居たりする。
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この山上中に有る磨崖仏を訪ね、序でに立ち寄った不動院が珍しく開いていて珍しく人の気配もする・・・・・、もしやと撮影を乞うと二つ返事でどうぞどうぞとOK.
ちょうどこの日は不動明王の縁日だということで信者さんが集まって居たようです。
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記録によると平安中期の保安3年(1122)頃の造営、天正9年(1581年)天正伊賀の乱で戦火に遭い、さしもの不動明王石仏も焼けただれ哀れな姿と化してしまったようです。
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石仏は坐像で結跏趺坐、右手宝剣、左手には索条なのでしょうが手首で欠損、躰部と頭部も首筋で断裂、継目の跡が痛々しい。
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焼け崩れた火焔光背を背に約等身大・・・尊顔は酷く灼け削げ、何の手がかりも残っていない
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童子の一体が不動石仏に隠れるように見えるが・・・もうこれは「木偶の棒」。
平家六代墓と言われる日神墓地石仏と言い、この不動院の焼けただれた不動石仏と言い、強烈な印象が残る。
撮影2012.6.24