愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

伊賀市西湯舟の勧請縄

2008年03月31日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神


甲賀から伊賀に入ると途端に勧請縄の様子が変わる。



近江や甲賀では勧請縄は神社や集落の結界に張り渡されるのが通例、しかしここ伊賀の阿山方面ではほとんど集落を流れる川の瀬、それも川の流れが変わる(曲がる)付近に掛けられることが多い。



伊賀では厄いは、川上から来て福は川下に流れるものとされているようです。



西湯船は滋賀県甲賀と三重県伊賀野県境付近にある長閑な里山です。



ここ、旧阿山町西湯船でも鞆田川の流れが方向を変える少し川上、西湯船より湯船に向かう道路が鞆田川をわたる橋の少し下流の堰の上にこの勧請縄が掛け渡されて居る。



縄の中央付近には3個の陽物?だと思われる藁飾り、中央の飾り物の上には篠竹に付けられた御幣がつき立てられている。



これはまさしく伊賀、阿山地域の勧請縄です。


撮影2008.2.10


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木津川市銭司(ぜず)春日神社の勧請縄。

2008年03月31日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

 

今年の3月の合併で新しく、木津川市となった、旧加茂町銭司は我が国の古い貨幣として知られている「和同開珎」(わどうかいちん)を鋳造していたところで、奈良時代の鋳銭司はいわば現在の造幣局に当たり、銭司(ぜず)の地名は、この鋳銭司に由来するものだそうです。

この地は木津川、それに平行して走る国道165号線、背後に迫る山の間の地に開けた斜面の集落です。

前を走る国道165号線の交通量は多く、ここを良く走る僕でもなかなか寄りづらい所です。

国道から集落への進入道がわかりづらく、狭小すぎてついついとおりすぎてしまいます。

意を決して入った道がそのまま集落を抜け、春日神社の前まで続いていました。

もちろん農耕用の軽四が主流の道なので運転に自信のない人は国道から歩いたほうが賢明でしょうが??

田舎の神社では必ず軽四が境内近くまでいける道が付けられているのが常でここも、こんなところにまでもと思われる程に車で上ってしまいました。

森閑として時間の止まったような空間、木の根道の参道には正月用の白砂が撒かれ、勧請縄は境内に上がる中段の入り口近くの樹に掛けられていました。

しかしこの勧請縄は初めて見る形です。

縄の下全体に地にまで届くほどの網を張っていてまるで誰も通さないといわんばかりの厳重さです。

網目のところどころには御幣と青い木の葉がつけられていました。

神さびた古い形を良く残した神社のように思えます。

撮影2008.2.16

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水口日枝神社の勧請縄。

2008年03月28日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

滋賀県旧水口町の街中にある鎮守さんの日枝神社。



どこをどう通ってここに来たのか、さっぱり思い出せません。





水口の町の中を走っていてたまたま見つけた勧請縄で、近くにある五十鈴神社の勧請縄を小ぶりにしたようなものでした。





取り立てた特徴は見出せませんが、願う心はみな同じものだろうと思いました。



小さな鎮守の小さな縄です。



撮影2008.2.11



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旧甲南町、大元神社の勧請縄

2008年03月26日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

 


この大元神社のある杉谷市の背地区は頭上に今度新しく開通した新名神高速道が高架橋でとおりぬける谷間の集落です。


集落の前の道をそのまま進むとやがて山を越えて伊賀へと続く。



この地を訪れたのは2月10日、昨日降った大雪がまだまだ残る日でした。



訪れた大元神社は山の斜面の中腹にあって長い石段が続いている。



訪れたときには石鳥居の奥、参道脇のポールに掛け渡されるべき勧請縄は真ん中付近で切られていて左右のポールに垂れ下がっていて全容が良くわからない。



集落に不幸でもあって切られたのだろうとたずねて見るのも躊躇したが、後からいろいろ検索してみると、滋賀県神道青年会野ホームページに次のような記事を見つけたのでここに紹介しておきます。


つくりぞめ、びしゃ




場  所  大元神社・勤当宅



祭礼日   1月12日・17日

沿  革  


 12日つくりぞめ。勤当(氏子入りした男子宅、もしくは男子が誕生した家)の家で15メートル程の大縄がつくられ、そこには12本の縄と幣が吊られる。17日びしゃ。勤当のあいさつで始まり、大縄が切られる。御神酒の肴は・ウドメ(大根・大豆)、初献は赤飯、二献はコンニャヤク、三献は花のとう(牛蒡に蕾のついた梅の枝を差し、唐がらしをかけたもの)が出る。なお、大縄は神社に吊られる。


 



この記事によると1月12日に勧請縄が作られ、1月17日には切られるという風に解釈できる。


いったん12日に神社のポールに掛け渡された縄が17日には切られてしまうのだろうか??


何ゆえそんな短期間で切ってしまうのか興味深い。


撮影2008.2.10


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竜王町薬師(くずし)、勝手神社の勧請縄

2008年03月24日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

薬師と書いて「くずし」と読むらしい、前回紹介の小口の北側に隣接する集落です。



この集落の鎮守、勝手神社の参道入り口、石鳥居脇の両側の木にこの縄が掛け渡されています。



縄の中心にあまり目立たない簡素な「トリクグラズ」を下げ、その両側に常緑樹の小枝を一杯につけた小縄を吊り下げています。



向かって右側には12本、左側がどう数えても11本??、どうもおかしい??


掛けられてから時間が経つので1本が落ちてしまったのか、若しくはもともと11本だったのかは定かではありません。


もともと11本ならその理由に興味が沸きます。


撮影2008.2.10


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竜王町小口、真紀神社 の勧請縄。

2008年03月22日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

 


小口は竜王町役場から直ぐ西に隣接する集落ですが、集落内を動きまわしても神社らしきたたずまいは見えず探しあぐねていた。


厳寒の大雪の翌日、集落内をあるき疲れている時たまたま出会った人に尋ねてみると、集落を離れた祖父川を越した名神高速道路を背にして鎮座していた。



田園と池の間に一の鳥居が建ち、その長い参道を進むとやがて真紀神社の前に突き当たる。


直ぐに急な石段になって一気に境内へと続く、石段を登りきった境内の入り口の両脇にある勧請縄木にこの縄が掛け渡されている。



端正な姿形の縄で、中央には13本の矢をつき立てた杉の小枝でリース状にした「トリクグラズ」を付け、長い13本の小勧請を吊り下げている。



矢を突き刺した中央の勧請飾りは良く見かけるが、これはその矢で外部からの厄を射って阻止しようとするものなのだろうか??



撮影2008.2.10


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竜王町橋本、左右神社の勧請縄

2008年03月20日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

 


竜王町の中央平野部にある橋本の地は、この地方の郷社で国宝本殿を有する古社「苗村神社」の警備にあたる役目の村で、騎領(きりょう)と言われていたという。


この地にある左右神社という聞きなれない名前は、苗村神社祭礼の際「橋本」から三十三の郷が左と右に分かれ、行列を作ったことから「左右神社」と言われている様です。



県道橋本交差点で西進すると直ぐ小さな杜の左右神社、鳥居の前に着きます。



石鳥居奥、参道両側の勧請木の間に一筋の縄が渡されているのが見えるが、この地方のどこでも見られるような『トリクグラズ』や、小勧請がなどが縄の中心部には見られません。




小縄は両勧請木の脇にまとめられていて、何本ついているのか??どういう形になっているのかも定かではありません。



何ゆえこういう事に成っているのかは解りませんが、ちょっと興味の惹くところです。


ひょっとして、この地の成り立ちと何か関係があるのかも??


 


撮影2008.2.10


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竜王町須恵八幡社の勧請縄

2008年03月17日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

 


この神社は祖父川沿いの堤のそばにあってなんとも懐かしい気分にしてくれる景観でした。



神社から小さな橋越でみる須恵の集落もなんともいえない懐かしさのにおいがしました。



ちょうど境内の入り口、石鳥居の前に勧請ポールが建てられ、大きい一つ目小僧の勧請縄が掛けられています。



綱の中央に大きな杉の小枝をリースのように環にした一目小僧のトリクグラズを、X状に組んだ割り竹に付けて睨みを効かせている。



左右に6本づつの小勧請を吊り下げ、それぞれに杉の小枝を付けている。


ここは閏年にもかかわらず小勧請は12本でした。


 


撮影2008.2.11


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竜王町鵜川天満宮の勧請縄。

2008年03月14日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

 


竜王町でも、どこの神社に行っても勧請縄に行き当たりそうな気がしました。


鵜川天満宮は祖父川の堤防下にある小さな鎮守。



道路が、堤防に沿って走ってきてちょうど集落に入り込む曲がり角に面して参道の入り口になっている。



石の鳥居が道路の対面にあって、この道路が長い参道を突き破ってつけられたようです。


勧請縄は、このたち切られた参道の入り口両側の木の間に掛けられています。



長さ約10mばかしの縄の真ん中にヒノキの小枝をまげてトリクグラズを作り、両側に各6本づつの小縄を吊り下げている。


小縄には重たいほどの常緑樹の小枝がつけら、縄の上部にも12本の御幣を付けた篠竹をつきさしています。



この東近江地方としてはスタンダードな形です。


撮影2008.2.11


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竜王町石部(いそべ)神社の勧請縄。

2008年03月09日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

大雪上がりの2月11日、竜王町にも多くの勧請縄があるので行ってみた。



名神の竜王インターを降りて近江八幡へ、左手、道路わきに大きな真新しい石の鳥居があってこの勧請縄が掛けられている。



石鳥居の両足の間に縄を渡し、今年は閏年の関係もあってか13本の樫?の小枝を付けた小縄を吊り下げている。



この近江の地に在ってはまことに単純明快な勧請縄です。



 撮影2008.2.11


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水口、五十鈴神社の勧請縄

2008年03月03日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

旧甲賀郡水口町は、東海道五十三次の宿場として栄えたところ、古くは、室町時代に伊勢参宮の宿村として設けられたのが初めと言われ、その後1585(天正13年)豊臣秀吉が家臣の中村一氏に水口岡山城を築城させたことにより、宿場としての町割が整備されたという。



その西見付(西端、京口)は、この五十鈴神社の南側にあった。


五十鈴神社の境内は小さな社にしては広く、白木の鳥居の奥、大きなヒノキ?と、杉の木の間にこの勧請縄が掛けられています。



今年になって一番の雪降りの日、近江能登川からの帰り道に立ち寄りました。



縄には絵馬形の木札が3箇所に付けられ、ヒノキか杉の小枝を付けた小縄がその間に吊下げられています。


長さは5m足らずと小振りですが、東近江方面の縄とはまったく違う特徴を持っているような気がします。



いわば甲賀様式の縄とでも言うべき物でしょうか??、水口松尾の縄と共通点があるように思われます・・・・。



また、この縄をくぐって境内の左手脇にも低い位置に勧請縄が掛けられていてそこが何か特別な場所のようでした。



撮影2008.2.10


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