名田庄からの帰り道、国道162号線を走っていて見つけた茅葺き民家。
国道に沿うように走る旧道に軒を並べる由良川上流域、棚野川左岸に建つ大きな北山型の茅葺き民家。
白壁土塀の大きな屋敷に急傾斜の苔むす葺き下ろし茅葺き屋根。
後から地図を確認すると此の民家はレストランを営んでるようだが、僕の訪れた時には全くそんな雰囲気ではなかった。
撮影2016.3.8
名田庄からの帰り道、国道162号線を走っていて見つけた茅葺き民家。
国道に沿うように走る旧道に軒を並べる由良川上流域、棚野川左岸に建つ大きな北山型の茅葺き民家。
白壁土塀の大きな屋敷に急傾斜の苔むす葺き下ろし茅葺き屋根。
後から地図を確認すると此の民家はレストランを営んでるようだが、僕の訪れた時には全くそんな雰囲気ではなかった。
撮影2016.3.8
名田庄、国道162号線、南川上流域で見つけた茅葺き民家。
山あい里山の小さな集落、その奥にひっそり佇んでいた茅葺き母屋とトタン懸け納屋
屋根はすっかり葺き替え時期を逃して最早ちょっと痛々しすぎる状況となっている。
しかし何ともこんな景色が、僕の育った子供の頃を想い出し、胸をうつ。
撮影2016.3.8
「安倍晴明」子孫「土御門家」ゆかりの名田庄納田終(のたおい)集落にたった一軒だけ残されて居た茅葺き民家。
少し前までは、すぐ近くに有る「天社土御門神道本庁」とされる民家が茅葺き屋根だったようですが??現在屋根の形はそのままで棧瓦葺きに変えられている。
たった一軒残された此の茅葺き民家もそうそうたる謂れの在る民家だろうか?大きな屋敷構えに豪壮な茅葺き屋根を誇っている
屋根の葺き替えも終えたばかりなのだろう・・・威風堂々たる佇まいを見せている。
茅葺き大屋根は入母屋造りの葺き下ろしなのだが、北山型茅葺き屋根に見られるような、仰々しいウマギの棟飾りはなく簡素そのもの・・・
ちょうど隣は土御門神社の境内に成っており、何がしかの関係が有るものと考えてしまうのは僕だけだろうか??
撮影2016.3.8
前回に引き続き名田庄納田終(のたおい)にある賀茂神社の」茅葺き舞殿
当然この神社も、「安倍晴明」ゆかりの神社で子孫「土御門家」により京都より勧請され祀り伝えられて来たと言う。
当然、舞殿なので、四本柱の舞台の上に端正で瀟洒な茅葺き入母屋屋根を載せている。
棟飾りには北山型の大きな千木を載せ、山向うの美山地域の影響が色濃く見られる
神社の厳かさの雰囲気の中で簡潔な美しさを見せている。
撮影2016.3.8
名田庄道の駅からすぐ近く、納田終 (のたおい)白矢(しらや)集落最奥に建つ茅葺きの薬師堂。
この地名田庄納田終は平安時代の有名な陰陽家・「安倍晴明」 を始祖とする土御門家 (つ ち み か ど け) ゆかりの地として知られ・・・
薬師堂の裏を奥に詰めた谷川沿いには、応仁の乱の戦火を避けて京都より移住した陰陽道宗家安倍家3代の墓所がある。
そんな薬師堂は文治3年(1187)に開創されたと伝わる増福寺の薬師堂であった。
弘安2年(1281)不審火を出し全焼、現在の薬師堂は元和3年(1617)の棟札写しがあったといわれ江戸初期の建築だと考えられている。
最近茅葺き屋根が葺き替えられたのか端正な屋根は一重入母屋造・ 桁行5間・梁間4間・平入の建築で四周に緑が設けられている。
若狭とは言え、京都北山に近くその建築意匠も京都・北山型と呼ばれるものを踏襲していて、江戸時代の雰囲気を留める茅葺きの寺院建築として貴重です。
撮影2016.3.8
名田庄と言えば僕らフォーク世代の人間には、名田庄をもじって命名したと言う、あのナターシャセブンの高石ともやを思い出さない訳が無い。
まあそれはさて置き、南丹美山から西の鯖街道と言われる国道162号線で堀越峠のトンネルを抜ければ福井県おおい町名田庄。
162号線沿いにある道の駅「名田庄」の複合施設として、この茅葺き民家が移設され研修宿泊として利用されている。
深く急傾斜の葺き下ろし茅葺き屋根は最近葺き替えられたのか?まだ凛とした美しさを保っている。
峠一つ越えたからと云って南丹美山とは隣同士、茅葺き屋根の造作には大きな差は見いだせない。
撮影2016.3.8
美山町の中心地、静原近く、府道12号線と由良川に挟まれた田園地帯の中に建つ茅葺き民家
不動から脇道に外れ、茅葺き民家の前まで来ると、府道から見てた時とは別の顔を持つ一軒家
背の高い杉の屋敷林囲まれた北山形入母屋の茅葺き屋根がどっしり構えて居る。
荒壁土蔵に作業納屋を付随させた屋敷は一般的な農家だろうか??
少し離れて景色の一部として見るその茅葺き屋根は一段と映えて見える。
撮影23016.3.8
国道27号線から由良川に沿って走る府道12号線を美山町静原方面に進行中、左高台に見える茅葺き民家の葺替えに出くわした。
以前に吹き替え前の写真もこのブログにUPしているので参考のためリンクしておきます。
しかし噂には聞いていたが職人さんは本当に若い人ばかりですね・・・
その後まだこちら方面に行ってないので仕上がりは見ていませんが、また機会を作ってでも見に行かなくっちゃね・・・
撮影2016.3.8
国道27号線から府道12号線を美山に向けて走っているとき、大野ダム湖越しに真新しい茅葺き屋根が見えた。
早速橋の有るところまで折り返し橋を渡って向こう岸の茅葺き屋根の処へと・・・・・そこは瀧神社と言う、この土地「向山集落」の鎮守の境内。
滝神社は大野ダムが完工した1961年に前の鎮座地からこの観音堂の建つこの地の斜面上に遷座。
現在図らずも神仏混淆の境内となり、個人的には大歓迎・・・・
まだ茅葺き屋根は葺替え工事を終えたばかり・・・匂い立つような真新しい茅が初々しく迎えてくれ、なんとも清々しい気分に成れた。
撮影2016.3.8
南丹市・旧園部町、朝倉神社参道脇の山景に溶け込むように建つ茅葺き民家
グーグルマップを見ると民宿となっていて納得だが、mきている方向が逆なのか??ちょっと手入れ不足の様な??
棧瓦葺きの下屋に入り母屋茅葺き屋根を載せ、葺き替え後それほど経ってないのか?未だ、しばし大丈夫そう・・・
撮影2015.12.9
美山からの帰り道、山陰線船岡駅近く、桂川左岸で見かけた茅葺き民家。
桂川沿岸の里山集落、その中にたった一軒残っていた茅葺き民家は、美山で見慣れたそれとは随分印象が違う。
同じ入り母屋茅葺き屋根なのですが・・・やっぱり屋根が浅く傾斜が緩い。
しかし集落でたった一軒残った茅葺き民家も、もう既に葺替え時は過ぎ去り、棟は波打ち茅はすっかり痩せこけ、肋骨が見えている。
今度ここを通った時はどうなっているのか??ちょっと心配な茅葺き屋根です。
撮影2015.12.9