普光寺磨崖仏の在る大分県 豊後大野市朝地町は、あの「荒城の月」の唄で有名な岡城の在る豊後竹田市の隣町で岡城とは直線距離にして凡そ4km、しかし深い山の中ゆえひどく遠回りしなければならない。
豊肥本線朝地駅、南方へ約2.5kmの山中に有って、最近になって道路も整備され、案内看板も所々に立てられ、それほど苦労せずに行き着いた。
さすがに門前まで車は進入できずに約10分ばかり徒歩にて谷を下ったところに山寺の鄙びた山門があり、小さな境内にはまるで申し訳程度の本堂と庫裏が建っていて人の気配は在るものの結構荒果てていて誰に合うでも無い。
普光寺は583年、敏達天皇の時代に日羅によって開山されたと伝えられる真言宗古義派の霊場、平安期には荘司・大野氏によって、また鎌倉期には岡城に居を構えた志賀能郷の庇護により大変な発展を遂げたと言われているが現在では見る影も無く、岩壁の石窟と磨崖仏に往時を偲ぶのみ。
本堂に廻ってみるとピアノ寺という、とんでも無い表示があり、ピアノが置かれていたりして、「ここはどこ、ここはいったい何??」って感じがしないでも無い。
境内から谷を隔てて約100m、向こうの山肌の岩壁に二つの石窟と、不動三尊磨崖仏が見える。
谷を下る道があるので近づいてみようと途中まで歩いてみたが余りの整備の悪さ、荒れようにに諦めざるを得なかった。
岩壁に彫られた不動明王は坐像で、扁平感は否めないながら中肉彫り、豊前豊後の不動明王が殆どそうで在るように、ここでもあの燃盛る憤怒の顔容には成らず、まるで「べそ」でも掻いているような顔つきにみえる。
像高約11.3m、脇侍の制多迦童子と矜褐羅童子は共に像高約5mと巨大で鎌倉時代の像立だといわれている。
不動明王像の向かって右手に大きな石窟が2箇所並んでおり、右端は懸造りの護摩堂がはめ込むようにして建てられ、高さ3mの多聞天立像が浮彫りとなっているらしい。
真ん中の石窟は近世の磨崖不動三尊像や丸彫りの大日如来像その他が数体安置され居るという。
しかし観光客が殆ど無いからと言って、僕が目にしたところ谷間を埋めるアジサイの説明は有る物の、不動磨崖や二つの石窟の説明板など全く無く、何の案内書なども無いのはちょっといただけない。
撮影2010.5.1