愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

姫路市 福円寺の石棺仏

2011年01月31日 | 石仏:兵庫

前回の真禅寺から南へ約10km弱、海沿いの町、的形町福泊に有る福園寺に石棺仏としては珍しい不動明王像が有ると言うので訪ねてみた。

福泊の漁村の匂いがする集落に入ると直ぐに福泊神社が有りそのまま道なりに進むと直ぐに福園寺脇に到着する。

福園寺の小さい境内を奥に進むと案内板が有って裏山の墓地へ登る参道(山道)を登りきると斜面に墓地が開けている。

開けた墓地前の木立の中に粗末な波板覆いが有ってその中にこの不動明王三尊石棺仏が立っている。

これが石棺か?赤い石棺、それは取りも直さず赤不動・・・・。

このように赤い石棺を見つけてそれに不動明王を彫りつけた・・・、それは故意で有ったのか偶然であったのか??

高さ 160Cm 幅 83Cm の赤い石棺材に燃え盛る火炎、躍動感溢れる像高1mばかしの不動明王立像

制叱迦童子(せいたか)  矜羯羅(コンガラ)童子の両脇侍。

石棺材を意識させないほどに大きく彫り出されていて最早原型をとどめていない。

赤い石棺材に燃え盛る不動明王・・・・・、偶然なのだろうか??

これは最早石棺仏とは呼べないのかも???

この不動明王に派手な波板囲いの覆い屋は似合わない。

撮影2008.9.14


富川阿弥陀三尊磨崖石仏

2011年01月29日 | 石仏:滋賀

今日時間に余裕が出来たので思い出したように近くの磨崖石仏に逢いに出かけた。

何度も行ってるので上書き、写真の追加です。

拝屋と磨崖の隙間から真上を仰ぐ・・・・。

向かって右の観音菩薩

左の勢至菩薩

その下方には線彫りの不動明王。

この地を訪ねるには、車を利用するのがいい。

ここは滋賀県大津市といえども京都府宇治市と境界を接する山間部で、いわゆる湖南アルプスの背後に当たる過疎地で、公共交通機関のアクセスは悪い。

僕の住んでいる地域からはさほど遠くなく車で約30分足らずで到着する。

琵琶湖から流れ出した瀬田川が宇治川と名前を変える、鹿跳(ししとび)橋から信楽朝宮に抜ける国道422号線を南下すること約10分足らずで、信楽川沿いに建った磨崖石仏の看板が見える。

川沿いから下に下りる道路が設けられ駐車場も用意されていて、今でも耳垂れ不動と呼ばれ信仰が篤い。

元、岩屋明王院のあったところで、耳の病に霊験が在ると親しまれている。

信楽川ふちから、岩だらけの参道を登ること約10分、少し開けたところの対面する巨大な1枚岩にこの阿弥陀三尊が彫り刻まれている。

主尊野阿弥陀の顔が何処と無く漫画チックに見えるのは片方の目が碧眼のように見えるからなのだろうか?それとも顔の肉付きが阿弥陀にしては」そげ落ちてるからなのだろうか??

主尊阿弥陀坐像は像高3.64m、脇侍の観音、勢至立像はともに3.9m、鎌倉期の特徴をよくあらわしていて岩屋明王院の主尊であったと考えられている。

今ではこの石仏の前に粗末な拝所??が設けられているに過ぎず、栄華盛衰、世の習いが如しのたたずまいです。

撮影2005.5/2011.1.29


真禅寺の石棺仏

2011年01月27日 | 石仏:兵庫

前回紹介の黒岩磨崖石仏より北方へ約4km、10分も走らないで着いてしまう距離。

姫路市とは言う物の加古川市や高砂市に接した地域で一連の石棺仏が見られる地域です。

国道2号線少し北に入った別所町北宿集落の奥まった前面に長閑な田園が広がる山裾に真禅寺はあって、境内の西側の墓地の真ん中目指す石棺仏は立っていた。

しかし石仏に在ってこんれ程までにデフォルメされた石仏も珍しい、高さ130cm、幅75cmの家型石棺の蓋に阿弥陀如来座像を薄肉彫りにしているが写真のようないでたちでまるで現代モニュメントのようにも見える。

室町期のこの石棺仏は、形式化がすすみ表現力に劣るといわれているが此処まで来ると別の意味での魅力を感じないわけには行かない。

石棺にデフォルメされた抽象的・幾何学的表現の石仏にどこか異質な文化を感じないでもない。

一方、本堂前に立つ高さ約1m、幅90cm程の石棺の蓋石を利用した如来座像石棺仏が有る。

像の周辺を彫り窪めレリーフ調に定印??の阿弥陀如来を刻みだしでいる。

像の左右に「文永二年乙丑」「十一月十日」の銘があって、在銘石棺仏としては最古だそうです。

大阪府柏原市山ノ井町の瑠璃光寺石棺仏に良く似ておりそれを真似たものだといわれているようです。

撮影2008.9.14


黒岩(くろいわ)十三仏磨崖仏

2011年01月27日 | 石仏:兵庫

加古川市の西となりに有る高砂市、その西端あたり姫路市の境界近くを流れる天川の橋を渡り直角にカーブを切ると国道250号線は川沿いに南下する。

橋を越え突き当たりに有るのが住吉神社、それを行き過ぎて直ぐ左斜面の崖に少し分かり辛いが磨崖石仏が彫られているのが見える。 

国道250線脇の斜面に沿った階段を登ると草が茂った、粗末な鉄柵の先に黒岩十三仏がある。

斜面に露出する花崗岩に幅 170Cm、高さ約70Cm、横長短冊型の彫り窪みを造り上下二段に13仏を刻みだしている。

上段には向かって左端から金剛界大日如来、虚空蔵菩薩 、阿閃如来 、阿弥陀如来、勢至菩薩のそれぞれ坐像。

下段は同じく左端から観音菩薩、薬師如来、弥勒菩薩、地蔵菩薩、 普賢菩薩、文殊菩薩 、釈迦如来 、不動明王の各坐像

「于時永正二年(1505)乙丑十一月二十八日、逆修尼衆、敬白」の刻銘が有り室町中期、逆修供養のために刻まれたもののようです。

500年以上も風雪と共に有り全体的に磨耗・風化が激しく判然としない。

しかしこの地域でまさか磨崖仏が見られっるとは思ってなかったので新鮮な驚きでした。

撮影2008.9.14


信楽の登り窯

2011年01月25日 | 風物:陵墓

滋賀県甲賀市の信楽は言わずと知れた陶器の町。

一時期狸の置物がもて囃され,その名を全国に轟かせ、有名になったとか??

町には今でも大狸を店先に並べた陶器店が軒を並べているが一時のような賑わいは無い。

そんな信楽の中心地、長野辺りの窯元散策道を歩くともう今は火が入れられることも無くなった長大な登り窯に出遭うことが出来る。

僕はこの町でもう半分以上潰された哀れな登り窯2箇所と・・・・・・・・

まだ使えそうな一基・・・・

ただただ野天で雨ざらしの一基を見かけた。

我が家の山城からは国道307号瀬で道鳴りに約く30分、信楽高原鉄道の終点信楽駅前より延びる駅前通と307号線交差の信楽駅口を駅とは反対側へ左折、突き当りが大きな鎮守の杜を持つ新宮神社、杜沿いの道を行くと窯元散策路の看板がアチコチに建てられている。

暫く進むと右手に浄観寺、左手民家の屋根越しに赤レンガ煙突と登窯のようなものが小高い丘の斜面に見え隠れ・・・。

もう半分以上も潰され殆ど残骸のような登窯

レンガを積み重ねて造られたその登り窯は遠い昔のアンコール遺跡の石組みのように朽ち果てた姿を曝している。

いつ崩れるかも知れないその姿はやはり哀れ以外の何者でもない。

浄観寺の前の道を200mも進めば覆い屋も有り、まだ使えそうな登り窯

この窯は道路側を枕に、其処から下る緩やかな斜面に築かれ八連窯

今ではすっかり火も音も消え、時折観光客を連れて廻る案内人の声が響く

前面炊き付け口から・・

裏側から見ればまるで巨大な「蚕の繭」を横に並べたような

焼きただれた置き台や房室の壁にあの狸の姿をふと見えるような・・・

この斜面横の道筋を道なりに100m、散策路休憩所手前の道路わき斜面にも登り窯

多い屋も無く、窯の上部には枯れ草

連房奥部野焼成室は既に無く・・・、登り窯の歴史は閉じられて久しく見える。

四ヵ所目、公園のように整備され、遺跡のようにも見える登り窯。

焼き物もやっぱり安い輸入物が幅を利かすのか寂れた工場がやけに目につく。

 

 やがて消え行くもの、滅び行くものの美だろうか・・・

土とレンガの積み重ね

 

土饅頭の連続のような登り窯

何処と無くなんとなく、心の休まる心の温まる風景・・・・・

登り窯の有る景色。

撮影2011.1.23


西之山墓地の石棺仏

2011年01月24日 | 石仏:兵庫

平荘町池尻の地蔵寺から加古川に架かる池尻橋を渡って加古川南岸を走る県道18号線を少し南下、左手への進入道を西の山集落に入る。

集落の入り口、左手野なだらかな斜面に墓地が広がり、入り口辺りに一目でそれとわかる二体の石棺仏が佇んでいる。

墓地の入り口に有って都合二石棺に六体の石仏が刻まれて居て六体地蔵かなとも思うが・・・そうでもない。

集落では六体地蔵としてこの墓地に祭られてるようだが・・・??良く見ると阿弥陀ばかりで地蔵はたったの一体、向かって左側の上段に錫杖を持って立っている。

向かって左手、石棺の側石だと思われる高さ130cm、幅約70cmの石材に上下2段に光背を持つ石仏が薄肉彫りで刻まれている。

向かって右側上段の地蔵菩薩のみが立像で円形光背??、残り三体の阿弥陀は全て舟形光背で坐像、下段の阿弥陀などはかなり省略された彫りに成っている。

向かって右側も同じく石棺側石部材ですが少し小さく、頭部は緩やかに角が取られています。

上部に二体の阿弥陀如来が刻まれていますが、殆ど隣の下段二体と変わらない彫りに成っていて南北朝時代、同作者によって彫られたものだとされています。

こういう古びた共同墓地で死者を救う為の六体地蔵として祀られたこの侘びた感じも、野の仏としてのたまらない魅力を感じさせてくれる。

撮影2008.9.13


西神吉町 宮前の石棺仏

2011年01月23日 | 石仏:兵庫

四方皿池の交差点より約2km程南方西神吉町宮前公民館脇に有る真福寺の境内、公民館との堺の辺りにも二基の石棺仏が並んで建っている。

小さなお堂の脇、最近整備されたのか砂利を敷き詰められた一角に立つ二基のうち一基、大きい方の石棺には何のあと加工も施されなくてこれは石棺仏とは言えないだろうが??これも信仰の対象に違いない。

勝手古墳のそこに眠っていた石棺が何の理由か掘出され、それを建て仏と見立てて信仰したものだろうからこれもまさしく石棺仏に違いない。

片や小型の家型石棺蓋石内側に大きく掘り込んだ舟形光背の中に像高約50cmの阿弥陀如来座像を中肉彫りで刻みだしている。

頭部は長い歴史の中、信仰の摩擦摩耗に依るものか目鼻立ちも覚束無い程にツルツルピカピカ・・・・。

当初から螺髪もなかったのだろうか??これも信仰のたまものか??本当にツルツル・・・。

撮影2008.9.13


四方町 皿池二尊石仏

2011年01月22日 | 石仏:兵庫

加古川平荘町の隣町、四方町の中心付近に有る県道65号線と県道515号線が交わる四方皿池交差点の直ぐ脇、北西隅に皿池という溜め池があって

池脇の細い堤の行き当たりに開けた広場があって池を背にしてこの二尊石棺仏が祀られている。

これは正しく野の仏、多分少し前までは背後に建ち並ぶ建物などもなく長閑を絵に描いたように佇んでいた事だろう・・・・。

背が高くのびた南天の脇に高さ1m弱の石棺部材(側石かな??)に向かって右に蓮華坐に坐す定印の阿弥陀如来坐像、

左手には同じく右手に錫杖、左手に宝珠を持つ地蔵菩薩坐像が薄肉ではあるが意外にはっきりと残っている。

二重光背の中に刻まれた石仏は共に像高30cmばかり、室町前期の造立だと考えられています。

この辺り溜池と石棺仏は何処に行っても出逢えそう・・・・。

 撮影2008.9.13


大日寺の石棺仏とキリシタン地蔵。

2011年01月21日 | 石仏:兵庫

がらんと開けた田舎寺という雰囲気の境内、その片隅に横一列に並べられている数体の石仏さんたち。

元々こうではなかっただろう、加西市の文化財に指定されたのでこのように横一列に並べられ、大日寺石仏群と呼ばれてるのでは・・・。

まあそんな事は同でも良いけど、やっぱり目に付くのが大きな石棺の蓋石に刻まれた阿弥陀さん・・・

像容も顔容もおぼつか無く、如来とだけは何とか判る・・・その上あかい涎掛け、坐像だと思うけど確信はない。

涎掛けも良いけどちょっとその裏に隠れている姿も見てみたいとおもう、それでも光背に化仏が三体は見える。

実は七体あるらしい。

実は有名なのが後に立ってる大きな丸彫りの何でもなく見える地蔵さん。

表は何でもないけど・・・・後に廻ればこの通り、しっかりクルスを背負っています。

加西とキリスト教の結びつきが余り良く判らないけど、近くには何体かこういう石仏が有るようです。

撮影2007.12.8


地蔵寺の石棺仏

2011年01月21日 | 石仏:兵庫

地蔵寺は石棺銀座の平荘町の一画、県道65号線と県道79号線が交わる西山交差点から南へ2km弱、加古川に架かる池尻橋近、本村集落の東脇、丘陵裾の斜面にこの地に在って珍しく石造仁王の立つ地蔵寺が有る。

石段を上り山門を潜ると境内のすぐ左側に二基の石棺仏が迎えてくれる。

向かって右側に建つのは石棺の側石を利用した二重光背の中に立つ地蔵菩薩を刻んでいる。

これだけなら珍しくも無いが裏に廻れば胎蔵界大日如来の種子である「ア」の種字が薬研彫りされている。

下部には弘安四年(1281)四月廿日と刻まれており鎌倉初期の造立。

現在表に成ってる地蔵立像はそれより何年かあとに刻まれたようで本来奈良こちらは裏側になるのかな??

一方向かって左手には家形石棺蓋石の内側を利用して、上方二段には三体づつの六地蔵、下段の二体は被供養者の男女であろうといわれて居て加古川市の文化財に指定されている。

地蔵立像の石棺仏とよく似た彫りや同様の二重光背から同じ頃の造立と考えられて居るようです。

撮影2008.9.13


見登呂姫(みどろひめ)の石棺仏

2011年01月19日 | 石仏:兵庫

哀しい悲話を今に伝える石棺仏です。

やっぱり此処も加古川北岸域、前回紹介の報恩寺から車で約10分足らず、ほんの3km程・・・・。

田園地帯の真ん中に有る見土呂集落の北奥のほう、公民館脇に石仏への小さな案内板が建っている。

車を邪魔にならないように脇に寄せ案内どおり細い通りを少し登ると木立に囲まれた小さなお堂が見える。

お堂の脇の狭い境内にこの石仏を目にして思わず感歎の声を挙げた。

少し前のめりに立つ大きな割りと薄い石棺部材に幽玄とも言おうか、細身で美形の阿弥陀三尊立像が刻まれている。

このように細身で簡略化した像にも係わらず写実的な印象の残る石仏も稀である、そもそも石棺仏で阿弥陀三尊立像と言うのも珍しい。

どこか寂しげに見える顔立ちは、哀しい物語の表示板を読んだせいなのかも??

中央に二重光背を背にして立つ結構厚肉彫りの阿弥陀如来立像、右脇には勢至、左脇には観音と両脇侍を従えている。

<裏に廻るとやっぱり石棺そのものの姿>

石棺は高さ 175Cm 幅 125Cm 厚さ 25Cm も有ってどちらかと言うと正方形に近くかなり大きな印象を持った。

哀しい話は事実なのか?はたまたこの哀しげな石仏に合わせたつくり話なのか??、そんなことは知る由も無いがこの石仏に良く合う話だと・・・。

石仏に手向けられる花は今でも枯れることは無いと言う。

撮影2007.9.13


堂山六地蔵石棺仏

2011年01月17日 | 石仏:兵庫

あっちにもこっちにもぞろぞろ在ります。あの町この町この辻に・・・・・。

此処は[八つ仏]の有る小塩池から北西に約1km強,志方町,志方城山の南にある広尾東バス停の横です。

付近は空き地が一杯車は何処にでも置き放題、バス停対面に有る地蔵堂も大きな広場を持っていて、せせこましい処は微塵もなく長閑を絵に描いた様・・・・。

地蔵堂の向かって左側、道路わきの基壇上にまたまたこの辺り独特の特徴を持つ六地蔵石棺仏と役の行者像の有る大峯巡拝記念搭??。

六地蔵石棺仏高さ 88Cm 幅 65Cm 像高 24Cmの石棺石材を利用して、上下二段、六つの舟形光背の中に六地蔵立像が中肉彫り、蓮弁はそれぞれ線彫りに成っています。

六地蔵は像高24cm、やっぱり稚拙で素朴、上段中央の地蔵の上には天蓋??の様な彫りが有って珍しい。

左下段蓮弁下方には小さく手を合わせる女性の姿、施主の姿だと考えられていて室町時代後期の像立だといわれています。

撮影2008.9.13


加古川市 報恩寺の石棺仏

2011年01月16日 | 石仏:兵庫

もうこの辺りは丸で石棺仏のパラダイス、僕が歩けば石仏さんに当る状態です。

とても全部見て歩けないし全て紹介するわけにも行かない。

神木の大日さんから南東方向へ約1km弱、車で走ると遠回りにに成って五分足らず、平荘小学校東側の道を突き当った山裾に建っているのが真言宗印南山報恩寺。

急な石段を上って山門を潜れば真正面に小さいながら大きく裳階(もこし)を延ばした様な本堂が建つ。

この寺には多くの石造品があってよく知られた所らしい。

当然僕の第一の目的は本堂裏側、寺墓横の林を背にしてひっそり佇んでいる。

高さ81cm、幅68cm、厚さ11cmの石棺側石に四体の阿弥陀仏を半肉彫で刻んでいる。

 

この飾り気の無い素朴さがなんともいえず良い。

横一列にに並ぶ定印阿弥陀坐像はそれぞれ線彫りの蓮弁状に坐し、舟形光背を持つ。

像容はこの辺りの特徴を踏襲して簡略明快で素朴

像の左右に南北朝期文和2年(1353)の銘が見える。 

寺墓脇にはしっかりコンクリートで固められた阿弥陀三尊種子石棺板碑。

石棺側石に種子を薬研彫りしたもので、鎌倉後期、弘安七年(1284)の銘があります。

実際は良く見えないけどね。

撮影2008.9.13


神木(こうぎ)阿弥陀石棺仏(神木の大日さん):元東林寺跡・釈迦種子石棺板碑

2011年01月15日 | 石仏:兵庫

誰が何処からどう見ようが余りにも石棺仏らしい石棺仏です。

しかしこの辺りの古墳と言う古墳は暴かれ過ぎたんじゃないかと思うほど・・・。

長楽寺や八つ仏の有る小畑町からは県道79号線を挟んで東隣に当る神木集落公民館の前、通りを挟んで南側の少し高台になったところに立っている。

大型の家型石棺の蓋石内側に簡略ながら力強い定印阿弥陀坐像が蓮弁上にに座していて、地元では「神木の大日さん」の名で親しまれている様です。

高さ177cm、幅1m、厚さ28cmの大きな石材に単純な二重光背を彫りくぼめ明快な像高52cmの中肉彫り阿弥陀如来坐像を刻み出している。

枠縁には「一結衆十六人 大願衆法蓮」と左右に分かれて刻まれています。

しかし横に有る五輪搭は気の毒に・・・・こりゃなんじゃらほい。

ここから一段下がった処には釈迦種子石棺板碑も有るのですがすっかり忘れ去られたように夏草の間に立ち尽くしている。

やっぱり石棺底石に薬研彫りの釈迦種子の「バク」を刻んでいますが石棺は半分ぐらいに割れているようで寸足らず。

撮影2008.9.13


小畑の八ツ仏(やつぶつ)

2011年01月13日 | 石仏:兵庫

野の仏の風情が何物にも変えがたくとても良い・・・・いわんや粗末なトタン屋根の覆い屋が無ければもっと良いのだが。

ここは前回紹介の長楽寺より少し北側、田んぼの広がる奥まった山裾にある小塩池の畔。

高さ166cm、幅116cm、厚さ約35cmの大型石棺の蓋石内側に八体の石仏を見事に配していて意匠的には秀逸です。

中央の窪みの中へ2段に分けて都合四体の坐像石仏、上段の二体は定印を組む阿弥陀さん、その下には坐像の地蔵さん??

縁石には左右に二体づつ都合四体の阿弥陀さんが彫り窪めた光背の中に座して居る。

一つ一つの石仏の出来不出来よりもこの石棺仏の持つ全体像が、なんともほのぼのした感じにさせてくれて凄く良い。

なんとも付近の景観とともに記憶の底にいつまでも残る石仏さんです。

良いものを見せて戴きました。

 

撮影2008.9.13