愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

奈良市大柳生町塔坂垣内の勧請縄

2008年04月16日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

 


前回紹介の泉垣内の東隣の山裾に連なる塔坂垣内の勧請縄は集落の東端、東福寺の横から入る山道、両脇の木に掛け渡されている。



見ての通りのタコの形をした藁細工が縄の中心に吊り下げられていて、脇にはスキ、クワの


木製ミニチュア農具が付けられている。



ここでは、厄の侵入を食い止める役目と、五穀豊穣の役目を合わせてこの勧請縄に持たせているのでしょう。



この手のものは、以前に奈良県の東吉野村の山ノ神の勧請縄に山道具の鋸や鉈のミニチュアが取り付けられていたのと良く似ている。


海から遠いこの柳生の山郷にタコの勧請縄を伝えたのはいったい誰なのだろうか??


いつの時代から続いているものなのだろうか??


 


撮影2008.2.24


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奈良市大柳生町泉垣内の勧請縄

2008年04月11日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

大柳生は奈良市街から柳生に向かう国道369号線沿いにある長閑な町で、この地の鎮守は夜支布(やぎゅう)山口神社で、柳生の地名はここから来ているのではないのだろうか。


この地の4箇所にタコの藁飾りをつけた道切としての勧請縄かけられている。



泉垣内は国道369号線を東進すると大柳生交差点を右折して正面山裾に開ける集落の一つで、この集落の多門神社脇の山道にこのタコ勧請縄が渡されている。


縄の中央に藁細工のタコを吊り下げ左右に榊?の小枝、御幣をつけている。



この地は大和高原の入り口にも当たる地域、他の大和高原地域の縄とは全く違う形態をしていて興味深い。


伊賀、近江、大和、山城などでも見たことがない。


まるでタコの吸盤で外から入ってくる厄に吸い付かせようとでもしているのだろうか??


撮影2008.2.16


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滋賀県甲賀市多羅尾里宮神社の勧請縄

2008年04月08日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

 


多羅尾は、甲賀、伊賀、山城の境界、旧信楽町の中心から車で15分ほど山中にはいったひなびた山里。


多羅尾集落の辻から旧道を行くと多羅尾小学校の隣にこの里宮神社が鎮座する。



明るく開けた境内で鎮守の杜の風情は微塵もない。境内には拝殿があり、その奥本殿に上る石段両側の杉の木にこの勧請縄が掛け渡されている。



 


単純な縄で飾り物は全く無く、中央には片面に五穀豊穣片面には家内安全と墨書された絵馬形の木札だけが付けられている。



それよりも拝殿には何本もの牛玉宝印(ごおうほういん)(を挟んだ木と餅のついた木が立てかけられていた。


牛玉宝印とは牛の腸や胆・肝にできた結石、すなわち「牛玉」をすりつぶし、朱や墨とすりあわせ額に捺す、あるいは紙に捺したものを社寺が護符として配布するもので、火災・風水害・盗難防止など災難除けの御利益が数多くあり、門口や村の入り口あるいは田の水口などにまつると言う。


こういうふるい慣わしがまだ見られるのは人里離れた集落だからこそかもしれない。


撮影2008.2.16


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      天下太平祈願の勧請縄               拝殿の牛玉宝印


京都府南山城村野殿六所神社の勧請縄

2008年04月07日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

 


桜満開、春爛漫のこの時期に雪の有る勧請縄など季節外れもはなはだしい気はしますが・・・。


2月16日、麓から6~7km山を登った、山上に開けた小さいながらも古い集落です。


滋賀県旧信楽町と境界を接していて、山城とはいえ、山城の文化とはちょっと趣がちがう感じがするところでも有ります。


途中の道路はその前の週に降った雪が木陰にはアイスバーンになって残っていて恐々の訪問となった。


六所神社は集落の中心と思しき辻の右山すそに鎮座していて、豊かな鎮守の杜の中にある。



細い農道で、鳥居の前まで行くと、長い長い参道入り口の両側の杉の木の間にこの勧請縄が渡されている。


一目見てこれは伊賀様式だとわかる縄で、藁房を3箇所に設け各間に藁細工飾りを2個づつ吊下げている。



わら細工の飾り物は輪に魚、箒と陽物と思しき物、はてさてこれでいったい何を表しているのかはトンチのようで良くわかりませんが・・・・。



この隣、笠置町飛鳥路集落の縄も良く似た形態です。



参道の奥には真新しいかやぶき屋根の拝殿と本殿が雪をかぶって絵になる景色が楽しめました。


2008.2.16


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伊賀市中友田の勧請縄

2008年04月02日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

 


前回紹介した伊賀市西湯船 から鞆田川を少し下流に行った中友田の勧請縄。



鞆田小学校の近く、鞆田川にかかる橋の少し上流で流れを変える付近の川を跨いで、この縄が掛け渡されている。



ここでは、縄の中央に御幣を突き刺し、帚、塵取、環、と思われる縄細工が左右に1組ずつ。



前回紹介の西湯船とは直線距離にして約1.3km、しかし縄の形状がまったく違うのには驚く。


昔はこれほど近い距離でもまったくの別世界だったのだろうか??



しかし、伊賀の平野部や山城の伊賀寄りの集落で、同様のものを見かけた事があるが。


撮影2008.2.10


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