愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

慈眼堂の阿弥陀石仏

2007年09月30日 | 石仏:滋賀

大津市坂本は比叡山延暦寺の里坊が立ち並び、日吉大社が鎮座する門前町としての姿を今でも色濃く残している。

琵琶湖を対面にして、車が行きかう広い参道はの両側には多くの神社や寺院が立ち並んでいる。

その一角に慈眼大師天海僧正の廟所である慈眼堂が建っている。

慈眼堂に建つ大型石塔の上段に大型な丸彫りの阿弥陀石仏が十三体も1列に並んでいる。

この石仏は、ここから湖岸沿いに北へ30kmも離れた鵜川の四十八体仏のうち十三体だけをここに移したものらしいが、

いつの時代に誰が何のために移したのかは定かでないという。

大きな丸彫りの阿弥陀石仏で像高、いずれも1.5m、室町後期の天文22年(1553)の像立と伝えられる。

鵜川の四十八体仏は近江国守護佐々木善賢が泣き母の供養にと像立したもので、居城であった安土観音寺城から琵琶湖を挟んだ西方のこの土地を極楽浄土に見立てて、この高島市鵜川に造立したと伝えられています。

撮影2006.11.24

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比叡山延暦寺の弥勒石仏

2007年09月17日 | 石仏:滋賀

比叡山は京都の山として知られているがその実、滋賀県とその山頂で県境を接する。

比叡山延暦寺は天台宗の宗祖、最澄が開いた鎮護国家の道場として発展したが中世、織田信長の焼き討ちにあって全山焼亡したが後、豊臣、徳川の寄進により復興されたという。

比叡山最古の建築である西塔の釈迦堂真裏山に香炉ケ丘が有り、その静寂に包まれた雑木林の中にこの弥勒菩薩坐像が有るのはちょっと異様な感じがする。

花崗岩製、総高2.5m、下部に別石の反花座もうけ、その上に蓮座・仏身・光背からなる本体を一石で彫りだしている。

顔や手や光背の半分が破損しているのは残念だが、完成度の高い鎌倉初期の傑作である。

丸彫りに近い厚肉彫りで、膝におろした右手と胴のあいだや首と光背とのあいだが彫り抜きになっていて、光背は二重円光式、左肩の一部欠けていて、6個の月輪内に梵字が陽刻されている。

光背の背面には、3つの月輪が彫られ、釈迦三尊の梵字が大きく陽刻され、下には経巻を納めるための四角の彫り込みがある。

信長の比叡山焼き討ちで破損したとのことだが京都を代表する石仏に数えられている。

もとこの付近にあった弥勒堂跡にちなんで弥勒石仏といわれているが釈迦石仏だという説もあるらしい。

撮影2006.11.24

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