愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

山王大宮神社の勧請縄

2008年05月31日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

 


滋賀県甲良町の国道307号線沿いに湖東三山の一つとして有名な天台宗西明寺がある。 


この付近は国道307号線と名神高速道がほぼ平行して走る地域で、この古刹西明寺もその参道を高速道路がぶち抜いている。


山王大宮神社はこの西明寺の目の前、国道を挟んだ向こう側にあって、鎮守社として延暦寺の守護神山王権現を勧請したものだといわれています。



しかし勧請縄はこの神社にあるのではなくここから少し離れた国道脇のお旅所の境内に高いポールを立てて掛け渡されている。



下から見上げると三つ目小僧の目玉のような丸いトリクグラズが三つも在ってちょっと見慣れない形をしている。


吊下げられている小縄の形も少し変わっている。



きっちりした説明板があったので敢えて解説することはないので助かります。



破魔弓神事で使われたものが立掛けられていました。


撮影2008.3.16


MAP


 


精華町菅井天王神社の勧請縄

2008年05月28日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

 


京都府精華町は現在では京阪奈学研都市の中核をなす地域ですが、ほんの20年ばかし前、この地域が大開発されるまでは木津川西岸一帯に田園が広がる長閑なところでした。



この地を走る府道、八幡~木津線、京都方面から南下すると、近鉄、JR,、祝園(ほうその)駅を越え、約2kmほどで右手道路わきに小さな神社の杜が見える。


直ぐ隣空き地があって駐車は何台でも可能。



府道側からは直ぐに石の鳥居の前だが車を止めた空き地からだと短い」参道を少し歩いて鳥居の前の勧請縄に着く。


鳥居前の両側の勧請木野間にこの勧請縄が掛け渡されている。



大縄の中央上部に御幣を突き立て、両側にはそれぞれ6組の小縄を吊り下げていてシンプルな形の勧請縄です。


勧請縄としては非常にオーソドックスながら、この山城ではここでだけ見られる形だと思います。



撮影2008.2.16


MAP


 


東近江市高木町白鳥神社の勧請縄

2008年05月26日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

 


白鳥神社を滋賀県神社庁のホームぺージで検索してみると、五社検索され、そのすべてが東近江市にあることになっている。


ここに紹介する白鳥神社は旧永源寺町高木集落の白鳥神社ですが、おおよそ白鳥神社はこの近くに集まっていて、何処に行っても同じような勧請縄がみられます。



白鳥というのは日本神話でいう、ヤマトタケルの終焉地となる能褒野(能煩野:のぼの)から一羽の白鳥が空へ舞い上がり,大和の方へ飛んでいったというそれで、この辺りの白鳥神社もすべて祭神は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)になっていて、この神社付近に葬送された事に成っている。


能褒野の地とは鈴鹿山脈をはさんで対峙した位置にあって、まったく関係のない土地ではなさそうです。



ここの勧請縄はシンプルで、参道入り口鳥居の手前の木から木にかけ渡されている。


縄の中央に角ばったトリクグラズを藁の芯に樫の葉のような常緑樹の小枝を巻きつ毛手吊り下げている。



向かって右側の綱の端は、藁の房飾りのようになっていて蛇をあらわしているようです。


撮影 2008.3.16


MAP


 


延座参座(エンザサンザ)

2008年05月20日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

寒い時期に取材し始めて書き始めた勧請縄も、ちょっと季節をはずしてしまった様な感じがしますが・・・。


しかし今年のものは今年のうちに記録しておかなくては。


灯台基暗し、京都市内伏見区の竹田に「エンザサンザ」と呼ばれる勧請縄があることを、取引先の社長から聴かされた。



たまたま仕事場でこの勧請縄のブログページを開いてる所を見られ、これと同じものが竹田小学校の正門前にもあると言うことを聴かされた。


それも今は、その社長の実家も含めて、たった九軒でこの勧請縄を伝承しているという。



ここ京都市伏見区竹田は、今では名神高速道路の京都南インターに接し、近鉄京都線の竹田駅に面し、交通の要所として激しい喧騒の地となっていますが、平安時代の末には白河上皇が壮大な離宮(城南離宮、鳥羽離宮)を造営して院政を開始、上皇の御所や御堂、また貴族の宿所などの建物が建ち並び、人々が行き交う様子は都遷りのようであると形容された様で、白河・鳥羽・後白河・後鳥羽上皇と4代150年にわたり政治・文化の中心となった土地でした。



「エンザサンザ」と呼ばれるこの勧請縄は近鉄京都線、竹田駅前の竹田小学校正門前にある大きな二本のケヤキ??ムクノキ??の間に渡されています。


形態形状は近江地方にある勧請縄のスタンダード版となんら変わることがなく、極めてオーソドックスな道切り縄です。



縄中心の絵馬型木札には左右にセーマン、ドーマンの印を、中心部には願文、又その左右には6枚づつの剣先木札に十二神将の名前を書き込みそれを扇型に付けている。


小縄には榊の小枝を付け、それぞれ左右に六本づつの計12本を吊り下げている。



今年はうるう年なのだけど、やっぱりいくら数えてみても12本。


近頃では、年末最終の日曜日にこの縄をつくり、年明けの1月8日に安楽寿院の住職が祈祷して、綱掛けをするという。


竹田小学校は、明治に廃社された「山王権現大宮社」と言う神社の跡地に建てられたそうで、この大ケヤキの場所は元、この神社への参道だったところだと思われる。


因みにこの縄を作る集落の鬼門に当たる位置にある。




この縄から南南西に500m程行った近鉄京都線脇の小さな小川にも二本の青竹を立てて勧請縄が張られている。



ここの縄ははケヤキの大木の勧請縄をミニチュア化したような縄で、むこうが表鬼門なら裏鬼門に当たる位置です。


このような街の真ん中にあって、こうした伝統的な文化を継承していくことは大変なことだと改めて思いました。



延座参座というのは多分、廃社になった山王権現大宮社の座組織で、その座の人たちがこの勧請縄つくりをしていたのでは??、それがそのまま勧請縄自身をも「エンザサンザ」と呼ぶようにになってしまったのではと??。


撮影2008.2.10


MAP


空撮


奈良市大柳生町大西垣内の勧請縄

2008年05月18日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

前回紹介の勧請縄から白砂川を下流へ約1.5km、大柳生町から坂原町へ至る道路脇、白砂川が大きく蛇行して流れを変えるところ。

この地の木立の中にも小さな祠が祀られていて、その脇の木立にこの勧請縄が渡されている。

今では道らしい道もないが、ここも多分に旧道がこの縄の下を通っていたに違いない。

やっぱりここの縄にもタコの藁細工が逆向きに吊り下げられ、やっぱり鋤と鍬のミニチュアも吊り下げられている。

この山の中の大柳生で何故タコの藁細工なのだろう??。

撮影 2008.2.24

MAP

空撮


奈良市大柳生町西垣内の勧請縄

2008年05月12日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

 

大柳生の里山を貫く国道369号線、峠を下って大柳生の里に入って初めての信号の右側にJAの建物がある。

このJAの駐車場に車を置いて前の旧街道(現在は東海道自然歩道)を円成寺方面に少し戻る、歩くこと約5分程でフジノモリと呼ばれている小さな木立がある。

白砂川が蛇行している脇のこの木立の中には数体の板碑などが祭られていて、何らかの祭祀場になっている。

この木立に入る旧街道上にこの勧請縄が渡されている。

他の大柳生の縄と同じくここでも縄の中心に一匹のタコの藁細工がつけ下げられている。

なぜだかタコは逆さ向けで、その左右には人形と思われる二筋の縄の間に、常緑樹の小枝を何段にも分けてつけている。

その脇には鋤と鍬のミニチュアを吊り下げている。

道きりとしての願いと五穀豊穣の願いを共にこの縄に託しているようです。

尚、今回からMAPと共に空撮画像もリンクさせて見ました。

より良く付近の様子も判ります。

 

撮影2008.2.24

MAP

空撮