僕が石仏に興味を持ったのは土門拳の古寺巡礼の4巻におさめられていた、この大日如来の頭部の写真にめぐり合ったからに他ならない。
古色の残った切れ長の目を持つ端正な顔つきの仏頭が体躯を離れてその膝上に置かれてる力強く厳しい気品のある顔が印象的で得もいわれぬ美意識と深遠さを感じた。
それはもう何十年も昔の事、何とかいい歳になってあちこち動けるぐらいの自由が出来るようになり、この冬休みに大きな期待を持って積年の思いを叶えた。
しかし、期待は思っていた通りには叶うことは無く、ちょっと期待はずれでした。
石仏としては唯一国宝だから仕方ないことなんだろうけど??余りにも観光化していて、整備が行き届き過ぎ団体観光客に面白おかしくガイドが案内してたりして・・・趣が無くなっている。
土門さんの画像に強烈な印象があり、仏頭が元の位置に戻され、造顕当時に修復されている今の姿がどこか僕の目には不自然に映る。 頭部の印象もひどく違うものに感じてしまった、それは多分視線の位置が違うからかも??それと、頭部が落ちて居た時には感じなかった頭部に対しての体部の貧弱さが目立って気になる。期待が大きかっただけに・・・・・。
しかし、確かに石仏全体を見るなら群を抜き素晴らしいものであることには違いが無く、保存管理上の修復や整備は「過ぎたるは及ばざるが如し」だとしても仕方無い事なのかも知れない。
余りにも有名なので学術的な説明などはそれぞれNET検索でもしてください。
ここでは写説にとどめておきます。
真正面から・・・、どうしても覆屋と磨崖石仏がアンバランスに感じますが仕方ないです。
目一杯左側より、左端は増長天立像
右側から・・・・・
右側からの中尊大日如来
多聞天立像
少し離れた右側の仁王像。
磨崖石仏覆屋から見た旧満月寺跡。
この石仏は満月寺の本尊だったのだろうと言われています。
平成五年修復整備完了。
確かに観光地化して、古びた土門拳調のよさは感じられないがそれを差し引いても尚その美的価値や貴重さには何の遜色も無い。
豊前宇佐、国東、大分、臼杵、豊後大野地方に何故にこれだけ素晴らしい石仏、石造品が残っているのか??
多分歴史は大事なものをわざと隠しているのだろう??、知られたくない大事なものをいっぱい・・・。
僕達の知らされてる歴史は正史では無く政史だから。
撮影2009.12.28