愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

臼杵の石仏/古園石仏

2009年12月31日 | 石仏:九州

僕が石仏に興味を持ったのは土門拳の古寺巡礼の4巻におさめられていた、この大日如来の頭部の写真にめぐり合ったからに他ならない。

古色の残った切れ長の目を持つ端正な顔つきの仏頭が体躯を離れてその膝上に置かれてる力強く厳しい気品のある顔が印象的で得もいわれぬ美意識と深遠さを感じた。

それはもう何十年も昔の事、何とかいい歳になってあちこち動けるぐらいの自由が出来るようになり、この冬休みに大きな期待を持って積年の思いを叶えた。

しかし、期待は思っていた通りには叶うことは無く、ちょっと期待はずれでした。

石仏としては唯一国宝だから仕方ないことなんだろうけど??余りにも観光化していて、整備が行き届き過ぎ団体観光客に面白おかしくガイドが案内してたりして・・・趣が無くなっている。

土門さんの画像に強烈な印象があり、仏頭が元の位置に戻され、造顕当時に修復されている今の姿がどこか僕の目には不自然に映る。 頭部の印象もひどく違うものに感じてしまった、それは多分視線の位置が違うからかも??それと、頭部が落ちて居た時には感じなかった頭部に対しての体部の貧弱さが目立って気になる。期待が大きかっただけに・・・・・。

しかし、確かに石仏全体を見るなら群を抜き素晴らしいものであることには違いが無く、保存管理上の修復や整備は「過ぎたるは及ばざるが如し」だとしても仕方無い事なのかも知れない。

余りにも有名なので学術的な説明などはそれぞれNET検索でもしてください。

ここでは写説にとどめておきます。

真正面から・・・、どうしても覆屋と磨崖石仏がアンバランスに感じますが仕方ないです。

目一杯左側より、左端は増長天立像

 

右側から・・・・・

右側からの中尊大日如来

多聞天立像

少し離れた右側の仁王像。

磨崖石仏覆屋から見た旧満月寺跡。

この石仏は満月寺の本尊だったのだろうと言われています。

平成五年修復整備完了。

確かに観光地化して、古びた土門拳調のよさは感じられないがそれを差し引いても尚その美的価値や貴重さには何の遜色も無い。

豊前宇佐、国東、大分、臼杵、豊後大野地方に何故にこれだけ素晴らしい石仏、石造品が残っているのか??

多分歴史は大事なものをわざと隠しているのだろう??、知られたくない大事なものをいっぱい・・・。

僕達の知らされてる歴史は正史では無く政史だから。

撮影2009.12.28

MAP


三上六所神社 (ミカミロクショ)の山の神

2009年12月25日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神


甲賀市土山町鮎川は国道1号線土山から県道九号線を経由、鈴鹿山系、あるいは日野町へと至る山間の集落です。



1号線から続く県道九号線はやがて直角に左折鈴鹿山系方面に進むことになるが、左折してすぐにある集落が鮎川、その集落の入り口あたりに鎮座しているのが三上六所神社で小さな集落にしては豊かな杜と立派な境内を持っている。



社伝によれば三上三郎という勇敢なる狩人に村民らが獣の退治を哀願し、三郎はこれを諾し村内に假宿して退治したという。


村人らは三上三郎を深く敬慕し鮎河の産土神として祭祀したと言う。



割り拝殿奥の本殿横には大きなケヤキが聳えていてその脇には山の神などを祀った石祠が並んでいる。


横手には蛇縄(勧請縄)をぐるぐる巻にした木立がある。



僕の見た限りほかには何もなく、もちろんこれが山の神の祭祀あとなのかも判らないが・・・・。


わが山城でも、又湖東、東近江でも同じように縄を木立にぐるぐる巻きつけるところが有るのを知っています。


取り敢えず画像資料としてUPしておきます。


撮影2009.3.8


MAP


白亳寺(びゃくごうじ)の石仏

2009年12月20日 | 石仏:奈良

車ではちょっと行きづらいかも知れないけど、門前の石段の前には少し駐車スペースもある。

萩の植え込みが両側に続く古びた石段の奥に簡素な山門が控えていて秋の初め、萩の花が咲き零れる頃には格好の被写体として多くの観光客が訪れるようです。

天智天皇、第七皇子志貴皇子の山荘を寺にしたと言う伝承のある古刹ですが度重なる戦乱で堂宇を失い、現在の本堂は江戸時代初期、興福寺の空慶上人が再興。

鎌倉期には、かの西大寺の叡尊上人が中興し、地獄極楽の教えを庶民に広めたところと言われています。

境内には五色椿と呼ばれる銘木も有って名高いようですが時期外れの訪問でどちらの花にもお目にかかれず終いでした。

勿論石仏行脚が第一目的だったのでわざと観光客の多い時期をはずしたのですが・・・・

目的の石仏は五色椿の左奥手、背後の山の斜面を背にしてずらっと一列に行儀良く並んでいます

なんと言っても一番大きく目立つのはこの十王地蔵石仏で、光背に死後の審判を下すと言う十王を配し像高約1m、左手には宝珠を持つが右手に錫杖を持たない矢田寺型、又二重光背には放射線が刻まれている。

この地蔵の隣には阿弥陀石仏の残欠が寸足らずで置かれている。

一列の中央には弥勒石仏と地蔵石仏、共に慶長15年の銘を持つ。

弥勒は螺髪を持つ如来形です。

少し外れて傷みと磨耗が激しく殆ど像容も定かでない不動石仏がある。

撮影2007.7.29

MAP


滋賀湖南市 針不動石龕仏

2009年12月08日 | 石仏:滋賀

もう随分以前の事に成るので記憶もおぼろげなのですが,記憶の糸をたどってMAPの間違いはないと思います。 

旧東海道の石部宿から暫く南進、飯道神社の看板の有る辻を右折暫く行った針集落の中にある地蔵堂脇にこの石仏が祀られて居る。

以前から清水俊明さんの「近江の石仏」で、その存在を知ってからずっと気になっていた石仏さんでした。

それと言うのも石龕仏と言うぐらいだからせめて奥壁ぐらいは有る龕の中に入っているもので、写真のように両石壁に屋根石を乗っけただけの形が妙に愛しかった。

事実その地は山裾に有るでもなく集落の内の法恩寺と言う廃寺跡の境内、小さな地蔵堂の有る空き地となっていて野仏のような景観がうれしい。

石仏は高さ1.7mの花崗岩自然石に像高1.4mの不動明王を薄肉彫りにしている。

像容は磨耗の進行が強く細部までは確認できないが不動明王にしては穏やかな趣が感じられ鎌倉中期の像立と考えられています。

現在も信仰篤いのか、手向けられた花の新しいのがうれしい。

撮影2007.12.1

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