愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

大津市外畑 白洲不動石仏

2015年08月20日 | 石仏:滋賀

瀬田川沿い、石山外畑町に有る不動明王石仏です。

大津市カラ瀬田川沿いに宇治へと通じる国道422(県道3号線)号線、立木観音のある鹿跳橋(ししとびはし)より下流に約1km・・・・

外畑集落の入口近く、大きな空き地の奥に不動堂が有り中に白洲不動尊が祀られて居る。

白洲不動尊はその昔、天瀬ダムができるまでは瀬田川の白洲の中にその下部を埋もれて在ったが、それを機会に現地に移動され祀られて来た。

石仏は右手利剣、左手に羂索を持つ不動明王坐像で、高さ約2m、幅1.3mの自然花崗岩に像高91cm半肉彫り・・・

鎌倉期の石仏に見られる様な覇気はなく力強さには欠けるが、室町初期の応永22年(1415)銘が確認されている。

撮影2013.6.22
 

大津市大石 佐久奈渡神社お旅所石仏

2015年08月19日 | 石仏:滋賀

前回に少し触れた佐久奈渡神社お旅所の石仏に、これはと思うものが在ったのでここにUPしておきます。

茅葺き屋根の立派な「佐久奈渡神社お旅所」へ登る階段脇・・・・

新しく基壇を設け、付近から寄せ集めたかの様な石仏が数多く安置されている。

中でも一際目を惹く阿弥陀如来坐像が、膝下半ばまで基壇の玉石に埋められ置かれて居る。

弥陀定印の阿弥陀坐像ながら堂々と力強いその像容に鎌倉期の石仏に近いものを感じる。

せめて蓮台が見えたらもっと確信できるのだが・・・・

撮影2013.6.22


大津市大石 若王寺(じゃくおうじ)の阿弥陀石仏

2015年08月18日 | 石仏:滋賀

 

正式名称を「金剛山大日院若一王寺」と言い、天平神護年間(765~767年)創建だとされ、瀬田川左岸にある「佐久奈度神社」の神宮寺だった。

今も寺の奥、石段の参道上には佐久奈度神社の御旅所が在る。

本堂脇の境内に覆屋を設け三体の石像品が安置されて居る。

石仏の他に六字名号板碑と自然石の六字名号塔を安置・・・

向かって右端には古式な阿弥陀石仏を祀って居る。

阿弥陀石仏は有り合わせの基礎石にセメントで固定・・・ちょっとアンバランス感は否めません。

総高約1mほど、ずんぐりムックリの長卵形花崗岩自然石の正面上部を舟形に整形、下部には蓮台を設け・・・

蓮台に結跏趺坐する厚肉彫りの堂々とした阿弥陀如来を刻み出している。

永らく地中にでも在ったのか?少し赤錆色の変色が見られ、風化摩耗も進んでいて尊顔はつんつるてん・・・・

手印も詳らかでは有りませんが来迎印を結んで居るように見えます。

おそらくは像容全体や蓮座の形から南北朝期の造立かと思われます。

撮影2013.6.22


甲賀市多羅尾 一石六体地蔵

2015年05月29日 | 石仏:滋賀

伊賀や名張では当たり前の様に見かける一石六体地蔵が、珍しくここ甲賀にも有りました。

 甲賀と言っても、ここは伊賀、山城と境を接する山里「多羅尾」の西外れ・・・どちらかと言うと伊賀文化圏かも??

 一石六体地蔵石仏は伊賀や名張地域では普通に見られる絵馬型状板石花崗岩の正面に、真ん中で二つに枡形を彫り下げ、三体づつの地蔵立像を刻み出す。

石仏自身はありきたりの江戸中期のもので特記するほどの事は無いでしょうが・・・・旧道の小さな祠に祀られ今でも信仰篤く祀られてる様は風情が有って良いものです。

撮影2015.2.11


甲賀市多羅尾 岩洞山不動明王石仏・他

2015年05月27日 | 石仏:滋賀

昨日の磨崖に続き、今日は本体の不動石仏・・・

中央の大岩の前にある拝殿の奥・・・

地面と大岩の隙間に小さな祠を設け、その中に不動石仏を安置している。

こちらが岩洞山の不動明王石仏・・・・弘法大師伝説の弘法大師が刻んだ不動明王がこれだとは・・・・・あまりなことに失笑。

その体躯のあまりのアンバランスさと稚拙な彫りは如何見ようが大師の時代のものではない。

祠左手に置かれて居た2体の石仏のうち、意外にも右手の阿弥陀石仏に目を惹かれる。

膝から下は欠損しているようで詳らかではないのですが肩張り、膝張りに力強さが有り、室町前期を下らないものだと思われます。

脇の地蔵も近世江戸期のものでは無さそうな???

それ故、あの不動明王石仏のアンバランスさは少し不思議でも有る。

撮影2013.2.11


甲賀市多羅尾 岩洞山不動磨崖仏

2015年05月26日 | 石仏:滋賀

 

石友さんに磨崖が有ると聞いたので出かけて来た。

ここは甲賀市の西南端、甲賀と伊賀そして山城との国境「多羅尾」の山中・・・・・県道334号線「多羅尾小学校」南の辻より山中に入って行く。

獣道まがいの山道をスタスタ20分も歩き、心細くなった頃、それらしき場所が目に映る。

 大きい岩座の前に拝殿らしき覆懸け屋が有りその奥に不動明王の祠が有ります。

しかし今回はその脇を回ったところの磨崖仏の紹介から・・・・

祠の前を左に回り込んだ岩肌には不動明王と二童子の種子が陰刻されていて何かを予見させて呉れます。

 

その先にもうひとつの祠がが有り・・・

奥の横長丸巨岩のふ表面に枡形を彫り沈め三体の石仏が刻まれて居る。

 あまり判然とはしませんが・・・中央は不動明王、向かって右に阿弥陀如来、左には錫杖を掲げた地蔵像・・・

30cm足らずの拙い三尊ですが、こんな鄙びた山中に永らく守られて来たものだとしばし感慨一入。

良いものとは言えないけど・・・愛しいものです。

撮影2013.2.11 


旧五個荘町和田 地蔵石仏

2015年05月06日 | 石仏:滋賀

旧五個荘町の古い集落「和田」の地蔵石仏。

集落の背後に中世の山城が在った古い土地・・・今でも集落に入ると、そこはかと歴史の息吹が感じれる・・・

そんな集落の真ん中辺り、在所辻に一間四方の辻堂が有り、中に地蔵石仏が安置されて居る。

どうしたのか??足元は床で隠され・・・腰から上部も表面と内部の石質が違うのか?? なんだか妙な色合い??

もしくは焼け爛れ、こんなふうになって居るのだろうか??足元が隠されているのも妙に気に掛かる。

像高1mばかりか?浅い彫りながら簡略化されず技法も確かな中世石仏・・・何せ詳しいデーターが何一つ見つかりません。

撮影2013.4.29


湖南市三雲 釈迦堂の阿弥陀笠石仏

2015年05月03日 | 石仏:滋賀

ひょんな処で覗いたお堂に安置されていたなかなか立派な石仏さん。

なにげに入り込んだ旧在所外れ、民家脇の空き地入口に小石仏や五輪塔などの石造品が並べられ、奥の方に小さなお堂が見える。

因みにお堂の傍には釈迦堂と刻まれた記念碑が立って居ました。

ちょっと失礼とお堂の中を覗いてビックリ、これはなかなかの石仏さんが鎮座・・・

少し下膨れ(台形)の板石状に加工した花崗岩に別石で加工したおおきな笠石をのせ・・・

下部の板石正面に蓮華座に座し、弥陀定印の阿弥陀如来坐像を厚くく刻み出し・・・

背には二重円光背を薄く陰刻。

均整の取れた美しさや、全体像の古様さなどから南北朝期を下る事は無いだろうと思うのですが??

素晴らしい石仏ですが・・・色々手を尽くしNETを検索しましたが全く資料は見つかりません。

お堂が釈迦堂と呼ばれてる事から・・・多分この地には釈迦堂と呼ばれていた古寺があったのでしょうか??

誰か知ってる人が居れば教えてください。

撮影2013.4.29


野洲市妙光山 出世不動明王磨崖仏

2015年04月27日 | 石仏:滋賀

出世不動尊の名で呼ばれる不動明王磨崖仏。

先日の阿弥陀磨崖より200m程奥に詰めると、ふもと妙光寺集落の「宗泉寺」奥の院とされる出世不動明王院の立派な建物が見える。

不動磨崖仏の刻まれた大岩の前には立派な礼拝堂が設けられ、信仰篤く、今に信仰の途切れる事はない。

不動磨崖仏は礼拝堂の中から拝せられるが、薄暗く、光線状態も決して良くない。

磨崖仏は高さ幅ともに10mを越す巨岩西面の窪みに刻まれて居るが、堂内の為、引きが少なく思うようには撮影出来ない。

拙い写真では非常に分かり辛いが・・像高、約1m足らず、尊顔部のみ浮き彫りに成っており、他は全て線彫りと言う変わり種・・・

辮髪にしない頭上には蓮花台を載せ・・・一般に見かける憤怒相ではなく随分穏やかな印象の不動明王です。

おそらく鎌倉後期の造立とされ、火炎は彩色されて居たのだろうと考えられて居ます。

往古、付近は石造文化が花開き発展した土地・・・境内にも多くの小石仏が残され・・・

中には結構古い時代のものも残されて居る。

撮影2013.4.29


野洲市  妙光寺山の阿弥陀磨崖仏

2015年04月26日 | 石仏:滋賀

素晴らしい景観を目の前にする阿弥陀磨崖仏。

この先にある出世不動尊へ友と一緒に出かけ、不確かな情報のままに出逢えて感激の磨崖仏。

 

 よくぞこんな所で人知れず待って居てくれたと、二人して感謝感激雨霰・・・

 大岩花崗岩の正面に二重枡形を彫り沈め、中に蓮華座に座す、定印阿弥陀如来を中肉で刻み出す。

像高50cmにも満たず、像容もそれほどとは思えないが・・・かと言って近世仏ではない。

 往古より神奈備山として崇められた三上山(近江富士)と、相対峙するように坐している。

車はこの辺りまで・・・・・

撮影2013.4.29


湖南市東寺墓地 その他の石仏

2015年04月25日 | 石仏:滋賀

今日が3回目の東寺墓地の石仏・・・・ひとつの墓地で三回も費やすなんて珍しい・・・・

墓地内に単独で立っていた中型阿弥陀笠石仏??。

石仏は舟形状自然花崗岩に枠を残し、舟形光背を彫り沈め、中に蓮華座に座す来迎印阿弥陀如来坐像??を中肉彫りで刻み出す。

笠石上の擬宝珠は欠損するも当時の侭と思われる笠石は力強い軒反りを示し、如来坐像も古い様式を良く残し力強く南北朝期をを下らないかも??

よくぞ残って居てくれた感が強い石仏です。

 

一方墓地脇に無数に並べ建てられた小石仏群に二基の大きな五輪塔・・・

 

 中の一塔、向かって左側塔の地輪、左側面には舟形の中、阿弥陀と薬師と思われる二如来石仏を刻み出している。

こんな五輪塔は見た試しがない。

撮影2012.11.9 


湖南市 東寺墓地の石龕仏

2015年04月23日 | 石仏:滋賀

前回と同じ東寺墓地にある一際石仏ファンを喜ばせる様な石龕仏です。

石龕は墓地内に入ってすぐ、右手脇に置かれ異彩を放って居る。

大きい基礎石の上に三面の板石を立て、上に大きな笠石と擬宝珠を載せ、実に立派で堂々とし、屋根石も大きく力強い。

奥壁中央に大きく阿弥陀如来坐像だと思われるレリーフ調の陽刻が有り、頭上に円光背が陰刻されて居る。

相対する側面には同様の五輪塔が、これも薄く陽刻されて居る。

石龕の上部が煤けて居るのは中で薫香を焚いて居るのだろうか、現在もそんな様子が窺えるのだが・・・・

因みに造立は南北朝期を中心とする辺りでしょうか??

撮影2012.11.9


湖南市 東寺墓地の地蔵石仏

2015年04月22日 | 石仏:滋賀

 

旧石部町東寺の古い墓地に残された地蔵石仏。

東寺集落は阿星山を中心に奈良時代に興隆された良弁創建の古刹「長寿寺」の門前集落、その地の共同墓地にも古い石造物がいたる所に残されている。

共同墓地は集落の中央辺り、公民館の裏手に広い敷地を持っている。

集落の中央を走る在所道から入る墓地入口の左右に、一対の地蔵石仏が立っている。

地蔵石仏は左右二体で一対、姿形も殆ど同じ、立派な二重蓮華座に立つ、総高約90cm、像高約60cmの定形地蔵。

ただ、向かって左手の地蔵石仏には四角形の基礎石が有り側面には二区画に区切って格狭間を設けている。

右手の地蔵菩薩には基礎石が見つからず、欠損したのだろう??

短い柄の錫杖や蓮台、格狭間の様式などから鎌倉後期の造立と考えられる様です。

撮影2012.11.9


米原市曲谷 白山神社の板碑

2015年04月08日 | 石仏:滋賀

 

湖北山間部、石造品の製造地でもあり、江戸時代には石臼の生産地として名を馳せた、白山神社に残された二基の板碑と石造品。

曲谷集落は、伊吹山西側谷筋に奥伊吹まで伸びる県道40号線沿い、懐かしい景観の鄙びた集落・・・・

集落外れの山裾斜面、鎮守の杜境内脇、竹やぶを背に一列横隊の石像品が並び立つ。

ここも白山神社と言うからには神仏混淆、仏教色の強い信仰の地だったのだろう・・・

一列横隊の左手に二基の角柱板碑が並び立って居る。

まずは左端の板碑から・・・板碑の足元には一石五輪。

高さ 123Cmの花崗岩製角柱に東部を山形に、その下方に二段の切込、額部は突出・・

直下に舟形の中蓮台に坐す定印阿弥陀如来を刻み出し、南北朝時代後期の造立。

向かって右脇には同様の角柱板碑・・・

前者によく似た形状だが、より彫りが鋭く深いのは時代がそれだけ遡るからだろう???

高さ 143Cm、切り込み直下、舟形内に蓮華座に座す定印阿弥陀と、直下左右に観音・勢至の種子を刻み阿弥陀三尊としている。

造立は南北朝前期と言われ 、共にこんな山間僻地に有って珍しいが石像品の製造地だからの事なのだろう・・・
 

 他にも南北朝の匂いがする阿弥陀石仏・・・

 別途、小石仏が集められてたりした。

神社でこうした石仏たちにお目に掛かる度、残された石仏たちはどう思って居るのか聴いてみたい。

撮影2012.11.2


近江八幡市 長福寺町の磨崖仏

2015年04月06日 | 石仏:滋賀

近江八幡市 長福寺町の民家庭先のような池に有る磨崖石仏。

長福寺町は近江八幡市の南端、東近江市と境を分ける先日紹介の瓶割山(かめわりやま)北山裾の小さな集落・・・昨日の上平木集落のちょうど裏側に当たります。

小さな池の正面に突き出した大岩に70~80cmの舟形を彫り沈め、中に地蔵立像を中肉彫りで刻み出して居る。

岩の奥から清水が湧き出すのか?足元はいつも水の中にあるようで川藻がまとわり着いて居る様です。

当然湿度の高い水面上の岩陰、岩肌にはコケ類やマメシダ、ノキシノブ等のシダ類も繁殖、像容さえ詳らかでない。

池の正面には水中の花立ての中、花も手向けられ信仰あらたかな様子ですが・・・石仏が嫌うと云う事で、コケ類やシダ類は手つかずの状態が保たれて居るようです。

撮影2012.11.2