愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

守山市小浜町の勧請縄

2009年01月30日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神


滋賀県守山市小浜町葉琵琶湖の東岸、琵琶湖大橋の少し北側に注ぐ野洲川と湖岸に囲まれた田園地帯に有る旧村です。



ここをたまたま訪れた1月13日、集落西はずれの大日堂でちょうど勧請縄つくりの作業中に出くわした。



小さな大日堂は開け放たれ、堂内外には20人ぐらいの男の人たちが縄を編んだり、目を作ったりと忙しく立ちまわられていました。


訊ねてみると午前中に仕上げて2時頃には八幡宮と直ぐ傍に有る天満宮に吊り下げるとの事だったのでひとまずはその場を離れました。



何箇所かの集落の神社を巡っているとここまで戻る時間がなくなって勧請吊の現場には立ち会えなくなってなってしまいましたが1週間後の1月17日



再びこの地の両神社を訪れそのときの縄にあって来ました。



集落の東はずれには八幡宮の小さな社があって、境内にコンクリートのポールを建てその先端間に勧請縄がかけられていました。



形はシンプルで太縄の中心部に、割り竹と藤蔓で作った円い笊状のものに杉の葉をぎっしり詰めた目と呼ばれている物が吊り下げられ睨みを利かしています。



今ひとつは集落の西はずれ、野洲川改修工事で新しくなったというこざっぱりした天満宮社の鳥居を潜ってすぐ、これも八幡宮と同様の姿でかけられていました。



形態形状まったく同じで、二匹の蛇の交合の姿を模しているという事のようです。


撮影2009.1.13  1.17


天満宮MAP  八幡宮MAP


東近江市上羽田の勧請縄

2009年01月29日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神



先日紹介した下羽田の隣集落に当たる上羽田町は旧八日市市の西のはずれ竜王町に近い東近江の田園地帯に有る集落ですが、幹線道路際に会って旧村新興が混在している所ように見えました。


幹線道路脇に羽田神社の森に続く道路があってそのまま境内を抜けて、向こう側へと続いています。



いわば境内の一部が道路になっていて本殿の前を車が行き来する状態になっているようで、一応神域内の通行はご遠慮くださいの看板が掲げられていました。


勧請縄はそんな新域内への入り口なのか出口なのか?幹線道路からは一番奥の方の両側に有る若い檜?の幹に掛け渡されていました。


太縄に12本の小勧請を垂らし、それぞれに常緑樹の小枝と小さな幣を付けている。


太縄の中央には先ほどと同じ常緑樹の小枝を曲げて造った環を吊り下げ太縄の上には三か所には幣をつけた棒が突きたてられています。


これはこの地域ではもっともスタンダードな形ですが環の材料が始めて見かけるものでした。



祭神は素盞鳴尊 大國主命 となっていて、羽田庄は天武天皇壬申乱に出陣した羽田君八国の故地とも伝えられて居るそうですが良くわかりません。


撮影2009.1.17


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東近江市下羽田の勧請縄

2009年01月27日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神


何処をどう走って、ここについたのかはあまり定かには覚えていない。


旧八日市市の西のはずれ竜王町に近い東近江の田園地帯に有る集落ですが,入り口辺りに有る自治会館前のモチノキに細かい細工を施したちょっと小ぶりな勧請縄が掛けられていました。




形は小ぶりですが様式的には道路を跨ぐほど大きなものとなんら変わる事もなく、この地域のスタンダードな様式を踏襲しているようです。





傍らには小さな祠が在ってこの場所はこの村の神聖な場所のようです。





ここから少し集落内に入ると辻の角のモッコクだと思われる幹にも同じような縄が掛けられています。



縄の下、木の根元には藁敷きの上に供え物も置かれていて、懐かしいほのぼのとした暖かさが伝わってきます。





赤い身のついた小勧請や杉の小枝で作った環、真ん中にユズリハとダイダイをつけて華やかな勧請縄になっています。





この集落では主なところに小さな縄飾りがついていて非常に丁寧なところのように感じました。



撮影2009.1.17



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旧土山町の山の神

2009年01月26日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神


土山町の旧集落内を走っていてたまたま見つけた山の神です。



山の入り口でもない田圃に囲まれた民家の庭先のような空き地にヤドリギたくさんつけた落葉樹が一本立っていて、その根元には「山の神」と彫られた石が建って居ます。


その前に二本の杭を立て、竹を添え縄がかけられていました。


去年のうちにでも作られたのか??青竹はすでに変色、又供え物もすっかりなくなっていました。



縄の中央に吊り下げられた藁飾りは甲賀地方の「山の神」でよく見かける形で僕は陽物ではないかと想像しています。


又ここでは縄は伐られずかけられたままの状態でした。



ここから暫く行ったところ、土山小学校の裏を走る道路脇の二本の檜?の間にこの勧請縄が掛けられていました。


こちらには山の神などの石もなく、勧請縄かと思われます。



太縄の真ん中に藁飾りを吊り下げただけのシンプルなものです。


しかしこの藁飾りは山の神につ付けられたのとは良く似ていますが明らかに違います。



どうもこちらは陰物のように思えて仕方がありません。


因みに奈良県飛鳥川上流に掛かる栢森(かやのもり)の女縄に良く似ている気がします。


撮影2009.1.17


MAP(山の神)  MAP(勧請縄?)


旧土山町大河原若宮神社の勧請縄

2009年01月24日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神


甲賀市にあっても再北端の地に有る土山町大河原は、東海道五十三次の土山宿跡から国道1号線を暫く東進、猪鼻交差点で左折、県道507号線で道なりに15分ほど走った大河原集落のはずれに鎮座している。


この地は日野町方面から延びる鈴鹿スカイライン(県道477)と合流する所で、僕が訪ねた1月17日にはこの大河原から先の鈴鹿越えのスカイラインは冬季閉鎖になっていました。


鈴鹿山系の山懐にあって4~50軒が軒を連ねる山里で、神社の境内にも少し雪が残っていました。


この地の若宮神社は、小さな集落の鎮守という小さな神社ではではなく、この日も絶え間なく参拝者を見かけたほどでした。



勧請縄は南側の脇参道、石鳥居をくぐったところ、左右の勧請木の間に掛け渡されていました。



太縄の三箇所に藁房を付け、真ん中の房には榊の枝が付け下げられており、太縄には願いを書いた多くの板札が突き立てられています。


又、太縄は両側勧請木に巻き付け地上まで下ろされ、尚、何重にもぐるぐる巻きにされて居て、そこにもそれぞれ何十本もの木札が突きたてられていました。



こういう形式の勧請縄はここで見たのが始めてです。



この若宮神社は甲賀武士の一つ、大河原氏の祖である足利又太郎を祀っていて、商売繁盛、選挙の神様として知られており、各地から熱心な参拝者が訪れるという事です。



撮影2009.1.17



MAP


旧土山町山中、熊野神社の勧請縄

2009年01月23日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神


今では滋賀県甲賀市土山町になっている旧土山は東海道が関の宿から鈴鹿峠を越えて最初の宿場と知られたところです。


その土山でも鈴鹿峠への登りが始まりだしたところ、滋賀県側ではもっとも三重県側に近い集落です。


この国道1号線が開通するまでは鈴鹿峠をすぐそこに控え,さぞかしいろいろなドラマが生まれた土地ではなかったかと想像する。


僕の訪れたこの熊野神社は国道1号線の真横にある神社にもかかわらず,僕の馬鹿ナビはぐる~っと県道を大回りしてまたこの1号線に戻るという馬鹿さ加減でほとほとあきれましたが・・・・。



土山の道の駅から1号線をまっすぐ走ればすぐにこの山中で、神社も右手側をちょっと気をつけていればすぐに見つかるところにありました。


2~3日前に新雪があったのか民家の横を行く参道は長靴なしでは歩けない状態になっていました。


参道から鎮守の森に入る入り口あたりの両側の杉の木にこの低い勧請縄がかけられていて、おまけに小勧請が地面につくほど長く、まるで通せんぼでもしているようです。



細く編まれた小勧請には赤い実をつけた常緑樹の小枝がつけられていて色を添えているように見えます。



それよりも目についたのは太縄の中央につきたてられた杭状の割木で、まるで邪気を断ち切るかの様に見えました。


通りかかった地元の人の話では、13日に熊野神社の「おこない」の一環としてこの勧請縄がここにかけられるそうです。


撮影2009.1.17


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枚方市田口の勧請縄

2009年01月21日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神


大阪府とはいえ枚方市は京都府との県境、家からは丘の様な低い山を越えると直ぐに枚方市。


この勧請縄の吊るされている田口の山田神社辺りまでは車で約20分、国道1号線に程近く、新興住宅や大きなマンションが建ち並んでいる。



旧集落と新興住宅が混在したそんな一画にこの山田神社は鎮座している。



参道の中ほど、二の鳥居の直ぐ奥の両脇にポールを建て、太い勧請縄が掛けられている。


縄にはここでも12本の小勧請がつり下げられ、さらに各々12本の樫の木枝を串状に割った物が差し込まれ、先端には葉の付いた樫の小枝が下げられていて、スタンダードな中にも賑やかさがあって興味深い。



山田神社とは云え天神社なのだろうか?毎年12月25日ごろ、天神さんの縁日に奉納されると言うことらしい。


このように都会化した土地で、こういう風習を残していく努力には頭の下がる思いがします。


撮影2009.1.10


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旧水口町、春日神社の勧請縄、他。

2009年01月19日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

 



本来は低い山に囲まれた静かな里山であっただろうと想像するに難くない。


しかし近くの丘の様に低い山はゴルフ場に、又新興住宅団地にと様変わりし、この春日の旧集落だけが様変わりすることなく懐かしい里山の雰囲気を残している。


この地の春日神社は、国道1号線水口から低い山沿いを縫って旧八日市方面へ抜ける県道脇の丘の中段に鎮座している。



県道に面した鳥居をくぐり急な石段ノ登り終わり、境内への入り口手前、両側の勧請木にこの勧請縄が渡されている。



太縄は約5m~6m、短い小勧請には社叢の常緑樹の小枝を付け、縄の中央には陽物だと思われる藁飾りをつけていて、五穀豊穣、村内安全の木札も付けている。



この陽物をあらわしていると思われる藁飾りは、ここより南東方面の伊賀地域でもよく目にするもので、これより湖岸よりでは見かけたことがないのも、この地域が伊賀・甲賀とより強い結びつきを持っていたものだと思われる。



境内は広く清々しいがまだ新しいのか神さびた感じではなく、ここも神仏混在するところのようで仏堂も同居している。



神社から少し南に行ったところの辻を右折して切り通しになっている両側に山の神場だと思われる場所があって、切られた縄の残骸が木の根元に巻きつけられていて紙の御幣がひらひら風に舞っていた。



根元にはここでも木の又で作った木偶が置かれていたが、男性の物のみで女性の物がなかったのはどういうわけなのだろうか??


撮影2009.1.11


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西明寺の勧請縄

2009年01月17日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神


湖東日野町の中心街よりR477鈴鹿スカイライン方面に約5km、音羽の信号を左折、道なりに約3kmも走ると山間に小さな集落が開け、真正面に臨済宗永源寺派の古刹、西明禅寺が佇んでいる。



西明寺集落はこの西明禅寺を中心に集まった30戸あまりの小さな山里です。



今車でこの集落に続く道路は新しく出来た新道で、去年の今頃ここを訪れた時、この道路沿い、集落へ差し掛かる直前の墓地脇の旧道両側にポールを建てその上部に勧請縄が渡されているのを見つけた。



昨年は閏年、太い綱に小勧請を13本垂らし、そこに樒を二段につけただけのシンプルな物です。


この集落にはもう一箇所、勧請場が有ることはわかっていたのですが去年はそのまま訪ねる人も見つからず解らないままになっていました。



今年になって又又勧請縄が新しく付け替えられる時期になってこのことを思い出し再度この地を訪れ、前もって詳細地図でこの辺りと目をつけた場所近くに行って見ると間違いなく立派な勧請縄が二本のヒノキの古木の間に渡されていました。



この時期小さな集落で外に出ている人を見つけるのは非常に難しく詳しいことは解りませんがこの道も旧道のようで、集落への入り口に当たる場所ではないかと思われますが今では廃道のようです。



昨年の縄の上に、集落側に正面を向けた新しい縄が掛けられています。


2~3日前にでも降ったのか誰も通らないこの旧道の雪の上には人は通らないのか?イノシシと猿だと思われる足跡だけが付いていました。



この勧請縄は、先ほどの縄を大きく立派にしたような形で小勧請は12本です。


ヒノキの根株には仏名を書いた六角柱と12神将だと思われる六本づつ2列の木札が突き立てられているのも確認出来た。


撮影 昨年2008.1.19    今年2009.1.17


MAP          MAP


滋賀県東近江市平林、和田神社の勧請縄

2009年01月14日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

 


この神社も由緒起源などは全くわかりません。


ただ祭神は大己貴命 宇賀魂命 となっていますが、創祀年代不詳ということのようです。




滋賀県内には同名の神社が何箇所かあるようですが、調べてみるとそれぞれに祭神は違うようです。


平林町は旧蒲生町の山麓側、日野町と境界を接する辺りの集落で、和田神社は集落はずれの山裾に鎮座している。


石鳥居をくぐり境内へ登る石段中段の左右の勧請木にこの勧請縄が掛けられている。


湖東の鎮守に多い12本の小勧請を吊り下げ、真ん中には杉の葉で藁を包み込みその上を縄で巻きつけた環を作り、環の中には割り竹を十時に三本づつ渡してドーマンの形を作り、その中心に護符をつけている。


撮影2009.1.4


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枚岡神社の勧請縄

2009年01月12日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神


勧請縄といえるのかどうか??


ここは、旧伊勢街道が大阪から奈良に越える暗がり峠の大阪側登り口に当たるところに鎮座する枚岡神社ノ勧請縄です。



長い参道の奥、境内から拝殿に登る急な石段の手前にこの勧請縄が渡されている。



ここの勧請縄は、ちょっと他のとは趣を異にしていて、12本の小勧請や、緑の葉、御幣などの飾り物は一切なく、妙に抽象的に見える結び縄の下に藁房の付いた飾り物が両側の石柱に渡された太縄の3箇所に吊り下げられた単純な形状をしています。


この縄結びにどういう意味が有るのか興味深々ですがまったく解りません。



これが地域性の違いなのか??、勧請縄としての性格じゃなく他の意味をも持ったものなのだろうか??


撮影2009.1.10


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旧蒲生町岡本の山ノ神

2009年01月08日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神



滋賀県旧蒲生町(現在東近江市蒲生岡本)岡本集落の山ノ神。



蒲生岡本は東近江の典型的な里山集落ですが、集落としては人口約300人と多く、長閑な景観は残るものの活気の在るところです。



今から、110年前の明治27年(1894年)、蒲生岡本町の堀井新治郎は「ガリ版」こと、「謄写版」を発明し、一躍蒲生岡本の名を全国に知らしめた郷土の偉人として崇められ、屋敷が修復され「ガリ版伝承館」として今も残されている。





そんな岡本の集落はずれにある梵釈寺(ぼんしゃくじ)の裏山に入る入り口に樹齢650年といわれる杉の老大樹があって、その地集落の山の神場になっている。


老杉から隣にある勧請杭?迄勧請縄が渡され、僕がここを訪れたときにはすでに写真のような状態に切られていて山開けした状態になっていました。


この地域の山ノ神に渡される勧請縄は掛けられた直後に切られることが多いようで、それが山に入っても良いという合図のようです。




傍らには青竹で造り上げた机状の台が設けられ、松の又木で男女の陰陽を現した木偶と供え物が祀られていてなにやら怪しげな雰囲気。




山の神は女性神で秋には里に降りて野の神となり男性神にかわるという両性具有神のようです。


なかなか興味深深何ですが、説明は下の掲示板にまかせます。



日本全国都会化が進み、そうでないところはどんどん限界集落になりかねず、ますます格差社会の広まる中で、こうした伝統的行事を絶やさないで守り続ける事の大変さと重要さを再認識させられる。


見るは、たやすく実行は難し。




撮影2009.1.4


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大塚八幡宮の勧請縄

2009年01月07日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

季節が一巡りしてまたまた勧請縄が新しく取り替えられる季節がやって来ました。


今年の正月休みは連日天気が悪くて、連休最終の一月四日、いてもたってもいられず取り敢えずはと湖東方面へと出かけて来ました。


年が明けて間も無いので予想通りまだ縄の張り替える時期には少し早いのかあちこちの集落を廻って見ましたが、去年の古い勧請がそのまま残っているところが多くちょっと下調べの様な感じになってしまいました。


それでも2~3新しい勧請縄に変わっているところも有ったので紹介して行きます。



東近江市大塚町の八幡宮は近江鉄道朝日大塚駅近くの池をめぐらせた奥の方に有る一見して古墳だと解る塚に鎮座している鎮守社です。


由緒書きや説明書などは何も無くまったくよく解らないが、地名から察するにこの鎮守の杜は間違いなく古墳で、その上に八幡宮を勧請したものだというぐらいは誰の目にも明らかです。



ここの正面、石鳥居と狛犬の両脇に金属製のポールを立てて勧請縄が掛けられている。




近くに訪ねる人なども無く詳しいことはまったく解りませんが、この地域ではごくありふれた縄の形状で、取り立てて特徴はありませんが、ここのトリクグラズは藤蔓で作られたセーマンで、それを中央に吊り下げ小勧請は約束どおりの12本でした。



今年最初に出遭った新しく取り替えられた勧請縄です。


撮影2009.1.4


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丸山千枚田

2009年01月05日 | 棚田景観

 

昨年の11月中頃、三重県熊野方面へ巨樹の追っかけに行った途中にちょっと寄り道して知る人ぞ知る丸山千枚打を訪れた。

その日は少し朝から雨模様で午後には陽が差し込むと言う替わりやすい天気に一日。

ちょうど午後一ぐらいにこの地に付いた頃には薄日が射し、山に薄モヤがかかってえに云われぬ日本の原風景を見せて貰った。

 

 丸山集落に差し掛かる峠のビューポイントから一望する棚田には驚きを禁じ得ない、まるで箱庭のような美しさ、飛行機の窓から眺めているような景観が眼下いっぱいに広がっている。

 

 棚田は刈り取もとっくに終わりおとづれる人も無く、山肌に静まりかえっていた。 

   確かにここは別世界、奈良、和歌山の県境とも接している旧紀和町の北東部の山中、しかしよくもまあこんな山奥に先人は住み着き山肌を開墾棚田を作りあげたものだ。

 それは計り知れない叡智と努力、生への執着の賜物なのかも知れない。

 日本最大規模の棚田と言われているこの棚田は高低差約100mの中に、かっては7町歩余、2,400余枚が造成されていたようで現在約1,300枚余が残されている。

 

確かに日本人の郷愁をくすぐる景観で言葉にするのは難しいが、その美しさの影に隠れている苦しみや辛さも忘れてはならないと思う。 

 ちょっと寂しいが、こうした人里遠く離れたところであるからこそ残る景観です。

 撮影2008.11.15

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花窟(はなのいわや)神社 綱賭け

2009年01月03日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

この神社の前を走る国道42号線は何度来ても風光明媚なところで、その横に有るこの風変わりな神社の名前が気になっていたところです。

熊野市から新宮方面に向かって車を走らせると左手に七里御浜の熊野灘を望み、鬼が城を過ぎて直ぐの右手に高く屹立↓白い巨大な岩山が見える。

この岩山こそが花の窟神社のご神体で、この神社にも拝殿は有るものの本殿は無い。

拝殿を通りぬけると目の前に侵食された白い巨岩があってはるか上空にこの縄が掛けられているのが見える。

長さ約160メートルの稲わらで編まれた大綱をご神体の上まで引き上げ片方を国道を越えて七里御浜海岸まで引き出し、社叢ノ上を渡して支柱に結びつけられているようです。

花の窟はイザナミノミコトの御陵だといわれていているようで、1年に2回行われる(2月2日、10月2日)「お綱かけ神事」は日本書紀に「土俗(くにひと)、この神の魂を祭るには、花の時に花を以て祭る」と記されているようです。

神社入り口休憩所に掲げられていた写真と展示縄

縄の下部には長さ10mも有るという所謂と小勧請に等しき下がり物と季節の花々や扇子が飾られているようです。

ここではこの縄自身に神が宿るとされ、縄は近江や大和地方で見る勧請縄に類似していて、起源は同じもののような気がします。

 撮影2008.11.15

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