愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

宇陀市菟田野 宇賀志(うかし)の青面金剛石仏

2013年08月16日 | 石仏:奈良

宇賀市神社境内から道路を挟んで東側、宇賀志川左岸、今や廃道となった大木の下に有る庚申さん。

この大木の根元に板石で組み上げた龕を造り、中に脆い安山岩を巧み仔細に刻みだした庚申の青面金剛石仏を祀って居る。

その景観風情が何とも言えず田舎らしい。

今まで見て来た庚申さんとは明らかに違うタッチ・・・今までのはどちらかと言うと稚拙さが目立った漫画チック・・・、これはどちらかと言うと専門家が刻んだ劇画風??

緻密仔細な細工を施していますがイマイチ怖く有りません・・・・それでも足下の邪気は一人怖がって居る様ですが??

顔付きがまるで歯抜けババア、目は玉でも入れたように「目の玉」迄刻みこんでいます。

子供の頃にこの前に立たされるときっと小便をチビリそうなほど怖そうだけど・・・この歳にもなると却って滑稽。

庚申さんおそるべし・・・なんでも有りのなんでも来いなんですね??。

ここ宇賀志あたりは神武天皇東征の道筋だと言われ、「宇賀志」いう奇妙な地名もその故事に因んだものの様です。

撮影2011.7.16


宇陀市榛原 篠楽(ささがく)の青面金剛石仏

2013年08月15日 | 石仏:奈良

特徴的で奇妙な像容を持ち、石仏ファンには知れ渡っている青面金剛石仏。

まるで肩から鎌首を持ち上げてでも居るかの様に、四肢が伸び出している様なユニークさ・・・

近鉄大阪線「榛原駅」から国道370号線を道成に西へ約1.5km、篠楽の信号を越え、集落への入口辻に庚申堂が建ち、中にこの何とも漫画チックにも思える青面金剛像が大切に祀られて居る。

総高約1m足らず、像高60cm、頭は丁髷、面長で全く憤怒相とは似ても似つかない顔つき・・・

以前に紹介した都祁型の青面金剛像もユニークだったが、此方もそれに輪を掛けた様に奇妙な像容。

江戸時代中期の享保十三(1728)の造立・・・・この自由闊達さが庶民信仰の庚申講を物語る一つなのかも。

撮影2008.3.2


奈良市都祁 深川墓地の石仏

2013年08月14日 | 石仏:奈良

遅咲きの桜の巨木が美しい旧都祁村深川墓地入口に居並ぶ石仏さん達。

新しい切石の基壇の上に小さな六体地蔵と三体の中型石仏を並べ立てて居る。

中型石仏のうち中央の一体のみが誰にも分かる像容の石仏・・・・、残りの二体は梵字が主体の石仏さん。

群を抜いて大きく、目だつ一体は細長い特徴的な蓮台に立つ阿弥陀如来立像

総高約140cmの舟形光背を負い、像高約90cm、光背頂部には阿弥陀種子のキリークが刻みこまれて居ます。

右手は肩先に、左手は裾上に下げ、所謂来迎印をしめす。

向かって右光背に大永二年(1522)の銘が確認され、室町後期の造立。

向かって右手、舟形の上部に五輪塔の「空風火水地」の梵字「キャ・カ・ラ・バ・ア」を刻み、下部方形の中にまるでこけしの様な阿弥陀と地蔵?を刻み出している。

向かって左には月輪にキリークを刻んだ阿弥陀如来梵字仏。

下部に方形枠の様な物が見えるが全く解りません。

撮影2012.4.14


奈良市都祁針 観音寺の石仏

2013年08月13日 | 石仏:奈良

旧都祁村針、観音寺境内脇の寺僧墓地片隅に並べられた石仏さん達。 

同じ境内に有る十三重石塔は以前に紹介した事があるのでそちらも参考に・・・

墓地奥に一列に並べられたうち最も目を惹くのが、この十一面観音石仏。

総高1m足らずの舟形光背を持ち、蓮台に立つ右手錫杖の長谷寺型十一面観音石仏。

珍らしい十一面観音石仏ですが・・・、形に嵌められたような力の無い像容で江戸時代中期の寛延三年(1750)の造立。

江戸期の石仏さんにはどうしてもパワーが感じられません。

一方こちらは旧都祁村に有って、あの都祁型を踏襲してない青面金剛石仏。

同じ旧都祁村であっても、全く共有してない部分も有るのだなあ・・・

傍らに有った地蔵石仏、室町期の物の様に見えますが・・・

苔が酷くて像容も定かでは有りません。

撮影2012.4.14


奈良市都祁 青龍寺の石仏

2013年08月12日 | 石仏:奈良

都祁、藺生集落の南外れ、鄙びた田舎寺の「青龍寺」に残された石仏達。

がらんとした境内に茅葺き屋根の小ぢんまりした本堂が郷愁を誘う青龍寺は高野山真言宗に属し、藺生城主藤井氏の菩提寺であったと言われて居る。

境内への参道脇、左手空き地に、覆い屋を掛けた地蔵堂とその脇に一回り小さい庚申堂が建って居る。

地蔵堂中央には、舟形自然石に刻まれた定印を組み蓮座に座する阿弥陀坐像。

蓮華座は旧い様式を伝えており、南北朝初頭、建武(1334~1337)の銘があると言われて居ますが詳細は解りません。

もろい花崗岩質の石材のためかなり風化が進んで居ます。

左隣に立つ舟形光背、中型の定形地蔵立像・・・

洗練された、すらっとした体躯ですが・・、全体の様式から室町後期の造立??

傍ら、更新堂の青面金剛像・・・・都祁様式そのままで宝暦の年号を持って居る。

境内傍らにもすっかり苔生した小石仏や石造物の残欠がならんでいた。

なんにも増して周りの景観の素晴らしい田舎寺です。

撮影2012.2.22


奈良市都祁 歓楽寺の石仏2

2013年08月11日 | 石仏:奈良

前回の続き、都祁「歓楽寺」覆い屋外に並べられた石仏さん達。

境内の右脇、地蔵覆い屋の手前にたくさんの石造物が並べられて居ます。

その内、こちらは笑みの溢れる地蔵石仏。

頂部を欠損した舟形光背、室町後期様式の蓮座に立つ中型定形地蔵菩薩。

頭部には線彫りの円頭光が有ります。

ここにも、この都祁様式とでも言える様な、拙いながらも様式化された青面金剛像。

足元の三猿のデザイン化は卓抜、グッドデザイン賞ものです。

撮影2012.2.22


奈良市都祁 歓楽寺の石仏

2013年08月10日 | 石仏:奈良

先だっても茅葺き民家で紹介した「都祁南ノ庄」の歓楽寺には多くの石造物が残されており、中でも覆い堂内の三体並んだ地蔵石仏に目が奪われる。

高野山真言宗「歓楽寺」は南ノ庄集落の背後に有る小山の上にある鄙びた佇まいを良く残す山寺、創建年代や由緒については不明ですが戦国時代に焼き討ちに遭った様です。

覆い屋の三体の地蔵石仏・・・・、中でも一番に目を惹くのは中央の地蔵菩薩立像。

板石状の高さ約1mの花崗岩に覆輪蓮華坐に立つ像高約80cmの定形地蔵を半肉彫りで刻み出して居る。

童顔で理知的な眼差し、すらっとした体躯もよく整って居るが・・惜しくも胸元で上下に断裂。

頭部には浅く円頭光を刻み出し、像の右には鎌倉時代後期、元亨二年(1332)の銘が有り、都祁地域では最も古く最も美しい石仏だとされて居る。

向かって左側の室町様式をよく表した地蔵石仏、ちょっとずんぐりの四等身、尊顔は生憎のほぼ、のっぺらぼう・・・。

右側の一体も同様に室町様式の定形地蔵立像です。

撮影2012.2.22


奈良市都祁  小倉町の茅葺き民家

2013年08月09日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

名阪国道針ICより一つ東寄りの小倉ICの近く、小倉集落に残って居る茅葺き民家。

この辺りには石仏行脚で何度も足を運んで居ますが、集落をかすめて通る県道からは全く見えない集落の中程に屋根を葺き替えたばかりの茅葺き民家が建って居る。

端正な佇まいを見せる茅葺き屋根は寄せ棟に、大きい箱棟を載せた見事な伊賀風茅葺き屋根。

中央奥に主屋、向かって左には白壁土蔵、右手に納屋を配し、主屋前面を広くかど庭に空け、一昔前の上級農家の佇まい。

箱棟の中央部には鳩瓦も載せられ、素晴らしい景観を見せて居る。

聴いた話に拠ると・・・・、この屋根を葺いた職人さんは伊勢神宮の屋根を葺いて居る職人さんだそうです。

そこはかとなく、品の良い茅葺き屋根に仕上がって居ると思えるのは、そのせいかも???

グーグルアースではこんなトタン懸け屋根や・・・・

こんな哀しい姿の屋根もみんな茅葺き屋根に見えてしまう・・・・。

まあグーグルアースの航空写真も10年以上前の物の様だからどうしょうもないけど。

撮影2013.5.31


奈良市都祁  甲岡(こうおか)町の茅葺き民家

2013年08月08日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

国定史跡、小治田朝臣安万侶(おはりだのあそんやすまろ)の墓地を背に端正な茅葺き民家がある。

都祁水分神社(みくまりじんじゃ)の杜の直ぐ南側、神社の鎮座する小山斜面に墓地があり、それを隠すかの様にこの端正な大和棟がある。

正面は道路から屋敷まで空き地?の中に進入路を設け、低い腰板塀を巡らせ内に庭木を植え込んでいる。

茅葺き屋根は葺き替えて間もなく、スッキリ端正な姿をみせている。

主屋の左手には離れ屋?と、その奥に続く白壁土塀・・・

片袖落ち棟、一方は鋭角の大きな切妻が心地良い。

丸で注文通りの絵の様な佇まいですが・・・・・、ここでも茅葺き屋根は正面表部だけ、裏側はやっぱりトタン懸けになって居ました。

屋敷から田圃を挟んだ向こう側にも長閑な佇まいの、覆い懸けされた茅葺き屋根が見える。

撮影2013.6.8


奈良市都祁 藺生(いう)町の茅葺き民家

2013年08月07日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

旧都祁村の南西端、小山の木立を背に建つ大和棟の茅葺き民家。

新しく建て替えられたのか?、建物自体もしっかりしていて古さを感じさせない。

割木(薪)を一杯に積んだ大きな作業小屋、その奥に傾き屋根の主屋、両脇には離れ屋と蔵??

随分と少くなった茅葺き民家・・・それでも大和高原地域ではステータスを表すシンボルとしてまだまだ健在。

撮影2013.6.8


奈良市都祁 南ノ庄の茅葺き民家2

2013年08月06日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

前回紹介の民家から振り向いた高台にもう一軒茅葺き屋根の民家が残って居る。

両袖に落ち棟を持つ大和棟茅葺き屋根、葺き替えて間もないのか・・・、端正に整えられた草屋根が美しい。

雑多な生活用品が軒下に置かれこの家はしっかり民家として機能している

妻側から見ると実に複雑な屋根組をしていた・・・・軒下には時代物の旧い農機具が置かれ、この家は農家だったことが窺われる。

あれはきっと、懷かしい牛引き用の唐鋤・・・・この家では農作業に牛も飼って居たのかなあ??

今は昔・・・・もう庭から見る屋敷に農家の匂いは感じられない。

撮影2013.5.31


奈良市都祁 南ノ庄の茅葺き民家

2013年08月05日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

白石の旧い在所を突き切るように延びる旧白石街道、三陵墓古墳公園を越えしばらく進むと嫌が応にもこの茅葺き民家が目の前に現れる。

この民家は目に付きやすいのか??NETでも良く紹介されて僕も何度かお目に掛かっている。

西側から見た茅葺き主屋、大きい切り妻部が焼き板に成って居てちょっと風変わりなイメージに成って居る。

屋敷の周りは、黒い腰板白壁土塀に囲われ屋敷門を構えた立派さ・・・・。

小奇麗な庭先、大きな大和棟は棧瓦の片袖落ち棟・・、煙出しの館が無い事を見ると意外と新しい建物かも???

この家も表部分だけ茅葺き屋根を残し見えない裏の屋根はトタンが懸けられて居た。

この辺りあちこちでこのような茅葺き屋根を見かける。

撮影2013.5.31


奈良市都祁 白石の茅葺き民家2

2013年08月04日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

都祁白石町内にもう一軒残って居た大和棟茅葺き民家。

白石町の東端、田圃に囲まれた中、古墳の墳丘を思わすような小高い丘の林を背に負うよう、大きい屋敷に主屋と付属の建物が建つ。

屋敷前面には石垣を積み、その上に白壁土塀を廻らし、屋敷正面には立派な両袖門を構えて居る。

この家は300年以上続く旧家で、現在無農薬自家栽培の茶業を営んで居られる。

庭先には子供の三輪車も見られ、若い人も住む茅葺き民家、いきいきと活力が漲っているのを感じます。

少し屋根が傷んで居ますが、この家ならきっと茅で葺き替えて呉れるでしょう・・・。

撮影2013.4.21


奈良市都祁 白石の茅葺き民家

2013年08月03日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

奈良県旧都祁村に残る茅葺き民家の第二弾、前回の吐山地区から今回は白石地区の茅葺き民家。

名阪国道針ICより国道369号線で道成に南下する事約2km、ちょうど白石の家並みが途絶えた左手山裾、道路脇の石垣上に大和棟の茅葺き民家が残って居る。

両袖に棧瓦の落棟を持つ独特な造りで本格的な大和棟のような豪壮さはないが・・・・・、まだそう年代を経て無いのか正面外部から見る限り、建築当初の姿がそのまま残って居る様に見える。

そろそろ屋根も傷みだし葺き替え時期が近づいているような・・・・・行末がちょっと心配??

因に裏側の屋根はもうトタンを被って久しいような佇まい

隣家の屋根も、奥に見える大和棟も覆い懸けされて居る・・・・これはこれで良いものだけどやっぱり本物の茅葺き屋根には敵わない。

撮影2013.5.31


都祁吐山 地蔵院の地蔵石仏

2013年08月02日 | 石仏:奈良

都祁吐山区内にもう一体、永禄六年(1563)銘を持つ地蔵石仏が有る。

国道369号線、吐山交差点の北西、その昔には吐山城が有ったという小山の南面する裾野斜面に高野山真言宗、摩尼山「地蔵院」が在る。

真新しい庫裡が建つ境内の白壁土塀を背に半間四方ぐらいの小さな覆い屋が有り、その中に中型の地蔵石仏が安置されている。

前回、前々回紹介の地蔵石仏に瓜二つ、前回の田町の石仏が永禄七年、前々回の極楽寺の石仏が永禄三年、そしてこの地蔵院に有る石仏がその間の永禄六年銘を持って居る。

腹部、錫杖を持つ右手と宝珠捧げ持つ左手間の腹部で断裂、セメントで接合されて居る

顔容などは丸で殆ど同様・・・・・、この作者はこの辺りの石仏を一手に引き受けていたのだろうか??

撮影2012.5.12