愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

山城の神社・・・宇治市大久保町・延喜式内旦椋神社(あさくらじんじゃ)

2017年02月27日 | 神事:行事:寺社: 仏像
 
近鉄京都線大久保駅西南西約500m、現在ではすっかり新興住宅に囲まれた鎮守の杜に鎮座する。
 
 
この神社も南北に長い参道を持ち、参道入口と中程と境内への入口前を生活道路が横切っている。
 
 
当社は元、現在地より西方約500mの地に鎮座していたが、天文19(1550)に焼失、その頃現在地に在った「天満天神」20余年断絶していたので、天神を再興するとき旦椋神社と天神を合祀。
 
 
 
神社の再興後は村の「産土神」として、天神社、栗隈天神社、栗隈天満宮などと呼ばれ、明治10年6月、式内旦掠神社と認定されました。

昭和60年5月15日、旦椋神社本殿及び棟札7枚」が京都府登録有形文化財に登録されています。

 
 高皇産霊神・神皇産霊神・天満天神の三神を奉祀しています。

宇治市大久保町北ノ山鎮座・・・延喜式神名帳に、『山城国久世郡 旦椋神社』とある式内社。

撮影2015.7.30


山城の神社・・・・巨椋神社(おぐらじんじゃ)

2017年02月20日 | 神事:行事:寺社: 仏像

近鉄京都線小倉駅北東約1.5km、旧大和街道沿いによく目立つ大きな鎮守杜に鎮座する式内社・巨椋神社(おぐら じんじゃ)は旧小倉村の産土神として崇敬されてきた。

境内は南北に細長く大木が林立する古い鎮守杜で、神宮寺だと思われる二寺院が並んでいる。

『延喜式神名式(延喜式神名帳)』(927)中「久世郡 二十四座 大十一座 小十三座」の「巨椋神社」に比定され、 古代(奈良時代-平安時代)、巨椋氏の氏神として祀られたとみられている。

   平安時代初期、第52代・嵯峨天皇(786-842、在位809-823)の勅命により創建されたとも言い、平安時代末期、藤原氏を祀り、春日神社と呼ばれ以後、近世(安土・桃山時代-江戸時代)まで、春日神社と称されていた。

巨椋氏は旧巨椋池の東、南部に住していたとされ、池には宇治川、桂川、木津川が流入し、古代より開発され港津が開かれ、当社もその氏神として祀られた。

本殿は覆屋の中にあってその姿をつぶさに拝観することは叶いません。

祭神は武甕槌神(たけみかづちのみこと)、経津主神(ふつぬしのかみ)、天児屋根神(あめのこやねのかみ)、姫大神(ひめのおおかみ)を祀る。

また、境内参道には第55代・文徳天皇皇子・惟喬(これたか)親王(844-897)が、子供の愛護のために創建したという子守神社が鎮座・・・祭神は天磐樟船神(あまのいわくすぶねのかみ)を奉祀。

この子守神社こそが巨椋連を祀った本来の神ともいわれ、地元では巨椋神社より子守神社でよく知られている。  

撮影2015.7.30


山城の神社 宇治市伊勢田・伊勢田神社

2017年02月13日 | 神事:行事:寺社: 仏像

南北に長く伸びる参道の入口と、境内直前を一般道が横切って居るのが珍しく広い社叢の式内社です。

近鉄京都線伊勢田駅北へ約500m足らず、細い道路が入りくんだ市街地の中に鎮座する。

参道入口の前を横切る手前には若宮八幡神社があり・・・

 もともとは別集落の氏神だったが、現在では伊勢田神社が管理していて、境外摂社の様に成っている。

長い参道を抜けると道路を挟んで奥行の無い境内・・・真正面に拝殿とその奥の本殿。

 

延喜式神名帳に、『山城国久世郡 伊勢田神社三座 鍬靫』とある式内社。

 当社の創建時期は不明だが、山城国風土記によれば、大宝3年(人皇42代文武天皇の御世)9月初め奉主田幸祭礼とあり、約1,280余年前に鎮座、明治6年村社に列せられ、同年6月延喜式内伊勢田神社と決定。

 当社は当初の穀霊信仰(国つ神の社)から、延喜式が編集される頃までには、伊勢神宮とのつながりができ、「伊勢田」すなわち伊勢神宮の料田も設けられ、天照大神を祀るようになった伊勢信仰(天つ神の社)へと変わった。

 

 木柵と金網で囲われ、古びた社殿(一間社流造・檜皮葺)が南面鎮座する・・祭神:天照皇大神・手力男大神・萬幡豊秋津姫大神

境内左手に薬医門を有し周囲を板塀(瓦葺)で囲われた中に社殿(一間社流造・瓦葺き)が、東面して鎮座する作田社(大歳神)

社伝によれば、伊勢田町井尻(当社の西約500m)から、江戸末期の水害のため当社境内に遷されたという。

撮影2015.7.30


山城の神社・・・・八幡市橋本・狩尾神社(とがのおじんじゃ)

2017年02月07日 | 神事:行事:寺社: 仏像

要塞の様にコンクリートで固められた小高い山頂に鎮座する狩尾神社。

 木津川、宇治川、桂川と京都の三川が淀川に合流する南方の丘陵地、淀川を挟んで「天下分け目」の天王山と対峙する。

コンクリートで塗り固められた小山の周りはマッチ箱のようなニュータウンの新興住宅で埋め尽くされ、小高い境内からは周りの景観が手に取るように見える。

住宅地の通りに向かって建つ石鳥居を潜り、急な切石石段を登り切ると・・・

南面して拝殿とその奥に本殿・・・

岩清水八幡宮、淀川下流からの参道にあたる狩尾社はこの地「橋本狩尾」の産土神ですが、明治10年に石清水八幡宮の飛地境内摂社となりました。

 

現在の狩尾社の本殿は慶長6年(1601)造営、石清水八幡宮に現存する建造物のなかで最も古い社殿で重要文化財指定。

詳細は不明ながら、祭神:天照大神、大己貴命、天児屋根命の三柱 

撮影2015.9.26