奈良国中(くんなか)平野の南西部、金剛葛城山系の山裾、御所市楢原の九品寺は、あの名僧「行基」開基の名古刹・・・・時の流れに身を委ねるように静かにたたずんでいる。
殆ど観光客も訪れる事の無い境内には、おびただしい数の石仏が在って知る人ぞ知る石仏好きにはたまらない穴場となっている。
石段から狭い境内へ入ると正面本堂前、向かって右手に二体の石仏。
右手は三角オニギリ状自然花崗岩の表面に変形の光背を彫沈め蓮華座に坐する像高約70cmの地蔵菩薩坐像を中肉彫で刻み出している。
涎掛けは外せなかったが、大きい錫杖と落ち着いた像容で、室町後期の造立。
傍らには珍しい智拳印を持つ金剛界大日如来坐像石仏…、さすが大日さんには涎掛けが無かった。
舟形光背を背負い像高45cmばかり、脇に記銘が有り永禄12年(1569)、同じく室町後期。
本堂左手奥に続く墓地傍らには阿弥陀石仏
しっかり涎掛けを駆けているので良く判らないが蓮華座上に座す像高約40cmと云ったところ・・・
角型板石に二重光背を持つ珍しい阿弥陀三体石仏。
共に立像ながら印相までは確認しなかった。
本堂脇から裏手斜面への参道脇にはびっしり石仏が立ち並び壮観・・・。
こんな見事な石仏達も・・・・、向かって右から舟形光背の中に阿弥陀三体、その傍らは二体の阿弥陀立像石仏。
いずれも室町後期か??
こちら二体の坐像石仏、共に阿弥陀のような??
こちら一体なにさんなのか??、三角状自然石に如来石仏・・・。
とにかくこの参道は石仏パラダイス。
山盛り一杯でもう何がなにやら・・・、ちょっと食い過ぎ・・。
参道の奥突には千躰地蔵と呼ばれる正石仏群。
ここに在る多くの石仏達は、南北朝時代この地域を支配して居た楢原氏が北朝側と戦った際、地元の方たちが「城兵の身代わり」に奉納したもので、「身代わり地蔵」とも呼ばれている。
山門手前、駐車場脇にはこんな珍しい石窟に入った石仏さん。
何と無く良い風情なのでバシャ・・。
片側にはこんな六体地蔵さん。
同じ場所に何ゆえ二組の六体地蔵??これじゃ、まるで石仏さんのバーゲンセール??
やっぱりちょっと食い過ぎ、ゲップが出そう・・・・。
撮影2007.1.4