愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

山城の神社・・・式内・酒屋神社(さかやじんじゃ)

2016年12月27日 | 神事:行事:寺社: 仏像

 

 延喜式式内社に、『山城国綴喜郡 酒屋神社』とある式内社・・・

京田辺市の西方の山手を南北に走る山手幹線興戸宮前交差を西折れ、100m程そのまま進むと、石畳参道に石灯篭のある其れと解る山裾の鎮守杜に突き当たる。

 一の鳥居は参道を50m程進んで直角に右折して直ぐ・・・

正面に割拝殿があり、その奥、一段高く本殿が鎮座している。

 

 社頭に掲げる由緒には、「社伝によれば、神功皇后が通ったとき3箇の酒壺を神社背後の山上に安置して諸神を祀り、再度通ったとき社殿を創立したとある。
 また、河内国の酒造りを業とする中臣酒屋連の一族が来住して酒造りを伝え、祖神を祀ったものともいう」とある。

尚、当地一帯は、神功皇后の出身氏族・息長氏と深い関係がある地域として良く知られています。

神域中央に、千鳥破風・唐破風をもつ切妻造の本殿(間口1.5間・奥行一間)が鎮座するが、全体像はよく見えない。

祭神は津速魂神(ツハヤムスヒ)応神天皇(ホンダワケノミコト)・・・近く、同市内「宮津」に鎮座する「佐牙(さが)神社」と深い関係があると考えられている。

撮影2015.8.07

 


山城の神社 久御山町佐山・雙栗神社(さぐりじんじゃ)

2016年12月20日 | 神事:行事:寺社: 仏像

 

新興住宅団地の一角、此処だけ往古の侭を残した大きな鎮守杜に鎮座する式内社。

延喜式神名帳に、『山城国久世郡 雙栗神社三座 鍬靫』とあるが、宇治田原町の雙栗神社から勧請と言われている。

 

 鎮守杜野三方向が完全に住宅開発され本来なら脇鳥居のはずがこの場所からでないと出来ない様になっていて不自然さを感じる。

中世以降石清水八幡宮の影響をうけて椏本八幡宮と呼ぶ、現本殿は明応3年(1494)の建立・現在拝殿は修理工事中

本殿(重文)は、三間社流造、正面に向拝付、檜皮葺。蟇股に「花と鳥」、「紅葉と鹿」、脇障子の上部に「栗鼠と葡萄」の彫刻を施す。室町時代末、1494年頃に建立されたという。

詳しくはこの説明板よりお願いします。

撮影2015.7.14

 


山城の神社 城陽市富野荒見神社

2016年12月13日 | 神事:行事:寺社: 仏像

旧富野荘の東端、現在では「スーパーアルプラザ」西端の鎮守杜に鎮座する延喜式内論社の一

 

大化3年(647)9月小篠峯に神霊が降り、在地の三富野部連金建が神殿を創建、寛正2年(1461)3月五社谷より社殿を移し、安羅見五社天神宮と称したと言われている。

「境内から見た薬医門と石鳥居」

明治21年1月9日に荒見神社と改称するまでは、阿良美五社大明神とか安羅見五社天神宮と称していた。

神井の湧水は諸禍退散生命根源だと言われている。

「拝殿正面」

慶長9年(1604)9月本殿、末社(御霊社)を再建改築・・・本殿は国の重要文化財(元国宝)

祭神は天火明尊、天香語山尊、天村雲尊、阿比良依姫尊、木花開耶姫尊の五柱・・・本来は大歳神一座

撮影2015.6.15


山城の神社・・・京田辺市宮津/佐牙(さが)神社

2016年12月06日 | 神事:行事:寺社: 仏像

京田辺市宮津の府道22号線(八幡~木津)に接して東向きに「一の鳥居」が建ち、その奥一直線に長い参道が山裾まで続いている。

 

「二の鳥居」

社伝には敏達天皇の2年(573年)始めてこれを祭り、造酒司(サケツクリノツカサ)の奉幣があったと伝えられ、往古山本村にあったが・・・

「佐牙乃神社の旧跡」

垣武天皇延暦13年(794年)現在の地に創建されたと伝えられ、山本村はこれを氏神とし、今なお旧地を御旅所として居る。

 「延喜式神名帳」の綴喜郡の佐牙乃神社に比定され、社殿は永正6年(1509年)兵火にかかり、永正11年8月再建、更に天正4年(1576年)火災で焼失、同13年、新築して遷宮式をあげたとつたえられている。

 本殿二座・国指定重要文化財

天正十三年(1585)再建、身舎の蟇股は左右対称の図案で室町初期:春日造:檜皮葺。

祭神 :佐牙彌豆男神、佐牙彌豆女神

撮影2015.6.30