愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

旧都祁(つげ)村 針墓地一石六体地蔵他

2013年05月31日 | 石仏:奈良

大和高原域から名張地域にかけて多く見る事の出来る一石六地蔵、こんな喧騒けたたましい所でお会いするとは・・・・・。

旧都祁村針は名阪国道のICとサービスエリアが設置され、その景観や生活まで一変した地域、まさか探していた墓地がインタ-チェンジのランプウエー内に在るとは・・・・・

この名阪国道が開通するまでは此処もまた他の大和高原と同じく鄙びた里山だったに違い無い。

集落から田んぼ道を行きランプウエ-を潜ると昔ながらの古い田舎墓地・・・・・・、廻りの変化で明るく開け、一列に並べられた石造物が迎えてくれる。

一列に並べられた向かって左端、頂部を山形にした花崗岩に六体地蔵を刻み出して居る。

幅1.3m、高さ80cm、下部一列に蓮華座を設け上に像高30cmばかりの六地蔵を横一列に刻み出す。

六地蔵は様式化して稚拙な感じを否めない江戸時代中期の作・・・、石仏としての価値はあまり高くないが、良い味出てます・・・。

同石造物右端に佇んでいた地蔵菩薩。

錫杖、宝珠を持たず胸で手を合わせた像高約1mの合掌地蔵。

大和にしてはローカル色の濃い石仏さんです。

撮影2011.7.30


京田辺市 飯岡薬師山古墳薬師如来石仏

2013年05月30日 | 石仏:京都

山城盆地の中央部、京田辺市の木津川左岸脇の飯岡(いのおか)丘陵にある薬師石仏。

<飯岡頂部より木津川越しに対岸「山背古道」方面を見る>

飯岡は古くは「咋山(くいやま)」と呼ばれ、万葉集にも「春草を 馬咋山ゆ 越え来なる 雁の使は 宿り過ぐなり」と詠まれた古い土地。

また飯岡は多くの古墳が在る事でよく知られ、その頂上付近にある薬師山古墳(桜井古墳共言う)には薬師堂が有り薬師石仏と眷属の十二神将が収められて居る。

生憎鉄格子で閉ざされた堂内は殆ど真っ暗・・・。

中央に舟形光背を背負い薬壺掲げた中肉彫りの薬師如来立像

蓮華座に立ち、像高70cmばかり・・・、石仏としては其れ程褒められた出来でもなく、時代が古くも有りません。

どう見ても江戸時代中期以降

傍らには絵馬状板石に三体づつ刻まれた十二神将

都合四石あるのですが二石は物陰に隠れて撮影出来ません。

薬師石仏にせよ十二神将にせよ決して良くはないのですが、この地域では珍しい石仏なのでUPしておきます。

撮影2012.5.3


城陽市 念佛寺の一石阿弥陀石龕仏

2013年05月29日 | 石仏:京都

前回と同じく城陽市寺田に在る念佛寺境内墓地に立つ一石阿弥陀石龕仏です。

<古い町並みの残る旧在所道>

前回紹介の三縁寺さんの通りを東に200m、更に狭い旧在所道を左折、次の辻の左手が浄土宗念佛寺山門。

この寺には平安末期の半丈六の木造地蔵菩薩坐像が有り京都府の文化財に指定されて居る。

石仏は山門を入って左手、墓地正面に置かれて居る。

なんのデーターの持ち合わせもなく詳しい事は解りませんが・・・・、切り出した花崗岩の頂部を山形に、その下に庇を造り前面を板石状に整形・・

縁を作り出し、中に舟形を深く彫り沈め、龕状にして阿弥陀坐像を厚く刻み出して居る。

総高約1mばかりか?、蓮華座に結跏趺坐、像高約60~70cm、定印の阿弥陀坐像です。

力強さには欠けますが、膝の張り、肩の張りも有り鎌倉様式を踏襲しています。

決して石仏の多くない城陽地域にこんな珍しい様式の石仏が隠れて居たとは知らなかった。

撮影2012.5.3


城陽市寺田 三縁寺阿弥陀坐像石仏

2013年05月28日 | 石仏:京都

山城盆地の中央部、木津川右岸の城陽市寺田、三縁寺境内の阿弥陀石仏です。

三縁寺は近鉄寺田駅東へ約100m、三縁寺は浄土宗知恩寺派、室町中期の開基と伝えられ、正面の唐門は京都建仁寺から移築した安土桃山時代のものとして城陽市の文化財に指さえている。

石仏は境内左手、一間四方の立派な地蔵堂に信仰厚く祀られて居る。

何処でもよくある話ですが・・・、地蔵堂とは言え石仏は御覧の様に両手を膝上で組む弥陀定印、総高77cm、蓮華座に結跏趺坐する像高56cmの阿弥陀坐像です。

貧弱な体躯、力強さは消え失せた撫肩で室町期の作風、おまけに風化摩耗も大きく以前は雨露に晒され続けて居たのでしょう??。

地蔵としての涎掛けを掛けられた阿弥陀さん・・・・、まあ民間信仰とはこうしたものだと解っていても、人違いされた阿弥陀さんはさぞかしにが笑い。

撮影2011.3.5


京都府精華町 水口花

2013年05月27日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

我が山城、木津川流域では殆ど見ることの少なくなった自家製苗代の花。

僕が子供だった頃にはどこの農家でも苗代を自分の田で作り、その水口には決まって赤いツツジの花と白い小手鞠の花に鎮守の護符を突き立てた。

これを見かけたのは木津川左岸、精華町の木津川堤防近く・・・・・、新興団地が目の前に押し寄せる水田地域

ビニール掛けの苗代に今様の紫蘭とウツギ

水口花は苗代に種もみをまく日に、その水口に神酒・洗米などと共にを供え、「田の神」の依代(よりしろ)とする農耕神事。

山城木津川流域は、自然が豊かで穏やかな分、苗代作りも田植えも随分遅い。

5月25日現在、まだほとんどの田圃には水が張られて居ない。

撮影2013.5.4


三重県伊賀市 波敷野(はじきの)の棚田

2013年05月26日 | 棚田景観

三重県旧阿山町は懷かしい「ふる里の匂い」が残る里山棚田地域・・・、そんな中でも波敷野から音羽にかけて広がる棚田の景観が素晴らしい。

甲賀と伊賀に挟まれた長閑な里山は、近場と云う事も相まって僕の好きな場所・・・、暇あるごとに訪れては癒される。

三重県伊賀市の北部丘陵地は阿山と呼ばれる地域で上野市や周辺地域と合併、平成16年「伊賀市」となるまでは阿山町と呼ばれていた。

去年の秋の終わり、今年の春浅き3月初旬、ついこの間GWの5月5日に訪れました。

旧阿山町役場から西へ里山道を約3km、山裾に挟まれた波敷野集落の家並を越え峠に出ると、この景観・・・

阿山地域は全体に棚田地域ですが、そんな中でもこの地域は広く、適当な斜度もあり見応えがある。

ゴ-ルデンウィークの5月5日峠手前の棚田では代掻きの真っ最中・・・、機械を入れるより手の方が早いのだろうか??

近頃では滅多に見れない景観です。

3月初旬にはまだまだ冬姿だった棚田は・・・

ゴールデンウイークにはすっかり一面の緑に・・・・。

しかしこの緑どう見ても田植えが終わって直ぐの緑では有りません。

この棚田では水稲に変わって麦の転作に切り替えてるようです。

それでも棚田一面に広がる緑は目にも鮮やかでした。

撮影2013.5.5/2013.3.23/2012.11.19


岩手県八幡平市  南部曲がり屋茅葺き民家

2013年05月25日 | 茅葺き屋根(上懸け屋根を含む)その他

岩手県八幡平市の内陸部、岩手町との境近くの町道を走っていて見かけた茅葺き民家。

付近は長閑な里山地域、水田の傍らに民家がポツポツ建って居る。

茅葺き民家は直ぐ道路脇に有り、現在も住まわれて居る様ですが相当傷みも激しく・・・・、ちょっと辛い状況。

軒先には「挿し屋根」用の茅?が置いて有ったり・・・・・。

母屋の正面カラートタンもやっぱり気になってしまいます。

場所は確認できていますが次回ここを通っても、もうこの茅葺き屋根を見ることは出来ないかも???

撮影2012.9.21


青森県つがる市 旧増田家住宅母屋

2013年05月24日 | 茅葺き屋根(上懸け屋根を含む)その他

去年の秋の初め、東北の旅でたまたま出遭った文化財指定の茅葺き民家です。

津軽半島の首根っこの「つがる市」、津軽平野のど真ん中、国道101号線沿い「道の駅もりたアーストップ」敷地内に移設され、古民家そば処として活用されている。

この建物、「旧増田家住宅母屋」は旧森田村小中野地区より平成9年にこの地に解体移転されたもの、明治中期の建築とされ津軽平野を代表する民家としてつがる市の文化財に指定されている。

関西では見れない様式の寄せ棟造り、大きな箱棟の中央にまた舘、これは煙り出しなのだろうか??

ただただ移設保存展示するだけでなくこうして建物を活かして保存するのも生きた文化財の活用法だと思う。

詳しくは「そば処案山子」より・・。

撮影2012.9.20


愛媛県東温(とうおん)市  井内の茅葺き民家

2013年05月23日 | 茅葺き屋根(上懸け屋根を含む)その他

愛媛県東温市の井内の棚田の撮影に行き、その途中で出遭った茅葺き屋根の民家 

棚田のあちこちにはトタン懸け茅葺き民家が見られ、素晴らしいロケーションの棚田です。

そんな棚田への登り口、谷を挟んで対面斜面にも棚田が見え、茅葺き古民家の背景としてはこの上ないロケーション。

僕の近くでは全く見られない様式です。

撮影2010.9.23


高知県大川村 小麦畝(こむぎうね)の茅葺き民家

2013年05月22日 | 茅葺き屋根(上懸け屋根を含む)その他

もう五年ほど前、この家の裏山にある桂の巨木に会いに出かけた。

その時たまたまであった民家がこの家で、茅葺き民家でした。

ここは高知県大川村(土佐郡)小麦畝、はるか人里離れた山の中。

民家は二軒有るものの人が住んでいるのはこの家だけ・・・・、それも気丈なおばさんが一人住まい。

もうあれから5年・・・、あのおばさんは今も元気にしてるだろうか?この茅葺き民家はまだ健在だろうか??

詳しくはこのページで・・・。

撮影2008.12.20


大坂府枚方市 穂谷の茅葺き民家

2013年05月21日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)大阪府

「にほんの里100選」にも選ばれている大阪枚方市の最南端、穂谷集落で見かけた茅葺き民家。

杉集落の前の道、旧国道307号線を道成に南東方向へ、尊延寺交差を右折、京都府京田辺市と奈良県生駒市と境を接する山裾斜面に穂谷の集落が有る。

集落はその中央に溜池を持ち、家々はその池を見下ろす様に斜面高台に建つ。

なだらかな斜面に高い石垣を積み、大きい屋敷を持つ豪壮な民家が建ち並び、どこか遠くへ来たような・・・・、普段見慣れない景観が広がる。

高台の一角を占める茅葺き屋根民家の屋敷は、正しく里山、山里の懐かしい景観を醸し出して居る。

茅葺き大和棟の大きな屋根は補修の痕も見えるがかなり傷みも激しい。落棟

棧瓦葺きの落棟は今にも崩れそうなほどに痛々しく、もうこの姿も永らくは留めないかも???

そんなに人里離れた草深い田舎でもないのに・・・、立派なこんな家も風の吹き抜ける廃墟・・・

集落で権勢を誇ったであろう造り酒屋さんも廃業・・・、殆んどの建物は解体撤去、残された蔵だけが哀しい姿を晒しています。

こんな街の近くに在っても、里山の荒廃は止めようもないと言う事か??。

撮影2013.3.5


大坂府枚方市 杉の茅葺き民家-2

2013年05月20日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)大阪府

昨日紹介の家人の小母さんから教えてもらった茅葺き民家。

昨日の民家からはちょうど対面、杉集落の旧在所高台に見え隠れする、この地域では珍しい袖棟付きの茅葺き民家。

高台の竹藪を背に石垣白壁土塀に囲まれたL字型の茅葺き屋根はそれだけでも絵になる景観。

上級豪農屋敷だったのだろうか?広い「かど先」に落ち着いた佇まいの納屋。

これだけ良く整った民家が無指定で残って居るのは珍しい。

屋根の修理もそろそろ近づいて居る様で少々傷みも目立ち、この先がちょっと心配な茅葺き屋根です。

杉集落の旧在所の景観です。

撮影2013.3.5


大坂府枚方市 杉の茅葺き民家

2013年05月19日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)大阪府

大阪府東端、枚方市杉は京都府京田辺市と低い山を挟んで府境を接する。

杉地域は最近住宅開発や道路造成も著しく旧い集落は高速道路や幹線道に囲まれるように片隅に追いやられて居る。

集落の縁を回り込むような旧国道307号線からこの茅葺き屋根が見える。

集落から外れた小川沿いの田んぼに囲まれた屋敷は立派で地主クラスの上級農家だったのだろう

主屋は大和棟茅葺き屋根に東「落棟」、西側「入母屋造り」となり・・・、ここ北河内に於いても大和棟は上級農家のステータスだったのだろう・・

この民家は屋根もまだ吹き替えたばかりの様で傷みもなくまだこの先もこの姿のまま見ることが出来そうです。

撮影2013.3.5


奈良市 西狭川(さがわ)町茅葺き民家

2013年05月18日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

昨日紹介の須川町より県道を道なりに約2km程南下、西狭川町公民館近く、県道に妻側を向けた茅葺き民家が建って居る。

集落からは外れ、表に小川、裏にはなだらかな棚田を負い、もう大分草臥れた茅葺き屋根がある。

一昔前、この地域では何処でも見られた一般農家の佇まい。

小さな煙り出しの妻を持つ入母屋造り・・・、もうだいぶに疲れているのか棟が歪んでいる。

裏に廻ると生活感がプンプン臭うのだが・・・老夫婦住まいなのだろうか???

もうこの茅葺き屋根も次に見れる保証は何処にもない。

撮影2013.2.26


奈良市 須川町の茅葺き民家

2013年05月17日 | 茅葺き屋根(同)奈良県

京都府笠置町から柳生に抜ける県道脇、奈良市須川町、須川ダム湖横に建つ茅葺き屋根の民家です。

雑把な処が微塵も見えず何処か整い過ぎているのが怖いほどですが・・・・・。

葺替えられて間もないのか?入母屋の大きな茅葺き屋根も凛として美しく、庭木もよく整えられてまるで料亭ででも有る様な・・・・・。

しかしそんなことはない一般民家のようですが・・背の高い「棟抑え木?」が目立ちます。

広い庭と蔵を持つ大きな屋敷は県道側からは目隠しの木立が邪魔をしてよく見えない。

ダム湖横の野道から見ると独特な箱棟が・・・・、近くでも有るのに僕の住む山城では見れない形です。

撮影2013.2.26