愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

生駒市 鬼取墓地の十三仏/石仏

2015年05月31日 | 石仏:奈良

生駒山中、棚田の広がる鬼取墓地の十三仏板碑と石仏。

鬼取墓地は集落外れの鶴林寺道と反対側の林を分けいった奥にある古い墓地。

墓地一画に古い石造物が集められている。

その中に、一際目を惹く十三仏板碑が有る。

高さ約90cm、舟形の上部に二条、その下部に薄い枡形を設け、蓮華座上月輪内に十三仏の種子を刻み付ける。

因みに紀年銘は無く江戸初期の作風・・・・。

墓地入口の木の根元には地蔵石仏。

あえて取り上げる程のものではないが・・・・これも江戸初期の造立だろうか??

ちょっと顔が怖すぎる・・・下手ですね。

撮影2012.12.14


旧西浅井町 祝山(ほりやま)葦葺き民家(辻家住宅)

2015年05月30日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)滋賀県

予めグーグルアースで調査、現地に行って、その葦(ヨシ)葺き民家の豪壮さにビックリ・・・近所の人に聴いた話だと重文指定の民家だと言う。

ここは旧西浅井町祝山(ほりやま)・・・琵琶湖最北端、塩津浜から敦賀に通じる国道8号線(旧塩津街道)を少し山沿いに入った祝山(ほりやま)の集落の奥突きに豪壮な屋敷を構えて居る。

集落に入り、大屋根を目当てに屋敷に近づくと長大な長屋門の切れ端から葦葺き屋根の右妻側が覗いて居る。

屋敷の右側に廻って全景を見渡すと、左から長屋門、・南倉・母屋・前倉とその前に自家菜園が有り、背後に大公孫樹が聳えて居る。

こちらが正面・・白壁腰板の長大な長屋門が屋敷を隠すように立ちはだかって居る。

主屋は入母屋造(いりもやづくり)、平入(ひらいり)の葦葺で西を正面とし、前後に桟瓦葺の庇を付け、南北面の妻飾(つまかざり)は、湖北地域特有形式の前垂れを付けて居る

辻家は辻家は江戸時代において代々庄屋をつとめ、帯刀苗字が許されていたと言われ桁行(けたゆき)(南北方向)11間(21.4m)、梁間(はりま)(東西方向)5間半(10.5m)におよぶ大型住居で、建築年代は19世紀前期頃《文政8年(1825年)に移築》と推定されています。

 辻家住宅は、主屋と附属屋が良好な状態で残され、庄屋としての屋敷構えを今に伝え、特に主屋は、余呉型民家の発達した形式を示す貴重な建物だと言われている様です。

建築物はいずれも重文指定されて居る様です。

撮影2015.5.27


甲賀市多羅尾 一石六体地蔵

2015年05月29日 | 石仏:滋賀

伊賀や名張では当たり前の様に見かける一石六体地蔵が、珍しくここ甲賀にも有りました。

 甲賀と言っても、ここは伊賀、山城と境を接する山里「多羅尾」の西外れ・・・どちらかと言うと伊賀文化圏かも??

 一石六体地蔵石仏は伊賀や名張地域では普通に見られる絵馬型状板石花崗岩の正面に、真ん中で二つに枡形を彫り下げ、三体づつの地蔵立像を刻み出す。

石仏自身はありきたりの江戸中期のもので特記するほどの事は無いでしょうが・・・・旧道の小さな祠に祀られ今でも信仰篤く祀られてる様は風情が有って良いものです。

撮影2015.2.11


甲賀市多羅尾 岩洞山不動明王石仏・他

2015年05月27日 | 石仏:滋賀

昨日の磨崖に続き、今日は本体の不動石仏・・・

中央の大岩の前にある拝殿の奥・・・

地面と大岩の隙間に小さな祠を設け、その中に不動石仏を安置している。

こちらが岩洞山の不動明王石仏・・・・弘法大師伝説の弘法大師が刻んだ不動明王がこれだとは・・・・・あまりなことに失笑。

その体躯のあまりのアンバランスさと稚拙な彫りは如何見ようが大師の時代のものではない。

祠左手に置かれて居た2体の石仏のうち、意外にも右手の阿弥陀石仏に目を惹かれる。

膝から下は欠損しているようで詳らかではないのですが肩張り、膝張りに力強さが有り、室町前期を下らないものだと思われます。

脇の地蔵も近世江戸期のものでは無さそうな???

それ故、あの不動明王石仏のアンバランスさは少し不思議でも有る。

撮影2013.2.11


甲賀市多羅尾 岩洞山不動磨崖仏

2015年05月26日 | 石仏:滋賀

 

石友さんに磨崖が有ると聞いたので出かけて来た。

ここは甲賀市の西南端、甲賀と伊賀そして山城との国境「多羅尾」の山中・・・・・県道334号線「多羅尾小学校」南の辻より山中に入って行く。

獣道まがいの山道をスタスタ20分も歩き、心細くなった頃、それらしき場所が目に映る。

 大きい岩座の前に拝殿らしき覆懸け屋が有りその奥に不動明王の祠が有ります。

しかし今回はその脇を回ったところの磨崖仏の紹介から・・・・

祠の前を左に回り込んだ岩肌には不動明王と二童子の種子が陰刻されていて何かを予見させて呉れます。

 

その先にもうひとつの祠がが有り・・・

奥の横長丸巨岩のふ表面に枡形を彫り沈め三体の石仏が刻まれて居る。

 あまり判然とはしませんが・・・中央は不動明王、向かって右に阿弥陀如来、左には錫杖を掲げた地蔵像・・・

30cm足らずの拙い三尊ですが、こんな鄙びた山中に永らく守られて来たものだとしばし感慨一入。

良いものとは言えないけど・・・愛しいものです。

撮影2013.2.11 


彦根市 河瀬の茅葺き民家

2015年05月24日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)滋賀県

庄屋クラスの豪農の屋敷かも知れない??大きな茅葺き屋根に茅葺き門が備わって居る。 

 

 屋敷は大きいのだが撮影は酷くしづらく、どうにもこうにも全体を1枚の写真に入れられるポイントは見つからなかった。

 

 表の茅葺き門は母屋の屋根を小振りにしたような入母屋造り

 

棟は独特の瓦仕舞い、破風には近江前垂れが設けられ、葺き替えられて間もないのか 全く傷みが無い。

 母屋は表側からの撮影が叶わず、裏からの撮影ポイントしか見つからなかった。

 

新しく付け足したであろう大きい下屋の上に大きな入母屋造りの茅葺き大屋根を載せて居る。

 屋敷は大きく寺の一画をを占める様に表門を寺の境内に向けて建って居る。

撮影2014.3.19 


東近江市 建部の茅葺き民家-2

2015年05月23日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)滋賀県

東近江市、大凧通り、建部付近で見掛けた茅葺き民家。

大きな車通りに背を向ける様に建ち、表には回る手立てがなく裏側」方向だけの撮影に成りました。

 建物は凍みんかと言う程古いものでは無いようにに見えるが??・・・このあ辺りの茅葺き屋根は得てしてそうなのかも知れないが??下屋の瓦屋根が大きく上に乗った茅葺き屋根は浅くて棟が長い。

基本的には入母屋造りなのだが・・・浅い茅葺き屋根の割には頂部の箱棟がどうも立派過ぎるほど・・・・

 東近江辺りには未だ茅葺き屋根が数多く残るが、この地域だけでも随分色々な形の茅葺き屋根が見られる。

撮影2014.3.19


木津川市 和泉式部の墓

2015年05月22日 | 石塔:石造物

 

我が山城木津川市に和泉式部の墓だと伝える五輪塔が建っている。

山城を流れる大河、木津川左岸、市役所より北へ約300m、木津川堤とJR線に挟まれて独特な堂が建ち、その境内に古風な五輪塔が建って居る。

説明板には「伝承によれば、式部は木津の生まれであり、宮仕えの後、再び木津に戻り余生を過ごしたといわれている」と有り、この五輪塔が墓石だという。

五輪塔は現代の切石基壇の上、石柵に囲まれ、ひっそりと建って居る。

奈良、宇陀市に有る「山辺赤人墓」に良く似て、凝灰岩製の簡素な造りの五輪塔。

高さ約130cmと小振りながら鎌倉前期の造立だとされる。

和泉式部の墓は京都「誠心院」のものが良く知られていますが他にもたくさんあるようです。

まあいずれ木津川の古名「泉川」から、土地の人が和泉式部と結びつけたものらしいのですが・・・

撮影2013.2.3


東近江市 建部の茅葺き民家

2015年05月20日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)滋賀県

ちょっと不思議な感じの茅葺き民家。

八日市市街から北へ約1km、愛知川左岸の田園地帯に肩を寄せ合う小さな集落で見付けた茅葺き民家。

深い棧瓦屋根の下屋に横長で浅い入母屋風茅葺き屋根がちょこんと載ってる風が如何にも妙だが・・・

家の表に家庭菜園を持ち、如何にも昔ながらの農家風情・・・・我が家も、周りの家も、子供の頃はみんなそんな風だった・・・

しかしよく見ると、ここでも棟終いの継ぎ目あたりに茅を抜いた形跡が有り、やっぱりアライグマの被害に遭ってるのかも??

こんな状況だと益々茅葺き屋根を守ろうとする意欲が削がれてしまうんだろうなあ???

動物愛護のきれい事もいい加減にしなきゃ・・・・。

撮影2014.3.19


八幡市 石田神社(いしだじんじゃ・いわたじんじゃ)の十三重石塔

2015年05月19日 | 石塔:石造物
 
八幡市、浜上津屋の石田神社境内に建つ十三重石塔
 
 
石田神社は木津川に架かるお馴染みの流れ橋畔に有り、古くは「牛頭天王社」と呼ばれ、境内には「福泉寺」という真言宗の神宮寺が有ったらしい・・・・

当然この十三重石塔はその寺の遺物に違いない・・・・

石塔は石田神社石鳥居の前道路を挟んで対面するように建ち高さ3.6mの花崗岩製。

比較的小さく低い基礎石は四面ともに素地で全く刻銘等は見つからない。

初層軸部には舟形の中、蓮華座の四方物を刻む・・・・これは正面西側

こちら南面・・・これが本来の西側阿弥陀如来

こちら、北面の薬師如来、本来は東面のはず・・・

こちらは東面・・・・多分何かの折東海下のだろうか??90度左に振れて建てられており、屋根上の相輪は肝心の九輪等を欠落している。

因みに南北朝期造立とされて居る。

撮影2013.1.11

 


大和高田市 萱堂(かやんどう)の四方仏

2015年05月18日 | 石仏:奈良

大和高田市、近鉄南大阪線浮孔駅裏、県道116号線に面する萱堂の四方仏。

四方仏とは言え四方を石柵で囲いその上撮影ポイントもなく光線状態も最悪・・・何とか西面は撮影出来たが・・・

多面はそれこそ何が何やら状態・・・北面には十一面観音像と天部像が刻まれ、平安後期の造立だとされるが、とても確認できた物ではなかった。

いくら古くても、これではちょっと口惜しい

撮影2012.11.19


旧山城町 椿井大塚山古墳

2015年05月17日 | 風物:陵墓

 我が南山城最大の前方後円墳である椿井大塚山古墳。

前方部と後円部の狭間をJR奈良線がぶち抜き、切通しの土手と成っている。

前方部には、古い時代からそれとは知らずに集落が形成され、今もそのままの形での生活が続いている。

古い時代には後円部だけの円墳だと思われて居たようですが、昭和28年(1953)国鉄奈良線拡幅工事により石室が見つかり、当時最多の三角縁神獣鏡32面が出土大騒ぎとなった。

墳丘は全長175m、後円部の直径約110m、高さ20m・・・見た目、小高い竹藪を拓いた丘に過ぎない。

この古墳は往時「太政大臣(藤原)百川」の墳墓だと言い伝えられて来たが、実際は不明のまま・・・。

 そんな事など、どこ吹く風と電車は墳丘の狭間を、今日も駆け抜けて行く。

 

撮影2013.1.17


旧五個荘町 山本の茅葺き民家

2015年05月16日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)滋賀県

旧中仙道、五個荘町に残された茅葺き民家。

この付近の旧街道筋には点々と茅葺き屋根の古民家が残されており、懐かしい街道筋の景観を彷彿とさせて呉れるのに一役かって居る。

一見、特別上級農家の様な佇まいでは無く一般農家だろうが茅葺き大屋根は大きく立派

街道筋に平入、入母屋造りの屋根を持つが棟終いの瓦はこの付近独特のものみたいでみんな同じ物を使ってる。

一筋東へ行ったところにも茅葺き民家が残ってる

撮影2014.3.19


大和高田市 小池寺前の石棺仏

2015年05月14日 | 石仏:奈良

 

 大和高田市小池寺門前のお堂に安置されて居る地蔵石仏。

小池寺は近鉄大阪線「大和高田駅」西へ1.4km、国中(くんなか)平野独特の農業溜池を村外れに持つ古い集落。

その溜池の北側に小池寺という寺があり、その門前「若宮神社」参道脇の空き地に一間四方の堂が建つ。

石仏は所謂石棺仏で古墳時代の長持型石棺の蓋内部に地蔵を彫ったもので外側に縄掛け突起が残って居ます。

高さ175cm幅約1m程の石棺内壁に蓮華座を造り、像高約80cmの定形地蔵立像を中肉彫りで刻み出している。

その作風は天理市柳本に残る建治型石棺仏と同様の特徴を持ち、鎌倉中期の造立。

しかし、向かって右上方を大きく欠落、胸部から頭部にかけても酷く傷んでいて何があったのかと・・・・・

撮影201.12.14


橿原市中町 浄楽寺釈迦如来石仏

2015年05月13日 | 石仏:奈良

 

奈良、橿原市中町の常楽寺門前に安置された如来石仏。

中町は橿原市の北端に近い準農耕地帯の一角、現在は新旧一体化した住宅街に成っているが、少し前までは古い農村だったことを窺わせる佇まい。

そんな集落の檀那寺である浄楽寺の門前辻の角に石祠が二つ並び建ち、向かって右手の石祠には中型の如来石仏、他方には小石仏が五体ほどが安置されて居る。

石祠は新しく大谷石で加工されたものだろうが??なかに安置された石仏はかなり古そう・・・

高さ約1m足らず、舟形光背を負い蓮華座に端座する右手施無畏印、左手与願印の釈迦如来を丸掘りに近く厚肉で刻み出す。

信仰篤かったと見えて目鼻立ちは無く見事にツンツルテン・・・・蓮座は供台に隠れて見えず造立年代確定には欠けるが、室町後期の作風だとされて居ます。

撮影2012.12.14