愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

守山市 聞光寺の茅葺き屋根

2015年04月30日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)滋賀県

湖岸に近い守山市八島町「聞光寺」の大きな茅葺き屋根。

湖岸穀倉地域のど真ん中、住所は八島町だが荒見町とどこが境界か解らない・・・・一体化した集落の南西端境内を持ち、大きい入母屋茅葺き屋根の本堂が建って居る。

寺の本堂らしく大きな屋根には大きな棧瓦葺きの箱棟が載っている。

このあたりでもやっぱりアライグマ出没するのだろうか??

入母屋のあたりと箱胸と茅葺きとの境あたりには細かい目の網が設けられ、小動物の侵入被害を喰い止めようとして居る。

今や茅葺き屋根の最大の敵はアライグマ、ハクビシンかも知れない。

撮影2014.3.19


大津市 大石の茅葺き民家

2015年04月29日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)滋賀県

大津市大石の旧在所で見付けた茅葺き民家。

大石は琵琶湖から流れ出す瀬田川が、その下流で宇治川に名を変える辺り、京都府宇治市と府県境を接する。

鹿飛橋(ししとびばし)近くに一軒だけ残っていた茅葺き民家・・・・若い人が居るのだろう??洗濯物も車もも若者用・・・・・・農家風茅葺き民家だが、現在は土木建築関係の仕事をしてるような佇まいだった。

それにしても傷みが相当酷い様なので今回はこれが見納めに成るかも??

撮影2014.3.19


旧五個荘町 和田の茅葺き民家

2015年04月28日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)滋賀県

旧五個荘町、和田集落で見掛けた茅葺き民家。

和田集落は愛知川左岸の単独峰、和田山の南面山裾に50軒ばかりが軒を連ねる古い農村集落。

集落入口近く、在所道に面して腰板白壁塀に囲まれ、格式高そうな茅葺き民家が建っている。

格式高そうな屋敷構えにしては茅葺き大屋根を抑えるトタン棟がどうも不似合い・・・

入母屋造りの破風には琵琶湖の葦でつくられた・・・・・

前垂れ飾りがが誇らしげに付けられて居た。

撮影2013.4.29


野洲市妙光山 出世不動明王磨崖仏

2015年04月27日 | 石仏:滋賀

出世不動尊の名で呼ばれる不動明王磨崖仏。

先日の阿弥陀磨崖より200m程奥に詰めると、ふもと妙光寺集落の「宗泉寺」奥の院とされる出世不動明王院の立派な建物が見える。

不動磨崖仏の刻まれた大岩の前には立派な礼拝堂が設けられ、信仰篤く、今に信仰の途切れる事はない。

不動磨崖仏は礼拝堂の中から拝せられるが、薄暗く、光線状態も決して良くない。

磨崖仏は高さ幅ともに10mを越す巨岩西面の窪みに刻まれて居るが、堂内の為、引きが少なく思うようには撮影出来ない。

拙い写真では非常に分かり辛いが・・像高、約1m足らず、尊顔部のみ浮き彫りに成っており、他は全て線彫りと言う変わり種・・・

辮髪にしない頭上には蓮花台を載せ・・・一般に見かける憤怒相ではなく随分穏やかな印象の不動明王です。

おそらく鎌倉後期の造立とされ、火炎は彩色されて居たのだろうと考えられて居ます。

往古、付近は石造文化が花開き発展した土地・・・境内にも多くの小石仏が残され・・・

中には結構古い時代のものも残されて居る。

撮影2013.4.29


野洲市  妙光寺山の阿弥陀磨崖仏

2015年04月26日 | 石仏:滋賀

素晴らしい景観を目の前にする阿弥陀磨崖仏。

この先にある出世不動尊へ友と一緒に出かけ、不確かな情報のままに出逢えて感激の磨崖仏。

 

 よくぞこんな所で人知れず待って居てくれたと、二人して感謝感激雨霰・・・

 大岩花崗岩の正面に二重枡形を彫り沈め、中に蓮華座に座す、定印阿弥陀如来を中肉で刻み出す。

像高50cmにも満たず、像容もそれほどとは思えないが・・・かと言って近世仏ではない。

 往古より神奈備山として崇められた三上山(近江富士)と、相対峙するように坐している。

車はこの辺りまで・・・・・

撮影2013.4.29


湖南市東寺墓地 その他の石仏

2015年04月25日 | 石仏:滋賀

今日が3回目の東寺墓地の石仏・・・・ひとつの墓地で三回も費やすなんて珍しい・・・・

墓地内に単独で立っていた中型阿弥陀笠石仏??。

石仏は舟形状自然花崗岩に枠を残し、舟形光背を彫り沈め、中に蓮華座に座す来迎印阿弥陀如来坐像??を中肉彫りで刻み出す。

笠石上の擬宝珠は欠損するも当時の侭と思われる笠石は力強い軒反りを示し、如来坐像も古い様式を良く残し力強く南北朝期をを下らないかも??

よくぞ残って居てくれた感が強い石仏です。

 

一方墓地脇に無数に並べ建てられた小石仏群に二基の大きな五輪塔・・・

 

 中の一塔、向かって左側塔の地輪、左側面には舟形の中、阿弥陀と薬師と思われる二如来石仏を刻み出している。

こんな五輪塔は見た試しがない。

撮影2012.11.9 


湖南市 東寺墓地の石龕仏

2015年04月23日 | 石仏:滋賀

前回と同じ東寺墓地にある一際石仏ファンを喜ばせる様な石龕仏です。

石龕は墓地内に入ってすぐ、右手脇に置かれ異彩を放って居る。

大きい基礎石の上に三面の板石を立て、上に大きな笠石と擬宝珠を載せ、実に立派で堂々とし、屋根石も大きく力強い。

奥壁中央に大きく阿弥陀如来坐像だと思われるレリーフ調の陽刻が有り、頭上に円光背が陰刻されて居る。

相対する側面には同様の五輪塔が、これも薄く陽刻されて居る。

石龕の上部が煤けて居るのは中で薫香を焚いて居るのだろうか、現在もそんな様子が窺えるのだが・・・・

因みに造立は南北朝期を中心とする辺りでしょうか??

撮影2012.11.9


湖南市 東寺墓地の地蔵石仏

2015年04月22日 | 石仏:滋賀

 

旧石部町東寺の古い墓地に残された地蔵石仏。

東寺集落は阿星山を中心に奈良時代に興隆された良弁創建の古刹「長寿寺」の門前集落、その地の共同墓地にも古い石造物がいたる所に残されている。

共同墓地は集落の中央辺り、公民館の裏手に広い敷地を持っている。

集落の中央を走る在所道から入る墓地入口の左右に、一対の地蔵石仏が立っている。

地蔵石仏は左右二体で一対、姿形も殆ど同じ、立派な二重蓮華座に立つ、総高約90cm、像高約60cmの定形地蔵。

ただ、向かって左手の地蔵石仏には四角形の基礎石が有り側面には二区画に区切って格狭間を設けている。

右手の地蔵菩薩には基礎石が見つからず、欠損したのだろう??

短い柄の錫杖や蓮台、格狭間の様式などから鎌倉後期の造立と考えられる様です。

撮影2012.11.9


三重県 伊賀市丸柱 みのいし地蔵

2015年04月21日 | 石仏:三重

 

車窓からたまたま見付けた「みのいし地蔵」

伊賀焼調理鍋で名を馳せた長谷製陶の前を通って、阿山音羽方面へと抜ける旧道脇に「みのいし地蔵」の看板を発見・・・思わず車を停車。

これはと思しき杉の木立の根元を見ると・・・あっと驚き、予想に反して磨崖仏の刻まれた大石が有った。

 杉根が岩を喰み、なんとも言えぬ魅力的な景観を醸し出している。

 石仏は山形の大きな花崗岩の正面に舟形を彫り沈め、中に大きな錫杖を持つ定形地蔵立像を中肉彫りで刻み出している。

 磨崖石仏は略式化が進む、中世末期から江戸初期の造立だと思われますが・・・石仏足元下には細い谷川の流れが有り、その流れに沿って旧道が磨崖仏の前を通って居たのだろう。

 

過ぎた昔日の面影を今に伝えているような気がする磨崖仏です。

撮影2013.11.20


橿原市 久米寺の七重石塔

2015年04月20日 | 石塔:石造物

橿原神宮近くの久米寺に残る古びた七重石塔。

久米寺と言っても明日香に残る奥山久米寺の事ではないので要注意・・・ちょうど橿原神宮森の南側近鉄大阪線が橿原神宮と久米寺境内を引き裂くように通過している。

聖徳太子の皇弟である来目王子創建説と、久米仙人創建説があり、真言宗御室派の別格本山。

 

古びた七重石塔は、奈良から西へ二上山を越えた太子町、聖徳太子の霊廟のある「叡福寺」に残されたものと同じく、見慣れた花崗岩じゃなく赤っぽい凝灰岩製で異彩を放つ。

石塔は境内参道脇、木造多宝塔前の植え込みの中、正面を西向きに建っている。

高さ2.4m、塔身、月輪内に雄渾な書体で金剛界四仏の種子を刻み、基礎石は土中に埋められ、五・六層目の屋根は大きく欠損する。

一目見ても解るように七層目の屋根石と相輪は全く石質の違う後補の物が載せられて居る。

 屋根石の軒反りは直線に近い真反(しんぞり)を示し、 平安時代後期の蔵立だと言われて居ます。

 

撮影2012.11.14


桜井市下り尾 弥勒堂の石仏

2015年04月17日 | 石仏:奈良

前日、清滝不動よりの帰り道で見付けた石仏さん。

下り尾山中、枝集落の道端に小さなお堂を発見・・・

近づくと弥勒堂と書かれ、格子戸の奥に石仏が安置されている・・・・・格子戸は、はめ殺しの為、小さなコンデジを升目から差込撮影。

高さ1m程の舟形自然花崗岩に鏨痕の残る粗い整形を加え、定印を組む如来坐像を半肉彫りで刻み出す。

弥勒堂とは書かれているものの、どう見ても定印の阿弥陀如来坐像・・・・・下部蓮華座に結跏趺坐するようですが詳細は不明。

残念ながら材料不足で造立年代は不明です。

帰り、下の「下り尾」集落付近から見た景観は美しかった。

撮影2012.11.14


桜井市下り尾  清滝不動磨崖仏

2015年04月16日 | 石仏:奈良

桜井市南端部、音羽山中に人知れず在る清滝不動磨崖仏。

清滝不動磨崖仏は桜井市街より国道166号で南下、下り尾集落の入口あたりを右折、どんどん山間部をめがけて進んで行くと、突然「下り尾」の枝集落が現れる。

こんな山間部にも家は建ち、人の生活が有るのかと???

集落の空き地に車を捨て置き、どんどん奥へ奥へと進むこと・・・・・

約20分ほども歩いただろうか??右滝への標石・・・

谷川沿いを奥へ奥へと詰めると、小さな小屋と小さな祠・・・

その背後に音を立てて岩を噛む二筋の滝・・・簡素な祠を前に左に雄滝、右に雌滝、合わせて清滝と呼ぶらしい。

 

問題の不動磨崖仏は雄滝と雌滝を隔てる岩肌の中央辺り・・・(滝の前には白竜大神、黒住大神の文字が刻まれて居るが、その意味は知らない。)

 岩肌に火焔光背を彫り沈め・・・・

 中に小さいながらキリッとした不動明王立像を刻み出している。

 

 磨崖石仏は一目で近世仏だと判る江戸期の造立・・・石仏としての価値よりその景観が良い。

撮影2012.11.14


栗東市伊勢落 徳生寺五重石塔  

2015年04月15日 | 石塔:石造物

昨日の続き、栗東市伊勢落 徳生寺五重石塔と寄せ集め宝筐印塔・・・・

境内右脇、鐘楼に向かって左側に建つ徳生寺五重石塔はすっかり剛健さの抜けた華奢な造り・・・

基礎石の格狭間にせよ、初層塔身の四方仏にせよ力なく・・・・勿論当初の物が全て残って居るのかも疑わしいような??

同じく鐘楼右手脇の寄せ集め宝筐印塔・・・・・傍らに層塔三層分の笠石と相輪部の残欠が見える。

笠石と基礎石は宝筐印塔のものですが、はてさて軸部塔身は一体何を転用したものなのか??

 

笠石の上に乗ってるのも五輪塔のもの・・・塔身は小さな宝塔の塔身のような感じで四方物が刻まれている様な・・・

この寺には様々な石像物が寄せ集められている

撮影2012.11.9


栗東市伊勢落 徳生寺の・宝筐印塔

2015年04月14日 | 石塔:石造物

栗東市伊勢落「徳生寺」の宝篋印塔です。

徳生寺は草津宿から石部に向かう旧東海道が通過する古い街道筋、その昔は伊勢へと向かう斎宮の禊場があった処として「伊勢落」の地名が残る。

江戸時代には東海道石部宿に隣接する立地から、薬や酒などを扱う店ができ賑わった。

そんな集落の東端部に現在浄土真宗本願寺派の徳生寺」が建ち、その奥、地続きの杜には「壽泉神社」が鎮座しており、無関係だとは思えない。

徳生寺宝篋印塔は高さ223Cm、切り石基礎の上に反花座を設け、更に四面とも輪郭を巻き、内に格狭間をつくる基礎石を・・・

 

 基礎石上端二段の上に金剛界四仏それぞれの種子を刻んだ塔身、

更にその、下二段、上六段、隅飾は二弧輪郭付の笠石を載せている。

相輪も当初の物が載り完品・・・・鎌倉後期の造立とされるが、全体に力強さが見られず華奢にまとまっている。

何故こんな風に成っているのだろうか??

撮影2012.11.9


東近江市 湧泉寺の宝塔??

2015年04月13日 | 石塔:石造物

先日の続き、湧泉寺山門脇の小さな堂内に地蔵石仏と共に安置された宝塔??

ん~・・・・しかし、よく見ると何かおかしく、何処となく妙なバランス・・・

屋根は宝筐印塔の物・・・その上に載るのは五輪塔の空風輪??。

塔身軸部は扉形を配し、首部も丁寧な仕様となっている・・・・しかしよく見ると基礎石もしっくり来てない。

基礎石は上部に反花座を設け、縁を巻いた中、大きく格狭間を設けている。

各部別々に見れば良くできた石造物の寄せ集めですが・・・やっぱりどこか変ですね。

寄せ集めなければ為らない哀しい過去が見える様です。

撮影2012.11.9