愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

富川阿弥陀三尊磨崖石仏

2007年10月28日 | 石仏:滋賀

この地を訪ねるには、車を利用するのがいい。

ここは滋賀県大津市といえども京都府宇治市と境界を接する山間部で、いわゆる湖南アルプスの背後に当たる過疎地で、公共交通機関のアクセスは悪い。

僕の住んでいる地域からはさほど遠くなく車で約30分足らずで到着する。

琵琶湖から流れ出した瀬田川が宇治川と名前を変える、鹿跳(ししとび)橋から信楽朝宮に抜ける国道422号線を南下すること約10分足らずで、信楽川沿いに立った、磨崖石仏の看板が見える。

川沿いから下に下りる道路が設けられ駐車場も用意されていて、今でも耳垂れ不動と呼ばれ信仰が篤い。

元、岩屋明王院のあったところで、耳の病に霊験が在ると親しまれている。

信楽川ふちから、岩だらけの参道を登ること約10分、少し開けたところの対面する巨大な1枚岩にこの阿弥陀三尊が彫り刻まれている。

主尊野阿弥陀の顔が何処と無く漫画チックに見えるのは片方の目が碧眼のように見えるからなのだろうか?それとも顔の肉付きが阿弥陀にしては」そげ落ちてるからなのだろうか??

主尊阿弥陀坐像は像高3.64m、脇侍の観音、勢至立像はともに3.9m、鎌倉期の特徴をよくあらわしていて岩屋明王院の主尊であったと考えられている。

今ではこの石仏の前に粗末な拝所??が設けられているに過ぎず、栄華盛衰、世の習いが如しのたたずまいです。

撮影2005.5

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高島市 鵜川四十八体石仏。

2007年10月21日 | 石仏:滋賀

この地を訪れたのは、昨年の遅い秋が終わりを告げているかのような12月10日。

琵琶湖湖西の地、湖上に赤い鳥居の立つ白髭神社を過ぎてすぐ左山手に入る道路へ進入すると自然にこの石仏が並ぶ墓地に着く。

墓地の大銀杏が黄金色の葉をすべて墓地に敷き詰めた直後の訪問で、見事な金の絨毯上のこの石仏たちに出遭うことが出来た。

この石仏は、近江守護職の佐々木六角義賢が無き母の追善供養のため、居城の観音寺城の彼岸にあたるこの地に弥陀の四十八体石仏を安置したものであるという。

室町後期、天文二十二年(1552)の像立、いずれも高さ1.6mばかしの花崗岩の丸彫りで、禅定印を結んだ阿弥陀如来です。

しかし前回紹介したように十三体は坂本の慈眼堂に移されています。

現在では33体しかありません、勘定が合わないようですが後の二体は昭和62年10月に盗まれたそうです。

こういう、やからが居るから最近では石仏までもが厳重に祠の中にしまわれて、祀られていることも多い。

これは石仏の本分では無いだろうに・・・・・。

撮影2006.12.10

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