近鉄京都線小倉駅北東約1.5km、旧大和街道沿いによく目立つ大きな鎮守杜に鎮座する式内社・巨椋神社(おぐら じんじゃ)は旧小倉村の産土神として崇敬されてきた。
境内は南北に細長く大木が林立する古い鎮守杜で、神宮寺だと思われる二寺院が並んでいる。
『延喜式神名式(延喜式神名帳)』(927)中「久世郡 二十四座 大十一座 小十三座」の「巨椋神社」に比定され、 古代(奈良時代-平安時代)、巨椋氏の氏神として祀られたとみられている。
平安時代初期、第52代・嵯峨天皇(786-842、在位809-823)の勅命により創建されたとも言い、平安時代末期、藤原氏を祀り、春日神社と呼ばれ以後、近世(安土・桃山時代-江戸時代)まで、春日神社と称されていた。
巨椋氏は旧巨椋池の東、南部に住していたとされ、池には宇治川、桂川、木津川が流入し、古代より開発され港津が開かれ、当社もその氏神として祀られた。
本殿は覆屋の中にあってその姿をつぶさに拝観することは叶いません。
祭神は武甕槌神(たけみかづちのみこと)、経津主神(ふつぬしのかみ)、天児屋根神(あめのこやねのかみ)、姫大神(ひめのおおかみ)を祀る。
また、境内参道には第55代・文徳天皇皇子・惟喬(これたか)親王(844-897)が、子供の愛護のために創建したという子守神社が鎮座・・・祭神は天磐樟船神(あまのいわくすぶねのかみ)を奉祀。
この子守神社こそが巨椋連を祀った本来の神ともいわれ、地元では巨椋神社より子守神社でよく知られている。
撮影2015.7.30