愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

伊賀市槇山の勧請縄

2009年03月30日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

 


伊賀地方は近江や大和とともに勧請縄が多く残る地域です。


その中心地の伊賀上野北部丘陵地帯は阿山地域と呼ばれているところで、滋賀県の甲賀地域と山続きで接しています。



伊賀の縄は、ほとんどのところで川の瀬を跨いで掛けられていて、この伊賀地方の勧請縄の特徴です。



これは以前にも書いたように「厄は川からやって来て、村の富も川から流れだしてしまう」と言われていることに由来するようです。


ここ槇山は阿山地域でも一番奥地、甲賀寄りの河合川沿いに開けた里山集落です。


伊賀市中心方面からは県道40号線を北上、途中「阿山道の駅」を左手に見て約5分ほども走るとこの勧請縄の掛かる河合川を渡る橋に出る。


直ぐに交差点になっているが信号も無く、いたって交通量も少ない。



この交差点を右折すると少し空き地があるので車の駐車には事欠かない。



この辺りの河合川は道路よりかなり低いところを流れる谷川で、車を置いた空き地の川沿いに鉄製のポールが建てられ、対岸のクヌギの木の勧請木まで長さ約100mもあろうかと思われる長い縄が掛けられている。


谷川の両岸は深い竹林や雑木林に覆われていて、この縄全体を一望することは出来ない。



向こう岸に渡り雑木林を下りて水量の少ない河原に出ると、およその全体像が見える。



これは推量の域を出ませんが、上流側から見て右手に陰物、次に陽物と思われる藁飾り、右端には長い縄にしっかり結ばれて流れに漂っている草鞋が一足。



伊賀ではこうしたトンチじみた藁飾りが多く、微笑ましい。


たぶんに陰物、陽物は子孫繁栄、五穀豊穣の象徴、草鞋は集落から「お足」が流れださないようにとの願いなのだろう??


しかし草鞋を泳がせる勧請縄など聞いたこともないし、勿論見るのも始めてです。


撮影2009.2.21 


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森本神社の勧請縄

2009年03月29日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神


湖北高月町に勧請縄があると聞いて湖西へ出かけたおりに足を延ばしてみた。



湖北はオコナイと呼ばれる新年神事?、儀礼?の中心地として知れ渡っていて、勧請縄単体として紹介されているものはほとんど無いようです。


オコナイの中で縄(藁)を使った造形がたくさん有る様で非常に興味深いのですが、僕はまだ現場に立ち会ったことが無いので良く解りません。



ここで紹介する高月町森本神社の勧請縄は神社境内の二本の杉の間に掛けられているが、参道や境内への入り口ではなく本殿や拝殿と平行して掛けられているのが妙に気になります。



ロープ状の長い縄には何の飾り物も無くその中央に篠竹の矢を命中させていて、豊作祈願の悪霊払いの意味だそうでいずこも同じです。


この神社ではオコナイの一部としての勧請縄なのか?この縄がオコナイの代わりをしているのだろうか??


撮影2009.2.7


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大島半島の勧請縄

2009年03月27日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神


若狭小浜の隣町、おおい町大島半島の各集落にも勧請縄が残っているというので足を伸ばしてきた。


小浜から27号線で西へ約30分、おおい町、大島半島は関西電力の大飯発電所があるところとしても名高く、地方の小さな町にして公共設備の行き届いた町のように見受けられました。


おおい町の中心、本郷から連絡橋にて大島半島に入るが道路はよく整備され、海を見ながらの快適なドライブコースです。


約10分も走ると、海岸線に民家の建ち並ぶ南浦で、そこから海沿いの旧集落を縫って走る海岸道路へと入っていく。



道路マップで調べても旧集落の名前は出てこないのでなんとも情けないがこの海岸沿いに旧八集落が存在してることになっている。


海岸線を走る道路は新道で、旧集落内を縫って走る旧道に入って最初に見かけたのが旧畑村の勧請縄。



離合不可能な集落の密集した家並の片側の軒先と対面する電柱間に勧請縄が掛けられていた。


縄は約5~6m、小勧請には藁下がりを12箇所、それに木蔦の小枝付け下げている。


ここでは勧請縄を「はなんとう」と呼んでいて「花ん涛」=「華祈涛」のことだ言われているようです。


祈祷札は中央で片面には種種善根目録なるものが書き込まれ、さすれば村内安全などと解せる文字が書き込まれている。


 


この先をしばらく進むと大きな木立のトンネルをくぐるが、この木立と対面する電柱間の頭上に次の勧請縄を見つける。



これは脇今安の勧請縄らしいがここでは手作りの藁で縄を編むことは無く、太いロープを利用した縄になっている。



これは労力と最近確保の難しい藁収集の省力化を図ったもののようです。



ごらんの通りの勧請縄で祈祷札の表は畑村のものと同じです。


ただ、ここでは裏側が見えたので良く見ると藤原左近太夫が八人、藤原右近太夫が八人羅列してました。



この意味がまったく良く解りません。


次の、宮留集落がこの大島半島最終集落のようです。



幸いここでは、漁網作業中の人を見かけて縄のことを訊ねました。



少し怪訝そうに思われましたが納得してもらいその場所に行って見たところ、そこはこの集落の「ニソの森」らしく巨木が生い茂り、奥には小さな社が祀られていました。


この杜への入り口に金属製のポールが建てられ勧請縄が掛けけ渡されていました。


ここの太縄も太いロープが藁縄の代わりをしていて、小勧請も細めのロープが使われていて少し興醒めの感は否めません。


中央につけ下げられた祈祷札は、先の二例とまったく変わりません。



しかし裏側は少し違ってここではごらんのように、藤原姓で別々の名前が8人分書き込まれています。


最後に見たのは河村の勧請縄。



山手の集落への入り口と思われる、切通し上の崖の上手と片側道路脇の大きな木の間に勧請縄が渡されていました。


ここも前例通り、太縄、小勧請ともにロープが利用され省力化が図られています。



祈祷札の表は前例通りまったく同じですが裏面にはここでは20人以上の藤原さんが羅列されているようでした。


どうもこの藤原姓とこの大島半島の係わりが良く解りません。


これはただただ栄華を極めた藤原姓を呪具としているのだろうか??


 撮影2009.2.28


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若狭小浜 法海(のりかい)の勧請縄

2009年03月24日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神


法海集落は前回紹介した荒木集落からR27を山寄り に越えた集落のひとつです。



ここも集落の入り口と思しき変形の辻に鉄製ポールを両側に建て、その間に蛇縄を頭上高く泳がせている。



縄の造りは荒木集落の物と酷似していて、こちらでは蛇頭もよく見えたので望遠にて拡大撮影しておきました。


集落入り口で道きりとしての意味が大きい勧請縄だと思います。



荒木、法海の両集落ともに、集落内に不幸があるとこの縄は切り落されるということでしたが、幸いにして僕の訪れたときには健在でした。



蛇の頭には角のような縄飾りも有ってまるでそれは龍そのもの、おまけに12本の小勧請はその足のようにも見えました。


集落内位置から見た蛇頭はそれぞれに左向きです。



小勧請に付けられたもの、又祈祷札もまったく荒木のものと同一です。


ちなみに、この勧請縄は小浜に有る若狭歴史民俗資料館にも保存されているものがありましたので見せていただきました。



 参考のため、その画像も添付しておきます、蛇頭の様子がよくわかります。


 これは法海集落のものです。


撮影2009.2.28


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若狭小浜 荒木の勧請縄

2009年03月23日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神


若狭地方にも何箇所か勧請掛けの行われる地区が有るというので出かけて見ました。


若狭鯖街道の宿として栄えた旧上中町、熊川近くに二カ所という?


地元の教育委員会にも訊ねて確認の上での訪問でしたが二カ所ともに現在では廃止されていて悔やまれる事態になっていました。


現在ではよく見かける仕入れの合成樹脂で出来た大きな縄が掛けられていてちょっと興さめでした。



若狭に入って最初に見つけたのはこの小浜 荒川集落の勧請縄。


小浜市街からR27で西へ約15分程、トンネルを2つ抜けて直ぐ、小さな荒川地区と言う看板を見つけ海岸方面に入っていくと


集落の入り口だと思しき位置に道路を跨いでこの大きな勧請縄が掛けられていました。



一方は民家の塀脇に突き出した大きなヨノミの木?、片方は道路わきに建てられた木製の勧請杭の間の頭上高く、まるで龍が空を飛んででも居るかのように掛け渡されていました。


この地域でも勧請縄は蛇縄と呼ばれて一年の除災招福を祈念する行事です。



縄には藁で編みこまれた蛇頭が付けられ、いわゆる小勧請は12本、それぞれには鐙と呼ばれる栗の木の小丸太、又太縄には御幣をつけた同数の篠竹が突き立てられています。


海岸線近くの集落であって、海関連の何かが付けられていると思いましたがそのようなものは何もありません。



縄の中央には梵字が書き込まれた、区内安全、七難消即滅、七福即生の駒形祈祷札が付け下げられています。


こうした、本格的な勧請縄をこの若狭の地で見られたことはやっぱり嬉しい。



この若狭の地が古い歴史の中にあることを実感できた瞬間です。


撮影2009.2.28


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高島市マキノ町下の勧請縄

2009年03月22日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

 



小さな集落,野の木立に掛けられた勧請縄。


一見したところ道切りとしてより、山ノ神としての特徴を持ち合わした勧請縄だと思いました。



高島市マキノ町下はマキノスキー場のあるマキノ高原の対面に当たる山裾を流れる知内川沿いに開けた湖北の里山です。


この勧請縄がかけられているのは、大字下出の旧道と新道が交わる辺り、小さな木立のある勧請場のヨノミの木(榎木)と片方の添え木との間に掛け渡されています。



この縄は、男勧請、オシメ(男〆?)と呼ばれていて、隣集落、坂ノ下に掛けられる女勧請、メシメ(女〆?)と一対のものだといわれているようです。


これは明日香の飛鳥川に掛かる勧請縄と同様で興味深い。



残念ながら今回の訪問では坂ノ下集落のメシメはどうしても見つけることができませんでした。



男勧請の太縄の中央には見事なフグリが吊り下げられ、左3筋、右2筋の小縄が吊下げられていて、上部には幣をつけた篠竹が5本(1本はすでに落下)突き立てられていました。


勧請縄としては少し奇妙な5という数字が気に掛かります。



撮影2009.2.7


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八所神社の勧請縄

2009年03月17日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神


ここは,たまたま立ち寄って見つけた勧請縄、いわゆる湖西の勧請縄です。


大津市は馬鹿に広い地域をカバーしている行政区なのだなあと関心してしまう、この琵琶湖西岸南北30km以上もの地域をカバーしていて南端の大石辺りからだと、この大津市北端にある南船路までは車で約く1時間以上も掛かってしまうだろう。


市内の中心街である浜大津辺りから湖岸沿いに走る旧R161号線がJR湖西線の下をくぐる所、右手わき道正面に神社の石の鳥居が見える。



石鳥居の奥になにやら勧請縄のようなものが掛けられているのが見えて急遽立ち寄ってみることにした。


神社は広い鎮守の森に囲まれているものの、一の鳥居のある湖岸近くから二の鳥居のある境内入り口までの参道は、アスファルトの生活道路になっていて、境内も明るく開けたスペースになっている。



勧請縄は鳥居の背後、真新しい拝殿の前、境内参道を挟む二本の勧請木の間に渡されている。



太縄に12本の小勧請をたらし3段に分かれた樒の小枝をつけて約束どおり。



たったそれだけの縄だが思わず湖西で出遭えた勧請縄はうれしい。



撮影2009.2.7


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大森町、大森神社の勧請縄

2009年03月15日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神


大森町は旧八日市市と旧蒲生町の境界に続くなだらかな布引山山裾を流れる蛇砂川沿いに軒を連ねる里山集落です。


大森町の鎮守である大森神社は集落はずれの山裾、県道46号線沿いに大森神社の大きな石碑と石の鳥居が見えて直ぐにでも解る。



車も通れる参道は道路脇から一直線に山裾の斜面を駆け登っている。


山裾の参道は深い緑に覆われ、凛とした空気に包まれ厳粛さを演出してる。



参道脇の2本の杉の木を利用してはるか天上にこの勧請縄がかけられている。


縄は細く頼りなさ気であるが中央には蔓を使って環を造り、その中にドーマンの「しるし」を思わせる格子を造っている。


ただそれだけの単純素朴な勧請縄ですがそれだけに強力な呪力を持っているように感じるのはうがった見方なのだろうか???。



撮影2009.1.24


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白鳥若宮神社の勧請縄

2009年03月14日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神


これは見た通りのまことに単純な造形の勧請縄です。


八風街道と呼ばれる国道421号線で旧八日市の中心街から山手に向かい国道307号線を越え,やがて町並みが途絶えて田園風景が広がる辺りの右手集落はずれにある白鳥若宮神社。


これから山手に向けてはこの白鳥神社の多い地域です。 



 周りに田園地帯が広がり遠くには暖冬のせいか少しだけ雪をかぶった鈴鹿山系の山々見える。


風の吹き抜ける小さな境内は清掃がよく行き届き過ぎ、ガランとしていて何か物足りなさを感じないでもない。


ここの勧請縄は、境内の石鳥居の前にアルミポールを建て、両端に重いばかりの藁房をたれている。


これもこの地域から山手側に多いタイプの縄です。



この縄の上三箇所には、蛇を思わせる子縄を木串に挿し付け、突き刺している。


勿論、大きな藁房を付け下げた太縄も蛇をあらわしているのでここでは親子蛇と言うことになるのかも??


それ程にも蛇は神聖視されているのだと思う。



撮影2009.1.24


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安土町内野の勧請縄

2009年03月13日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神


内野集落は国道8号線、近江八幡市西生来町の信号で旧八日市方面に伸びる県道206号線に乗り換えて5分も走ると左手側に広がる集落です。



勧請縄は集落の八幡神社にかけられているものだと勝手に判断してましたが、神社についてもそれらしき気配はまったく見えません。



どこの集落でもそうなのですがこの時期、屋外にまったく人影は見えず、わざわざ民家を訪ねてまで聞くのも億劫だし、いつもうろうろして地元の人にとっては、かなりの不審者に見られているに違いない。



あきらめて帰ろうと、神社前から集落内に伸びる道路を少し進むと頭上高くに勧請縄が架けてあるのを見つけた。



八幡神社の参道だったのだろうか??、はたまた集落の入り口に当たる場所だったのだろうか?、道路脇に背の高い勧請柱が建てられ、両柱間にもかなりの丸太棒を渡してこの勧請縄をつり下げている。



両端に藁房を付けた太縄を勧請柱に沿わせて長く垂らし、縄の中央には杉の葉を巻きつけた輪のトリクグラズ、その中央には


表に天下泰平、村中安全、五穀豊饒、裏には、大壱月から~小十一月大十二月と、十二ヵ月が1行づつ箇条書きにされた祈祷札が付けられている。



12本の小勧請の端には杉の小枝を付け造形的にもまとまり良く端正な勧請縄です。


神社の参道にかけられることが多い中で集落の道路を跨いで頭上高くかけられたこの勧請縄は貴重です。


撮影2009.1.31
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黄和田,日枝神社の勧請縄

2009年03月11日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神


滋賀県東近江市黄和田町は東近江市市街より約30分ほども走った鈴鹿山麓にある小さな集落です。


八風街道と呼ばれる国道421号線で、禅寺の古刹として名高い永源寺を抜け、ダム湖脇をしばらく走るとやがて政所(まんどころ)。


政所で道路は2つに別れるがそのまま国道を進むとすぐに黄和田の集落なのだが国道はバイパスになっており脇道へとそれて集落内に入る。


集落のはずれ、なだらかに広がる棚田に対峙して日枝神社が鎮座している。


境内はきれいに整備されていて、清掃もよく行き届き、この集落の信仰心の篤さが伺われる。 




道路脇がすぐ境内になっており石の鳥居のすぐ奥にポールを建て、勧請縄をかけている。



太縄はポールに沿わせて長く伸ばし片方の端には大きな藁房を付けている。


このタイプの縄は八風街道沿い、旧永源寺地域に多いタイプのような気がします。



小勧請は12本、2段に分けて樒の小枝を付けている。



太縄の上には経木のように見えるものを付けているが良く解らなかった。



手水舎の柱にも樒の小枝を付けた縄飾りが付けられていました。


のどかな山里に残された勧請縄です。  


撮影2009.1.31 


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東近江市外町?の勧請縄

2009年03月09日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神


県道216号線のそば、東近江ちょこっとバス御園玉緒東部線広間バス停横に廃寺跡でもあるのか物ありげな空き地が有って、勧請縄が架けられていました。


空き地奥,バス通りに近い2本の勧請木にこの勧請縄がかけられているのを見つけました。



ここは集落の入り口に当たる場所なのだろうか??


2本の勧請木の間に青竹を渡しこの勧請縄を吊下げている。



太縄の中心に過ぎの枝を曲げて輪にしたトリクグラズをつけ下げ、上部の縄には幣を付けた三本の小杭(悲しいかな1本は地上に落ちていた)をつきたてている。


トリクグラズの左右には杉の葉と幣を付けた6本づつの小勧請を吊り下げてスタンダードの造形です。




二本の勧請木の根元には六光仏づつの祈祷札と幣を付けた小杭を突き立てている。


ここはこの地域の集落にとって神聖視された特別な場所であるのだろう。



撮影2009.1.24


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東近江市外町、若松天神社の勧請縄

2009年03月08日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

東近江市の中心街に程近い外町の若松天神社参道にかけられた勧請縄。


一の鳥居を越えて高い木立の中をまっすぐに続く長い参道中程の勧請木のはるか高いところにかけられている。



太縄の三箇所の藁下がりをつけ、真ん中の藁下がりを含めて中心には杉の小枝を曲げて輪にしたトリクグラズ吊り下げている。



勧請木の根元には町内安全、天下泰平の木札を突き立てています。



少し離れた木立の枝には杉の葉を両端につけた縄飾りがありました。


これはいったいなんだろう??



 まさに湖東は縄王国、湖国には特別な世界観があるような気がしてくる。


撮影2009.1.24


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河合寺町の勧請縄

2009年03月05日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神


東近江市を貫く愛知川堤防脇に位置する旧八日市市河合寺町も田園地帯の只中に有る」小さな集落です。



集落の中を縫う細い生活道路に面した八幡宮の参道に勧請木を建て勧請縄が掛けられている。



単純でシンプルな太縄の両端に藁房を着け、中央にはヒノキの枝を環状に曲げ縄の上部には三本の神札を巻きつけた木串を突きたてている。


  どうしてこうなのかと訊ねて見ても多分「昔からこうだから・・・・」という応えしか、かえって来ないだろう??。


撮影 2009.1.24


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大津市栗原、水分神社の勧請縄

2009年03月03日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神


湖西の栗原は大津市といえども、市街からは1時間近くも掛かる旧志賀町比良山系山麓に広がる集落で山裾に100軒ほどが軒を並べている。



これより湖岸沿いは和邇と呼ばれる地域で古代氏族和邇氏ゆかりの地で、この栗原もまったく無関係な土地だとは思われません。



集落の最奥近くにこの水分神社は鎮座していて広く長い参道の中間点あたりの勧請木に青竹を渡し勧請縄が掛けられている。


湖東で見慣れている縄とは少し造形が変わっていて、縄の中央に見られるトリクグラズに対応するものは無く何本有るのかもわからない程多くの子縄が垂れ下がり


それぞれに御幣とシキミの小枝がつけられている。



当然最近までは琵琶湖に橋など無く湖東と湖西は別の文化圏だったのだろうから納得の行く縄の造りです。



それにしてもこの縄は根気の居る作業だと思うことしきり。


境内は広くすがすがしく清掃が行き届いていて気持ちの良い神域です。


撮影2009.1.31


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