愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

蛭子神社の勧請縄

2009年02月26日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神


東近江市の旧集落を車で走っていると何処の神社に寄っても勧請縄」が吊られているような気さえする。


この縄も東近江市内の田園風景の中をブラブラ車で走っていてたまたま見つけた縄です。



柏木町は湖東の肥沃な田園が広がる純農業地帯でその真っ只中を貫く県道165号線脇にこの蛭子神社が鎮座している。



平地の小さな鎮守の杜に静まる小さな蛭子神社の鳥居越しにこの勧請縄が見える。


参道両側の勧請木の間に渡されている太縄に半円形に曲げた杉の小枝を吊り下げ綱の上には三本の幣を付けた棒串を突き立てている。


吊り下げている小勧請は無く,とてもシンプルな造形です。


ただ吊り下げられている杉の小枝が、なぜ環では無く半円形なのだろうかと??ちょっと不思議な気がします。


撮影2009.1.17


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竜王町岡屋、勝手神社の勧請縄

2009年02月24日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神


名神高速道が竜王町を南北に突き抜けているがこの岡屋の地は、その名神竜王インターにほど近い南側の丘陵裾野に開けた田園地帯に有る集落です



岡屋集落の中ほどに有る勝手神社は境内が良く整備されていて神さびた趣には少し欠けますが、天平年間創立の古い神社です。



大きい石の鳥居を潜り広い砂利の参道脇両側の勧請木の間にこの勧請縄が掛けられています。


参道が広いので勧請縄も長くて立派で、ここでは縄の中央に弓矢がつけられていて珍しい。



小勧請は3箇所に長く垂らされ、それぞれに杉の葉と幣がつけられています。


撮影2009.1.27


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京都市山科区、小山の勧請縄

2009年02月21日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神


名神高速道京都東インター直近の山科区小川中島町に有る勧請縄(地元では蛇縄と呼んでいる)です。


多分、高速道路がこのあたりを貫くまでは静かな里山風景の広がる旧集落であったに違いないような感じがします。



滋賀県と境を接する音羽山から流れる音羽川が山科川と名前を変えるのもこの辺り。


国道1号線から、山手に向かって住宅密集地を越え、名神高速の下を潜りぬけたあたりが小山中島町。


少し進むと右側に広い駐車場があってその向こうに三面側溝された音羽川が流れている。



駐車場奥と音羽川の狭い空き地に太い勧請杭が建てられその間に青竹を渡し、この蛇縄と称する勧請縄が吊るされています。


これは誰が見ようが確かに蛇にしか見えません、凄く解りやすい蛇縄です。


地元では山の神の蛇縄だと言う事ですが山の神としての機能は持ちあわせていないように私には見受けられます。



長さ約13メートル、ヘビと呼ばれる勧請縄を約三百束の藁を用いて作り、大きく開けた口は赤く塗り、みかんの目をつけているのは現代風アレンジかも知れない。


篠竹で輪にしたものに樒、松葉、御幣を付けた足を13本作り、そのうち12本を胴体に吊り下げ、残りの1本は音羽川の水源地とされる場所の木に吊り下げる様です。



鎌倉期より続けられているとされるこの蛇縄は、村人を苦しめていた大蛇を退治したところ村に災いが降りかかり、恐れをなした村人が大蛇の霊を慰めるため、藁の大蛇を祀るようになったという。



以来、大蛇退治があったとされる二月九日には「小山二ノ講(二九(にのこう))」に依って蛇縄が新しく付け替えらて居るということです。



湖東に多い蛇縄と共通点も多く、足と呼ばれている小勧請が12本有るというのも勧請縄の決まりごとのようです。


しかし赤い口と蜜柑の目玉は何処かしらユーモラスな大蛇に見えます。


1997年に京都市の無形民俗文化財に認定されています。


撮影2009.2.14


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天御中主命神社 (アメノミナカヌシノミコトジンジャ)の勧請縄

2009年02月18日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

 

この地を訪れたのは1月24日、いつもの年なら琵琶湖沿いのこの辺りにでも雪の形跡は有るのだろうが、今年は湖東平野部で雪を見ることはまずない。

 

湖岸道路を大津方面からひた走ってくると琵琶湖大橋脇をすり抜け、やがて近江八幡市に入り湖岸ではなく田園地帯を走る事に成る。


 

ちょうど湖岸から田園地帯に道路が湾曲する地点の左手に有るのが中之庄町で、神社は湖岸道路から旧道に入って直ぐの左手山裾に鎮座している。

 


道路脇に有る一の鳥居から長く平坦な参道を行くと、やがて二の鳥居を潜り短い石段の参道を上がると目の前はるか頭上に、この勧請縄掛けられている。


 

大縄は申し訳程度に少し太い縄で、小勧請などの飾りもないが中央には樫の葉をたっぷりに使った升の中にXマークが入ったトリクグラズ(この辺りでは鬼と呼ぶらしいが??)が吊り下げられていて珍しい。

 


 

勿論、邪気や悪鬼の侵入禁止のマークでなのだろう、単純明快すぎるのでちょっと拍子抜けの感も否めないが、まるで人が両手を挙げて通せんぼをしているようにも見える。

 

ただこの神社では鳥居の足や狛犬などいたるところに縄飾りがつけられて神社への信仰の篤さが伺われる。

 


境内はすがすがしく清掃されていて気持ちよく弓打神事でも行われて間もなかったのか、的や矢がそのままに残されていたのが目についた。

 

 

撮影2009.1.24

 


室生寺龍穴神社の勧請縄

2009年02月17日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神


この写真を撮ったのはもう随分以前、2007年3月11日。


たまたま春浅き室生寺を訪ねた時に見かけたもので、以前ここには何度も訪れているがここで見かけるのは初めてでした。


室生寺は、龍穴神社の神宮寺とも言われ、龍王寺と呼ばれていた時期もあったようで、室生寺と龍穴神社は切っても切り離せない関係のようです。



土門拳の写真集古寺巡礼でも有名な自然石の石段を登って正面に見える古色豊かな 室生寺の金堂脇、向かって右手に拝殿があってその奥に小さな祠が鎮座しているのが見える。


これが龍穴神社の遥拝所ですが、何の説明板もなくまったく、なんだか解らない状態になっています。



この正面に1本の神木があって、それにこの龍を思わせる勧請縄が掛けられていました。


僕の覚えている範囲では、 毎年10月10日に村人で龍の形をした勧請縄が造られ、例祭の10月15日にはこの拝殿横の大杉にその勧請縄が掛けられ7回半龍穴の神にお渡りを請い、その後この縄は、龍穴神社の神木まで運ばれる・・・・・・・。



ということになっていましたが、どうもその縄ではなく、僕の見たこの勧請縄はもっと新しいもののようですし、現に三月十一日にもこうしてここにかけられていました。


もしかして秋とこの時期の2回行われているものかも知れないなあと思ったりしています。



たまたまここを訪れた日は風が強くこの龍縄は風に揺られてなびく様は、まるで龍が体をくねらせて宙に向かって駆け上がるように見えました。


なお龍穴神社神木の縄は以前にも僕のこのブログでも紹介しています。


撮影2007.3.11


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橿原市見瀬八幡神社の勧請縄

2009年02月16日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神

橿原市は万葉の時代を偲ばせる大和三山(畝傍山:耳成山:香久山)のただ中にあり、その中央には約1300年前にわが国初の首都であった藤原宮跡があります。


その他、市内には歴史的文化遺産が点在していて、古代史ファンには垂涎の土地です。


神武天皇稜脇の橿原神宮の直ぐ近く、飛鳥散策の玄関口近鉄岡寺駅との中間辺りに位置する見瀬町の八幡神社に掛けられた勧請縄。



見瀬町付近は、新旧混在する町ですが、町の西方小高い丘の上に鎮座する八幡神社の杜だけは開発の波から逃れた別天地です。



大蛇を模したといわれる太い縄は参道から境内に上る石段の最後、石鳥居の前方両脇に有る二本の樫の木に取り付けられている。



大蛇といわれる綱の中央にはフングリと呼ばれる俵状の藁飾りが吊り下げ下げられていて小勧請はなく紙の幣が取り付けらている。


勿論フングリはフグリ(陰嚢)のことで♂のシンボルを現している。



ここから程近い飛鳥の稲淵集落の飛鳥川に掛かる勧請縄には♂のシンボル(陰茎)そのものの形をした藁飾りがつけられていて有名です。


地理的にも近いこの地では何故フグリなのか・・・・・。



いずれにせよ、命の再生産装置としてのフグリを着ける事によって子孫繁栄、五穀豊穣を願った物で有ることには間違いがないと思う。


縄としてはシンプルな造形だがそれだけにインパクトが有る。


撮影2008.4.13



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奈良市中畑町の勧請縄

2009年02月12日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神


久しぶりに奈良方面に勧請縄訪ねてみました。


  


名阪国道が天理東のインターから山越えで伊賀方面に向かうとやがて急なヘアピンカーブにさしかかり、道路の下の方に小さく集落が見え隠れする。


このヘアピンカーブの谷間の傾斜地に棚田を開き、その上部にしがみつくようにして中畑の集落がある。


集落へは名阪五ヶ谷インターを降りれば直ぐ近くなのだが馬鹿ナビはとんでもない遠回りを教えるかも知れないので要注意。



いずれにせよ集落の入り口辺りの小さな小川の暗渠になった部分の上部にこの勧請縄が掛けられている。



両側に低い勧請杭を建て重いほどにシイ?の小枝を付けた小勧請が向こうの見えないほどにたれ下がっている。


当然ここが昔からの集落への結界であった場所で有ることは頷ける。



太縄の上部には御幣を付けた串が刺されているが雨除けのためかビニール袋がかぶせられて少し艶消しでしたが・・・、まあそれも愛嬌かと笑ってしまう。


 


撮影2009.2.8


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矢放神社(やはなちじんじゃ)の勧請縄

2009年02月09日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神



吉川集落矢放神社は前回紹介した小浜とは目と鼻の先ですがこちらは野洲市で小浜は守山市となっています。


矢放神社というのはこの地の地名の由来になって居るのでもなくあまり他では聞いたことの無い神社名です。


この地も前回の小浜地区と同じく琵琶湖岸に開けた純稲作農業地帯で。



境内は明るく開けていて、中央には真新しい拝殿がでんと構えていて、その前の二本のヒノキの勧請木にこの勧請縄がかけられていました. 


このあたりの神社ではよくヒノキを見かけますが杉じゃなく何故ヒノキなのだろう??





勧請縄は、木の間に渡された竿竹につけられ、縄の上部には12本の串に挿された御幣があって、中心部には蔓性の環があり、ヒノキの小枝が飾られていています。


写真ではよく見えませんが環の中にはセーマンの星のマークが蔓で作られていて納得の勧請縄です.


撮影12009.1.11


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近江八幡市白王町若宮神社の勧請縄

2009年02月07日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神



近江八幡の市街からほど近い琵琶湖東岸と近江水郷として知られた西の糊の間にに広がった水田田地帯の一角に位置する白王町。



湖岸道路と琵琶湖に突き出した半島の山裾に白王の集落が在って、集落の東外れの斜面に若宮神社が鎮座している。



 



田んぼの中を突き抜けて、白い石の鳥居を潜ると急な石段になっていて、ちょうど境内に入るところの両側の勧請木に勧請縄が掛けられています。





この縄の形状は八幡市の隣町である能登川町の伊庭で見られる勧請縄に酷似していて集落間のつながりが感じられる。





しかしこんな目立たない神社にしては手の混んだ美しい縄です。


撮影2009.1.24


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武佐の勧請縄

2009年02月05日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神


近江八幡市南部に位置する武佐の集落はその昔中山道六十七次の宿場町として栄えた町で雰囲気のある町並みが残っている。


国道8号線の友定町の交差点を南折、300mも走ると左側に武佐町の大きな案内板が見える.


勧請縄のある武佐神社は、その武佐交差点を左折して暫く行くと右手に広く開けた境内が見える。





明るく開けた境内は鎮守の杜という雰囲気はなく誰でもが散歩途中にでも気軽に立ち寄れそうな神社でその分少し厳かさには欠けるかもですが???。



石造りの大きな鳥居を潜ると境内奥の正面に二本の大きな樹が聳えていてその間に勧請縄が湖東の強風に翻っていました。




向かって右側の樹はかなりのケヤキの巨木で、見た目にはほとんど変わらなく見えるのですが右側はムクの大木です。



太縄の中央には蔓で環を造り杉の小枝で覆って、環の左右太縄の上部には棒にさした幣を立てていて、左右には6本づつの小勧請を吊り下げ、榊の?葉を挟んでいる。




中央の環と上部の幣を鬼と呼んでいると言う事のようですが、ちょうどこの勧請を掛けたと言う年配の氏子の人が居られたので少し話させて戴き、真ん中に吊り下げられた環をどう呼んでいるのか訊ねて見ましたが特別な呼び名などないと言うことでした。



それより、この縄はつい最近までは別の場所に掛けていたのですが、最近になってこの場所に架けかえて人目にもつく様になって、造りがいも有るようになったと言うことでした。



ただ見る分には良いけど造るのは大変で、いつまで続けられるかは、わからないということでした。



ここで教えてもらったのですが、この武佐にはもう一つ勧請縄が掛けられているということでそちらの方にも伺って来ました。



神社と交差点の中ほどの町並の中を南にに折れるとすぐにこの勧請縄が見つかりました。




小さなお堂の有る四つ辻の電柱と杉の木の間にこの勧請縄が掛けられていて、その形状は神社の縄をそのまま少し小振りにした縄でした。



本来、神社の縄もこうした集落の辻屋入り口の道路上に渡されていたものだったはずです。




撮影2009.1.24


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走田神社の勧請縄

2009年02月03日 | 勧請縄:山の神:野神:人形道祖神


京都市内方面で勧請縄を見かけることは先ずない。


京都市内ではないが殆ど市内に近い長岡京市の西山山中に有る奥海印寺集落の走田神社には数少ない勧請縄が掛けられている。



竹の子料理で有名な長岡天満宮脇の道を西山の山中に登っていくと、この地独特の竹やぶを越え、すぐにこの奥海印寺の地に着く。


社名の『走田』は、初穂をつくる田の意味で、早稲田の守護神だったようです。



新興住宅が迫っているとは言えまだのどかな雰囲気が残る集落のはずれの山すそにこの走田神社が鎮座していて長い石段参道の中段に勧請縄が掛けられている。


黒く塗られた鉄製のポールに青竹を渡して勧請縄が掛けられ、重いほどびっしりに榊の枝をつけた小勧請が十二本吊り下げられている。



この形式は勧請縄の多い近江では見かけないもので、ここからは近い大阪摂津方面で見かける勧請縄によく似て


その昔はこの地と攝津は同じ文化圏であったのだろうかと想像させられる。



撮影2009.1.24


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