デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



広通橋の上から

広通橋の石畳と現代のタイルの川岸の境目がくっきりしていた。

古代の海洋生物のカメロケラ
スの貝殻みたいなものが奥の
清渓広場に建てられていた。

広通橋の上にあがって清渓川を眺めた。事前に知ってはいたが、本当に人工親水河川になっている。
今の清渓川は21世紀に入ってから、李明博大統領がソウル市長時代に事業着手したもので、任期中に完成までこぎつけた。水は漢江(ハンガン)からポンプで持ってきているというから、それだけでもこの川へのこだわりが察せられよう。
第二次大戦前の清渓川の写真を見ると、清渓川がかつて朝鮮王朝時代の遷都の際に風水地理の判断に大きな影響を与えた、歴史上大事な由緒ある川だったことが分かる。
ただ、戦後の韓国の高度成長の時代、戦後の歴史意識ではそこに意を払われなかった。「清渓川復元事業」着手前の「清渓川の場所」は蓋をされて高架道路になっていたことはその典型だったといえる。とはいえ、今となってはそのことが話題にのぼることがほとんどないように思う。



つまり、今の清渓川は「清渓川復元事業」で高架道路を撤去して都心につくりあげられたものであり、「復元」された姿はかつての郷愁漂う流れとは全く異なる市民の憩いの場と化したものなのである。



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