音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■ 岡本文弥さん 百歳の演奏会、生涯忘れ得ぬ感動 ■

2011-10-02 00:50:42 | ■伝統芸術、民俗音楽■

■ 岡本文弥さん 百歳の演奏会、生涯忘れ得ぬ感動 ■
                                      2011 . 10 . 2             中村洋子

 

 

★2011年 9月 25日の東京新聞・芸能欄、

「 反戦と労働者の立場に立ち、“ 赤い新内 ( 左翼新内 )  ”と

呼ばれた岡本文弥が、百一歳で他界して15年 」 、

「 10月 9日 午後 6時半から、旧東京音楽学校奏楽堂で、

≪ 岡本文弥没後 十五年祭 ぶんや恋しや新内の夕べ ≫ が開かれる 」

という記事が、掲載されていました。


★「 文弥さん 」 という、懐かしいお名前・・・。

眼前に、文弥さんが、百歳のときになさった演奏会が、

蘇ってきました。


★文弥さんのお住まいは、台東区谷中の、

細い路地沿いに、ありました。

谷中は、お寺が立ち並び、最近では、「 谷根千 」 の一角として、

休日ともなれば、カメラを手に、スニーカー姿の人たちで賑わい、

さながら、京都のようです。


★当時、私はその近くに、住んでおりました。

ある日、散歩中に偶然、「 岡本文弥 」 という、

表札が、目に入ってきました。

その表札は、それはそれは小さく、名刺ほどの大きさ。

しかし、黒い板に、岡本文弥という美しい字体が、

金色に、浮き上がって見えます。

素晴らしい工芸作品なのでしょうか、

存在感に、満ちていました。


★文弥さんのお家は、門も庭もなく、

小さいというよりは、狭小な、まことに質素な家でした。

玄関の硝子戸が路地に、直接面していました。

しかし、戸の周りの壁は、黒い板塀。

垢ぬけています。

どこか料亭にも似て、小粋でした。


★本箱を探しますと、その演奏会のチラシが見つかりました。

「 1995年 10月 15日 」 でした。

私は、その演奏会を、一生忘れないでしょう。


★谷中の、廃業したお風呂屋さんが会場でした。

桟敷のように、その床に、観客は膝をくっつき合わせて座りました。

お弟子さんの演奏が続き、トリ ( 最後 )が、文弥さん。

三味線に合わせ、文弥さんが、

「 ぶんやありらん 」 を、歌い始めます。

強く、厳しいリズム、

聴いている私たちは、体が床にめり込むような、

迫力を、感じます。

そして、それがとても心地よい。


★腹の底から、伝わってくる声も、

お歳を感じさせない、張りと艶。

百歳になっても、毎日の修練はさぞや、と驚かされます。

朝鮮人慰安婦の、悲しみを歌った

「 ぶんやありらん 」 の世界と、

沁み入るような声が、よく合います。

 

 


★Lotte Lehmann ロッテ・レーマン (1888~1976) が歌う、

 Robert Schumann  ロベルト・シューマン (1810~1856) の、

「 Frauen Liebe 女の愛と生涯 」 に、比肩できるか、

という、高みです。


★このような経験、真の芸術を体験したのは、

日本の演奏家では、観世寿夫さんの謡い、

嘉手刈林昌さんの太鼓・・・など、

本当に、ごく限られます。


★文弥さんは、お金も名声も求めず、

( きれいな恋愛を、随分となさったそうですが ) 、

ひたすら、芸に打ち込んだ百歳でした。

このような、真の芸術に 「 出会えてよかった・・・ 」 と、

心から、思います。


★それ以来、文弥さんの 「 邦楽いろは歌留多 」

( 邦楽新書 ) は、私の座右の書、となりました。


★≪ い :  一芸一途 余念なく ≫ のように、

文弥さんの実体験に基づく、信念が書かれ、解説も加えています。

含蓄に、満ちています。

少々、ご紹介します。

 

 


★≪ ろ : 路地暮しでも、あの師匠 ≫、

解説 「 豪邸暮しだから立派な師匠とは限らない。

無名の老師匠でも、『 よく見れば ナズナ咲く 』  ものです 」

何気なく見過ごす雑草の 「 ナズナ 」 に、価値を見出し、

“ 美しい ” とみる、 研ぎ澄まされた感性。

 

★≪ な : 名前売るより 芸磨け ≫

≪ き :  気が滅入れば 芸も滅入る ≫

解説 「 その点、彼女ができたりすると、芸が一度に開花する 」

ご自身の体験に基づく、微笑ましいお話、

洒脱なお人柄が、偲ばれますね。


★≪ や : 野心が芸を 堕落させる ≫ は、古今東西の真実でしょう。

解説  「 ひたすら芸の上達を願って精進することを

 『 野心 』 とはいえない。

芸渡世の中で 何かイヤらしいものがある。

それはお仲間に 何となく分かる。

それが 野心です。

そういう野心家の芸には、 『 こび、ヘツライ 』 が付きまとう。

聴くに耐えない 」

≪ け : 芸知らぬ人の芸評 気にしない ≫ 

これも、真理を衝いています。


★≪ め :  免状は 世間がくれる ≫

反骨の文弥さんは、 「人間国宝 」 にはならず、

「人間骨董です」 と、おっしゃっていたそうです。

≪ み : 身にしみる  あの人の芸  またききたい ≫

 


私は 、 Edwin Fischer  エドウィン・フィッシャー  や、

 Pablo Casals パブロ・カザルス(1876~1973) の演奏は、

毎日聴きたいと、思います。

しかし、いま巷で人気のある、アルゲリッチ や ポリーニの演奏は、

聴きたくは、ありません。

その演奏は、部分的に、宝石のように輝いて聴こえることがあるにせよ、

「 音楽 」 としての構成が弱すぎ、曲を聴き通すのが、苦痛になるのです。

構造物としての音楽の形が、立ち上ってこないため、

聴いている途中、よそ事が頭に浮かんでしまいます。

退屈なのです。

アルゲリッチが、ピアノ独奏曲を弾かない、弾けない理由も、

よく、分かります。

 

 


★とはいえ、文弥さんも 、

≪ す : 好きな芸でも  押し売りせず ≫ と、おっしゃっており、

ポリーニやアルゲリッチが好きな人は、気にしないでください。

≪ し : 自慢より 自信  ≫

解説  「 自慢はしゃべり 自信は沈思黙考 」

 毎日毎日、勉強して 自信をつける

(  自分を信じること  )  しかありませんね。


★≪ か : 金追って 芸追い付かず ≫

お金とは、あまり縁のない 「 キレイな 」  一生を送られた文弥さん。

魅力的な方でした。

天国に召されてから、15年たちましても、

たった一回の出会いを、生涯懐かしむ音楽家が、

一人、ここにいるのです。

 

 

                                    ※copyright ©Yoko Nakamura


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