■Bachはなぜ、イタリア協奏曲の旋律に、細かく装飾音まで記譜したのか?■
~Bach の編曲で、永遠の命を得たマルチェルロ・オーボエ協奏曲 ~
2011.10.16 中村洋子
( ムカゴ )
★今朝、何気なくラジオのスイッチを入れましたら、
ベートーヴェンの第 5交響曲 「 運命 」 が、流れていました。
その次は、 「 序曲 コリオラン 」 でした。
いずれも、鬼気迫る名演。
★魅入られるように、聴き入ってしまいました、
指揮は、Wilhelm Furtwängler
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886~1954)、
Berliner Philharmoniker ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
戦時下、1943年 6月の録音。
★ “ Hector Berlioz エクトル・ベルリオーズ(1803~1869)の
「 Symphonie fantastique 幻想交響曲 」 の源泉は、
これだった・・・ ”
“ Giuseppe Verdi ジュゼッペ・ヴェルディ(1813~1901)の
「 La Forza del Destino 運命の力 」 は、コリオランの・・・ ”
“ Tchaikovsky チャイコフスキー(1840~1893) も・・・ ”
と、その後の作曲家の勉強の軌跡が、
手に取るように、分かってきます。
★ 「 運命 」 で現れる、和声進行にしましても、
“ このゼクエンツ ( 反復進行 ) は、平均律クラヴィーアのあれだ ” と、
次々と、 Bach バッハ のオリジナルが脳裏に浮かび、
心地よい、知的興奮を憶えました。
★聴きながら、このようなことが自ずと分かる、
逆にいいますと、聴取者に、そのようなことを分からせるのは、
一重に、フルトヴェングラーの指揮が、素晴らしいからです。
曲の分析が、完璧だからです。
表面的な音響効果を優先させる、ブラスバンドの延長線ような、
最近の指揮者の演奏では、決して、
そのようなことは、見えてこないのです。
( ドングリ )
★これまで、 「 編曲 」 についての考えを、述べてきましたが、
「 編曲 」 はすべきものではない、のでしょうか?
いえ、そうではありません。
Bach バッハ は、若いころ、イタリアの
Antonio Vivaldi アントニオ・ヴィヴァルディ(1678~1741)や、
Alessandro Marcello アレッサンドロ・マルチェッロ(1669~1747)の
協奏曲などを、鍵盤独奏曲に編曲しています。
★それらの編曲作品を、つぶさに見ますと、
バッハが、“ イタリアの音楽を、丸ごと吸収したかった ”
という、動機があったにせよ、
出来上がったマルチェルロの編曲作品は、原曲を凌駕し、
より質の高い作品に、生まれ、変わっています。
★現在、マルチェルロの 「 オーボエ協奏曲 」 を、
オーケストラが演奏する場合、オーボエ独奏のパートは、
ほとんど、バッハの編曲を、使っています。
バッハがどのように、 “ 手を入れたか ” 、
私は、マルチェルロのスコア と バッハの編曲とを、
突き合わせ、詳しく検討しました。
★有名な 「 アダージョ 」 の 2楽章は、前奏 3小節に続き、
オーボエソロが出る4小節目からは、 4、 5小節を 1単位とする、
3回半の同形反復が、 10小節まで続きます。
マルチェルロは、 4、 5小節目の 「 レファ - ファラ - ラシ♭ - シ♭ 」 を、
6、 7小節では、 「 ドミ - ミソ - ソラ - ラ 」 に、
8、 9小節目で 「 シ♭レ - レファ - ファラ - ソ 」 と、
単純に、反復しているだけです。
10小節目も、同様です。
★この原曲に対し、Bach バッハ は、現在知られているように、
美しい装飾音を加えたり、単純な音を独立した声部に作り替えたり、
バスを充実させたり、オーボエソロ部分に、充実した和声を書き込んだり、
あるいは、冗長な部分は削除したり、縦横無尽に、
バッハの世界を展開させ、それを、楽譜に定着させました。
出来上がった編曲は、いかにも Bach-tone で、
原曲のもっていた、突き抜けるイタリアの青空のような、
単純明快な作品では、なくなっています。
( 金木犀の花 )
★バッハの 「 Concerto nach Italienischem Gusto
イタリア協奏曲 」 2楽章の上声は、大変に細かく、
繊細に、装飾が施されています。
そして、それがそのまま、 「 旋律 」 として、楽譜に記入されています。
変則的です。
当時、通常ならば、楽譜は装飾記号を添付しただけの、
シンプルなもので、奏者は自分の裁量で、
自由に装飾を施し、即興的に演奏する慣習でしたが、
バッハの 「 イタリア協奏曲 」 2楽章の上声は、
バッハが演奏したであろう、そのままを、
≪ 楽譜に書き込んで ≫ あります。
★「 旋律 」 に、装飾記号を添付すれば済むものを、
なぜ、バッハは、複雑な手間をかけ、
装飾まで 「 旋律 」 として、書き込んだのでしょうか?
★ここに、バッハの確固たる意思を、みることができます。
“ 独りよがりな、稚拙な装飾音や、演奏者の恣意的な即興で、
自分の作品を、汚さないで欲しい ” という、意思表示でしょう。
★ 「 イタリア協奏曲 」 は、バッハ生前 1735年に、
出版されています。
出版の機会が、少なかったバッハにとって、
この 「 イタリア協奏曲 」 に寄せる、愛着と自信は、
さぞかし、深いものがあったことでしょう。
★この 「 イタリア協奏曲 」 という、大傑作の価値は、
当時では、知る人ぞ知る存在だったことでしょう。
しかし、その価値を明確に理解していた 「 天才 」 がいました。
あの、モーツァルトです。
Wolfgang Amadeus Mozart
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756~1791)です。
モーツァルトは、
「 Concerto nach Italienischem Gusto イタリア協奏曲 」 の、
≪ Handwritten copy ≫ を、所持していたそうです。
滋養分を学び尽くしたに、相違ありません。
★ 「 編曲 」 は、優れた作曲家が、
手を加えることが必要であると、判断した時に、
なされるものでしょう。
★余談ながら、マルチェルロは、
哲学者、数学者、音楽家、詩人で、
バッハのような、職業的音楽家では、ありません。
教養豊かな、貴族でした。
ヴァイオリンは、父親から手ほどきを受けました。
父の師は、あの Giuseppe Tartini
タルティーニ(1692~1770) でした。
★ Bach バッハ という最高の芸術家が 、
“ 手を加えた ” そのお陰で、
マルチェルロの作品は、現代でも、演奏され、
人々に、愛されています。
これからも、演奏され続けることでしょう。
永遠の命を、与えられたのです。
★10月 21日 ( 金 ) のカワイ・表参道での、
「 平均律アナリーゼ講座 」 は、第 1巻 17番です。
このプレリュードは、明るく喜びに満ち、
オーケストラ作品を、彷彿とさせます。
マルチェルロの協奏曲を、独奏鍵盤楽器に編曲した
バッハの手法は、「 ブランデンブルク協奏曲 」 と、
「 17番プレリュード 」 との間にも、活き活きと、
息づいています。
http://shop.kawai.co.jp/omotesando/news/pdf/lecture20111021_nakamura.pdf
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