音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■ 映画「クララ・シューマン 愛の協奏曲」を見る ■

2009-09-20 23:57:59 | ■楽しいやら、悲しいやら色々なお話■
■ 映画「クララ・シューマン 愛の協奏曲」を見る ■
                  09・9・20


★大作曲家を描いた映画は、その作曲家の音楽を理解するうえでは、

あまり参考にならず、逆に、誤った偏見を植え付けられることも多く、

私は普段、あまり見に行きません。

しかし、今回は、監督と脚本が、ブラームスの叔父の末裔の

ヘルマ・サンダース=ブラームスという女性、ということでしたので、

映画「クララ・シューマン 愛の協奏曲」を、見てまいりました。


★原題は「Geliebte Clara 」で、

“愛しい人クララ”というような、ニュアンスでしょうか。

日本語の題は、照れてしまうような、常套的な、

「愛の協奏曲」というタイトルに、なっています。


★ロベルト・シューマンと、妻クララを演じた俳優さんは、

健闘していますが、二人の作曲家の描き方とその脚本に少々、

問題があったと、思います。

ストーリーは、シューマン夫妻と、クララに思いを寄せる

ブラームスのプラトニックラブを基調に、狂気のシューマンを

を支えるクララ、それを、暖かく見守って援けるブラームスという、

お馴染みの「有名」な物語を、そのままなぞっています。


★さらに、自立する女性としてのクララの苦悩を、

もう一本の筋として、絡ませています。

しかし、二人の天才、「シューマン」と「ブラームス」とを、

つなぐ役割の「クララ」と、女性として自立していく「クララ」を、

描こうとするのであれば、シューマンとブラームスの、

天才としての側面に、鋭く切り込んでいかなければ、

クララの葛藤が、いまひとつ、浮び上がってこないと思います。


★シューマンのピアノコンチェルトを、演奏するクララに、

憧れの眼差しを、送るブラームス。

その姿を見て、激しく嫉妬の炎を燃やすシューマン。

これが、この映画での、三人が最初に出会うシーンです。

そして、シューマンは、嫉妬に狂い、アヘン中毒に堕ち入り、

他人への思いやりも、感じさせないような冷たい主人公、

典型的な恋愛ドラマの主人公を、演じさせられていました。


★そうしたシューマン像には、がっかりし、

時間の無駄であった、というのが、率直な感想です。

この映画を見られた方が、シューマンのイメージを、

映画によって固定化し、彼と彼の音楽に、

偏見をもたれないことを、願うばかりです。

つぶさに天才シューマンの音楽を、

素直に、聴いて頂きたいものです。


★本筋のお話ではありませんが、クララを演じた女優の、

マルティナ・ゲデックは、この役のため、

数週間、ピアノを猛練習したそうです。

音は、完全には合っていないながらも、ピアノコンチェルトの

演奏場面では、手の動きも、本人が演じています。


★テレビで、日本人の女性ピアニストが、コンチェルトを弾く際、

ときどき、最も基本的な技術の未熟さゆえ、

指の付け根の関節を陥没させながら、弾いているように

見えることが、あります。

本来なら、指を支えるため、この関節はガッチリと盛り上がり、

横から見ますと、三角形の山の頂点に、位置しなければなりません。


★ゲデックは、関節を陥没させてはいるものの、

それなりに、本物のピアニストらしく、立派に弾いていました。

俳優として、役に成り切る努力の凄さが、垣間見えました。


★シューマンを演じたパスカル・グレゴリーは、

脚本に問題があるとはいえ、演技はすばらしく、

特に、エンデニッヒの精神病院に、シューマンが収容された後の、

治療風景、髪の毛を剃られ、頭頂部に刺激を加えられ、

血が滲んだ姿には、心が痛みました。


★ブラームスを演じたマリック・ジディは、好青年ですが、

ブラームスの天才を感じさせる雰囲気は、作れなかったようです。

映画の中で、人々に請われ、ブラームスが弾いたピアノ曲が、

「ハンガリアン舞曲」だったのには、苦笑しました。

ピアノに向かうより、ディスコで踊るほうが、

似合った現代青年、という役作りでした。


★グローブ音楽辞典などによりますと、史実上、

シューマン(1810~1856)と、ブラームス(1833~1897)の

出会いは、次のようです。

1853年5月、シューマンは、当時22歳だったヨアヒムが演奏する、

ベートーヴェンの「ヴァイオリンコンチェルト」を聴き、感動します。

そして同年9月、ヨアヒムの友人だった弱冠20歳のブラームスが、

シューマン夫妻を、初めて訪問しました。

それが二人の出会いでした。

シューマンは、ブラームスの自作ソナタなどを聴き、

作曲家としての才能を、ピアニストとしての才能を、

即座に、見抜きました。


★そして、音楽評論誌に、「新しく道を切り拓いて行く人」と、

最大級に、ブラームスを讃える記事を、書きました。

クララによりますと、シューマンは、前年の1852年春から、

「リューマチ」のため、不眠と鬱病に、陥っていました。

ブラームスと出会ってから、半年もたたない1854年2月、

ライン川で投身自殺を図り、精神病院に入院します。

1856年、その病院で没します。

この晩年の、病に苦しんだ時期の作品については、

妻のクララは、評価していなかったのですが、

それについては、また、書きます。


                     (紫式部)
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