2007/5/29(火)
★ 録音も終了し、5月7日の朝、先生は大阪へ、私は東京へと発ちました。
先生は大阪で、マスタークラスのレッスンがあります。
それまでの6日間、お昼の休憩中や、時差で目が覚めてしまわれた夜中でも、先生は、
私の「無伴奏チェロ組曲」の演奏が困難な二小節を、ボーイングや運指を変えたりして、
なんとか演奏できるように工夫を重ねていらっしゃいました。
お別れするときも、「ベルリンに帰ったらもう一度、研究しなおしてみます」。
★録音の二日間、皆さんが飲み物で、談笑しているときも、先生は控え室で、
その二小節を飽きることなく、弾いていらっしゃいました。
ドア越しに、聴いていました私は、マエストロをここまで、
「追い込んでしまった」ことに、涙がこぼれそうになりました。
作曲家が、一音一音を書くことの重みについて、身をもって教えられたのです。
どんな音の一つ一つでも、決して、安易には書けない、という極当たり前のこと。
分かっているつもりでも、分かっていないことを自覚させ、
私の骨の髄に滲みこませてくださったのです。
★普通のチェリストでしたら、「ここは、演奏困難です、書き直してください」の一言です。
しかし、先生は「I try my best」です。
後日、5月12日、先生の帰国二日前のリサイタルを聴きに、大阪へ参りました。
リサイタル後、喫茶店でお茶を飲みながら、先生は「なぜ、あの箇所がそれほど難しいか」、
初めて、懇切丁寧に説明されました。
そして、厳かな顔で「ヨウコ!以後、この5度音程を使うことを固く禁ずる」
と宣告され、そして破顔一笑。
晴れやかなお顔でした。
困難なことに挑戦する背中を、ずっと見せ続け、それを克服し、
それから、理由をおっしゃる。
★「教育」とは、「教え」「育てる」ことです。
このエピソードこそ、教育の本当の意味を、示唆しています。
このブログをご覧になっていらっしゃる方々には、ピアノの先生や
いろいろな意味で、教育に携わっていらっしゃる方がおいでのことと存じます。
今回、私はこのブログで、ベッチャー先生のことを、何回も書きました。
先生の人となりは、幾分かは、皆さまに伝わったことと存じます。
そのなかで、私がもっとも、言いたかったことは、実は、この「教育」の話なのです。
▼▲▽△▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲▽△▼▲
★ 録音も終了し、5月7日の朝、先生は大阪へ、私は東京へと発ちました。
先生は大阪で、マスタークラスのレッスンがあります。
それまでの6日間、お昼の休憩中や、時差で目が覚めてしまわれた夜中でも、先生は、
私の「無伴奏チェロ組曲」の演奏が困難な二小節を、ボーイングや運指を変えたりして、
なんとか演奏できるように工夫を重ねていらっしゃいました。
お別れするときも、「ベルリンに帰ったらもう一度、研究しなおしてみます」。
★録音の二日間、皆さんが飲み物で、談笑しているときも、先生は控え室で、
その二小節を飽きることなく、弾いていらっしゃいました。
ドア越しに、聴いていました私は、マエストロをここまで、
「追い込んでしまった」ことに、涙がこぼれそうになりました。
作曲家が、一音一音を書くことの重みについて、身をもって教えられたのです。
どんな音の一つ一つでも、決して、安易には書けない、という極当たり前のこと。
分かっているつもりでも、分かっていないことを自覚させ、
私の骨の髄に滲みこませてくださったのです。
★普通のチェリストでしたら、「ここは、演奏困難です、書き直してください」の一言です。
しかし、先生は「I try my best」です。
後日、5月12日、先生の帰国二日前のリサイタルを聴きに、大阪へ参りました。
リサイタル後、喫茶店でお茶を飲みながら、先生は「なぜ、あの箇所がそれほど難しいか」、
初めて、懇切丁寧に説明されました。
そして、厳かな顔で「ヨウコ!以後、この5度音程を使うことを固く禁ずる」
と宣告され、そして破顔一笑。
晴れやかなお顔でした。
困難なことに挑戦する背中を、ずっと見せ続け、それを克服し、
それから、理由をおっしゃる。
★「教育」とは、「教え」「育てる」ことです。
このエピソードこそ、教育の本当の意味を、示唆しています。
このブログをご覧になっていらっしゃる方々には、ピアノの先生や
いろいろな意味で、教育に携わっていらっしゃる方がおいでのことと存じます。
今回、私はこのブログで、ベッチャー先生のことを、何回も書きました。
先生の人となりは、幾分かは、皆さまに伝わったことと存じます。
そのなかで、私がもっとも、言いたかったことは、実は、この「教育」の話なのです。
▼▲▽△▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲▽△▼▲