音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■F・グルダ 「俺の人生まるごとスキャンダル グルダは語る」を読む■

2023-04-30 02:33:04 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■

■F・グルダ「俺の人生まるごとスキャンダル グルダは語る」を読む■
~ホロヴィッツ、ルービンシュタイン、グールド等の評価、Mozartについて~
        2023.4.30 中村洋子

 

 

★いよいよ大型連休です。

今年は春が早く、新緑も日に日に、緑が逞しくなっています。

とはいえ私は仕事部屋で、勉強の日々ですので、

平日と変わりない毎日です。

牡丹の花は例年、ゴールデンウィークに満開になりますが、

早くも咲き競い、白、ピンク、紫、しっとりと絹のような

豪奢な花びらを、散らし始めています。


★相変わらず、多読の日常ですが、

ピアニストFriedrich Gulda フリードリヒ・グルダ(1930-2000)が

語った、自伝本はお薦めです。

「俺の人生まるごとスキャンダル  グルダは語る」田辺秀樹訳
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480511737/


★「俺は・・・」で始まる語り口は、決してお上品ではありません。

でも、自伝本に有り勝ちな、自分をよく見せようとする作為が

全く感じられず、清々しさを覚えます。

正直に、歯に衣着せず、嘘偽りなく、淡々と自分の人生を

語るグルダ。

グルダのおおらかな人柄が、そのまま現れています。


★下品にならず、すれすれの線で品位を保ち、

訳し通した田辺秀樹さんにも、「ご苦労様でした」賞を

差し上げたいと思うほどの出来です。


★この種の音楽本の訳は、古くはフルトヴェングラーの著作を

はじめとして、悪訳、誤訳、意味不明の日本語の羅列など、

まともに読み通せる本はほとんど、ないと言っていいでしょう。


★その為、意味を確認したくなり、仕方なく原著を求め、

辞書を引き引き読む、という二重手間にウンザリしてきました。

いくつか「? ? ? の訳」はありましたが、

田辺さんのグルダに対する尊敬と愛情が、感じられました。

 

 

 


印象に残ったのは、グルダによる「名ピアニスト」の評価です。

実に、私が常々感じていることと、ほぼ一致していました。

とても、うれしく思いました。


★いくつか興味深い部分を、抜き出してみます。

《Vladimir Horowitz ホロヴィッツ (1903-1989)は、

正直なところ、いつもあまり、好きになれなかった。

あのピアニストはすごく速く、すごく大きな音で、まあ、例えば

チャイコフスキーかなんかを、弾きまくることはできるし、そのうえ、

トスカニーニの娘と結婚することだって、できる。

でも、彼は一番肝心な、音楽というものについては、

遺憾ながら、ほんの僅かしか、分かっていないっていうことなんだ。

それに、ああいうふうに大した根拠もないのに、エラソーにするのは、

俺は、大嫌いだしね。

小気味よくバッサリです、爽快ですね。


★《そこへいくと、ルービンシュタインは違っていた。

かれはチャーミングなところがあったし、やたら弾きまくるタイプ

じゃなかった。非常に端正なピアニストなんだけど、どこか気楽な

くつろいだ雰囲気があった。彼がショパンの協奏曲を弾いた

録画があって、最近また見る機会があったけど、

彼の演奏も俺とは違う流派だけど、そこにはもの狂おしい

ファナティズムはないし、やたらバリバリ弾きまくる

あのいやな趣味もない。完璧な演奏をする人だけど、彼はいつも

世慣れた紳士という感じだった。

そこには人を惹きつけるものがあったし、それは今見てもそうなんだ。

それにルービンシュタインはー俺はそのことをとても重視するけどー

ピアノという楽器を、きれいに響かせることができる。

タッチがいいわけで、ようするに音がきれいなんだ

反対に、ただもう鍵盤をバンバン叩いているだけってヤツもいる。

楽器は最高なんだけどね。こういうのはゴメンだよ。

 

 

 

 


★《Arturo Benedetti Michelangeli ミケランジェリ(1920-1995)

みたいに自分に厳しくて、満足するってことがまるでなくて、ひたすら

過酷な苦役ばかり、なんていうんじゃ、さぞかしヒドイ人生だろうと

思うよ。あわれなヤツだよ。

自分に対して恐ろしく厳格な、狂信的完璧主義の奴隷って

いう感じ。ピアノをめぐってしょっちゅうトラブルをおこすのも、

そのせいさ。自分自身に満足することがほとんどまったくない

というだけでなくて、自分が弾く楽器にも満足できないんだ。

自分自身に対する自己破壊的な法外な要求を、

ピアノに対しても向けるわけさ。

彼は気むずかし屋だと言われているけれど、それは気どりとか

ポーズとかじゃない。ようするに、自分自身への要求の

見返りなんだ。老大家がそうやって犠牲を払って成し遂げた

演奏については、俺としては評価するにやぶさかではないさ。》

 

 

 


Glenn Gould グレン・グールド(1932-1982)については、

普通の音楽活動に対する懐疑、つまり、そのテの活動に対して、

全面的にせよ部分的にせよ、身を引いているということでは、

(自分と)確かに似ている点があるだろう。

今日では、すべてが競技スポーツみたいになっていて、肝心な

ことが置き去りにされている。音楽ってものが愛情とか心地よさ

とか、満足とか楽しさとはまるで、無縁になっちまってるんだ。

だから、グールドにとって半ば自殺するより方法がなかった。

まさに、半ば自殺だよ。彼は状況に絶望したのだ。

俺だって絶望したのは同じさ。でも俺は一つの出口を見つけた》。


★グルダが、中年になってジャズの世界に向かった理由がここで

さりげなく語られています。

ジャズ・クラブに出かけていって、ハッピーになったんだ。

彼はそうしなかった。俺としては、グールドとのこの違いを大いに

強調したいと思う。俺にとっても、それは容易なことではなかった。

生涯にわたる闘いだった。現在の俺は、以前よりずっとリラックス

して外交的になっている。自分が受けてきた音楽教育の

ばかばかしい狭苦しさは、もう完全に克服したんだ。

それはさておき、グールドの演奏のいくつかについては、俺はまったく

いいとは思わない。例えば、あのイタリア協奏曲にしたって、そうだ。

録音があるけど、あれはヘタだし、まったく間違っている。悪い意味に

おいてもそうだ。ゴルトベルク変奏曲の録音は有名になるだけの

価値がある。二つ録音があるけど、あの録音にはぶったまげたよ。

一度グールドをライブで聴いたことがある。1950年代で

ニューヨーク、バーンスタイン指揮で、Bachのニ短調の協奏曲を

弾いたんだ。

これも素晴らしかった。でも、グールドとは、個人的に知り合いには

ならなかった。その必要もなかったしね。

 

 

 


グールドが、なぜ“引き籠りの世界”に沈潜していったのか、

グールドと同世代のグルダは、自己の体験に照らし、心から

共感しています。

グールドの演奏に対する評価も、感情を交えず、客観的に正直に語る。

「グールドとは、個人的に知り合いにはならなかった。

その必要もなかった」は、当然と言えるでしょう。

半ば“神格化”され、音楽ジャーナリズムの“寵児”であり続ける

グールドを、客観的に見るのに、このグルダの評価は重要で貴重

であると思います。


★以上が、ホロヴィッツ、ルービンシュタイン、ミケランジェリ、

グールドという名声の高いピアニストへの、グルダの評価です。

実に的確である、と思います。

私は、ホロヴィッツの演奏については、聴いても全然興味が

湧かず、今までほとんど聴いていないため、詳しく論評できま

せんが、かろうじて聴いた数少ない経験を思い出しますと、

多分、グルダの言う通りでしょう。


★私も、Arthur Rubinstein ルービンシュタイン(1887-1982)

の演奏は、大好きです。

彼は、ほとんど Bach の録音を残していませんが、

若い学習者に「Bach を毎日勉強するように」と言っています。

彼も、家ではさぞかし、Bach を毎日弾き、学び、その結果、

あの暖かく、人々に音楽を聴く幸せを感じさせる「 Chopin 」の

演奏ができたのだ、と思います。


★ただ、私が想像しますに、彼がもし Bach の平均律全曲を

演奏していたとしましても、「ルービンシュタインのショパン」ほど

成功しなかったかもしれません。

ルービンシュタイン現役時代には、Edwin Fischer 

エトヴィン・フィッシャー(1886-1960)の前人未到の演奏が

厳然と存在していました。

それをどう乗り越え、自分の Bachを打ち立てるか?

その困難を最もよく知っていたのは、ルービンシュタイン自身

でしょう。

カザルスの Bach「無伴奏チェロ組曲」全6曲を、未だに、

どの名チェリストも乗り越えることができないのと同じです。

Jacqueline du Pré ジャクリーヌ・デュ・プレ(1945-1987)は、

Bachの「無伴奏チェロ組曲」の1、2番の録音を残し、

軽やかに、カザルスとは別のアプローチにより、Bachの大山脈を

踏破しましたが、全6曲の録音がなく、返す返すも残念です。

 

 

 

 


グルダの平均律全曲も魅力的で、立派です。

ミケランジェリについては、私は、彼の実演を東京で1回だけ、

聴いたことがあります。

前評判は素晴らしかったのですが、当時の私には、あまり心に

響く音楽ではありませんでした。

しかし、Baldassare Galuppi ガルッピ(1706-1785)の

ピアノ・ソナタ5番の美しい音色は、今でも耳に焼き付いています。


Mozart についてのグルダの言葉も至言です。

《モーツァルトは、ピアノのテクニックの点では、ごくわずかな例外を

除いて、難しくない。難易度はせいぜい中級ってところで、もっと

やさしいものだってある。むずかしいのは解釈なんだ。》

ほかのピアニストたちのモーツァルトのソロ作品の演奏にも

満足していない。自分の演奏以上に不満なんだ。

俺はけっこう好意と関心を持って、そういうほかのピアニストたちの

モーツァルトを聴くんだけど、たいていは聴いていて、

「こりゃ、ひでえや」と思う瞬間が、あるんだ。


★私も、同感です。

世にいう「モーツァルト弾き」の演奏ほど、つまらないものは

ありません。

「このピアニスト、ラフマニノフをバリバリ弾けないから、

モーツァルトに逃げたんではないかしら」と、思うほどです。

モーツァルトの音楽の神髄である、「骨格」も「構造」も何もなく、

ただただ小奇麗に、音の真珠の粒を揃えています。


★《モーツァルトはいつも、ふさわしくないやり方で演奏されている。

ピアニストたちは、モーツァルトを演奏する際はいつも、

プログラムの最初に、それをもってくる。

「これは易しい曲で、まあ小手調べなんだ」って思ってるからね。

バンバン弾きまくるメイン・プログラムは、後半のチャイコフスキーや

ブラームス等々だってわけさ。でも、これはとんでもない思い違いで、

正しい関係の転倒なんだよ。》

 

 

 

 


★グルダ先生に、Bravo!を叫びたいですね。

「モーツァルト弾きピアニスト」は、モーツァルトが分かっていない。

それ以外のピアニストは、モーツァルトへの評価が本末転倒。

モーツァルトを本当に弾けるピアニストは、グルダのほかには

ハスキル、ケンプ、アラウ・・・悲しいほど極僅かしかいません。

《あのモーツァルト・イヤーの1991年が、俺にとってどんな意味を

持っていたかって?俺は、あんなふうに寄ってたかって死者を

商売の種にするようなことには、関わりたくないね。

俺にとっては、どの年だってモーツァルト・イヤーだし、

どの週だってモーツァルト週間なのさ!


1991年は、モーツァルト(1756-1791)の没後200年です。

大作曲家の生誕や没後の年月を、お金儲けの種にするのは、

見苦しいですね。

「どの年だってモーツァルト・イヤー、

どの週だってモーツァルト週間」

その通り、グルダ先生、立派です。


★私も、今年2月のモーツァルト協会の講演会以来、

すっかり、モーツァルティアンになってしまい、

“毎日が、モーツァルト・デイ”です。

講演会で取り上げた曲について、すべてを「自筆譜」ファクシミリで、

勉強したからです。

やっとモーツァルトが、私にとってのバッハのような、

身近で、親しい大作曲家になりました。

 

 

 


★この「俺の人生まるごとスキャンダル グルダは語る」は

各ページ「抱腹絶倒、大賛成!!!」ですので、

これからも少しづつ、当ブログでご紹介したいと思います。

カラヤンの人間性が分かる、エピソードのひとつ。

《一九八八年のザルツブルクでもゴタゴタがあった。
ザルツブルク音楽祭の当局がカラヤンの言いなりになって
あるコンサート企画の主催者に対して、
指揮者のアーノンクールが出演することを、
なんの根拠もなしに、禁止したんだ。
ひどい話だよ。信じられないくらい卑劣で失礼なことだから、
俺はこう心に決めた。「ようし、お前たちにひとアワ吹かせて
やる。それも、これまでにないやり方でな。」》

グルダ氏の義侠心、正義感、躍如ですね。

さぁ、この成り行きはどうなったでしょう。


★《俺は、音楽祭当局とのあいだで、三回出演する契約を
結んでおいて、それと同時に、俺が勝手にドーム広場で
アーノンクールの指揮で演奏会をすることにしたんだ。
そんなわけで、連中はアーノンクールが指揮するのを禁止する
こともできなければ、俺を追い出すこともできない、
というハメになった。
なにしろ連中は、「どうか出演してくれ」ということでまず
俺と契約していたんだからね。》

何だかオペラブッファに出てくるような、楽しいトリックですね。

《音楽祭当局として、アーノンクール氏がザルツブルクで指揮する
ことはまかりならぬ、「我われがーあるいは神のごときカラヤンが?
-それを禁ずる」》、これに対抗するか。


★《音楽祭当局は、困り果てたすえに、結局アーノンクールが
指揮することを「許可する」ということになった。
カラヤン氏は、自分がこれを許可したということを、
テレビで釈明する必要を感じたらしい。
俺はたまたまミュンヘンで、この釈明を見た。
最初は音楽祭当局が禁止したものの、カラヤン氏がそれを
許可したっていう釈明さ。
俺としては、まさに、してやったりだったね。
あの思い上がりもはなはだしい。

《そういうわけで、俺は嫌われ者のアーノンクールと共演
したあと、世界に名だたるザルツブルク音楽祭のコンサートを
ー失礼ながらースッポカさせていただいたんだ。

グルダ先生の反撃、大成功、目出度しめでたしです。

 

 

 


グルダはまた、女性とのあまたの出会い、愛、葛藤、別れを

包み隠さず、率直に話しています。

17歳の時、すごく洗練されたずっと年上の魅力的なスイス女性

から「恋の手ほどき」を受けました。

《彼女は本当に教養のある女性で、フランス音楽はもとより、
フランス文化全般についての深い理解も、俺に授けてくれた。
フランス語を正しく使えるよう指導してくれた。ドビュッシー、
ラヴェルが、素晴らしい作曲家であることも教えてくれた。
グルダのヤツがどうして、魔法のような音色と正確さで
フランスものを弾けるのか、って問いに対する答えも
ここにあるわけさ

 

★二度目の結婚相手の日本人ユウコんについても、35歳の時に

日本での演奏会で出会い、別れるまでを、率直に書いています。

グルダは彼女を心から愛し、どこにでも一緒に行った。

何一つ不自由ない、理想的な生活だったが、彼女は

《あなたは私を真剣に受け止めてくれない、

まともに扱ってくれていない》と、ケンカが絶えなかった。

グルダが自覚していなくても、絶えず

“偉大なピアニスト グルダの妻”であることに、

ユウコさんが、耐えられなかったのかもしれません。

《その頃は、ちょうどジャズを始めたころで、また、

「平均律クラヴィーア曲集」全曲を暗譜し、

もうこれ以上は弾けない、と思うほど何度も

繰り返し弾いたもんだよ。演奏会でも弾いた。

これはすごく勉強になった》。

 


★最後にグルダの胸に響く言葉を、もう一度

《たしかに今日では、すべてが競技スポーツみたいになってしまって

いて、肝心なことが置き去りにされている。

音楽ってものが、愛情とか心地よさとか、満足とか楽しさとは

まるで無縁になっちまってるんだ。

私たちの音楽に「愛情とか心地よさとか、満足とか楽しさ」を

取り戻しましょう!

 

 

 

 

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