■ ドビュッシー「子供の領分」第5曲「小さな羊飼い」の源は「牧神の午後への前奏曲」■
~「小さな羊飼い」はわずか31小節、しかし一筋縄ではいかない傑作~
2023.5.22 中村洋子
★Debussy の組曲「Children's Corner 子供の領分」の第5曲
「The little Schepherd 小さな羊飼い」は、全6曲の
「Children's Corner」の中でも、比較的目だなない小曲です。
一番人気は、最終曲「ゴリヴォーグのケークウォーク」でしょう。
★それでは「子供の領分」全6曲を、簡単に俯瞰してみましょう。
第1曲「Doctor Gradus ad Parnassum
グラドゥス・アド・パルナッスム博士 」
韜晦趣味のタイトルですが、曲の内容は、流麗で、
バッハの基本に忠実な、美しい「Prelude 前奏曲」です。
第2曲「Jimbo's Lullaby ジンボーの子守歌 」
ぬいぐるみの象さんジンボーちゃんが眠りにつくための、
愛情たっぷりの子守歌。
一度聴いたら忘れられない旋律と愛おしさを持った曲です。
★第3曲 「Serenade for the Doll お人形のセレナーデ 」は、
お人形さんの青年が、夜更けに、恋人の部屋の窓辺で、
おもちゃのギターをかき鳴らし、愛の歌を歌います。
明るく、かわいらしいセレナード。
★第4曲 「The snow is dancing 雪は踊っている 」は、
幻想的な、雪百態です。
この曲のドビュッシーの自作自演の録音を聴きますと、
眼前に雪が舞い上がり、風に吹き飛ばされている、
フランスの静かな、田舎の雪景色が浮かび上がります。
★さてこのように個性豊かな4曲と、最後の有名な6曲に挟まれて、
やや埋もれた印象もあるのが、
第5曲「The little Schepherd 小さな羊飼い」かもしれません。
★事実、幼いころ私が東京のブリジストンホールで開かれた、
ピアノ発表会で弾いた曲目も、
「雪は踊っている」と「ゴリヴォーグのケークウォーク」でした。
憧れのピアノ・ベーゼンドルファーで弾くことができましたので、
ワクワクし、そのピアノの醸し出す豊饒な響きと感動は、
いまでも脳裏にはっきり残っています。
この曲がずっと終わらないでほしい、と思いながら
弾いていました。
★因みに、ブリジストンホールは、東京京橋のブリジストン美術館
に、併設されていた音楽ホールでした。
ブリジストン美術館(1952年開館)は、2020年1月改称し、
新しく「アーティゾン美術館」となりました。
従来の西洋美術、日本近代絵画に加え、古美術品や現代美術も
幅広く収蔵・展示する施設となりました。
★さて、何となく地味で目立たない印象の、この第5曲
「小さな羊飼い」は、勉強すればするほど、
「ドビュッシーは何という天才なのだろう!」と、改めて感動する、
底知れない魅力と、同時に一筋縄では行かない傑作です。
★この曲は、幼子イエスを暗示しているのではないかと、思います。
羊飼いである以上、王宮や豪奢な邸宅に住む子供ではなく、
羊の世話をし、野原を吹き渡る風の音を聴き、
自然の中で、静かに生活している子供でしょう。
★この曲の冒頭4小節は、ピアノの右手だけの単旋律です。
特に3、4小節は、あたかも羊飼いが吹く葦笛のようです。
この4小節でいつも私が想起する曲は、ドビュッシーの
「Prélude à "L'après-midi d'un faune
牧神の午後への前奏曲」です。
牧神 faune(仏)、Pan(英)は、ヤギの角と耳と足の形をした、
森林、狩猟、牧畜をつかさどる半人半獣の神様です。
葦笛を吹きます。
牧神の午後への前奏曲はオーケストラの作品ですが、
冒頭4小節はフルート独奏です。
この動画の冒頭で、このフルート独奏が流れます。
https://youtu.be/b6PaOrhZT8I
★「牧神の午後への前奏曲」は、1892~94年に作曲されました。
Claude Debussy クロード・ドビュッシー(1862-1918)の、
30代初めの作品です。
それに対して、「子供の領分」は、1908年に出版と初演です。
一人娘クロード・エマ(愛称 “シュシュ” Chouchou)を授かり、
彼女のために作曲したドビュッシー40代半ばの傑作です。
★この「小さな羊飼い」には、10数年前の「牧神の午後への
前奏曲」が色濃く投影されている、と見てもよいでしょう。
この二つの曲の冒頭の旋律が、増4度音程
(三全音 tritonus トリトヌス)を使っているのも、
偶然ではないでしょう。
全音(長2度)を3回連続させますと、それによってできる音程は、
結果として、「増4度」音程になります。
★「小さな羊飼い」は、全音を3回重ねてできた三全音。
「牧神の午後への前奏曲」は、半音階の開始音と終始音により、
「三全音トリトヌス」を形成しています。
ドビュッシーはこの「三全音トリトヌス」を、好んで使っています。
この三全音の先に、さらに全音を2回重ねますと、
ドビュッシーの音楽を決定づける要素の一つである、
「全音音階 whole tone scale」に行きつくのです。
この音階の中に「小さな羊飼い」が隠れていますよ。
★ドビュッシー以前に、この全音音階を作品に使っている作曲は
皆無ではないのですが、最も頻繁に効果的に使用しているのは、
ドビュッシー以前の、ムソルグスキーやチャイコフスキー等の
ロシアの大作曲家たちでしょう。
★私の著書《11人の大作曲家「自筆譜」で解明する音楽史》で、
詳しく、ご説明しましたように、
ドビュッシーは、チャイコフスキーのパトロンのフォン・メック夫人の
ピアノ連弾等のお相手と、夫人の子供たちの家庭教師を兼ねる
アルバイトを、若い頃していました。
チャイコフスキーの新作は、真っ先に夫人のもとに送られ、
ドビュッシーはそれを目にし、編曲をし、夫人とピアノで
連弾する機会を持つことができたのです。
多彩な顔を持つドビュッシーの音楽の、一面である、
甘くうっとりとした音楽の源泉は、間違いなく
チャイコフスキーにあります。
★つい先日、ドビュッシー作品全集 というBox CD を、
https://wmg.jp/discography/18869/
求めました(CD33枚)。
前から気になっていたのですが、演奏家が玉石混合?、
と不遜にも思い、購入の決心がつかなかったのです。
しかし、こんなにも不穏な世の中に暮らしていますと、
「出来ることは今やる」という考えになり、躊躇なく求めました。
★全33枚のうち、まだ3枚しか聴いていませんが、
「面白い、なんで早く購入しなかったのか!」と、思っています。
聴いたCDは、「CD8:連弾のための作品集」と
「CD9:2台のピアノのための作品集」と
「CD33:ドビュッシー・プレイズ・ドビュッシー
(ピアノ・ロールと78回転盤録音)」です。
★CD8:連弾のための作品集の中に、チャイコフスキー
(ドビュッシー編):『白鳥の湖』より「ロシアの踊り」「スペインの踊り」
「ナポリの踊り」が、収録されていました。
おそらくドビュッシーが、フォン・メック夫人と連弾するために、
「白鳥の湖」を編曲したのでしょう。
★これを聴き、同じくCD8に収録されているドビュッシーの
不朽の名曲『小組曲』L.71aを聴きますと、
この明るく、生きる喜びを歌ったような連弾曲の根っこに、
チャイコフスキーがド~ンと構えているのが見えてきます。
★CD8にはドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」を
モーリス・ラヴェルが連弾曲に編曲した作品も、入っています。
Mozart がBachの作品を編曲して、Bachをより深く学んだように、
ドビュッシーは、チャイコフスキーの編曲を通じて、
「音楽の精髄 essence」を身に付け、
Maurice Ravel モーリス・ラヴェル(1875-1937)は、
ドビュッシーを編曲して、ドビュッシーを我が物にしました。
★ラヴェルによる連弾編曲の「牧神の午後への前奏曲」は
出版されています。
https://www.academia-music.com/products/detail/131649
流石です。
この曲を、ご自身のピアノソロで楽しみたい時は、
Borwickの編曲が、優れています。
https://www.academia-music.com/products/detail/129534
Leonard Borwick ボーウィック(1868 – 1925)は、
イギリスのピアニストでクララ・シューマンのお弟子さんです。
★Borwickが1891年、ウィーンでデビューの際、ハンス・リヒターの
指揮で Johannes Brahms ブラームス(1833~1897)のニ短調
協奏曲を、演奏しました。
この演奏会には、Brahms 自身も出席しています。
このボーウィックは、シューマン、ブラームスの演奏、さらに、
ブラームスの盟友であったヴァイオリニストのヨアヒムとの
二重奏などで、活躍した大家です。
★さて、一筋縄で済まない「小さな羊飼い」の背景を知るだけで、
これだけの勉強が、必要です。
次回のブログで、もう少しその奥深い、fauneフォーンや
羊飼いshepherdの住む、牧場や森に分け入ってみます。
(モリアオガエル)
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