僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

アメリカの人種差別問題に思うこと

2020年06月19日 | ニュース・時事

新型コロナでまだまだ不安が収まらない世情ですが、
一方では相変わらずいろんなことが起きていますね。

まず今日は、河合克行という元の法務大臣と、その妻の河合案里という参院議員が、選挙の際に地元議員らに現金を渡したとして、公職選挙法違反(買収)の疑いで逮捕されたというニュースがトップでした。妻の「あんりさん」が、いかにもタレントっぽい風貌なので、余計に騒がれるんでしょうか?

その他、海外では北朝鮮と韓国との関係がかなり危険な状況になっているとか、米中両国の関係が悪化しているとか、またワイドショーでは渡部ナントカというタレントが不倫をしまくり、時には多目的トイレで性行為をしていたとか。
まぁ、いろいろですわ。

そんな中で、僕がいま気になっているのは「人種差別」の問題です。

ご存知のように、アメリカのミネソタ州で起きた、黒人男性が白人警官に首を押さえつけられて死亡するという事件がありました。SNSで流されたこの映像を見た人は大きな衝撃を受けたと思います。

それ以降、ニューヨーク、ロサンゼルスなどをはじめ、全米で人種差別に対する抗議行動が拡大し、今では大阪や東京などでもデモが起きています。

今日はそのことに関する話ですけど。

僕には「黒人の人は陽気でやさしい」というイメージが今でもあります。
「今でも」というのは、つまり昔の話なんですけど

1983年(昭和58年)、第14回ニューヨークシティマラソンに出場した時のことです。僕にとっては3度目のフルマラソンで、初の海外マラソンだったことは言うまでもなく、何よりも、海外へ旅行すること自体が初めての経験でした。

そのニューヨークシティマラソンは、ニューヨーク市にある5つの区を全て通過する片道コースを走ります。


 

スタート地点はスタテンアイランドという一番南側の区で、そこからベラザノブリッジを渡ってブルックリン区に入ります。ここは黒人、プエルトリコ、ギリシャ、イタリア、ユダヤなどの人たちが多く居住する区です。そこからクイーンズ区に入り、そのあたりからマンハッタン区の摩天楼を望見しながら中間地点を過ぎ、クイーンズボロ橋という美しい橋を渡ってマンハッタン区に入ります。そこから北上してブロンクス区に入り、またマンハッタン区に戻って、ハーレムを通り、最後は五番街からセントラルパークへ入り、そこがゴールでした。

僕は過去20数回のフルマラソン大会を走りましたが、この大会ほど、沿道の観衆の人たちの熱い声援を受けたことは、後にも先にもありません。

僕が着ていたTシャツは「JAPAN」と記されて、胸のところに日の丸がついていたので、それを見た観衆たちが僕に「ヘーイ!ジャパン・ジャパ~ン」と大声援を送ってくれたのです。中には握手を求めて駆け寄り、僕が手を出すと両手で握って「頑張れ」みたいな言葉を投げかけてくれる人もかなりいました。その「熱烈応援」のほとんど、というか、ほぼ全ての人が、黒人の人たちでした。で、「陽気で明るくて優しい人たち」というイメージが、その時に焼き付けられました。

黒人の人たちが多く住むブルックリン区に限らず、いよいよレースも後半に入ったマンハッタン区でも、僕はとても賑やかな歓迎を受けました。黒人女性が手を差し伸べたので僕がそれを握ると、「ワァ~ッ」というような笑顔で握った手をブルンブルンと振ってくれるのです。今思っても胸が熱くなります。

もうひとつ忘れられないのは、30キロ地点付近で、そろそろ空腹を感じ始めた時に、黒人の少年が飛び出してきてアメをくれました。走りながらそれを口に含んだときのおいしかったこと。この味、一生忘れまい、と思いました。

あの時のニューヨークの沿道の声援は、むろん白人の人たちも多くいましたけど、僕の印象に残っているのはほとんど黒人の人たちでした。

あれから37年の歳月が経ちました。

今回の、アメリカの白人警官による黒人殺害事件やそれに類する事象が多発していることと、人種差別に反対する抗議するデモが世界各地で起きているニュースを見ていると、そんな差別が今なお延々と続いていることに心が痛みます。

正直言って、今の時代でもそんな差別が続いているのか、という思いです。

自分が平和ボケの中で生きているからなのかも知れませんが。


 
 沿道の人々から熱い声援をもらって無事ゴールしました。
 (1983年10月23日)

 

 

 

 

コメント (2)
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