大震災が起きて1ヶ月以上たつが、連日被災地のニュースを見ていると、
胸がつぶれそうになるほど、気持が重苦しくなる。
今は定年退職して、家にいる時間が長い。
つい、朝も昼も夜も、ニュースを見てしまい、ますます息苦しくなる。
先日、作家の林真理子さんが書いておられたが、
ある写真家が被災地へ行って撮った写真を見て、
その、あまりの惨状に、何日か眠れず、涙で枕を濡らし続けたという。
「 こういうのを、震災うつ、というらしい。
本当に被災した人たちに対して、甘ったれたことを言うなと、
叱られそうであるが、何をどうやっても心が暗く塞いでしまう。
それに原発の不安が追い打ちをかけるのである。
このまま更年期の本格的うつへ突入するのだろうか… 」
と、林真理子さんの文章は続いていく。
被災地から遠く離れた大阪に住んでいる僕でも、暗澹たる気持になる。
そして、それが続くと、うつ的症状がじわ~っと湧き出してくる気がする。
この重苦しい気分には、のんブログにコメントをくださる3人の女性の方が、
ことごとく今回の被災地と関係しておられることも、大きく影響している。
じゃいさんは、ご自身が仙台市内に住んでおられる。
ちひろさんは、ご実家が宮城県で、ご両親や祖父母様が住んでおられる。
そして、のこたんさんは、妹さんが岩手県陸前高田市に住んでおられる。
その方々のことが気がかりで、落ち着かず、TVを見るたびに、つらくなる。
休んでいる間、自分の身の回りでもいろいろなことが起きて、
ブログに書こうと思ったりもしたが、いざとなると、文章が出てこない。
震災のことが頭に浮かび、何を書いても無意味な気がするのである。
ブログを自粛する…とかいうようなことではなく、書く気が湧かないのだ。
理性も感性も、もぐらのように土の中に潜り込んだまま、出てこない。
この無力感。 これこそ 「震災うつ」 症状ではないか…とも思った。
それに合わせるようにして、体調も悪くなってきた。
何とも言いようのない倦怠感と、頭の奥がピリピリしびれるような感触。
そこへ、一段と大きな耳鳴りが響き、おまけに鼻までおかしくなった。
まさかこの歳で花粉症に罹ったのではないだろうが、ハナがだらだら出る。
血液をサラサラにする薬ワーファリンを服用しているせいだと思うが、
鼻をかむたびに、鼻血が出たり、血の塊が出たりするのも気になる。
しょっちゅうハナをかむので、ティッシュ1箱がすぐ空っぽになる。
これまで週に4~5回は通っていたコスパの水泳にもほとんど行かず、
暖かくなり、走りやすくなってきたのに、ジョギングにも一歩も出ず。
そういう元気の出そうなことをやればいいのだが、それが億劫なのだ。
テレビに映る被災地の様子を見ては、ため息をつく。
まことに 「憂きにたへぬ」 毎日であった。
一昨日、やっとブログ再開ができて、すこし書く気分が上向いてきた。
これをはずみに、また続けられそうな気がする。
いつまでも塞ぎこんでいるわけにはいかない。
被災地でも、少しずつだが元気な姿を見せる方が多くなってきた。
僕たちは、むしろ被災地の人たちから勇気を与えられることもある。
しかし…
それにしても、である。
95年の阪神淡路大震災では、1ヵ月後の行方不明者は2名にまで減っていた。
だが今回の東日本大震災では、1ヶ月後もまだ、万単位の行方不明者数で、
しかもこれから、死者も不明者もまだまだ増えてゆく可能性があるのだ。
地震・津波の規模といい、被災地の広さといい、想像を絶する大災害だ。
いくら国民が、いや世界中が 「がんばろうニッポン」 と声高に叫んでも、
その指揮をとる人物が、どこに存在するのかわからないような現状では、
「がんばろう」 の声も、被災地の人々に実益をもたらすまでには至らない。
この大きな支援の流れが、一刻も早く被災地へ届かなければならない。
それを統括し、指揮監督するのは日本国の総理大臣なのではないか。
今のあの人物の、覇気のなさ、存在感のなさ … などを見ていると、
何とも情けなく、日本人の一人として、つくづく恥ずかしい気持になる。