昨日の午前、2ヶ月ぶりに大手前病院へ行った。
そして、終わったらすぐに職場へ直行し、昼休みには仕事に戻ることができた。6月に入ると議会が近づいてくるので、何かと相談や協議事項が多くなってくる。
「病院で、毎回どんな治療をしてはるんですか?」
と職場の者が聞くのだが、ただ「行って話をするだけや」と答えるしかない。
1月から行っているTRT療法(耳鳴り順応療法)の経過観察である。
どうも、他人には説明がしにくい。治療でもないし、訓練とも言い難い。…と思うのであるが、しかしこれはやはり一種の治療であり、訓練であるともいえる。自分でもよく説明できない。そして「それでどんな効果があるの?」と問われると、さらに返答に窮するのである。
いつものように「言語聴覚室」で順番を待ち、時間が来ると呼ばれて入室した。
「その後どうですか?」という技師さんの質問に対して、この2ヶ月間の耳鳴りの状態を報告した。といっても、特段の変化はなく、耳鳴りの音自体も大きな変化はない。音が小さくなってくれればいいのだが、耳鳴りというやつは一筋縄ではいかないから、そう簡単に良くはならない。
「まあ、徐々に慣れてきてはいますけど」と、僕は技師さんにそう伝えた。それは本当のことである。苦痛緩和のためのTCIも1日8時間以上つけているけれど、これも耳鳴りを消す機器ではなく、慣れさせるためのものである。これをつけていると、確かに少しはマシになる。これといった治療法もなく、慣れるよりほかに施す術がないのだから、慣れようとする努力は続けているつもりだし、TCI効果もあってか、それなりの成果も出ているような気はする…ということを相手に伝える。なんだか曖昧な話だけれど、耳鳴り自体が根拠も原因も曖昧なシロモノなのだから、その改善をめざしてやっていることも曖昧である。曖昧な病気を、曖昧な方法で、曖昧に続けているものだから、報告も曖昧になるし、アドバイスをする技師さんの言葉も曖昧である。
それはそれで仕方ない…と僕たち耳鳴り持ちは、一定期間が経つと、そういう心境に到達せざるを得ないのである。情けないといえば情けない。だが、それが耳鳴りをとりまく今の医療の偽らざる現状なのだ。そんなことで、昨日も20分くらいで言語聴覚室を出て、安定剤と睡眠薬をもらって職場に直行したのである。
耳鳴りは集中力をかなり妨げる。そして、僕の場合は睡眠障害も引き起こす。
機嫌よくビールを飲んでいる時などは耳鳴りが消える(というより、忘れる)けれど、何時間か経ち、寝ようとする頃に「反動」が押し寄せてくる。キーンキーンと大音量の耳鳴りが両耳で響きわたり、心底から不快感がこみあげてくる。そのままでは、いったん寝ついてもすぐに目が覚めて、その後が眠れない。そこで寝る前は、抗不安剤のデパスか、近所の医者に処方してもらったレンドルミンという軽めの睡眠薬か、あるいは大手前病院で出してもらっているマイスリーという「毎日は服用しないように」と言われている睡眠薬か、どれかを必ず服用する。何も飲まずに朝まで寝る、というのはむずかしい。というより、今のところは不可能である。
耳鳴りの苦痛を軽減したり、睡眠障害を緩和したりするのに、僕はいま、TCIや薬などに頼っているけれど、今後どう対処していくのかを突き詰めていけば、結局、日々の過ごし方の問題に帰着するのだろうと思う。たとえば、仕事に対してより前向きに取り組む、余暇を好きな趣味に打ち込んだり家族団欒で楽しむ、また、スポーツで汗を流したり、友人たちと和やかに雑談をしたり、あるいはおいしい食事に舌鼓を打ち、好きなお酒を楽しむ…というような生活術を高めて行くことが、症状を改善するうえで最も大切なことである、という道筋がはっきりと見えてきたように思うのである。毎回の病院での技師さんとの対話も、そういったことをカウンセリングしてもらうわけであるが、実際はそこまで具体的な話にまで及ばないまま終わる。ほんの入口で終わってしまうのである。これはある意味では人生論みたいなことにもなるので、検査室でそこまで踏み込んだ対話は生まれにくい。真の症状改善につながるような中身の濃いカウンセリングは、自分自身でしなければならないのである。
昨日、大手前病院で同じTRT療法に取り組むyukariさんと廊下でお会いし、お母さんも交えて、そのことについて、いろいろ話し合った。
yukariさんも、僕も、突如耳鳴りに襲われたときは目の前が真っ暗になった。
しかも、最初に診察を受けたとき、yukariさんは、いきなり医師から「耳鳴りは治らない」とつっけんどんに言われ、お母さんが激昂されたということであった。僕の場合は最初に行った耳鼻科の医師から「この耳鳴りは神経的なものだから」と、二度とここへは来るなというニュアンスのことを言われたし、次に行った医院では、「(耳鳴りは)1年くらいで慣れるらしいよ」と言われた。いずれも、不治の病である、という宣告をされたも同然である。
yukariさんの受けたショックの大きさは、僕には痛いほどよくわかる。
しかし人間には、どんな試練にも順応するという果敢な能力が備わっている。
耳鳴りも、その順応力に頼っていかなければならないもののようである。
耳鳴りは確かにウルさい。くそウルさい。くそウルさいけれど、外で暴走族が騒いでいるのではなく、自分の体の中で起きているものであり、これだけは苦情を持って行く先がない。自分だけの問題なのである。しかも医師は耳鳴りに関してはあきれるほど無力だし、無知である。これはもう、自分で治していくより他に方法がないのである。
最近読んだ村上春樹のマラソンに関する本がある。
「走ることについて語るときに僕の語ること」という題名の本だけれども、著者はその中で、マラソンの「苦痛」というものについて、あるアメリカ人の言葉を引用してこういうことを書いていた。
「マラソンの痛みは避けがたいが苦しみはオプショナル(こちら次第)である」
…という外国人のランナーの談話を、ある新聞で目にした著者は、「これだ!」と思ったという。
マラソンを走ることはきつい。そして走りながら「きつい、もう駄目だ」と思ったとする。「きつい」のは避けようのない事実だが、「もう駄目」かどうかはあくまで本人の裁量に委ねられているのである。「この言葉は、マラソンという競技のいちばん大事な部分を簡潔に要約していると思う」と村上春樹は述べている。
僕はこれを読んで、耳鳴りも同じだと思った。
耳鳴りが「きつい」のは避けようのない事実だ。
しかし、「もう駄目」かどうかは、自分がどう処するかで決まってくる。
克服出来る人はするだろう。出来ない人は「駄目だ」と落ちてゆく。
繰り返し自分に言い聞かせるわけだけれど、耳鳴りは、自分で治すものだ。
耳鳴りとの格闘に、疲れたりくじけたりしてはいけない。
耳鳴りがどんなに鳴り響こうとも、そのうち慣れてくるのだ、ということを信じて生きていけば、きっと改善の道が開けてくるはずである。
必ず「日はまた昇る」のだ。「もう駄目」と思ったときが、負けるときである。
「これをバネに自分を成長させるんだと思えば、逆にプラスになるかもね」
「そうね。落ち込んでいてもしぁ~ないもんね」
と、僕とyukariさんとお母さんは、大手前病院の廊下でそんなことを話した。
「比べちゃいけないのかも知れないけど、テレビで難病の人のことなどが映っていると、世の中には不運な方がたくさんおられるんだなぁ、と思うし、それからみれば、耳鳴りくらい何やねん、と思いますよね」
「そうそう、自分の足で歩けて、自分の口で話せて、美味しいものが食べられる。それだけで十分幸せだもの」
…と、僕も、yukariさんも、お母さんも、しみじみとうなずき合った。
技師さんのカウンセリングより、こちらの会話のほうがよほど効果的なカウンセリングだったのではないか。
*6月は仕事その他いろいろありまして、末までブログを休みます。
梅雨どきの蒸し暑い毎日が続きそうですが、皆様、お体をお大事に。