僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

カーリング・鈴木夕湖さんのお名前の由来と僕の思い出

2022年02月21日 | 思い出すこと

冬季五輪も昨日で閉会しましたね。

今日のテレビで、この大会の視聴率のベスト3が紹介されていましたが、それによると、1位がカーリング女子の決勝(対イギリス戦)、2位もカーリング女子の準決勝(対スイス戦)、3位が羽生選手が出ていたフィギュアスケート男子のフリーでした。なんとまぁ、1、2位がカーリング女子ですわ。それだけでも人気の高さがわかります。僕もカーリングのことばかり書きましたしね。

自分のブログを読み返してみても、2010年のバンクーバー大会、14年のソチ大会、18年の平昌大会と、いずれもカーリング女子のことを書いています。2010年にはカーリング女子のことを「カー娘」と呼ばれていたことも書いていますが、これはモーニング娘の「モー娘」をもじった愛称でした(笑)。

さて、そのカーリング女子チームの、鈴木夕湖(ゆうみ)選手のことです。

4年前の平昌大会のメンバーも、今回と全く同じだったのですが、当時、僕は鈴木夕湖選手のことを、日記に詳しく書いています。

なぜそれを日記に書いていたのかというと、理由がありまして

彼女は1991年に北海道の常呂町(現在は北見市)で誕生されたとのこと。ご自宅はサロマ湖の近くだそうです。そしてご両親は生まれて来た女の子に、サロマ湖に沈みゆく夕陽の美しさをイメージして「夕湖(ゆうみ)」と名付けた、と4年前の新聞に書かれていました。そのことに僕は強く引き付けられたのです。

その鈴木夕湖選手のお名前の由来を知って、僕自身の忘れられない思い出と重なりました。

夕湖さんが誕生されたその1991年に、僕は「サロマ湖100キロマラソン」に参加して、初めて100キロという長い距離を走りました。

その100キロマラソンの制限タイムは13時間でした。僕はサロマ湖畔のコースをヨタヨタと走り続け、何とか制限タイム内の12時間24分でゴールすることができました。男子の部で完走した選手は611人で、僕の順位は584位でした。つまり611人中、ビリから27番目でした(笑)。

 
  レース後にもらった完走記念メダルです。
  あれからもう30年も経ったのですね~


サロマ湖には、20歳の時の自転車旅行でも通りました。つまり、自転車旅行とマラソン大会で2回行っているわけで、それも含めて僕にとってはとても思い出深いサロマ湖なのです。

そのサロマ湖に沈む美しい夕陽から名付けられたのが鈴木夕湖さん。

今回の五輪で、日本のカーリング女子チームは11試合も行われました。テレビで、何度も何度も彼女の姿を見ながら、サロマ湖畔を走った100キロマラソンのことをず~っと思い浮かべていた僕でした。


  
   「セカンド」で活躍した鈴木選手。

鈴木夕湖選手は、いま30歳。まだまだ若い。
ぜひ次の冬季五輪にも出場してほしいです。

 

 

★おまけ

 
 20歳の時の自転車旅行。
 サロマ湖畔で撮った1枚です。
 まだ未舗装道路が多かった北海道でした。

 

 

 

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« カーリング 金メダルはなら... | トップ | 上へ下への大騒ぎ? 言葉の... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

思い出すこと」カテゴリの最新記事