僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

初詣 道明寺天満宮で思い出すこと

2023年01月07日 | 思い出すこと

先日4日、新春恒例の道明寺天満宮へ初詣に行きました。

ここは毎年初詣に来るのですが、実はこの天満宮は僕にとって特別な記憶に残っている場所なんですよね。

で、またまた古い話になるんですけど

僕が小学1年生の時に母が再婚し、知人に預けていた僕を迎えに来た。そこから3人暮らしが始まった。住んだのは大阪市東住吉区の加美というところの狭いアパートの一室。新しい父親は商売をしていると母から聞いたけれど、実際は商売と言っても店舗はなく、露天商だった。店を出す場所は日によって異なり、父の地元だった柏原をはじめ、八尾、堺、羽曳野、松原、そして四天王寺さんも毎月21日に店を出し、父母は大阪のいろんな場所で露天商を営んでいました。僕はそういう親の仕事を「昼店、やってんねん」と人に言っていました。学校や近所の友達にはそういう子は一人もいませんでしたけどね。

父の露天商仲間は何十人もいて、一応父はそのグループの組長をしていました。(よく『暴力団』と間違われましたが、まぁ露天商はテキヤと言われたりしていましたからねぇ)。

僕も小学生の時は、休みの日は必ずついて行き、まわりの露天商の人たちから「のぼるちゃん、のぼるちゃん」と、可愛がってもらっていました。

そしてお正月の3日間に店を出していたのが、道明寺天満宮だったのです。
だから僕は、毎年お正月は父母といっしょにそこへ行き、店の後ろに座ったり、周辺をうろついたりしていました。
つまり僕の正月というのは「道明寺天満宮」そのものだったわけです。

今もここは、昔同然に屋台が出ているけれど、たこ焼きや唐揚げ、カステラなどの食べ物やボールすくいなど遊戯系の店ばかりです。でも両親が出していた頃は、今よりもっと店の種類が多く、食べ物などの他に、日用品や着物の生地、小間物、化粧品をはじめ、いろんな店がありました。で、うちの親は小間物と、財布やバンドの皮製品を扱っていました。

何しろ当時は昭和30年代で、まだスーパーマーケットもなかった時代です。
だから、どの地域で昼店を開いても、お客さんが多く、父の店にも常に人だかりがして、僕も中学ぐらいになると手伝ったこともありました。

今はもう、お正月以外には露店は少なくなっていますが、僕はお正月にこの道明寺天満宮に来るたびに、「あぁ、うちの親が小間物なんかを出していた露店はこのあたりやったかなぁ?」と、当時を思い浮かべるのです。

さて、年月を戻し
先日4日は、モミィが友だちと遊びに行くのに昼過ぎに家を出たので、僕らの初詣は午後からの出発になりました。

天満宮まで直接歩くと約50分程度ですが、少し道順を変えてみました。

大和川沿いの美しい風景を見ながら堤防の道を行くと、


中央からやや左の白く細長い建物が最近完成した柏原市役所です。
さらにそのすぐ右側に見えているのが二上山です。
前回ブログの「初日の出」で紹介させていただきました。
それにしても、空の雲の形がすごかったです~
この川の右側の向こうに道明寺天満宮があります。

僕等は写真の手前にある橋を渡り、
テクテク歩いて天満宮へ向かいました。


 
 そしてここが道明寺天満宮の入口付近です。
 お参りを済ませて帰るところです。
 妻が立っている横に露店が並んでいますが、
 今はほとんど食べるものばかりですね。


こういうお店が並んでいるのを見ると、
例によって少年時代を思い出します。

でもね。
そのころ、果たして初詣をしていたのか? 
したのを忘れたのか、本当にしていなかったのか?
そんな記憶は全然ありませ
ん。

まぁ、とてつもなく古い昔のことですからね~

さて、
また来年も、元気でテクテクと歩いて、
ここへ初詣に来られることを祈るばかりです。

 

 

 

 

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