僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

“出雲大社” で思い出した

2014年05月29日 | 思い出すこと

先日の心房細動に関するブログ記事の中で、心室細動で突然死した高円宮様のことに触れたが、その後すぐ、そのお嬢さんの婚約が内定したとのニュースが流れた。これも何かの巡り合わせなので少し書いてみます。


お相手は、代々出雲大社の宮司を務めている千家(せんげ)家のご長男だそうで、お名前を国麿(くにまろ)さんという。テレビでいつもつまらないジョークを飛ばしているお笑い芸人の一人くらいは、この名前から「(綾小路)きみまろさんを連想しますね~」と言うのがいるのかと思ったけれど、さすがに誰も言わない。そんなこと言ったらテレビ界から追放される…という警戒心と保身能力だけは、彼らにもちゃ~んと備わっているんだね。


僕は国麿(くにまろ)さんと聞いて、ハウスカレーのルーである「こくまろ」を連想してしまった。いや失礼。ブログ界から追放せんといてくださいね。


ところで、この千家家のルーツをたどってみると、あの天照大神にさかのぼるという。天皇家は神武天皇に始まるが、このお家はそれより前の「神様の子孫」である。ふわぁ~。すご~い組み合わせですね。


…あまり不謹慎なことばかり言ってるとバチが当たるので、話を変えよう。出雲大社のことである。自転車旅行で出雲へ向かう途中、ひどい豪雨だった話だ。


自転車が好きだった。まず20歳の時に自転車で大阪から北海道まで往復した。往路は日本海側を通って新潟~秋田から、先日AKBを刃物で切りつけた男の家のある青森の十和田を通り、そして北海道に渡り、函館~札幌~旭川~稚内~日本最北端・宗谷岬~オホーツク海沿い~網走~帯広~函館とちょうど1ヶ月をかけて道内を1周。帰途は太平洋側を走り、下北半島~恐山~八戸~平泉~仙台~いわき~東京~箱根~名古屋~大阪と走った。


その2年後に結婚し、長男、次男が生まれ、引越したあと一段落したのが29歳の時。長男は幼稚園児になっていた。その時、職場の有給休暇をもらって四国を走った。翌年、30歳の時、今度は九州を走り、さらに翌年「日本一周の仕上げ」として中国地方を走ったのだ。出雲大社へ行ったのはその時である。


自転車でほぼ日本一周を果たした中で、ラッキーだったのは、走行中一度もパンクしなかったことと、台風などに遭わなかったことだった。ただし、口で言い表せないようすごい大雨に遭ったのは2度あった。一度は北海道襟裳岬へ行く途中の雨。バケツをひっくり返すような…とはこのことで、すさまじかった。雨のかからない所で休憩して携帯ラジオをかけると、ちょうどその年にデビューした和田アキ子の「どしゃぶりの雨の中で」が流れていたのが未だに忘れられない。


2度目が出雲大社に向かって走っていた時だ。これも、前が見えないほどの降りだった。薄い合羽の上着を羽織っていただけなので全身はびちょびちょ。ジーンズは水分を含んで、ペダルを漕ぐたびにゴボゴボと音がするほどだった。松江から約40キロ先の出雲まで、通常ルートである国道9号を走らず、出発前に島根出身の友人が「こっちのほうが景色ええで」と勧められるままに選んだ「松江・平田・大社道」という宍道湖沿いの県道を走ったのである。これがかえって仇になった。すぐ横の宍道湖の満々と水を湛えた光景が不気味だったし、雨嵐の中での景色など楽しむ余裕もなく、雨宿りする建物も見当たらない。隣を一畑電鉄がゴトゴト走っていたのがうらめしかった。「今のこの体験を、一生忘れるな!」などと言い聞かせて必死でペダルを漕いだものである。


そんな状態だったので、出雲大社にたどり着いた時は雨は少しマシになっていたが、さっと形ばかりの見学を済ませて(天候のせいか観光客もほどんどいなかった)、とりあえず駅前の食堂に駆け込んだ。驚いたのは、他に誰もお客のいないその店で食べたトンカツとライスが1,300円もしたことだった(34年前の物価ですよ)。近くのバスターミナルのトンカツ・ライスは500円以下だったので、値段も確認せずトンカツとライスを頼んだのは大失敗だった。おまけにトンカツの量も、少なかったし~!


そういうことで、出雲大社にいい思い出はあまりない。ただ一つだけ、その日に泊まった「国民宿舎・国引荘」は、安かったし、よかったなぁ。きれいな部屋で、むろん個室。それで1泊2,000円だった。そこでまた1,300円のトンカツを思い出し、うう~う、高いぞぉ! …と改めて悔しさがこみ上げてきたのでした。


…というようなことで、出雲にまつわる思い出ばなしは、これでおしまいです。


先日、僕の過去の記事に対して、匿名で「能天気な解説は書かないでね」というコメントが入っていましたが(削除済み)、またその人から「能天気なハナシは書かないでね」とコメントが送られそうな内容でした。能天気な人間が書いているのだから、まぁ、しゃぁないですよね。あはは~。

 

 

    
    1980年(昭和55年)4月30日撮影。 出雲大社は雨でした。

 

 

 

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