きょうは阪神淡路大震災が起きた日で、新聞・テレビ等でも大きく報じられていました。以前もこのブログに掲載したことがありますが、この日を忘れないために、また掲載します。
1995年(平成7年)1月17日。
あの日の朝。
震源地からかなり遠いわが家でも、大きな揺れがありました。
午前6時前。まだ真っ暗の中、ガタガタガタっと猛烈な揺れを感じて目が覚め、恐怖に駆られ、布団にもぐったまま収まるのを待ちました。
僕自身、人生で経験した最も恐ろしい地震でした。
収まった後、すぐにテレビをつけて震源地は神戸だと知りました。僕が住む大阪南部では、大きな被害もなく、震度4ということでした。あれだけ揺れたのに。
あの日から28年の歳月が経ったのですね。
当時から保存していた震災当時の新聞記事を掲載します。
1995年1月17日(地震当日)の夕刊一面。
同じ1月17日夕刊の社会面。
高速道路が途中で折れて、バスが落ちかけている写真などもありました。
翌18日(水)朝刊。
地震発生から半日が過ぎても燃え続ける神戸市街。
1月18日夕刊。
激しい地震で家が倒れ、焼け野原になった神戸市街。
1月19日(木)朝刊。災害の全貌が、徐々に明らかになってきました。
写真は、活断層が動き、地表に生じた亀裂が一直線に延びたさま。
1月19日夕刊。
19日になっても、三宮中心街の高層ビルで火災が発生しました。
(写真は、煙に包まれる高層ビル)
救助に当たった自衛隊や機動隊は、生存可能者を優先しました。
生き埋めになった遺体の捜索・搬出まで手が回らないので、
それらを、地元住民の手で行なった地域も少なくなかったそうです。
1月20日(金)の朝刊。
写真は、倒壊したビルの中から57時間ぶりに救出された子ども。
この9歳の男児は、救出の瞬間「まぶしい」とつぶやいたそうです。
新幹線の新大阪~京都間は、この日から運転が再開されました。
1月21日(土)朝刊。
当初、震度6と発表されていましたが、気象庁の詳しい調べで、
神戸の三宮地区と淡路島北部は震度7だったと判定されました。
僕が生まれた昭和24年に震度階級「7」が設けられて以来、実際に
震度7が確認されたのは、これが観測史上初めてということでした。
(16年後の2011年3月、東日本大震災の時の宮城県も震度7でした)
1月24日(火)朝刊。震災から1週間が経った。
死者はついに5,000人を超えたと報じられた。
この震災で亡くなられた方は、最終的には6434人とされています。
地震は自然災害の中でも最も恐ろしいもののひとつですが、
さらにもうひとつ、地震に関する情報を報道で知りました。
日本の地震被害として最大の10万人を超える死者を出したと言われる関東大震災から、今年は100年になる、ということです。
1923年(大正12年)の9月1日に起きたのですね。
今年1年、穏やかに過ぎてくれますよう、改めて祈ります。
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