先ごろ兵庫県の篠山市で「丹波篠山市」への市名変更の賛否を問う住民投票が行われましたね。僕も篠山市とはいささか縁があるので、この件に関しては注目をしていました。
「篠山市」が「丹波篠山市」になったら、何が変わるのか? なぜ「丹波」を上につけるのか? と思われる向きもあるかと思いますが、いろいろな背景や事情があるようです。
さて今回の「騒動」の発端は2004年(平成16年)でした。「平成の大合併」で「丹波市」という名の市が誕生したのです。兵庫県の氷上(ひかみ)郡というところの6つの町が合併して市になろうという時、新市名を公募したところ、1位が旧の郡の名前をとって「氷上市」だった。そして2位が昔は丹波の国だったことから「丹波市」。3位が当節流行のひらがなの「ひかみ市」。しかし合併協議会は1位の「氷上市」を選ばず、2位の丹波市に決めた。そのほうがブランド力があるから、というのが理由だったそうです。
しかし丹波の国は兵庫県の東部一帯だけでなく、京都府の中央部や大阪府の一部も含まれており、「丹波市」誕生の当時から、篠山市だけではなく、京都府などからも非難されたそうです。つまり「丹波市」といえば、丹波の本家本元に聞こえるので、その名前を独占するな。丹波を付けたければ「丹波〇〇」とかにせよ、と。実際京都には「京丹波町」というところもありますしね。
そして丹波市が誕生したことで、篠山市が産地で「丹波産」として出荷していた黒豆など有名な生産商品が、「丹波市産」と勘違いされることになり、篠山市は大きな打撃を受けてきた、ということもあるようです。
そんなことで、今回、篠山市の上に「丹波」をつけて「丹波篠山市」にしようという動きが盛り上がって、住民投票になったというわけですよね。しかし、住民投票というのは投票率が50%を上回らなければ成立せず、それ以下なら開票もしない、ということになっており、まずは勝敗より投票率に注目が集まったわけですね。
新聞、テレビなども、先日18日の住民投票の投票率はどうなるのか?
…と、盛んに報じていましたが、フタを開けてみると70%近い投票率で、しかも賛成派が反対派を上回りました。これを受けて、市長が市議会に市名変更の条例を提案して、議員の賛成多数なら「丹波篠山市」が誕生する、ということになります。まぁ、住民の意思が賛成多数なんだから、住民の代表たる市議会も反対はしにくいと思いますけど…。
僕も「丹波」と言えば、やはり篠山を思い浮かべますね~
冒頭に、僕もいささか篠山市とは縁がある、と書きましたが、それは、僕が初めてフルマラソンを走ったのが「篠山ABCマラソン」だったからです。1982年(昭和57年)の3月。33歳の時でした。
それ以来、50歳代前半まで、フルマラソンは20回完走し、ウルトラ100キロマラソンも3回完走しました。中でも初めてのマラソンが、この地、篠山での大会だったので、一生の思い出の場所となっています。
当時は今と違って、マラソン選手以外の素人ランナーが出場できるマラソン大会は全国でも数えるほどしかありませんでした。まぁ、ランニング人口も少なかったですし。そんな折に、当時はまだ市ではなく篠山町でしたが、1981年(昭和56年)に誰でも参加できるマラソンの大会が新たに誕生したのです。その頃は毎朝仕事に行くまで、ラジオの朝日放送「おはようパーソナリティ」を聞いていたので、道上洋三さんがその第1回の大会に出て見事に完走されたことに刺激を受けました。
よ~し来年の第2回大会には出ようと、その時決意したのでした。フルマラソンどころか、5キロや10キロのレースにも出たことがなかったのに…。
そしていよいよ翌年の3月。朝早くに妻と2人の小学生の息子たちと家を出て、梅田から篠山へ直行するマラソンバスに乗り、会場へ着きました。
繰り返しますが、この時は第2回大会でした。そして来年の3月は第39回だそうです。もう、そんなになるんですね~。びっくりしますわ。
スタートの号砲で、初マラソンの僕はノロノロと走り出したのですが、みんなむちゃくちゃ飛ばすのでビックリしましたが、それはスタート直後だけで、しばらくすると周囲のスピードも落ち着いて、初めて経験する「レース」の感覚にかなりの興奮を覚えました。沿道では地元の人たちが応援してくれるのも、とても元気づけられました。
折り返し地点から元の道を走り、登り坂では走らずに歩き、タイムなど関係ない、めざすのは完走のみ、と何度も言い聞かせながら、だんだんゴールに近づいてきたときは胸が躍りました。
そしてスタート地点と同じゴールへ戻ってきたら、当時9歳だった長男が僕を見つけて、満面に笑みを浮かべたことも、はっきり覚えています。
そしてゴールイン。
タイムは4時間23分でした。ゴールの場所では、地元の方たちが、「デカンショ節」を歌いながら踊って、ランナーたちを迎えてくれました。
♪ デカンショ~デカンショで半年暮らす ヨイヨイ
あとの半年 寝て暮らす ヨーイヨーイ デッカンショ
♪ 丹波篠山 山家の猿が ヨイヨイ
花のお江戸で 芝居する ヨーイヨーイ デッカンショ
♪ 丹波篠山 山奥なれど ヨイヨイ
霧の降るときゃ 海の底 ヨーイヨーイ デッカンショ
今も耳に残っているこの歌です。
続いて、翌年の3月もまた篠山マラソンに出ました。もう、この頃は、僕は篠山が大好きになっていました。
2度のマラソンを篠山で完走した自信を得て、その年の秋、3度目のマラソンとして、思い切ってニューヨークシティマラソンに行きました。こうして、丹波篠山を第一歩として、僕のマラソン人生が始まったのです。
こう書いていても、
やっぱり「丹波篠山」というほうが、雰囲気が出ますよね~
1982年の初マラソンのゴール直後。
無事に完走できて、とても嬉しかったデス。