20代の半ばから後半にかけてのころ、
数人の飲み友達と一緒によく飲み歩いた。
幼い息子が2人いたが、子育ては妻に任せっきりで、
仕事が終わってまっすぐ帰るということは少なかった。
(ただ、息子たちや自分の弁当だけは僕が作っていたが)
今から思えば、家事と育児で妻も大変だっただろう。
仕事を離れてから、家事の大変さがよくわかったし、
子育ても、モミィがいるので、これまた大変だと知った。
わかるのが遅すぎましたけど、まあ、遅まきながら、
今は日々の料理や洗濯やゴミ出しなどは僕が“担当”して、
モミィの世話をする妻の負担を少しでも減らすよう努力してます。
罪滅ぼし…というやつですよね(笑)。
さて、その20代半ばから後半の頃のことです。
ある日、飲み仲間とミナミへ行ってワイワイ飲んでいた。
2軒目か3軒目か忘れたが、ラウンジ風の店に入った。
僕には初めての店だったが、仲間の誰かが知っていた店だった。
店の女性がひとり、僕らの中に入って話し相手をしてくれた。
細身でやや厚化粧だったが、美人系で、声がハスキーで、
言動がハキハキ・堂々としていて、楽しい女性だった。
僕は、飲んだらおしゃべりで人を笑わせるのが得意で、
その時も、その面白い女性と漫才みたいな掛け合いをした。
大阪や京都では、相手のことを「自分」と呼ぶ風習があり、
「あんた、昨日どうしてたん?」を、大阪・京都では、
「自分、昨日どうしてたん?」というふうに言う。
そこで、その女性は、僕の話にゲラゲラとお腹を抱えて笑い、
「ちょっとぉ、自分、なんでそんな面白いの!」
と言って、僕の肩をポンポンとたたいた。
その仕草や物言いが、漫才師のような雰囲気だった。
そのあとも、彼女との他愛のない話で盛り上がった。
その女性が「今いくよ・くるよ」のいくよさんだと知ったのは、
それからしばらく経って、テレビで彼女を見た時だった。
びっくりした。
忘れもしない…ハスキーボイスで細い体、厚化粧…
何より、しゃべり方で、同じ人だとわかった。
「ちょっとぉ、自分、なんでそんな面白いの!」
舞台でくるよさんを相手にしゃべるいくよさんは、
まさに、それと同じしゃべり方であった。
ラウンジで会った頃は、まだ売れていなかった頃だった。
だから、まさかプロの漫才の人だとは…誰も知らなかった。
いくよさんがなぜラウンジにいたのかも、よくわからない。
漫才だけでは生活ができないということで、
アルバイトのようなことをしていたのかも知れない。
あるいは、店の経営者のような人と知り合いで、
遊びに来たついでに店を手伝っていたのかも…。
…もう40年近く前の話である。
先月28日、そのいくよさんが亡くなられた。
67歳。 僕よりひとつ年上である。
昨日の夕方、NHK総合テレビで、
「いくよくるよ漫才 傑作選りすぐり3本」というのを見た。
見て、笑いながらも、すこし涙ぐんでしまった。
「ちょっとぉ、自分、なんでそんな面白いの!」
…と彼女に肩をたたかれたことが、ついこの間だったような気がする。
いくよさんに「面白い」とほめてもらったことは、僕の自慢でもある。
僕があの世へ行ったら、また、いくよさんにほめてもらえるよう、
修業を積んでおきますので、またその時はよろしくお願いします。
心よりご冥福をお祈りします。