僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

今いくよさん のこと

2015年06月01日 | 思い出すこと

20代の半ばから後半にかけてのころ、
数人の飲み友達と一緒によく飲み歩いた。

幼い息子が2人いたが、子育ては妻に任せっきりで、
仕事が終わってまっすぐ帰るということは少なかった。
(ただ、息子たちや自分の弁当だけは僕が作っていたが)

今から思えば、家事と育児で妻も大変だっただろう。

仕事を離れてから、家事の大変さがよくわかったし、
子育ても、モミィがいるので、これまた大変だと知った。

わかるのが遅すぎましたけど、まあ、遅まきながら、
今は日々の料理や洗濯やゴミ出しなどは僕が“担当”して、
モミィの世話をする妻の負担を少しでも減らすよう努力してます。

罪滅ぼし…というやつですよね(笑)。


さて、その20代半ばから後半の頃のことです。

ある日、飲み仲間とミナミへ行ってワイワイ飲んでいた。
2軒目か3軒目か忘れたが、ラウンジ風の店に入った。
僕には初めての店だったが、仲間の誰かが知っていた店だった。

店の女性がひとり、僕らの中に入って話し相手をしてくれた。
細身でやや厚化粧だったが、美人系で、声がハスキーで、
言動がハキハキ・堂々としていて、楽しい女性だった。

僕は、飲んだらおしゃべりで人を笑わせるのが得意で、
その時も、その面白い女性と漫才みたいな掛け合いをした。

大阪や京都では、相手のことを「自分」と呼ぶ風習があり、
「あんた、昨日どうしてたん?」を、大阪・京都では、
「自分、昨日どうしてたん?」というふうに言う。

そこで、その女性は、僕の話にゲラゲラとお腹を抱えて笑い、

「ちょっとぉ、自分、なんでそんな面白いの!」

と言って、僕の肩をポンポンとたたいた。

その仕草や物言いが、漫才師のような雰囲気だった。
そのあとも、彼女との他愛のない話で盛り上がった。


その女性が「今いくよ・くるよ」のいくよさんだと知ったのは、
それからしばらく経って、テレビで彼女を見た時だった。

びっくりした。

忘れもしない…ハスキーボイスで細い体、厚化粧…
何より、しゃべり方で、同じ人だとわかった。

「ちょっとぉ、自分、なんでそんな面白いの!」

舞台でくるよさんを相手にしゃべるいくよさんは、
まさに、それと同じしゃべり方であった。

ラウンジで会った頃は、まだ売れていなかった頃だった。
だから、まさかプロの漫才の人だとは…誰も知らなかった。

いくよさんがなぜラウンジにいたのかも、よくわからない。

漫才だけでは生活ができないということで、
アルバイトのようなことをしていたのかも知れない。

あるいは、店の経営者のような人と知り合いで、
遊びに来たついでに店を手伝っていたのかも…。


…もう40年近く前の話である。

先月28日、そのいくよさんが亡くなられた。
67歳。 僕よりひとつ年上である。

昨日の夕方、NHK総合テレビで、
「いくよくるよ漫才 傑作選りすぐり3本」というのを見た。

見て、笑いながらも、すこし涙ぐんでしまった。

「ちょっとぉ、自分、なんでそんな面白いの!」

…と彼女に肩をたたかれたことが、ついこの間だったような気がする。
いくよさんに「面白い」とほめてもらったことは、僕の自慢でもある。


僕があの世へ行ったら、また、いくよさんにほめてもらえるよう、
修業を積んでおきますので、またその時はよろしくお願いします。


心よりご冥福をお祈りします。

 

 

 

 

コメント (8)
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