↑ 元気に走り回るパンダ (その昔、北京動物園で) ↓
写真では躍動感をお伝えできないのが残念ですが…
テレビでは連日、滋賀県大津市の「いじめ自殺事件」がトップニュースである。
このニュースを見るたびに、自殺した男の子が気の毒で、暗澹たる気分になる。
昨日はそのあと、上野動物園の赤ちゃんパンダの話題に変わった。
いじめ事件とは違い、今度は微笑ましいニュースだな~と思ったとたん、
先日生まれたばかりのこの赤ちゃんパンダが死んだ…と報じられたのだ。
母乳が気管に入って呼吸ができず、肺炎を発症して死んでしまったそうだ。
あぁ、せっかく24年ぶりの赤ちゃん誕生だったのに、まことに残念である。
赤ちゃん誕生にちなみ、パンダの楽しい思い出を綴ろうと思っていたのに、
悲しい関連記事として書かなければならなくなったのは、少々つらい。
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思い起こすと…
初めてパンダが日本にやって来たのは、長男が生まれた年、
1972年(昭和47年)のことで、カンカンとランランの2頭だった。
パンダのいる上野動物園は、一躍日本の新名所になった。
それから10年余りが経った頃…
長男と一つ年下の次男の2人も、小学校上級生になり、
「パンダが見た~い」 というので夏休みに東京へ家族旅行をした。
東京駅に着くと、一目散に上野に向かったことは言うまでもない。
ワクワクと胸躍らせて初対面したパンダだったけれど…
「それ」はガラス張りの向こうで、うずくまったまま微動だにしない。
寝ているのか起きているのかもわからないが、とにかく動かない。
まるで、静止画を見ているようであった。
正直言って、僕たち夫婦も、子どもたちも、ガッカリだった。
まあ、パンダも四六時中走り回っているわけにもいかないだろうけどね。
大人も子どもも、何となく消化不良のまま、上野動物園を出た。
パンダが目の前で愛嬌たっぷりに走り回る姿を見られたのは、
それからさらに10年ほど経ってからで、場所は北京動物園であった。
当時、知り合いの女の子が北京の大学に留学していたので、
その子を訪ねて行く形で、初めて北京へ家族で旅行した。
北京の街の中のゴミゴミした薄汚さには驚いたけれど、
中国人たちの愛想の悪さ、マナーの悪さにはさらに驚いた。
食堂では、女店員がお手ふきをテーブルの客の前にポイと投げる。
書店で本を買い、窓口で代金を払うと、おつりをジャランと投げる。
百貨店では、店員同士が、客を無視しておしゃべりに興じている。
頤和園(いわえん)という景勝地の土産物屋で買い物をしようとしたら、
「今は昼休みだから働かないんだよん」 と店員に胸を張って断られるし…。
兵馬俑を展示していた建物の中には、中国語で、
「ここではしゃべるな。 静かにせよ!」
と大きく貼り紙がされているのに、そのすぐ横で、
職員同士がものすごい大声でしゃべっているのである。
それを見て僕は、あいた口がふさがらなかった。
とにかく、店員、売り子、役人、車掌、係員、職員、群集その他…
礼儀もヘチマもない。
行く先々でそんなことだから、うんざりすることの多い旅行だった。
(といっても、万里の長城などはさすがに素晴らしかったけど)
帰国する日、妻と2人で早朝からホテルを出て、歩いた。
行く先はそこから2キロほど離れた北京動物園だった。
せっかくだから最後に「本場」のパンダを見て帰ろうと思ったのだ。
北京動物園は早朝から開いている。
「熊猫館」という別料金が必要な場所にパンダがいる。
そこで見たパンダは、かつて上野動物園で見たパンダと大違いで、
思い切り走り回るわ、でんぐり返しはするわ、木に登るわ…
走って転んで起き上がってクルクル回って木に登って、てな調子。
世界の国々からやってきたお客さんたちは、拍手喝采で、
「熊猫館」は大きなどよめきと歓声に沸いていた。
北京旅行の最後にこの動物園を訪れたことが、
旅の印象をとてもさわやかなものに変えてくれた。
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パンダといえば、この旅行のことを思い出す。
今回の赤ちゃんパンダの死は、返す返すも残念ですね。
↓ これは北京動物園の入場券です。
右下に、この入場券で熊猫館などにも入れることが記されています。