僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

京都・大文字山へ

2011年10月29日 | ウォーク・自転車

京都の大文字の思い出を、8月17日のブログに書いた。
幼児の頃まで京都に住んでいた僕は、大阪へ行ってからも、
夏休みになれば必ず京都の実家に遊びに戻ってきた。
8月16日の「大文字」を眺めるのが一番の楽しみだった。

ところが今年は、3月の東日本大震災の津波で倒れた、
岩手県陸前高田市の松の薪を送り火で燃やす計画が出たが、
放射性物質が検出されたのされなかったのという大騒ぎがあり、
燃やす、燃やさない、と実行本部の二転三転の優柔不断の処置に、
日本中の人たちの大きな怒りと顰蹙を買ってしまった。

大文字を愛していた一人として、まことに遺憾な出来事であった。

で、2ヵ月後、その大文字山に登ることになるとは思いもしなかった。

  ………………………………………………………………………………

市役所時代にお世話になった山好きの先輩からメールが来た。
「久しぶりに、京都の山を歩きませんか?
 今回は、山科から大文字山へ行き、銀閣寺を通るコースです」

ここのところ半年以上も会っていない先輩である。
山歩きは長い間ブランクがある。脚力も最近は鍛えていない。
少し不安はあったが「行きます。楽しみです」と返事した。

…ということで先週の土曜日、夜明けまで雨が降っていたがそれも止み、
予定通り、天王寺から環状線で大阪まで行き、そこで新快速に乗り換えた。
JR京都駅の次の駅、山科で降りた。

メンバーは、他に誰か来るのかと思ったが、先輩と僕の2人だけだった。
久しぶりに会ったので、お互いの近況を報告し合い、会話が途切れなかった。

さて大文字山にはいくつかの登山ルートがあるが、
山科から歩くと距離も長いので運動量が増える…
という先輩の「少しでも長く歩きたがる」傾向がここでも出ていた。

たしかに、大文字山は標高500メートルにも満たない低い山だけど、
山科から歩くと、休憩を入れると頂上まで1時間半ほどかかった。
反対側の銀閣寺側から歩くとそこまで1時間もかからない。
その距離は、地図を見ればよくおわかりかと思う。



  
   黄色が大文字山を歩いたコース。山科、大文字山の山頂、銀閣寺。
   黄緑色が京都大学。
   水色が京阪出町柳駅。

 


そろそろ山に差しかかる時、3人の中高年の女性が歩いておられたので、
その方のお一人に、僕らの写真を撮ってもらうようお願いした。
写真が終った後「どちらまで行かれるのですか?」と、先輩。
「大文字山まで上がって、銀閣寺に下りようと思っています」
「あ、それじゃぁ、私たちと同じですね」と先輩が言うと、
「まあ、よかった。ついて行きますわ~」と女性たちは笑った。

僕は内心ホッとした。
だいたいこの先輩はハードなコースが好きなのである。
何回も山歩きに誘われているが、「大丈夫、大したことないよ」
と言うわりには、実際に行ってみると険しい山だったりする。

今日はまあ、低い大文字山だから大丈夫だろうとは思っていたが、
普通の人が通らないような変なコースの好きな先輩だから、まだ少し不安だった。
最近、運動といえば、ほとんどプールばかりで、長い距離を歩いていないしなぁ…。

でも、この女性たちは、わりに軽装である。
お年もかなり召しておられる。
その人たちと同じコースなんだから、まあ、今日は心配あるまい…
ということでホッとした、というわけである。

山に入ると、雨上がりでしっとりとした森の空気がおいしい。

僕も1時間ぐらいは登り道でも息は乱れなかったが、それが過ぎると、
だんだんと心拍数が上がり、話しても言葉が途切れがちになってきた。

長い間山を歩いていないし、最近はジョギングやウオーキングも量が落ちた。
明らかに下半身の筋力が衰えているのが自分でもよくわかった。

いつもなら、先に先輩の息づかいが荒くなるのに、今回は逆だ。

頂上に着いて、京都の街を一望できるベンチに座ったときは、
あぁ、やれやれ…という気分だった。おなかもペコペコだった。

山科の駅のコンビニで買った助六弁当の美味しかったこと。
しかも、目の前に絶景が広がる。

いなり寿司も巻き寿司も、つるつるとのどに入る。あぁ、うまい!

 

 
   大文字山の頂上から見た京都の街並み。雨上がりでもあり、空気が澄んでいた。
 

やがて3人組みの女性たちが着き、続いて数組の人たちが来て、
それぞれお弁当を広げ始めたので、まわりは賑やかになってきた。

頂上から少し降りると、大文字の送り火を燃やす「火床」へ出た。

街の中でこの山を見上げると、「大」の字がはっきり見えるけれど、
ここでは一つひとつの「火床」がポーンポーンと離れて置かれているので、
それが「大」の字のどの部分にあたるのか、よくわからない。
しかし、「火床」に沿って登山道を下っていくと、だんだんわかってくる。
これが「大」の字の「ノ」の部分なのだなぁ、という感じで…。

 

 
  これが大文字の火を燃やす 「火床」 。 これだけでは全体像はわかりませんが…

 

  
    出ました、おじゃまムシ。 火床の前で記念撮影。

 

ここから、わりに急な坂をどど~っと下って行くと、
普通の狭い道路に出て、登山道はこれでおしまい、ということになる。

その普通の狭い道路をほんの10秒ほど歩くと、
いきなり左右に道が現れ、驚くほどの人が歩いている。

ここがすでに銀閣寺だったのである。

大文字山を下りたところにいきなり銀閣寺があるとは…知らなんだ。


  
   このすぐ横が大文字山の登山口になっていたとは。
   京都には詳しい僕であったはずなのにぃ…

 

下り道でまた両足の筋肉を酷使し、かなり疲れた。それが表情に出たのか、
先輩は「もうちょっと、歩くで」と、僕に気を遣うように言うので、
「ここから出町柳まで歩いて京阪電車に乗りましょう。
 そこは始発駅だから、大阪まで座って帰れますもんね」
と僕が言うと、
「ピンポーン。そうやで、ここから出町柳まで歩くんや」

京都大学の前を通り、出町柳駅へ着いた。

駅の前をそのまま通り過ぎて、加茂川の橋を渡った。

この橋から、今登って来た大文字山の写真を撮るためである。

 
  加茂川から大文字を。今行ってきたばかりなので、親しみを感じる。

 

写真撮影を終えて、出町柳駅へ戻り、帰途に着いた。

帰りの電車の中で先輩が、
「今日は、本当の計画は、銀閣寺で終わりではなくて…」
と話し始めた。
「銀閣寺から比叡山の方へ歩いて行く予定だったんやけどなぁ」
「えっ? このコースだけでもクタクタなのに…」と僕はうんざり…という気で聞く。

実は、明け方まで雨が残っていたので、今日は決行するのかどうか、
今朝の6時の時点で連絡をもらうことになっていた。
前日までの予定では、午前7時半に阿倍野で待ち合わせることになっていたが、
この日の午前6時にかかってきた先輩からの電話では、、
「こんな天気やから、コースを一部変更するわ。待ち合わせ時間も9時にしよう」
と、7時半から急きょ9時に変わったのである。

帰りの電車で先輩が漏らした言葉には、そういう背景があった。

先輩の計画では、大阪を早い時間に出て、山科から大文字山へ登り、
銀閣寺に下りて、さらに比叡山の方へ歩いて行く…

という計画をしていたそうなのである。
久しぶりの登山でバテバテだったのに、もし天気が良くて、
計画通りのコースを歩くことになっていたら…と、考えただけでも恐ろしい。

僕と先輩は、かつて大阪~明石大橋往復100キロウオーク大会を一緒に完歩した。
先輩は、僕の今の体調を知らないので、僕がどこまでも歩けると踏んでいたようだ。
だからこの日、他の人を誘わず、「タフなはず」だった僕だけに声をかけたのだろう。
それだけハードなコースを、この恐ろしい山好き、歩き好きの先輩は計画していたのだ。

やっぱりなぁ。 そうだったんだ。
朝まで雨が降ってくれたことで、僕は救われたのだ。
今日のコースは、どちらかと言えば初心者向きである。
でも、最近脚力が弱くなっている僕には、これが精一杯だったもんね。

それにしても、銀閣寺に着いてやれやれ、と思ったところへ、
さあ、これから比叡山へ行くで~と言われたら、これはもう…

げぇっ、ヒエイザン! ヒエー」 と悲鳴を上げるしかない。

 

 

 

 

 

 

 

コメント
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