京都の大文字の思い出を、8月17日のブログに書いた。
幼児の頃まで京都に住んでいた僕は、大阪へ行ってからも、
夏休みになれば必ず京都の実家に遊びに戻ってきた。
8月16日の「大文字」を眺めるのが一番の楽しみだった。
ところが今年は、3月の東日本大震災の津波で倒れた、
岩手県陸前高田市の松の薪を送り火で燃やす計画が出たが、
放射性物質が検出されたのされなかったのという大騒ぎがあり、
燃やす、燃やさない、と実行本部の二転三転の優柔不断の処置に、
日本中の人たちの大きな怒りと顰蹙を買ってしまった。
大文字を愛していた一人として、まことに遺憾な出来事であった。
で、2ヵ月後、その大文字山に登ることになるとは思いもしなかった。
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市役所時代にお世話になった山好きの先輩からメールが来た。
「久しぶりに、京都の山を歩きませんか?
今回は、山科から大文字山へ行き、銀閣寺を通るコースです」
ここのところ半年以上も会っていない先輩である。
山歩きは長い間ブランクがある。脚力も最近は鍛えていない。
少し不安はあったが「行きます。楽しみです」と返事した。
…ということで先週の土曜日、夜明けまで雨が降っていたがそれも止み、
予定通り、天王寺から環状線で大阪まで行き、そこで新快速に乗り換えた。
JR京都駅の次の駅、山科で降りた。
メンバーは、他に誰か来るのかと思ったが、先輩と僕の2人だけだった。
久しぶりに会ったので、お互いの近況を報告し合い、会話が途切れなかった。
さて大文字山にはいくつかの登山ルートがあるが、
山科から歩くと距離も長いので運動量が増える…
という先輩の「少しでも長く歩きたがる」傾向がここでも出ていた。
たしかに、大文字山は標高500メートルにも満たない低い山だけど、
山科から歩くと、休憩を入れると頂上まで1時間半ほどかかった。
反対側の銀閣寺側から歩くとそこまで1時間もかからない。
その距離は、地図を見ればよくおわかりかと思う。
黄色が大文字山を歩いたコース。山科、大文字山の山頂、銀閣寺。
黄緑色が京都大学。
水色が京阪出町柳駅。
そろそろ山に差しかかる時、3人の中高年の女性が歩いておられたので、
その方のお一人に、僕らの写真を撮ってもらうようお願いした。
写真が終った後「どちらまで行かれるのですか?」と、先輩。
「大文字山まで上がって、銀閣寺に下りようと思っています」
「あ、それじゃぁ、私たちと同じですね」と先輩が言うと、
「まあ、よかった。ついて行きますわ~」と女性たちは笑った。
僕は内心ホッとした。
だいたいこの先輩はハードなコースが好きなのである。
何回も山歩きに誘われているが、「大丈夫、大したことないよ」
と言うわりには、実際に行ってみると険しい山だったりする。
今日はまあ、低い大文字山だから大丈夫だろうとは思っていたが、
普通の人が通らないような変なコースの好きな先輩だから、まだ少し不安だった。
最近、運動といえば、ほとんどプールばかりで、長い距離を歩いていないしなぁ…。
でも、この女性たちは、わりに軽装である。
お年もかなり召しておられる。
その人たちと同じコースなんだから、まあ、今日は心配あるまい…
ということでホッとした、というわけである。
山に入ると、雨上がりでしっとりとした森の空気がおいしい。
僕も1時間ぐらいは登り道でも息は乱れなかったが、それが過ぎると、
だんだんと心拍数が上がり、話しても言葉が途切れがちになってきた。
長い間山を歩いていないし、最近はジョギングやウオーキングも量が落ちた。
明らかに下半身の筋力が衰えているのが自分でもよくわかった。
いつもなら、先に先輩の息づかいが荒くなるのに、今回は逆だ。
頂上に着いて、京都の街を一望できるベンチに座ったときは、
あぁ、やれやれ…という気分だった。おなかもペコペコだった。
山科の駅のコンビニで買った助六弁当の美味しかったこと。
しかも、目の前に絶景が広がる。
いなり寿司も巻き寿司も、つるつるとのどに入る。あぁ、うまい!
大文字山の頂上から見た京都の街並み。雨上がりでもあり、空気が澄んでいた。
やがて3人組みの女性たちが着き、続いて数組の人たちが来て、
それぞれお弁当を広げ始めたので、まわりは賑やかになってきた。
頂上から少し降りると、大文字の送り火を燃やす「火床」へ出た。
街の中でこの山を見上げると、「大」の字がはっきり見えるけれど、
ここでは一つひとつの「火床」がポーンポーンと離れて置かれているので、
それが「大」の字のどの部分にあたるのか、よくわからない。
しかし、「火床」に沿って登山道を下っていくと、だんだんわかってくる。
これが「大」の字の「ノ」の部分なのだなぁ、という感じで…。
これが大文字の火を燃やす 「火床」 。 これだけでは全体像はわかりませんが…
出ました、おじゃまムシ。 火床の前で記念撮影。
ここから、わりに急な坂をどど~っと下って行くと、
普通の狭い道路に出て、登山道はこれでおしまい、ということになる。
その普通の狭い道路をほんの10秒ほど歩くと、
いきなり左右に道が現れ、驚くほどの人が歩いている。
ここがすでに銀閣寺だったのである。
大文字山を下りたところにいきなり銀閣寺があるとは…知らなんだ。
このすぐ横が大文字山の登山口になっていたとは。
京都には詳しい僕であったはずなのにぃ…
下り道でまた両足の筋肉を酷使し、かなり疲れた。それが表情に出たのか、
先輩は「もうちょっと、歩くで」と、僕に気を遣うように言うので、
「ここから出町柳まで歩いて京阪電車に乗りましょう。
そこは始発駅だから、大阪まで座って帰れますもんね」
と僕が言うと、
「ピンポーン。そうやで、ここから出町柳まで歩くんや」
京都大学の前を通り、出町柳駅へ着いた。
駅の前をそのまま通り過ぎて、加茂川の橋を渡った。
この橋から、今登って来た大文字山の写真を撮るためである。
加茂川から大文字を。今行ってきたばかりなので、親しみを感じる。
写真撮影を終えて、出町柳駅へ戻り、帰途に着いた。
帰りの電車の中で先輩が、
「今日は、本当の計画は、銀閣寺で終わりではなくて…」
と話し始めた。
「銀閣寺から比叡山の方へ歩いて行く予定だったんやけどなぁ」
「えっ? このコースだけでもクタクタなのに…」と僕はうんざり…という気で聞く。
実は、明け方まで雨が残っていたので、今日は決行するのかどうか、
今朝の6時の時点で連絡をもらうことになっていた。
前日までの予定では、午前7時半に阿倍野で待ち合わせることになっていたが、
この日の午前6時にかかってきた先輩からの電話では、、
「こんな天気やから、コースを一部変更するわ。待ち合わせ時間も9時にしよう」
と、7時半から急きょ9時に変わったのである。
帰りの電車で先輩が漏らした言葉には、そういう背景があった。
先輩の計画では、大阪を早い時間に出て、山科から大文字山へ登り、
銀閣寺に下りて、さらに比叡山の方へ歩いて行く…
という計画をしていたそうなのである。
久しぶりの登山でバテバテだったのに、もし天気が良くて、
計画通りのコースを歩くことになっていたら…と、考えただけでも恐ろしい。
僕と先輩は、かつて大阪~明石大橋往復100キロウオーク大会を一緒に完歩した。
先輩は、僕の今の体調を知らないので、僕がどこまでも歩けると踏んでいたようだ。
だからこの日、他の人を誘わず、「タフなはず」だった僕だけに声をかけたのだろう。
それだけハードなコースを、この恐ろしい山好き、歩き好きの先輩は計画していたのだ。
やっぱりなぁ。 そうだったんだ。
朝まで雨が降ってくれたことで、僕は救われたのだ。
今日のコースは、どちらかと言えば初心者向きである。
でも、最近脚力が弱くなっている僕には、これが精一杯だったもんね。
それにしても、銀閣寺に着いてやれやれ、と思ったところへ、
さあ、これから比叡山へ行くで~と言われたら、これはもう…
「げぇっ、ヒエイザン! ヒエー」 と悲鳴を上げるしかない。