いよいよチョー高齢社会である。どんどん年寄りが増えていく。
僕は団塊世代の最後の年の昭和24年生まれで、62歳である。
あと10年すれば、団塊世代の先陣は75歳に到達する。
そんな世情だから「老後の生き方」みたいな本がよく売れているようだ。
新聞の下の本の宣伝欄を見ても、「老い」に関する本が目白押しである。
僕も時々そういう本を読むのだけれど、どの本にも例外なく書かれているのが、
「今のうちに友だちを作っておこう、老後の楽しみは人との会話から生まれる」
というようなことだ。
まぁ、ひとり、あるいは夫婦2人で家に引きこもっているのは体に悪そうだ。
やっぱり、友だちとのおしゃべりが、脳を活性化させたりするのだろうね~。
じゃあ誰とでも友だちになれるかといえば、もちろんそうではない。
好き嫌いってものがある。当り前の話だけど。
また、ひとりのほうが気が楽…ってこともある。
よく、どういうお友だち(あるいは恋人)がいいですか…?
という質問があるけれど、これに対する、最も多い答えは、
「いっしょにいて楽しい人」だそうである。
ところが、この間、上野千鶴子さんのエッセイを読んでいると、
「いっしょにいて楽しい人」というのは話題の豊富な人だけど、
要するに、自分からしゃべってばかりいる人の代名詞だから、
こういう人が好かれるわけがない…。
…ということが書かれてあり、へぇ~、そっか、と感心した。
さすが~、京大を出てコロンビア大学などの客員教授を歴任し、
東大の大学院・社会学の研究科の教授をされてきた女史である。
というわけで、この上野千鶴子女史に言わせると、
「いっしょにいて楽しい人」というのは、換言すれば、
「きらわれる人」なんだそうである。
自分は話題豊富で人を楽しませている、と思い込んでいる男も女も、
一方的に自分のことばかりしゃべるので実は相手からきらわれている…
ということを、自覚すべきである、ということですよね。
あはは~… と、笑ってはいられない。 実は僕も、そんな人間だべ。
少なからずショックを受けた僕は、ではどんな人がいいのだ? と思う。
上野千鶴子さんは、「いっしょにいて気持ちのいい人」だという。
いっしょにいて「楽しい人」と「気持ちのいい人」の違いは何なのだ?
単に言葉の遊びだろ、という野暮な質問はこの際やめておきましょう。
で、「気持ちのいい人」とはどんな人なのかというと、
寡黙で、穏やかで、他人の話をよく聞く、
そして要所でぴりりと反応を入れたりする、
そんな人なのだそうだ…。
要はきちんと相手の話を聞いてコミュニケーションがとれるということ。
一方的に自分の話ばかりする人はきらわれる…ということ、ですよね。
高齢者の集まりでも、自分の自慢話ばかりする人、他人の過去を詮索する人、
説教癖のある人などは、たいてい仲間はずれにされる、ということである。
さらに理想を言えば、打てば響くような才気、ことばへの鋭敏な感覚、
ズラシやトボケなどの「芸」が、会話の中に入れられる人…が最高である。
…と、これは僕が言っているのではなく、上野千鶴子さんが、
「おひとりさまの老後」という本で書いていらっしゃる。
老後を楽しく過ごすというのも、なんともむずかし~いことなのだ。