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 僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

大阪城のイチョウ並木を散策

2021年11月19日 | ウォーク・自転車

昨日、久しぶりに大阪城へ行きました。もちろん、コロナ騒動が起きてからは初めてなので、約2年ぶりくらいになるでしょうか。

朝、妻が急に「大阪城へ行きたいわ~」と言ったので、では今から行こうということになって出かけた次第です。だいたい僕は何の予定もないので、即実行です。妻は大阪城の紅葉やイチョウを見たい、ということでした。

大阪城は都会と自然の両方の雰囲気が味わえ、昨日のようないいお天気の日は、とても素敵な行楽地でもあります。

近鉄電車でアベノまで行き、そこからJR環状線に乗って大阪城へ行くのが普通のルートですが、僕らはアベノから谷町筋を大阪城まで歩きました。

谷町筋に並ぶ由緒あるお寺などを眺めながら、歩くこと1時間余り。

やがて谷町4丁目の交差点に来て、そこを右折。NHKや大阪府警、大阪府庁舎などの大きな建物を仰ぎ見ながら、久しぶりに大阪城公園を訪れました。


  
 大手門。
 中央の向こうのほうにチラッと大阪城の天守閣が見えています。 

大阪城はいつもは外国人客が圧倒的に多いのですが、さすがに今はその姿は見えません。なので、普段より人の数が少なかったですね。



 
 お堀沿いの道を西から時計回りに歩いて行きました。
 向こうのビル街は、京橋の大阪ビジネスパークです。


 
 大阪城公園はイチョウ並木が素晴らしいです。
 お堀沿いの道に黄色く色づき、とても綺麗でした。
 

 
 お堀端に可愛い紅葉もあったので、そこでパチリ。
 久しぶりに大阪城を訪れて、気分は最高でした。
 
 以上、「大阪城お散歩日記」でした~

 


今日の1枚は、大阪城にちなんで、お城が背景です。
フランス・ロワール地方にある古城の中でも、
最も大きなお城であるシャンボール城です。


 
  まるで絵に描いたようなお城ですが、
  絵ではなく本物ですよ(
1994年10月)。

 

 

 

 

 

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セブンパーク天美がオープン 

2021年11月17日 | ウォーク・自転車

きょう(17日)、松原市に「セブンパーク天美」という超大型商業施設がオープンしました。数日前の夕方のテレビニュースでも「南大阪最大の商業施設が間もなくオープンします」と紹介されていたので、「楽しみやね」と妻と言い合っていました。

 
 オープン前のセブンパーク天美。ネットから拝借した写真です。

14日の日曜日、長男が来て「セブンパークへ行ってきたで」と言ったので、「えっ? まだオープンしてないやろ?」と僕。しかし実際その日行ったら営業していたと言うので、まさかウソではないだろう。「よし、明日、歩いて行ってみよう」と決めて、15日の月曜日、つまり一昨日に「セブンパーク天美」へのウオーキングに一人で出掛けました。

天美というのは松原市でも一番大阪市寄りにあって、わが家からはかなり遠い。ちなみに僕が定期的に通う松原徳洲会病院は、藤井寺駅から近鉄南大阪線に乗り、各駅停車で6つ目の駅である河内天美という駅で降りて、そこから歩く。「セブンパーク天美」を地図で確かめると、その病院からは近いようだった。

しかし家から歩いて行くにはかなり遠い。2時間近くかかるだろう、と思いながら、午前10時過ぎに家を出て、少し道を間違えたりして、ちょうどお昼ごろに到着。なるほど、藤井寺駅前にあるイオンなどとは比べ物にならないほどの巨大な建物だ。長男が言ったように、すでに営業されていた。店の人に聞くと、17日がグランドオープンで、その1週間前から「プレオープンしております」と言うことだった。ふむ。今は「プレオープン」だったのだ。お客さんも、割に大勢いた。

中を歩いてみたが、驚くほど広く、全部で200店舗あるということなので、その賑やかなこと。

1階から3階まで、お店がぎっしり。食料品売り場の「ライフ」を始め、マクドナルドやミスタードーナツ、スタバ、サブウェイ、ケンタッキー、サーティワンなどや、レストラン、コーヒー店があちこちにあり、ジョーシン電気やマツモトキヨシ、ニトリ、ダイソーなどお馴染みの店も数多く入り、ゲームセンター、英会話教室、そろばん学校、パソコン教室などもあり、丸善という大きな書店もあり、一度歩いただけではどこにそれがあったのか、頭の中がごちゃごちゃになってしまう(笑)。

さらに4階にはTOHOシネマズがあって、いろんな映画を上映している。

ということで、いやまぁ、本当にすごかったです。この建物の中を歩くだけでも相当なウオーキングができます。半日ぐらいは歩き回れるでしょうね。

フードコートで昼食をとり、またウロウロ歩きました。そして2時前にそこを出て、今度は来た道とは別のコースをたどり、途中、38年間勤めた松原市役所の前を通りました。ここへ来るのも何年ぶりでしょうか。

かなり足も疲れていましたが、何とか藤井寺まで戻り、イオンに寄ってハイボールなどを買い、家に着いたのが午後4時前。最後までどうにか歩き通すことができました。あ~しんど。

 ………………………………………………………………………………

そして、その翌日の16日(つまり昨日ですが)、妻と2人でまた「セブンパーク天美」へ行きました。今度は電車に乗り、河内天美駅で降りて徳洲会病院の前を通り、だいたいの見当をつけて歩いて行くと、間もなくその巨大な建物が目に入りました。「すごいわねぇ」と妻も目を見張っていました。このあたりは、もともと農地が広がっている地域なので、これだけ大きなものを建てることができたのでしょうね。


 
  建物を背景に。妻に撮ってもらいました。
  帽子とマスクでわかりにくいですが、僕です(笑)。


 
  入口の近くで。ここが正面エントランス(だったかな?)。

昨日もここへ来た僕ですが、妻を案内するどころか、どこにどのお店があったのか頭が混乱。また昨日のように、1~4階をせっせと歩き、数え切れないほど沢山のお店を巡りました。

3階に「サイゼリア」があったので、そこで昼食をとりました。よく冷えた赤ワインをクイっと飲み、チキンやドリアなどでお腹を満たしました。僕は「サイゼリア」が大好きで、以前のブログにも書きましたが、「セブンパーク天美」にもこのお店が入っていたとは思いも寄らず、なんか得したような感じです(笑)。

河内天美駅からだとゆっくり歩いても10分ほどなので、これからも時々来よう、ということになりました。

そうして、今日17日がグランドオープンの日。
きっと大人数のお客さんが詰めかけていることだと思います。

この近くに住まれている坂田繁数さんという元市議会議員の方が、今日のフェイスブックで、
「セブンパーク天美のグランドオープン日。午前10時前にはすでに長い渋滞が発生しています」
と書かれ、実際、車が渋滞している写真を掲載されていました。

今日は店内も大混雑であることが予想されます。
「サイゼリア」も満員で入れないかもしれない(笑)。
グランドオープンの前に行っておいてよかったです。

 

 

 

 

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妻の実家跡を訪ね歩き

2021年10月18日 | ウォーク・自転車

10月18日の今日、妻と大阪市内に出かけた。

前回は本町から心斎橋、難波を通って阿倍野まで歩いたことを書いたけれど、今日はコロナが収束しつつある中での「ウオーキング&外食」の第二弾です。

今回は、大阪市城東区の、妻が生まれ育った場所を歩くことに。

 ……………………………………………………………………

地下鉄中央線の緑橋駅まで行き、そこからウオーキングの開始。

妻が生まれ育った家は、緑橋駅からJR鴫野駅へ向かう場所で、東中浜という所にあったけれど、今はもう人手に渡って全く違う建物に変わっていた。

「え~? こんなになっちゃったの?」
長い間、ここに来ていない妻が驚いているのを横で見ながら、僕自身も、20歳の時の自転車旅行のあと、妻の両親に挨拶するため、初めてここへ来た時のことを思い出していた。もう50年以上も前のことだ。

結婚後、妻の実家として、ここには何度も来たけれど、妻の両親が亡くなり、長兄もここを引き払い(その後亡くなり)、土地・家屋ともに売却されたので、僕らも来ることがなくなった。もうずいぶん昔のことですけどね。

考えてみれば、妻も僕も、この場所に来るのは何十年ぶりだろうか。

妻は感慨深そうだった。
そりゃそうだろうね。
自分が生まれ育った場所なんだから。

さて、そのあと、
国道沿いの道をJR鴫野駅の方に歩き、駅の近くにある「城東中央病院」の前まで行った。この病院は、かつて妻の二番目の兄が院長をしていた病院で、妻も高校を卒業後、この病院で受付事務をしていた。僕が妻と知り合った時もその仕事をしていたし、結婚後も、長男が生まれるまではそこで働いていた。

懐かしい病院だけど、今はもう経営者も変わり、妻とも関係のない病院になっている。久しぶりに見たその病院の玄関から中をのぞきながら、2人で「へぇ~、この病院、懐かしいねぇ」と言い合っていたら、横から看護師さん風の女性が、「何かご用、ございますか?」と親切そうに言ってくれたので、「いえ、あの~、見ているだけですので」と答えて、そそくさとその場をあとにした。

さて、
そこからさらに歩いて京橋まで行き、環状線に乗って天王寺へ。

時間は12時を過ぎていた。
お腹もペコペコです。

天王寺駅ビル「MIO」の10階の和食店に入り、僕は天ぷらの盛り合わせとポテトチップスを注文して、冷たいビールをぐ~~~い!

あぁ、おいしい~
お腹も空いていたし喉も渇いていたしね。

という、今日の「出歩き」でした。

帰りの電車の中で、友達にこのことをメールしたら、すぐに、
「嫁さん孝行したなぁ」という返信が来ました。

今日のウォーキングは、嫁さん孝行、でしたか?

 

 



 

 

 

 

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アベノまでウオーキング

2021年05月25日 | ウォーク・自転車

今のコロナ禍での楽しみというのは、本を読むこと、歩くこと、テレビのニュースや映画・ドラマなどを見ること、ぐらいなものでしょうか。あっ、おいしいものをアテに家でお酒を飲むこともね!(これが一番か)。

で、その楽しみの一つであるウオーキングですが、最近は長い距離を歩いていないので今はどれだけの距離を歩けるか? という自身の体力のバロメーターとして一昨日の日曜日、アベノまで歩くことにしました。

わが家からアベノというのは、近鉄電車で言えば、藤井寺駅から数えて終点の阿部野橋まで12の駅があります。それで、だいたいの距離を想像していただけたらいいと思いますが、歩くコースにもよりますが、普通に歩いて3時間から4時間程度かかります。その日は午前9時過ぎに家を出ました。

前回、長距離を歩いたのが約2か月前で、その時は電車でまずアベノまで行き、そこから家の方を向いて歩きました。今回はその逆で、家からアベノまでよく似たコースを歩いたのですが、さすがに暑くなりましたねぇ。

大阪市内に入り、「長居通り」を西に向かって長居公園を目指しました。その時すでに11時を過ぎており、お腹も減って来たのでコンビニでパンと飲み物でも買おうと思いながら歩いていると、公園の手前に「スギ薬局」の大きな建物が見えました。最近の薬局は薬だけでなく、食べ物や飲み物も売っていますね。先月、近所にウエルシアという大きな薬局がオープンしたので行ってみたら、食料品がいっぱい並んでおり、酒類も販売されていたので驚いたものです。この「スギ薬局」も同様にいろんなものが並んでいましたが、僕はお昼に長居公園でパンでも食べるつもりにしていたので、菓子パンとカフェオレを買い、リュックに入れて公園に向かいました。

日曜日ということもあり、長居公園は家族連れや若いカップルや中高生くらいのグループなどで賑わっていました。シーツを敷いてお弁当を広げている人たちも沢山いました。僕は木陰のベンチに座り、そんな人たちを眺めながら、一人でパンをかじりつつ、やはり家の中よりもこういう屋外でくつろぐのがいいなぁ、と改めて思った次第です。

さて、お腹が膨れたところで、またウオーキング。
長居公園からあびこ筋という道路をアベノに向かって歩くと、遥か前方に「あべのハルカス」が見えてきました。しかし、徐々に右足のアキレス腱あたりに痛みを覚え始めたので歩く速度をゆるめる。そうして、しばらくすると元に戻ったのでやれやれと一安心。脚力だけが自慢のこの体なので、時々歩行中に足首や膝や大腿部が痛んだりすると「やっぱり衰えてきたのかなぁ」とガクっとくる。歩いているうちに回復するとホッとする。そういうことが最近ちょっと増えてきました。

途中、モミィが通う高校の前を通りました。日曜日だから校門はガッシリ閉まっていましたけど、2か月前のウオーキングでも、反対側からこの学校の前を通っているのでこれが二度目です。

そしてようやくアベノへ着き「キューズモール」という大型ショッピングセンターに入りました。建物の中は涼しいのでホッとします。ここの何階かの通路にソファが並んでいるので、そこへ行って体を休めようと思ったのですが

忘れていました。コロナで店舗の2階以上は閉鎖されているのです。あべのハルカスに入っている近鉄百貨店も、1階の化粧品売り場と地下の食料品売り場以外はこれまた閉鎖。反対側のショッピングセンターもやはり同じような状態。周りには大勢の人で賑わっていますが、お店はほとんど閉まっていました。そりゃそうですよね。緊急事態宣言下なんだから。うっかりしていました。

どこかに座って休みたいのに、そういう場所がないので、仕方なく、そのまま駅へ行って電車に乗ることに。

パラパラっとしか乗客がいない藤井寺行き各駅停車に乗り込み、座席にもたれ込んでやっと一息つけました。すると、斜め向かいの席に座っていたおじさんが、バッグの中から缶ビールを出して、グイっと飲んでいました。
おいおい、「電車飲み」かい?

そんなことでこの日のウオーキングは終了です。

家に帰り着いたのは午後3時を過ぎていました。
モミィがいなかったので「どこへ行ったの?」と妻に聞くと、
「お友だちと難波に行くと言って出て行ったわ」との返事。
う~む。アベノよりまだ向こうへ行ったのか。

夕飯にはまだ早かったのですが、きょう目についたことなどを妻に話しながら、よく冷えたビールを出してグイっとやった時のおいしかったこと。

これがあるからウオーキングはやめられない。

歩こう、歩こう、アルコール

すみません。
書かないつもりだったのに、
また書いてしまいました。

 

 

 

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4月から通う私立高校前をぶらぶらと

2021年03月26日 | ウォーク・自転車

4月からモミィが行くことになった私立高校は大阪市の阿倍野区にあります。これまで何度かその学校の前を通ったことがありますが、10年以上前か、あるいはもっと昔の話なので最近は見ていません。学校のホームページの写真を見ると、ずいぶん大きいビルのような校舎になっているので驚きました。

で、数日前、いいお天気だったので電車でアベノまで行き、そこから家の方角に向かってウオーキングをしたのですが、途中、その学校の前を通りました。もちろんそれが目的だったんですけどね。

 
賑やかな道路に沿って歩きました。
「都会」を歩くのは久しぶりです。

やがて学校が見えてきました。

道路を渡ったところから写真を撮りました。

 
 これがモミィが4月から通う学校です。

とても立派な建物で、先日不合格になった公立高校のあの古びた校舎とは雲泥の差です。ま、あくまで外見の話ですけど(笑)。

モミィはこれから3年間、この学校に通うことになるんだなぁ
と思いながら、しばらく立ち止まって校舎を眺めていました。
そしてそのあとまた、ウオーキングを続けました。

やがて長居公園にさしかかり、僕は公園の中を通って帰途に着きました。
長居公園も、桜がチラホラ咲き始めていました。

結局この日は、アベノから学校の前を通り、長居公園を抜け、途中回り道をしたりしてわが家まで15キロ以上あったと思いますが、休憩を入れて4時間ほどのウオーキングでした。

長居公園のこんな景色が、心を和ませてくれました。

  

  もう、すっかり春ですね~

 

 

 

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80歳で自転車日本一周

2021年02月27日 | ウォーク・自転車

年齢を重ねると体力も気力も衰えてくるというのは避けられないことですけど、僕もここ数年、そのことを身に沁みて感じています。そんなとき、いつも思い浮かぶのが、80歳で自転車の日本一周に挑戦した原野亀三郎さんという方です。

今から10年以上も前のことになりますが

自転車で長野県を出発した原野さんは、日本海側の道路に出て北上、北海道を巡った後、本州の太平洋側を南下、東北、関東、東海、近畿と走り、そのあと四国へわたり、さらに九州から沖縄まで足を延ばして、再び九州に戻ると、今度は日本海側を東へ走って出発地点の長野までペダルを漕ぎ続けたのです。

そして出発から1年2ヵ月が経った時、原野さんは長野県に入り、ついに自宅のゴールまであと20キロというところまで迫ってきた。

ところが、そこで信じられないことが起きたのです。

原野さんは、そこまで帰って来たところで、トンネル内でダンプカーに追突されて命を絶たれたのです。1万キロ近く走ってきたはずの原野さんが、自宅まであとわずか20キロというところで。なんという悲惨な出来事。

僕は事故があった翌日の新聞記事で、このことを知りました。読んで愕然としました。こんな形で自転車旅行が終わるとは、あまりといえばあまりです。残酷過ぎる!

その後、NHK総合テレビ「クローズアップ現代」で原野さんのドキュメンタリーが放送されました。僕はそれを見て、原野さんの旅行の詳細を知ったわけですが、番組は原野さんの旅行中の日記を紹介しながら、旅行の跡をたどって行く形で進められました。

出発の時、テントや食料で40キロも重さのある荷物を自転車に載せ、「よろめくようにスタート」した原野さんは、日本海の糸魚川に出た時、後部キャリアのビスが重みで外れ、荷物がずり落ち、難渋する。

風雨にさらされたテントでの宿泊。
1週間で疲労がピークに達する。
「身体がバリバリだ。重い」と日記に記した。

山形県内の国道でバランスを崩して転倒し、近くの診療所に駆け込む。
手首を2箇所骨折して、そのまま1週間の入院。

北海道をまわり、本州を南下しているとき、福島県内で大雨に遭う。
旅館に泊まって、原野さんはそこの女将さんと話す。
その女将さんが、テレビで原野さんの印象をこう語っていました。

「自転車でご旅行を楽しんでおられるんですね、と私が申し上げましたら、原野さんは『楽しくないですよ』と言われました。『楽しくない?』と私が聞き返しますと『足は痛いし腰は痛いし。今は苦しいだけです。あとから、楽しかったなぁ、と思い返せるから、一生懸命走っているのですよ』とおっしゃいました。その言葉が、胸に響きました」

まさにそのとおりだろうなぁ、と思います。

この言葉はそのまま僕自身の思いでもあります。自転車旅行の時、今はどれだけ苦しくても、家に帰ったら楽しい思い出になる、という一心で走り続けたし、それと同様、マラソンでも、走っている時は苦しいばかりで、走り終えた後に楽しい思い出となるということだけが力になっていたように思います。

それにしても、80歳で自転車日本一周旅行をしようという心身の逞しさは、どこから生まれてくるのでしょうか。

最近は、コロナ禍もあって僕も行動力が減退気味です。心身ともに活力が失われていくような気がしているので、今一度、原野さんの「踏み出す力」に思いを寄せようと、自分を刺激したくてこの話を書きました。

 

 

 

 

 

 

 

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心斎橋から道頓堀を久々に歩いたら

2020年11月07日 | ウォーク・自転車

一昨日(11月5日)、久ぶりに本当に久しぶりにミナミの繁華街、心斎橋から難波界隈を歩きました。

その日はお天気も穏やかだったので、妻と行くことにしたわけですが、この方面に出向くのは、コロナ禍以来、初めてです。つまり1年ほどご無沙汰でした。

家から地下鉄谷町線終点駅である八尾南というところまで歩いて、そこから地下鉄に乗ったのですが、地下鉄も、コロナ禍以来初めてとなります。

天王寺を過ぎ、谷町6丁目という駅で降りて、そこから長堀通りを西へテクテク歩き、松屋町筋と堺筋の交差点を通過。いやぁ、ほんまに久しぶりやねぇ、と妻と言いながら、秋空の下、気持のいいウオーキングでした。

やがて御堂筋が見えてきて、その手前の心斎橋筋で左折し、難波の道頓堀の方向へ歩きました。

心斎橋筋は、いつもだと外国人、特に中国人観光客が日本人よりも大勢いて、その人たちで通りはごった返すほど。圧倒的に多いドラッグストアは、どこの店も満員で、店から出てきた中国人の人達は、山ほどの品物を買ってそれを抱えて歩いている、というのが、この心斎橋筋のお馴染みの風景だったのですが

この日は、どのドラッグストアをのぞいて見ても誰もお客さんがいない。それはもう見事にガラガラ。店員さんの姿がチラホラ見えるだけ。ドラッグストアだけでなく、ほかの化粧品店や食べ物屋さんその他、いろんな業種の店が閑散としている。

中にはシャッターが閉まっていて、「閉店いたしました」と貼り紙がしてある店もいくつかあり、コロナ禍で受けた打撃の大きさを見せつけられました。

そんな通りを歩きながら、やがて道頓堀の有名な「グリコ看板」の前にやって来ました。

いつも写真撮影などで大賑わいの場所なのに、ここも、これまで見たことのないような人影まばらな風景でした。

下の写真は、2年前の10月30日のブログに載せたもので、大阪城から天王寺まで歩いた時に、道頓堀のグリコ看板前で撮った写真です。大勢の人が「名物」のグリコ看板をバックに写真を撮っています。

 
 ここに写っている人たちのほとんどが外国(ほぼ中国)人です。

 
ところが先日は、こんなに閑散としていました。

 
  
こんな感じです。
 (いずれも日・祝日ではなく平日で、時間帯も同じぐらい)。


外国人観光客が皆無だとこんなふうになるんですね。

このあと、ちょうどお昼時だったので、千日前の「がんこ なんば本店」に入って妻は定食、僕は天ぷらなどの一品をいくつか注文して瓶ビールを2本飲みました。

あぁ~ おいしい~!

食事を終えて、またそこから日本橋方面へ歩き、通天閣のすぐそばを通って天王寺へ行き、阿部野橋駅から近鉄電車に乗って帰途についたわけですが、

その通天閣周辺も、やはり人影が少なく、こんな感じでした。


  

通天閣の展望台の入口を見ると、普段は長い行列ができているのに、この日は誰も並んでいませんでした。

コロナ禍で繁華街へ行く人が減り、観光地も打撃を受けているということは新聞やテレビで知っていましたが、しかし最近は「GOTOキャンペーン」などである程度復活しているものと思っていました。でも現実は厳しいです。この日、心斎橋から難波、天王寺にかけて歩いてみて、改めてそのことを思い知らされました。

そして、ここ数日、また全国でコロナの感染者数が増えていますね。

北海道では今日の発表では過去最多の187人を記録していますし、大阪もどんどん増えています。

今日11月7日は冬の始まりを告げる「立冬」だそうですが、寒くなる季節を迎えてまたウィルスが勢いを増すというようなことにならないよう、祈るばかりです。

 

 

 

 

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久しぶりに阿部野までウオーキング

2020年09月23日 | ウォーク・自転車

このブログで初めて新型コロナウィルスについて書いたのは
今年の1月25日のことだった。

       

  「新型ウィルス、大丈夫か?」

その時「日本国内で3人目の感染者が出た」と書いています。その程度だったのがその後、これほどまで大変な事態になるとは、全く想像もできなかった。

あれから8か月。その間、心配性な僕は、一度も繁華街に出ることはありませんでした。妻とモミィは、何度か電車で阿部野まで行き、買い物をしたりしていましたが、僕は行っていません。

そうこうするうちに、最近は感染者数も減り始め、停滞している経済の再生もはからなければならない、ということで、4連休の前の19日から、いろんなイベントの開催制限が緩和されたし、人の移動も増えましたね。今日のニュースでは、全国各地の観光地に大勢の人々が集まっている光景が映し出されていました。

僕は、そんな旅行や観光地巡りにはまだ意欲は湧きませんが、久しぶりに繁華街には出たくなりました。そして連休2日目、22日の日曜日、妻とモミィがまた阿倍野へモミィの服を買いに行く、と言ったので、僕も阿部野へ行くことにしました。ただし僕は2人と違ってウオーキングです。

わが家から阿部野まで、距離にして15キロぐらい。この日は曇りがちで気温もそれほど高くなかったので、歩きやすい感じでした。まず僕が先に、午前9時半に家を出て、阿部野で落ち合うことに。

ウオーキングは毎日続けていますし、10階建ての府営住宅の階段を4~5往復する「朝トレ」も、始めてからもう1ヵ月以上経ちます。だからコロナで脚力が落ちたということはないと思いながらも、無事に15キロ先の阿倍野まで歩けるか、と少し心配でしたが、結局3時間かけ、12時半に阿部野へ着きました。

歩き始めた時は、大和川の堤防コースで人影の少ない場所だったので、僕はマスクをはずしていました。しかしだんだんと市街地になるにしたがって、歩いている人もマスクをつけた人が多くなり、阿部野が近づいてくるとほぼ100パーセントの歩行者がマスクをつけていたので、僕もあわててつけました。外を歩くときはなるべくマスクを外したいのですけど、仕方ないですね~

キューズモールというところで妻とモミィと合流し、3人で、昼食の場所を探しました。しかしこの日はどの店も超満員。ずら~っと行列ができている。比較的空いていると思われる「MIO」の10階の食堂街に行ったのですが、ここも、エレベーターに乗る時点から超満員。やっと10階にたどり着き、これまでもよく行った「北海道」というお店へ行ったのですが、ここもふだんと違ってメチャメチャ満員。外の椅子に、順番待ちの人たちが並んで座っている。

いやぁ。ほかの店も同じような賑わい。僕らはこの「MIO」の10階がこれほど大混雑したのを見たのは初めてでした。やはりこの4連休は、どこも多くの人出だったんですね~

で、「北海道」で待っていて、30分ほどしたら名前を呼ばれて店内に入り、僕は鶏肉タルタルソースの単品を頼んで瓶ビールを2本飲み、モミィは「鮭といくらの親子丼」を注文して美味しそうに食べていました。

 
 鮭とイクラの親子丼。
 モミィはとにかく海鮮系が好きなんです。

モミィはこの時すでにスカートを一着買ってもらっていましたが、まだまだこのあとも買いたいものがあるというので、食事を終えて、2人と別れました。

僕はそのまま電車に乗って帰ろうかな、と思ったのですが、まだ歩けそうなのでまた来た道を歩いて戻り、1時間半ほど歩き、針中野というところで電車に乗りました。

歩いた時間は行きが3時間で帰りが1時間半。合計4時間半(距離にして25キロ近く)歩くことができたのは、よかったなぁと思っています。

コロナ禍の期間、これだけ長い距離を歩いたことはなかったので、
今回、久々にこのウオーキングが達成できたのは、何よりでした。

これを機に、とりあえず、
大阪市内のウオーキングをまた再開したいと思います。


 
  せっかく買ったこの本も、
  活用しなければね~

 

 

 

 

 

 

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知床で会った人 ~胸のときめき~

2020年09月12日 | ウォーク・自転車

先日、テレビで北海道の知床半島が映し出されていたのを見て、忘れられない光景がよみがえってきました。もう50年も経つというのに、昨日のことのように覚えている風景と出来事。そして出会いと別れ。

20歳の時の自転車旅行中のことです。

日本最北端の宗谷岬へ到達したあと、オホーツク海沿いを走って数日後、網走へ着いた。網走市内に高校時代の恩師の奥さんの実家があり、そこで何泊かお世話になっていたときのことです。
「せっかくだから、知床を見に行きなさいよ」
と、家族の方に勧められたので、僕は一人で日帰りの知床見物に出かけたのだった。網走から列車に乗り、斜里まで行ってそこからウトロ行きのバスに乗り換えた。バスは満員で、補助席までぎっしりお客で埋まっていた。窓の外には馬鈴薯の花が真っ白に咲き乱れていた。

バスに揺られること1時間20分でウトロへ着いた。そこから僕が乗るのは遊覧船「はまなす号」。知床岬まで行って戻って来るコースだ。

  
 ウトロから知床岬の突端まで行って戻るコース。

船に乗る直前に、僕は一人の女の子と出会った。森繁久弥の「知床旅情」の歌碑の前で僕がじゃがいもの天ぷらを立ち食いしていたとき、
「それ、おいしいですか?」と彼女が聞いてきたのだ。
「はぁ、おいしいです」と僕。

 
 
「知床旅情」の歌碑の前で

それがきっかけで、彼女に頼んで歌碑をバックに写真を撮ってもらい、そのままいっしょに「はまなす号」に乗り込んだ。船では彼女と並んで座り、ほとんど黙ったまま知床半島の断崖と波しぶきの景観を眺めていた。勇壮で圧倒的な眺めだった。断崖の絶壁から滝がひゅーんという感じで流れ落ちている。野鳥の群れ、洞窟、ゴジラ岩、タコ岩、獅子岩

7月なのに風が冷たい。「はまなす号」は知床岬まで行き、Uターンしてまたウトロに向かった。「これからはもう、同じ景色だもんね」と、何か言い訳でもするように、僕はポツリポツリと彼女に話しかけ始めた。

彼女は神奈川県川崎市に住む大学2年生だという。僕より1学年下である。友だちと旅行していたが、今朝、連れの女性が先に帰り、自分1人が北海道に残って生まれて初めての1人旅がこれから始まるところだ、と言って目をキラキラと輝かせた。船がウトロに着くまでの間、僕らはず~っと、とりとめのない話に興じた。お互いの名前と住所も交換し合った。彼女は、和知律子さんといった。

 
僕が撮った律子さんの写真です。
向こうに知床半島が見えています。

ウトロに着いて船から下りると、今夜の泊まりはこのウトロに決めていると言う彼女だったけれど、「でも、まだ宿が決まっていないんですよ」と少し戸惑った表情を見せた。「ならいっしょに宿を探してあげる」と、2人で船着場近くの旅館案内所へ行き、女の子が一人でも安全そうな一軒の宿の予約をした。

そこで、ふと腕時計を見て僕は青ざめた。
「わっ、バスが出る時間や!」
このバスに乗り遅れると、網走にはまともな時間に戻れない。

バス停に向かって走り出した僕を、彼女があとから追いかけてくる。
ハァハァ、フーフー、と2人とも息切れ状態。

やがてバスが見えた。今にも出発しそうな気配だ。僕は短距離走の選手がゴールへ飛び込むような猛烈な勢いで突っ走り、バスに飛び乗った。
間一髪、セーフ! 
彼女も息を弾ませながらここまで走ってついてきてくれた。

さて、
ここでバスの扉が閉まり、僕は彼女に手を振り、彼女も僕に手を振りながら、映画のラストシーンのような粋な別れというはずだったが、なぜかバスはエンジンがかかったまま、扉も開いたままで、一向に出発する気配がない。

彼女は外。僕はバスの中の乗降口。お互いに見つめ合って立っている。バスには大勢のお客がいたが、みんなこちらを見ているような気がする。
何度も何度も、「じゃ」「気をつけて」とお互いに繰り返すが、バスはまだ出ない。あぁ、なんという間の悪さ。

「あのぉ」
いたたまれなくなった僕は、彼女に、もう見送りはいいから早く宿へ行くように、と言った。彼女も「はい」とうなずき、宿へ向かって歩き始めた。何回かこちらをふり返り、手を振る彼女の姿を見ながら、僕はいつの間にかボーっとしてしまい、いつバスが出たのかも気がつかなかった。

網走に戻ると、
「おかえり。どう、知床はよかったでしょ?」
と、ご家族が温かく迎えてくれた。

この日の夜、アポロ11号が人類で初めて月面着陸に成功した瞬間のテレビ中継を、その方たちといっしょに見た。
1969年(昭和44年)7月21日のことだった。

律子さんから、
「帰りはぜひ川崎市に寄ってくださいね」
と言われたのに、結局行かなかった。東京へは行ったのだが、いろいろな事情があって、東京から房総半島へまわり、そこからフェリーで三浦半島まで渡り、そのまま箱根の方へ向かうというコースをたどったのだ。だから律子さんとは、そのあと一度も会うことはなかった。

あれから50年余。

最近、コロナ禍で家にいる時間が長くなり、昔の日記や手紙を整理することが多くなったけれど、「自転車旅行」のファイルの中からその律子さんの手紙が出てきた時は驚いた。と同時に、胸がときめいた。

大きいめの原稿用紙に書かれた手紙。

無事帰阪とのこと、安心しました。川崎に寄ってくれると思っていました。知床では宿を捜していただきありがとうございました。客は私ひとりで、ちょっと寂しかったけれど、夕方、ウトロの丘に登ってすばらしい夕暮れをみて、ロマンチックな気分にひたることができました。

という書き出しから始まる手紙。

あぁやっぱりあの時、神奈川県川崎市の律子さんのおうちに寄っておいたらよかったなぁ、なんて今ごろ思った僕です(遅すぎるわ)。

さて、これは手紙の2枚目です。

 

私も男の子だったら、自転車で日本一周してやるのにな。
残念です。
また暇がありましたら、お便りください。
乱筆乱文にて、失礼します。
             律子


今も川崎市か、その近くにお住まいなのか。
この歳になっても、まだ胸がときめきます。

モミィが聞いたら、ゲラゲラ笑うでしょうけど。

 

 

 

 

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半世紀前に出したハガキが戻る

2020年06月17日 | ウォーク・自転車

昨日、学生時代からの古い友人から1通の手紙が届いた。

若い頃は一番の親友で、僕の結婚式の時は友人代表で挨拶をしてくれ、彼の結婚式の時には僕が司会をした。そして20数年経ち、今度はその友人の娘さんの結婚披露宴に招かれて、僕が主賓の挨拶をさせていただいた。

彼は今、大阪の守口市に住んでいるが、会わなくなってから10年ほど経っている。そして5年前に母が亡くなった時に電話で話したのを最後に、お互い年賀状のやり取りだけの関係になっていた。

その彼から手紙が来たので、何事かと思い、急いで封筒を開けた。

中には薄汚れたハガキが何枚か入っていてゴムバンドで止められていた。そして便せんには「前略 お元気ですか」で始まり、そのあとは、びっくりするようなことが書かれていた。要約すると

君の北海道への自転車旅行から50年余り経ちましたね。6月17日が出発日だったと思うので、その日に間に合うようこれ(当時、僕が旅先から出したハガキ)を送ります。コロナの禁足令のおかげで、学生時代から卒業後のしばらくの時間旅行(タイムトラベル)をしています。暑くなりますが体に気をつけてください。

というようなものだった。

これは昨日の話なので、「そうか、明日は6月17日で、自転車旅行に出発した日なんだ」と、僕はこの手紙を見て初めてそのことに気がついた。今まで6月17日は絶対忘れない日のはずだったのに、今年はすっかり忘れていたんだ。でも、友人はよくそんなことを知っていたもんだなぁ。

やれやれ、ボクも年ですかねぇ。最近では今日が何日かもわからないので、翌日が6月17日だということも念頭になく、友人からの手紙で気がついたわけで、思わず笑ってしまいました。

友人は「学生時代から卒業後のしばらくの時間旅行(タイムトラベル)をしています」と書いていたが、多分、コロナで家にいる時間が長いので、若い頃のいろんなものの整理をしていたのだろう。そこで僕が出したハガキを見て、6月17日が近づいているので送ってやろう、と思ったのだと推測できる。

 
封筒には7通のハガキが入っていた。

で、その手紙に同封されていた古いハガキは、僕がその旅行中に彼に送ったもので、全部で7通あった。我ながら下手くそな字だなぁ、と思いながら1枚1枚を手に取ってみた。

僕の自転車旅行は、大阪からまず日本海沿いを走り、青森から函館、そして北海道を時計回りで1周し、帰途は太平洋沿いの東北、関東、中部地方を走って大阪へ帰るというコースだった。そして、旅の途中、家族や多くの知人に、毎日のように手紙やハガキを書いて送った。

  …………………………………………………………………………

友人への7通のハガキの1通目は新潟から出したものだった
出発の日から新潟に着いた日(6月24日)までの出来事を箇条書きで記している。

2通目は函館から(消印は7月2日とある)。
「ハルバル来たぜハコダテェ~。淋しいけど最後までがんばる。本当のことをいえば今すぐにでも帰りたい気持ち」

3通目は稚内から(消印は7月13日)。
稚内公園のスタンプを押し、
「最北端へ来ました。ありがとう」とだけ書いています。

4通目は北海道を終え下北半島の大間崎から(消印は8月2日)。
内容は、「北海道をぐるっと回り終え、毎日めまぐるしくいろんなことが起こり、思い出すとおもしろい」とハガキにギッシリと北海道の感想を書いています。最後に「よければ仙台市中央郵便局留めで便り下さい」と加えています。

5通目は石川啄木のふるさと、岩手県渋民村から(消印8月7日)。
7通のうち、唯一の絵はがきで、岩手山や北上川の風景写真と啄木が詠んだ歌が記載されています。

6通目は仙台から(消印は8月10日)。
岩手県から宮城県仙台市までのいろんなエピソードを書いています。

最後の7通目は神奈川県鎌倉市から(消印は8月21日)。
内容は、「25日頃帰る予定(中略)僕はこの旅行は、自分のたよりなさを知らされた旅だと痛感する」
などと、なんだか神妙なことを書いています。

  …………………………………………………………………………

以上のような古いハガキの話でした。

そういえば、5年前に友人と電話で話した時、
「君が自転車旅行中にくれたハガキ、まだ持ってんねん」と彼が言った。
「なんでそんな古いもん持ってるんや。捨てろや、もう」と僕。
「捨てにくいやん。そっちに送ろか?」と言うので、
「いらん、いらん。破って捨てて」と強く断ったことを覚えている。
なのに、5年後に、いきなり送って来た。ほんとにもう~

と言いながらも、自分が半世紀も前に書いたハガキを見るのは、どこか奇妙な感じだけど、やはり懐かしくもありますね。


6通目の仙台から送ったハガキを紹介します。


 

仙台駅のスタンプも押してありますが、文章の内容は

啄木の碑をみて、高村光太郎の山荘でテントをはって、宮沢賢治の碑をみて、平泉では芭蕉の句をみてーーーこのところ文学紀行のような感じ。きのう一関郊外でスピードを出しすぎてひっくり返り、あやうくうしろの車にひかれそうだった。ひじをすりむいた。ああ帰りたい帰りたい。速達で手紙ありがとうね。
(原文ママ)


というわけで、今日6月17日は自転車旅行の出発の日でした。

人から教えてもらったわけですけどね(笑)。

このブログを書きながら、
僕も20歳の頃の自分にタイムスリップしていました。

 

 

 

 

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「のんが くる」 ~長良川の戦い~

2020年05月11日 | ウォーク・自転車

「コロナ」の流行でテレビの視聴量が急増している、と先日の新聞に書かれていました。やはり家にいる人が増え、コロナが常に気になるので、ニュースや情報番組を見る人が増えたということでしょうね。

僕はニュース以外に、ドラマもよく見ています。
特に面白いのが、
「いいね!光源氏くん」
光源氏が現代にタイムスリップする奇想天外なお話だけど、毎週、録画したのをモミィも入れて3人で楽しんで見ている。
朝ドラの「エール」も、窪田正孝と二階堂ふみの意気投合したやりとりに笑ったり勇気づけられたりして、なかなかいいですね。先が楽しみです。
時代劇では「鳴門秘帖」が面白かったですけど、もう終わってしまった。
もちろん大河ドラマの「麒麟がくる」も熱心に見ています。

で、今日は「麒麟がくる」の話というより、それに関する自分の思い出話なんですけど

昨日(10日)の「麒麟がくる」は前半のクライマックスとも言える「長良川の戦い」でした。「モックン」こと本木雅弘が扮する斎藤道三が、長男である斎藤高政と戦い、討ち死にをするという見応えのある展開でした。

美濃の長良川を挟んで、道三と高政が対峙し、ドラマでは川の中でも戦いが繰り広げられていました。道三の城は稲葉山城で、後に信長の城となった今の岐阜城です。僕は長良川の戦いのシーンを見ながら、むかし、31歳の夏の、4日間の岐阜方面への自転車旅行のことを思い出したのでした。1980年の8月のことです。

思えば、20歳の時の大阪~北海道往復自転車旅行に続き、29歳の時に四国一周、30歳の時に九州一周、31歳で中国地方一周をして、一応日本一周を遂げることができた。では次は日本の中部を走ろうと思い、大阪から飛騨高山までを往復することにしたのです。日程は4日間。初日は岐阜泊、2日目は高山泊、3日目は帰路で名古屋泊、そして4日目に大阪に帰る、というスケジュール。距離にすると670キロほどあり、割にきつい行程でした。

その初日です。大阪から京都を経て琵琶湖の東岸を走り、米原、関ケ原を経て、途中自転車がパンクするアクシデントもあったが何とか自分で修理し、夕暮れ時に岐阜の中心に着いた。しかし市内の「共済宿泊施設」は、どこへ電話しても、夏休みということもあり、満室で断られた。仕方なく野宿することにし、地図に載っていた岐阜公園というところへ行き、そこのベンチに腰掛けた。

買っておいた食べ物とウィスキーで夕食。あとは寝袋に入り、ベンチに仰向けになって、ふと見たら、ほぼ真上に金華山(旧の稲葉山)が見えて、その頂上にある岐阜城がうっすらと灯に照らされ、幻のように浮かんでいるのが見えた。

しばらくすると、その金華山の向こう側で「ポーン、ドドドーン」と、花火が炸裂する音が響いて来た。あれはたぶん長良川の鵜飼いが佳境に入っているのだろう(鵜飼いのことは事前にガイドブックで見て知っていた)。

そして眠りかけた9時半頃。ポツポツと雨が降って来た。雨はあっという間に本降りになり、僕はあわてて寝袋から出て、近くにあった公衆電話ボックスに寝袋と貴重品を持って入り込んだ。そこで朝まで寝袋を抱きかかえ、しゃがみ込んだまま、うつらうつらした。わが人生で、電話ボックスの中で宿泊したのはこの時限りである(笑)。

遥か頭上にそびえ立つ岐阜城をうらめしく見ながら過ごした一夜だった。

遠い昔の記憶の一光景が「麒麟がくる」の「長良川の対決」を見て、また鮮明によみがえったわけです。

翌朝、ロクに睡眠もとれないまま、早朝に岐阜公園を出て、飛騨高山に向かう。雨は止んでいたが、国道156号線を北上、美濃まで行くとまたパラついてきた。雨具をつけて走っていると長良川が近づいてきて、そのあと、ピッタリ道路と並行しはじめた。雨はまた本降りに。普段なら美しいはずの長良川も、この時は灰色に濁っていた。そのうち土砂降りになってきたので、たまらず道路脇の屋根付きバス停に避難し、約40分間、道路の横を流れる長良川を見ていた。雨の勢いが少し鈍ったところで再度出発。いつのまにか四方は山に囲まれ、まわりは山と川だけの風景に変わっていた。長良川と並走しながらようやく郡上八幡駅に着いた。

駅でトイレに行き、顔を洗い、歯を磨き、休憩した。郡上八幡はとてもいい駅だった。そこに45分間ぐらいいたが、雨が止んだようだったので再び出発。ここからは国道156号線と別れ「郡上街道」と表示された山間コースに入る。標識には、「高山まで78キロ」とあった。時計を見ると午前11時。あと78キロかとため息をつきながら、出発した。

と、話はここまでです。

それにしても、かつて斎藤道三の城だった旧稲葉山城を眺めながら電話ボックスで一夜を過ごし、翌日も長良川沿いの道を、雨と格闘しながら走った。

この一連のトホホな体験談を、いま改めて、
「長良川の戦い」
と名付けたいと思います。

 


 
岐阜公園から見上げた岐阜城(旧稲葉山城)は、
こんなイメージでした(写真はネットから)。


 
岐阜公園内で。今夜はここで野宿することに決めたのですが、
まさか大雨で公衆電話に避難しなければならなかったとはね。
(誰に撮ってもらったのか忘れた。自動シャッターかな?)



翌日、美濃へ入る前。道行く人に撮ってもらった。
美濃から郡上八幡までは、雨の中を長良川に沿って走った。


   
 郡上八幡駅に自転車ごと入れさせてもらった。
 ゆっくり安らげて、とても感じのいい駅でした。


 
さて、その郡上八幡駅を出てすぐに、
「高山まで78キロ」との標識があった。
かなり標高の高い山々が行く手に立ちはだかる。
「長良川の戦い」の次は「飛騨高山の戦い」だ。

 

…………………………………………………………………………

 

★おまけ

昨日は母の日ということで、モミィが一人で駅前の花屋さんへ行き、カーネーションを買ってきました。その写真です。


  

 

 

 

 

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最後のウダウダ会 浪速の橋めぐり

2019年06月09日 | ウォーク・自転車

このブログを以前から読んでくださっている方は「ウダウダ会」というのをご存知だと思います。15人前後の仲間が集まって、近郊のいろんな場所をウオーキングする会で、つまり「歩こう会」なんですが、歩いた後の打ち上げで飲んで騒ぐのが楽しみの会なので、別名「あるこーる会」とも言います(言わへんわ!)。

思えば2010年(平成22年)の3月。それまでも一緒にウオーキングとお酒を楽しんでいたグループの幹事さんから、1通のウオーキングの案内封筒が届きました。その差出人のところに「日本ウダウダ会」と書かれていました。「なに、それ?」と思いながら封筒を開けました。それがウダウダ会の始まりでした。


   
初めて「ウダウダ会」の案内状をもらったのがこれ。
(2010年3月30日のブログに掲載した写真です)


以後、それまで5、6人だったメンバーが、10人ぐらいから20人近くにまで増え、今年で10年目を迎えました。

そして今回、先週の日曜日(2日)に約半年ぶりにウダウダ会があって、僕も出席しました。

ところが

今回の会長さんからのその案内文には、

「ウダウダ会も回を重ね幾星霜でありますが、今回の例会を機に休会といたしたく思います。(中略)。楽しい時間を共に過ごさせていただきありがとうございました」

とありました。
つまり、ウダウダ会は事実上、今回が最後、ということのようでした。ちょっとビックリしましたけど、お世話をしていただいていた幹事さんや、その周辺の人たちも高齢化してきたので、それもやむを得ないことなのかとも思ったり。むろん僕も他人事ではありませんが。

………………………………………………………………………………

さて、6月2日に行われた「最後のウダウダ会」ですが、今回は「浪速の橋づくし」というテーマ。大正区から港区にかけて、大きな橋の多い、大阪湾のすぐ近くを歩きました。まぁ、「橋づくし」と言っても、渡った主な橋といえば「新木津川大橋」と「なみはや大橋」の2つでしたけどね~

 

これは大阪市の西側の地図ですが、「33」のワクの中を見ていただくと、下の方に小さな字ですが「船町」というところがあります。そのすぐ下に赤い印をつけたのが「新木津川大橋」で、その上に「鶴町」というところがあって、その上に同様の赤い印をつけたのが「なみはや大橋」です。大阪以外にお住まいの方にはわかりにくいと思いますが、地図の左側はもう大阪港なので、まあ大体そんな場所だと思っていただければ幸いです。

地下鉄四つ橋線の「北加賀谷駅」で降りてここからウオーク。出席人数は16人(だったような気がする)。賑やかな通りの歩道を歩きながら、やがて最初の「新木津川大橋」にかかります。地図をどうぞ。

 

地図の一番下の東西の道路(南港通り)を右から来て上に曲がり、新木津川大橋に入ります。川幅だけの橋ではなく、その前後の工場街もまたいでいるので、橋の距離はとても長いです。

 

 
これはネットの新木津川大橋の写真です。
幹事さんの説明によると、この橋の頂部は海面から50mの高さとか

 

 
車道の横に歩道があるのでゆったりと歩けます。

 

 
橋の上から東(大阪湾とは反対方向)を眺めると、
ほぼ真ん中に、あべのハルカスが見えています

 
この日はずっと曇り空だったので暑さに参ることはなく、ラッキーでした。
ただ、その分景色は少しぼやけて見えましたけど。ま、贅沢は言えません。

そして新木津川大橋を渡って船町というところまで歩き、そこから出ている渡船に乗ることになりました。本来なら橋歩きなので別のルーが予定されていたのですが、4年前の夏の「渡船めぐり」に参加していなかったメンバーが「ぜひ船に乗りたい!」と希望したので、ここだけ橋ではなく船で川(運河)を渡りました。

 
大阪市が運営する渡船は橋に代わるものなので、船賃は無料です。


 
乗り込んだのは僕たち一行だけでした。
渡船時間は1分足らず。すぐに向こう岸に着きました。

4年前の「渡船めぐり」でもこの渡船に乗ったのを懐かしく思い出しますが、あれからもう4年も経つとは、早いな~

さて、船で向こう岸に行き、またテクテク。途中、公園で、幹事さんたちが用意してくれたパンや飲み物などで軽い昼食をとりました。

次は「なみはや大橋」です。

 
「なみはや大橋」は地図では左上のほうですが、実際の橋は、
それよりずっと下から始まっています。だから長いわけですね。

大阪市のHPによると、このなみはや大橋について、

尻無川の最河口部にS字を描きながら軽快に渡っているのがなみはや大橋です。このあたりは港湾施設が立地しており、大型船の往来も激しいことから、高くかつ長い橋が必要で、かつ両側の道路の方向が食い違っているため、曲線が可能な形式である箱型断面をもつ桁橋が採用されました。
S字のカーブが入った複雑な形を有し、中央のスパン250m、アプローチの高架橋の長さを加えると、全長で1.6kmにもなる長い橋となっています。

という解説が載っていました。

全長1.6km! ホント、長い橋です。ネットでの写真をご覧ください。

 
こう見るとまっすぐの橋のようですが


 
途中からこういう曲線を描いています。なにせ長いですから。


ここからは、また僕が撮った当日の写真です。


 
いやまぁ、長い橋ですよね。
向こうの方が曲がっているのがチラッと見えます。 


 
同行の人に撮ってもらいました。
天候もパッとせず、人物もパッとしませんが。


 
途中まで長い長い上りが続いて、少し疲れました。
これはやっと下りについたところ。本当に長い橋です。

ということで長い長い「なみはや大橋」を渡り切り、港区に入って天保山のほうへ歩いて行くと

急に外国人女性、それもスタイルのいい若い女性の姿があちこちに見えてきました。この近くにあるUSJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)で、いろんなイベントに出演している外国人女性たちです。金髪で碧い目のお姉さんが歩いていたり、自転車に乗って猛烈なスピードで僕らを追い抜いて行ったりしていました(ちょっと危ないで)。

そしてウダウダの一行は地下鉄の大阪港駅に着き、ウオーキングも無事終了したのでした。

そこから地下鉄とバスを乗り継いで、松原市内にある幹事さんの行きつけのお店を借り切って、3時半過ぎから宴会が始まりました。

キンキンに冷えた生ビール。
いつものことながら、美味しい!

メンバーからは、ウダウダ会もこれで終了ではなく、また機会があれば集まりたいね、という声も出て、ワイワイと盛り上がり、僕も気持ちよく酔い、さらに最後のほうは記憶も曖昧なほどになりました(相変わらずですわ)。で、親切な後輩のT君に家まで送ってもらいました。彼には何度か送ってもらっています。うちの長男より一歳だけ上という若い人ですが、ホント、ありがとうね。

それにしても

この日ワイワイ・ウダウダと盛り上がった宴会が、ウダウダ会にとっての「最後の晩餐」になるのであれば、ちょっと寂しいですね~

 

 

 

 

 

 

 

 

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初めて女性と寝た夜??

2019年05月30日 | ウォーク・自転車

今日は怪しいタイトルですけど、どんな展開になりますことやら。

さて、今ごろになってこんなことを書くのは遅きに失したのですが、4月5日に、「なつぞら」の放牧シーンで思い出した “恐怖の体験”  という記事を書きました。4月から始まった朝ドラ「なつぞら」は北海道の大自然が舞台で、牛の放牧シーンが出てくるのを見て、僕自身が北海道自転車旅行中に体験した話を思い出し、そのことを書いたものでした。

どんなことかといえば

オホーツク海沿いの道を走っていた時のこと。海辺の野原にテントを張って野宿をしたのですが、その朝、放牧されていた牛が近づいて来てテントを踏み倒した、というビックリの体験談を書いたものでした。

その記事に関して、その次の記事(4月8日)のコメント欄に、以前からコメントをいただいてきた馴染みのBPSさんからコメントが入り、

ところで、ひとつ前の日記、 【「なつぞら」 の放牧シーンで思い出した “恐怖の体験” 】 ですが、あの日はお独りでしたっけ?

という文章がつづられていました。うむ。さすがBPSさんだな、と思いながら、それに対して、こうお伝えしました。

実は1人ではありません。女性と2人でした(冷や汗!)。 しかしまぁ、さすがによくご存じでしたね~。それを書くと話がそれたり長くなったりするので、牛だけの話に絞りましたが、実際は自転車日本一周中の女性と道で出会い、意気投合して僕のテントで2泊したのでした。近いうち、その話もちゃんと書きますわ。他の読者の皆様に「誤解」されてはいけませんので(笑)。

と、お返事しました。BPSさんが僕の自転車旅行記を丁寧に読んでくださっていたことは承知していましたので、「やっぱり覚えてもらっていたんだなぁ」という思いを新たにしました。

で、それを書こう書こうと思いながら、もう2ヵ月近く経ってしまいました。朝ドラのほうも、舞台はすでに北海道から東京に移り、主人公のなつが漫画映画の世界を目指し、牛の放牧シーンはほとんど見られなくなりましたけどね~

 …………………………………………………………………………

さて前置きが長くなりましたが、その北海道で牛にテントを倒された時のことですが

BPSさんへのお返事にも書きましたように、その時は1人ではなく、自転車で日本一周をしていた20歳の女性と一緒だったのです。つまり2人で一つのテントの中で寝たというわけです。何だか怪しげな話になってきましたが(笑)。

なぜそんなことになったのかと言うと

ほとんど人影のないオホーツク海沿いのガタガタ道を走っていたら、向こうから「その人」が自転車でやって来た。お互いサイクリスト同士だから止まって挨拶を交わした。日焼けした顔と逞しそうな体格を見て、てっきり男性だと思って間近で見たら、なんと女性だった。

「こんにちは~」 「は~い、こんにちは」

と言いながら、僕はこの旅行中に会った何人かのサイクリストから、今この北海道を日本一周中の女性が走っている、という噂を聞いていたので、すぐにその人だとわかった。僕と同じ大阪の人で年齢も20歳。「はぁ、この女性かぁ」と、改めて彼女を見つめた。

すると彼女のほうも僕の噂を他のサイクリストから聞いていたそうで、「大阪の学生さんでしょ? 言葉ですぐにわかったわ。それに、小柄で高校生か中学生みたいだって聞いていたし」と言ったのだった。(だれが中学生やねん)

時刻は午後3時半だった。意気投合して立ち話が続いた。そして僕は「いつもどこで泊っているの?」と聞くと、さすがに若い女性なので僕みたいにテントで野宿はできないので、旅館に泊まっているという。

そのうち、彼女は少し態度をあらためて、「わたしはユミ子。ユミちゃんです。君は今日はどこで泊るの?」と僕に尋ねた。僕は「適当なところでテントを張るよ」と答えた。するとユミちゃんは驚くようなことを口にした。

「わたしはね、ずっと旅館に泊ってきたんだけど、一度、野宿がしたかったの。今晩、テントにいっしょに泊めてよ」
「テントに? いっしょに泊まるの?」
「そうよ。キャンプしようよ。いいなぁ、テント。男の人はいいよね。どこでも泊れるからねぇ。その点、女は損だよ。よ〜し、きょうは君のテントでいっしょに野宿をするよ。いいでしょう?」

僕は多少戸惑いながらも「ええよ」と答えた。別に反対する理由もないし。

ユミちゃんは「やったぜ、ベイビー!」と、この年に大流行した言葉を発し、大いなる喜びようで、「よ〜し。今日はここで野宿だぞぉ!わーい。初めての野宿だぁ」と、道の真ん中で両手を突き上げ、大声で歓声を上げた。

その場で浜辺の草原に降りてテントを張ったあと、2人で近くの村まで行って食料品店を見つけ、パンやハムなどの食料を買い込んだ。店のおじさんから「あんたたち、夫婦かい?」と聞かれたので「いいえ、いま会ったばっかりです」と言ったら「そうかい?」と言いながらも、腑に落ちない顔をしていた(笑)。

夜はユミちゃんがその辺から集めてきた枯れ木のクズでキャンプファイヤーをし、いろんなことを話した。途中から、彼女の身の上話になった。

彼女は梅田の地下街でウエイトレスをしてお金を貯め、念願の自転車日本一周に出たという。しかし何と言っても女性なのだから、旅行中は決して油断せず、特に男性には十分警戒しなければならない、な~んてことを言った。だから宿泊は必ず旅館と決めていた。旅行に出てから、旅館以外で泊まるのは本当にこれが初めてだという。

「だったら、なんで僕のテントに泊まろうと思ったの?」と聞くと、ユミちゃんはニンマリ笑って、僕ならどう見ても安全に思えたし、しかも大阪同士なので気が合いそうだったから、と答えたのだった。
(これって、喜んでいいわけ?)。

夜も10時半になり、そろそろ寝ようか、ということになった。僕は寝袋をひとつ持っていて、いつもテントの中で寝袋にくるまって寝ていたのだけれど、さすがに相手は女性だから寝袋を彼女に提供した。「え~、寝袋使わせてくれるの。うれしい!」と言って、そこにすっぽりと入った彼女の横に僕はごろんと横たわり、そのまま話を続けた。寝たのは夜中の1時半ぐらいだった。

これが、僕が生まれて初めて女性と2人で寝た夜でした。まあ、より正しく表現するなら「2人で寝た」ではなく「2人で眠った」ですけどね(笑)。

そして翌朝、牛たちがテントにやってきて、僕らが外に避難すると、1頭のいたずらな牛がテントを踏み倒した、という話になったわけです。一部テントが破れた部分を、ユミちゃんは持っていた裁縫道具で縫ってくれたので助かった。さすが~、女性である。

この朝、2人はここで右と左に別れるはずだったけれど、牛の一件もあってか、何となくグズグズしたあげく、ユミちゃんが、 「もう1泊しよう! 連泊だよ、連泊。連泊しよう!」 そう言ったので、僕も異存はなかった。

それでは今日はジンギスカンで盛り上がろう、ということになり、買出しに行って沢山の羊肉、ジャガイモ、パン、きゅうり、お菓子などの豪華な買物をし、それを昼も夜も食べた。

ということで、結局、ユミちゃんとは2泊して、次の朝、彼女は北の稚内方面、僕は南の網走方面へと、互いに反対方向へ別れて出発した。

 …………………………………………………………………………

これは1969年(昭和44年)7月の話です。ちょうどアポロ11号が月に着陸した時でした。僕は8月下旬に大阪へ帰り着き、ユミちゃんはその後も走り続け、各地からわが家にハガキを送ってきてくれました。「いま与論島です。日本最南端まで来ました」というハガキもありました(当時沖縄はまだアメリカ領だった)。そして12月に日本一周を達成したということです。

女性が自転車で日本一周をした、ということで当時評判になり、サイクリング雑誌のインタビュー記事にも彼女は写真入りで出ていたのですが、その雑誌を読むと、僕とのことも書かれていたのです。

そのくだりは

「旅の途中では、いろんなことがあったのでしょうね?」 と、サイクリング誌の記者。  「えぇ。会ったばかりの男の人とテントに泊まったりもしましたよ」 とユミちゃんが答える。  「え? 男の人と2人でテントに泊まったの?」 と、記者がビックリして聞き返す。  「そうですよ。大阪の学生さんです」  「初対面の男性と2人っきりで? テントで泊まった?」  「ええ。〇〇昇という名前で、寝袋も私に貸してくれました」 と、僕の実名まで書かれていたのには、いやぁ、参りましたわ。

そして彼女は旅行を終えた数年後、もう結婚して子供もいた僕の家に遊びに来て、泊まったりもしました。

その後、オーストラリアに行き、シドニーで電車の車掌さんのイアン・キャンベルさんという男性と結婚したそうです。「これからは、ユミコ・キャンベルって呼んでちょ~だいね」 オーストラリアからのエア・メールに、そう書かれていました。

それ以降、彼女との音信は途絶えました。

「なつぞら」の放牧シーンとBPSさんとのコメントのやりとりをきっかけに、懐かしい話を紹介させていただきました。

自転車旅行へ行ったのが1969年の夏なので、あれからちょうど50年の歳月が経ったことになりますが、早いですねぇ。あっという間です。

織田信長じゃありませんが、
50年。夢まぼろしの如くなり」ですね~

 

 
これがユミ子さん。飯盒でご飯を炊いてくれています。

 

 
ユミ子さんと別れる時、撮ってもらった写真です

 

 

 

 

 

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五代友厚像とか、高麗橋の里程元標跡とか

2018年12月22日 | ウォーク・自転車

 

 

昨日も載せた地図ですが、赤い印が五代友厚像のあるところ。そして、地図の右下に「高麗橋」とありますね。ここが、昨日書いた梅田の交差点の「道路元標」の前身、江戸時代から明治にかけて大阪の要所として「里程元標」があったところです。

さて、中之島を歩きながら、なにわ橋の近くへ来ると、橋の向こうにうっすらと五代友厚の像が見えてきました。

 

なにわ橋はライオン像で有名ですが、そのライオン像の向こう側に五代像が見えます。わりに目立つところに建っているわけで、なにわ橋は何度か渡ったことがあるのに、この五代像にはこれまで全然気がつきませんでした。ま、見たことがあるのかも知れませんが、五代友厚という人物を知らなかったので頭に入っていなかったのでしょうか。

「はぁ、ここかいな。これかいな」と少し驚きました。

そしてなにわ橋を渡り、中之島とはお別れ。なにわ橋のライオン像はよく知っていますが、その前に五代様がいたとはなぁ。

せっかくなので、なにわ橋のライオン像も撮っておきました。
ちなみにこの橋は「ライオン橋」の愛称でも親しまれています。

 

ちょうどこの前が信号で、ライオン像に背を向けた形で見るとこうなります。

 

ま、いずれにしても再放送中とは言いながら「あさが来た」は3年前の朝ドラです。当時「五代さま」が大人気だった頃はここを訪れる人も多かったでしょうね。この日、写真をパチパチ撮っていたのは僕だけでしたけど(笑)。

 

銅像の裏側の碑文には、五代友厚が大阪発展に多大なる功績を残したという文章が「大阪市」の名義で刻み込まれているのですが、それが「平成16年12月」となっていた。へぇ。建ってからまだ14年しか経過していないのか。それなら、以前にこの辺を歩いた時に気づかなかったのではなく、まだ銅像がなかったのかもね。ふ~む。なるほど、そうだったのか。と、何となく納得。

ところで、五代友厚の像はほかにも数カ所にあるそうで、ネットでそのイラストマップを見つけました。ただし、これを見つけたのは帰ってからなので、大阪取引所以外は行っていません。ま、ひとつ見ればいいのですけどね。

 

こんなにあったんだ。
やはり五代友厚という人は大阪にとってよほどの重要人物だった、ということですね。なにしろ「大阪の恩人」と呼ばれている人ですから。

さて、そこから堺筋を南へ歩き、適当なところで東へ曲がると、高速道路の下に東横堀川という運河が流れている。そこに架かっていた橋が高麗橋かと思ってよく見ると「今橋」と書かれていた。

で、川沿いに南へ歩くと次の橋が高麗橋だった。お~、見つけたぞ~。

 
この向こうが高麗橋。
高速道路の下に東横堀川が流れており、そこに架かる橋です。

橋を渡り切ったところに、石碑が建っていました。

 

本の説明によると、これは明治時代に作られた里程元標の跡で、江戸時代のものは、このすぐそばにあったという。京街道・中国街道・紀州街道など諸国への道のり、車馬賃の基点となった。そして明治9年の道路の制度公布によりひきつづき里程計算の起点となり、この場所に里程元標が建てられた。その里程元標には、「東京日本橋まで百四十三里二十丁、京都三条大橋まで十三里十二丁、兵庫神戸元町まで九里三十五丁」と刻まれていた、ということだそうです。

高麗橋は、そのまま東へ行くと大阪城の今の大手前につながるので、ここが重要な場所とされたのだということも、本に書いてありました。ちなみに、高麗橋の下を流れる東横堀川は、元は大坂城の外堀として開削された運河で、現在は土佐堀川と道頓堀川につながっています。

ともあれ、現在の「道路元標」も知らないのに、昔の「里程元標」なるものが高麗橋に存在したことなんて、もちろん知らなかった。「おさんぽ」の本に誘われるままここまで来て、こういうものを見られたというのは、よかった~。いいお勉強でした。


 
では、里程元標跡ともお別れして

そのあとは、ひたすら堺筋を南へテクテク。

途中、道頓堀川の橋を渡り、黒門市場を横に見たりして、日本橋を歩き、通天閣を左手に見て、終点の天王寺をめざします。


 
通天閣を堺筋から見るというのは、滅多にないことです。


 

ここはJR天王寺駅の次の駅である新今宮です。角にある「ドン・キホーテ」のところを左折し、ずっと歩いて来た堺筋とお別れをして天王寺に向かいます。行く手にあべのハルカスがチラッと見えています。

もうどこにも寄らずまっすぐ天王寺まで、と思っていたのが、新世界のジャンジャン町があったので、久しぶりに歩いてみようと、少しだけ寄り道。

 

 

名物の串カツ屋などが並んでいますが、中のお客さんたちがみんなジョッキーでビールを飲んでいるのを見て、思わず生唾がゴクリ。お客さんは若い人が多く、特に若い女性の多いのには驚きます。女性たちも、ビールやお酒を楽しそうに飲んではりました。

 

中でも、この八重勝という店は、いつ見ても満員で、この日もお客さんが並んでいました。他にも超満員の店が2つ3つありました。しかし、1人の客もおらず、店員さんだけポツンと椅子に座っている店もあれば、パラパラっと数人だけお客の入っている店も結構あり、この差っていったいなんだろうな、と思いますね。

ジャンジャン町を後にして、再びあべのハルカスを眺めながら天王寺へ。

 

時計を見ると午後3時過ぎでした。10時に家を出て、5時間以上経ちました。

さぁ、阿部野から近鉄電車で藤井寺へ。さらに駅から20分ほど歩いて帰宅ということになります。4時過ぎぐらいに家に帰れるかな? 家に着いたらさっそく冷たい「お飲み物」でのどを潤さなければならない。ジャンジャン町で、人々が楽しそうに飲む姿を見せつけられた後ですからね~

負けちゃ~いられませんわ。

ずっと歩き続けて重くなった足取りも、あべのハルカスが近づいてくると、なぜか歩調も軽くなり、速度も自然に速くなる僕でした(笑)。

 

 

 

 

 

 


 

 

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大阪市道路元標とか、五代友厚の像とか

2018年12月21日 | ウォーク・自転車

12月18日、大阪の梅田から天王寺まで歩きました。

これまではウオーキングは運動だからと、ただテクテク歩くだけのことが多かった。景色を楽しむ「おさんぽ」的なウオーキングは天王寺七坂をはじめ、いくつかはあったけれど、まあ、少なかった。で、8月下旬に阿部野からチンチン電車の路線沿いを住吉大社まで往復した時、コースに見どころが多くて新鮮な味わいがあったので、その帰りにこんな本を買いました。


 


それでもなかなかこの本を手に、大阪を「おさんぽ」する機会がなかった。ところが最近、朝ドラの「まんぷく」や再放送の「あさが来た」にハマっているわけですが、偶然にもこの本の「北浜・船場」の章で「大阪取引所」が出てきて「あさが来た」の五代友厚の像の写真が大きく掲載されていたのです。

 

へぇ~、こんな像があったの? 知らんかったなぁ。

じゃ、さっそく見に行かなければと思い、18日にそこへ「おさんぽ」に出かけることにしたのです。そんなときにまた偶然にも

先週のブログ「『あさが来た』再放送と大阪のさまざまな知識」の記事に、大阪に詳しいちひろさんから17日の夕方、コメントをいただきました。そしてそこに「五代友厚の銅像が大阪取引所の前にあるのをご存じですか」という一文があったので「びっくりぽん!」でした。翌18日の早朝、ちひろさんへのコメントのお返事で「つい最近知ったところで、実は今日そこへ行く予定なんです」と書いた次第です。

そんなエピソードもあったこの日のおさんぽでした。銅像のある大阪取引所は北浜にあり、梅田から中之島を通って行くコースをとることにしました。

いつものように、家から地下鉄谷町線の八尾南駅まで約40分歩き、そこから地下鉄で東梅田まで。梅田には妻と妻の姉と3人で月1回、大丸百貨店の14階にある「馳走三昧」というビュッフェに行っているのですが、大阪市内で生まれ育った妻は梅田周辺にも詳しく、毎回僕は妻のうしろをついて歩くだけなので、1人で梅田の地下街を歩くと必ず迷子になります(笑)。

この日も地下街をうろうろしながら、やっと地上の阪急百貨店の前の道路に出ました。地上に出たら、もうこっちのもんですわ(笑)。

そして今年新装オープンした向かいの阪神百貨店の方に架けられた「阪急阪神連絡デッキ 梅田新歩道橋」という広くて新しい歩道橋を渡ります。 


 
歩道橋に上がると、右端がJR大阪駅、左が新装の阪神百貨店です 

この歩道橋を突き当たって左折し、阪神百貨店の店内歩道橋を南に向かってまっすぐ行き、エスカレーターを降りて少し歩くと、大きな交差点に出ます。この交差点は、左(東)が国道1号線で右(西)が国道2号線です。つまり、1号と2号がここで分かれるわけですね。 

「大阪おさんぽ旅」の本によると、ここに「大阪市道路元標」というのがあるということ。何度も通っている場所なのに、そんなものがあるとは、これまで全く知りませんでした。 

さて、その道路元標とは、道路の起点と終点を示す標識のことで、各地に設置されているそうです。まず、この「大阪市道路元標」のある交差点は、国道1号線の終点(起点は東京の日本橋)で、同時に国道2号線の起点(終点は北九州)でもある、とのこと。他にも、国道26号、163号、165号の起点で、国道25号、176号の終点だそうです。全部で7つの国道の起点、終点になる重要な交差点ということです。

 地図を示します。赤く「A」と記されている場所に道路元標があります。 僕はこの地図の上から下へと歩いています。

  

 

 交差点が近づいてくると、左側に道路標識が見えますね。

 

  
国道1号がここで終わり、2号がここから始まることがわかります。真っすぐ伸びる25号というのは、難波までいわゆる「御堂筋」の愛称で親しまれている道路です。

さて、その交差点の道路元標が見えてきました。

 
右のほうにモニュメントがあります。これが「大阪市道路元標」です。ハトが沢山いますけど。

 
「大阪市道路元標」とありますね。
 


 
プレートには、全部で7つの国道の起点・終点になることが示されています。

ところで、ここに「道路元標」ができる前、明治時代は高麗橋というところにそれがありました。江戸時代から続いていた「里程元標」というものがあり、ここから江戸をはじめ、各地への距離も計算されたということです。今日のおさんぽコースには、この高麗橋の「里程元標跡」の見学も入れています。

さて、左が国道1号、右が2号という交差点を越えて、まっすぐ御堂筋を南下すると、やがて堂島川にかかる大江橋が現れ、そこから大阪市役所が見えました。 


 
 大江橋から、斜め左に大阪市役所の大きな建物が見えてきました。 

その市役所の手前を左へ曲がり、中之島に入ります。
左に流れる堂島川に沿って、テクテク。
 

 
 

 

 
途中、ここを右へ曲がりました。

そして府立中之島図書館の前を通り土佐堀川に突き当たって、再び左へ。

ちょうどお昼時で、いいお天気だったので、3段ほどの小さな石の階段にペタンと座ってお弁当を食べる男の人や女の人の姿がありました。僕もその辺に座り、リュックに入れていたパンを出してモグモグ。中之島は、いつ来ても気持ちの良いスポットです。

 
土佐堀川に面して、中之島中央公会堂も威風堂々と建っています。

 
土佐堀川に沿った
コースも、ウオーキングに最適ですね。


やがて前方に「なにわ橋」が見え、水上バスが通って行きました。

 

このなにわ橋を渡ったところに、五代友厚の像がある、ということです。

まだまだ長くなりそうなので、この続きはまた明日に掲載しま~す。 


 

   
地図の上のほうに大阪市役所があり、中之島を通ってなにわ橋まで行き、
橋を渡ったところが大阪取引所。その前に五代友厚像が立っています。
地図で赤い印のところがその像のあるところです。


 

 

 

 

 

 

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