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 僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

耳鳴り→不眠症→睡眠薬→?

2014年12月19日 | 心と体と健康と

このブログを始めたのが2007年12月でそれから丸7年が過ぎた。耳鳴りが発症したのがその年の9月で、ブログの最初の記事にも耳鳴りのことを長々と書いている。ブログも7年、耳鳴りも7年だ。その間24時間休みなくジーンジーンと左耳の奥、つまり頭の中で鳴り続けている。今はもう沢田研二の「勝手にしやがれ」じゃないけれど、勝手に鳴ってやがれ(笑)…という心境である。


…で、その7年前の耳鳴り発症の時から、不眠症になった。夜中に何度も目が覚めるのだ。そこからなかなか寝付けない。これも辛いので、医師に伝えて睡眠薬を処方してもらった。その前に、デパスという精神安定剤(これを飲むと何となく気分が落ち着く)ももらっていたが、もう少し睡眠効果の高い睡眠薬も服用することにした。それも7年間続けてきた。1回に2錠服用する薬だが、クセになってはいけないので1錠だけにしたが、まあまあ効いてくれて、睡眠障害も少しはマシになった。でも、毎朝デパスも飲んでいるし、さらに睡眠薬を服用するのは、できれば止めたいな…と思っていた。そんなとき、あるきっかけがあった。先月のことだ。


2ヵ月に1度、持病の心房細動(不整脈)に関する検査と診察で病院へ行っているが、先月その病院の待合で座っていた時、隣で高齢の女性がウトウトとしていた。そのウトウトの仕方が異様だった。まるで夢遊病者のようだった。「この人、大丈夫かいな?」と思っていると女性はハッと目を覚まし、すぐそばの受付の看護師さんのところへフラフラと歩いて行き「寝ていたんですけど…私の名前はまだ呼ばれていませんか?」と言った。「まだですが…」と看護師さんはその女性をじっと見て「眠いのですか? 眠いだけですか?」と問いかけた。様子がおかしいのでそう訊いたのだろう。「はぁ。眠い…だけ…」みたいな返事に対して看護師さんはカウンターから出てきて「睡眠薬を飲んでいるのですね?」と訊き「いつごろ、何錠飲みましたか?」と女性の両肩に手をかけて再び問いかけた。女性は半分眠っているような声で「昨日の晩、8時に4錠…夜中に4錠、また夜中に4錠、また夜中に…と計16錠飲んだことを伝えた。看護師さんは「まだお薬が体に残っていますね。そちらの部屋で横になってください」と車椅子に女性を乗せて別室へ運んで行った。女性はまた朦朧となっていたようだった。


この光景を目の前で見ていた僕は、睡眠薬の恐ろしさにぞっとした。薬を飲んで眠って目を覚ましてまた薬を飲んで…を繰り返し、一晩に16錠も飲むなんて…。ドラマなんかでは見たことあるけれど、実際にそういう人を見たのは初めてだった。僕は軽い薬を1錠だけだが、その薬に依存していることは事実である。これは止めたほうがいいかなぁ。でも、それでまた不眠症がひどくなったら身体に悪いしなぁ…と思い悩んでいるうちに名前を呼ばれ、診察室に入った。


結局、診察では睡眠薬のことには触れなかった。そして会計を済まし、薬の窓口でいつものように何種類かの薬をもらって中身を確認したら、何ということか、睡眠薬が入っていなかった。「薬はいつもどおりでいいですね」と担当医師は言っていたが、それならこの薬も入っているはずだ。しかしゾルビデムといういつもの睡眠薬が入っていない。医師が忘れたのだ。窓口で薬剤師さんが「これで良かったでしょうか?」と訊いたので「睡眠薬が入っていませんが…」と言おうとしたが、やめた。とっさに「なければないで、何とかなる」と思ったのだ。これまでの薬が十数錠残ってもいたし、まぁいいや…。


それから1ヵ月余りがたった。十数錠残っていたのもほとんど飲んだが、ここ何週間は全く睡眠薬なしで眠っている。ないのだから飲めないのは当たり前だ。しかし飲んでいたときとほぼ同じで、夜中に目は覚ますが、割に眠れている。結果として、医師が忘れてくれたことがよかったわけで…(笑)。


病院の待合でぞっとするような光景を見たあと、医師が睡眠薬だけ処方するのを忘れたというのは、きっと何かの必然だ…と思いたい。薬は、なるべく少なくするに越したことはありませんものね。


しかし、手放しで喜ぶわけにはいかない。またいつか、薬がなければ眠れなくなる時が来るかも知れないし、これまでも、そういう経験が度々ありましたので。
それはそれで、覚悟しておかなければ。

 

 

 

 

 

 

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耳鳴りの音が外に聞こえたら

2014年11月26日 | 心と体と健康と

耳鳴りが発症してから丸7年がたち、8年目に入っている。ちっとも良くならない。良くならないどころか、逆にひどくなってきているように感じる。


病院でのTRT療法も、昨年12月から行っていない。行っても良くならないんだからしょうがない(気休めにはなりますが)。耳鳴りの症状を改善するという機器「TCI」も、特に耳鳴りを強く感じる時はつけているが、以前のようにずっとつけっ放しにはしなくなった。つけても苦痛が緩和されるのはごくわずかだし、また、こういうものに頼り続けるのも、あまりよくないのでは…と思ったりするからだ。


耳鳴りというのは、どれほど大きくキーンとかジーとか響いても、それを他人(たとえば医師)に伝えても、相手にはわからない。自分以外は聞こえないのだから、これも仕方ないことだ。結局医師も、なるべく静かな状態を避けて生活をし、リラックスするよう心がけましょう…という診断しか出来ない。時には耳鼻科でなく心療内科を受診するよう勧められ、そこで安定剤を処方してもらったりする。だから耳鳴り持ちの人は、半ばあきらめの境地でこの症状を受け入れなければならない。つらいけれど。


そんなことで耳鳴り治療にはまるで進歩がない。特効薬もむろん無い。まぁ命に別状もないことだし、医学界も真剣に考えてくれていないのかも知れない。もしこのうるさいキーンとかジーという耳鳴りが他人(特に医師)に聞こえる性質のものなら、もう少し耳鳴りの治療も進んでいただろうに…と思うのだけどね。


でも、このあいだ、ふと思ったことがある。


コスパのヨガ教室でのことである(僕は毎週金曜日にヨガに入っています)。


インストラクターのお姉さんの「では始めましょう」との合図で、ピンと背筋を伸ばして座る。室内がシーンと静まり返り、聞こえるのはスピーカーから流れてくる静かな音楽だけ。そしてインストラクターのお姉さんが物静かな口調で…


「目を閉じて…。鼻から息を吸い入れて…。全身を新鮮な空気で満たしていきます…。耳を澄まし、呼吸の音を聞きましょう …………… ……………」


ピリッとした空気が流れる。室内には大勢の人がいるけれど、咳払い一つ聞こえない。そうした静寂の中で「呼吸の音」に耳を澄ます。…そんな状況になると、僕の耳や脳の中では、耳鳴りがまた一段と大きく響き渡るのである。まるで部屋全体に響いているのではないかと錯覚するほど、頭の中でキーン・ジーと響く。その音の大きいこと、大きいこと。


そこで思ったのだ。いま、この耳鳴りのキーン・ジーの音が漏れて外部に聞こえると、これは極めてまずいことになる。静かにしなければならない時に、キーン・ジーという大きな音がうめくように僕の脳内から発して部屋中にうるさく響き渡れば、みんな何事かと驚いてこちらを見るに違いない。ここに限らず、静かにしなければならない場所ではどこも同じである。みんな「シーッ 静かに!」と僕の方を向いて睨むだろう。でも自分ではどうしようもない…。そんなことになるのもイヤだしなぁ。


耳鳴りの音は蝉の鳴き声に似ているから、「おや、こんなところで蝉が鳴いているのか…?」とこっちを向いて不思議がられたりするのも、…イヤだしなぁ。


やっぱり耳鳴りは外に聞こえないほうがいいのか…
…と、ヨガをやりながら、思った。

 

 

 

 

 

 

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予期せぬ出来事 また…ため息

2014年06月12日 | 心と体と健康と

思いも寄らないことが起きるとはこのことか。月曜日、スポーツジムでのトレーニング中に“異変”が起きた。あるマシンを使い始めたとたん左足の「すね」に激痛が走ったのだ。


といっても何のことやらわかないですよね。まずそのマシンをお見せしようと、ネットで画像を探したのだが、どうしても同じものが見つからなかったので、それとよく似たマシンを掲載します。こんな感じのマシンです。

 

 

  

 

この写真では筒状のパッドは1つで、それが両足首の上に乗っていますが、僕が使ったのはパッドが少し間隔をあけて上下2つあり、その中へ両脚を突っ込んで上に持ち上げるマシンでした。パッドは足首ではなく、もう少し上のすねの部分にかかります。それでヨイショと両脚のすねでパッドを押し上げたのですが、その瞬間、急に左のすねが異様に痛んだのです。「痛いっ」と思わずうめき、力を抜いて両脚を下ろしました。見ると左のすねがみるみるうちに腫れてきて、触ると激しく痛い。そっと撫でても痛い。??????

なんで? なんでこんなことで強い打撲みたいな症状が出たのだ…? パッドをすねで押し上げただけなのに。しかも初めて使うマシンでもないのに、不可解だった。ゆっくり立ち上がって歩いてみた。歩くだけなら痛みはあまり感じなかった。少しホッとしてロッカーへ戻り、着替えて自転車で帰宅した。自転車も、力を入れると痛いのだが、ゆっくり漕げば痛みは大したことはなかった。まあ、それほど重症ではないだろうとは思った。

しかし帰宅して改めて左すねを見ると、腫れがひどく内出血もしていた。触ると痛いが、それ以外にも左足を曲げた時や、トンと地面を踏んだときに痛みが走る。平坦なところを歩くのは大丈夫だが、階段の上り下りでは痛む。そんな感じだった。とりあえず、ずっと氷で冷やした。その甲斐あってか、夕方には腫れは、かなり引いた。

翌日は湿布を貼り、あまりバタバタ動かないように過ごした。それでも左すねの痛みは変わらなかったので、その次の日(つまり昨日の水曜日ですが)、妻が勧めることもあって、整形外科では名の通った隣接市の島田病院というところへ行って診察を受けた。何より気になったのは、なぜいつも使っているマシンでトレーニングをして、こんなことになったのかということだった。

医師は僕の疑問に耳を傾け、左脚のいろいろなところに触れたり、押さえたり、曲げたりし、僕の反応を確かめたあと、こう言った。「骨には異常はなさそうです。不整脈の関係で血液をサラサラにする薬・ワーファリンを飲んでおられますよね。それで、すねに強い力がかかって、細かい血管が破れて出血したのでしょう。腫れや内出血はおそらくそれが原因です。ワーファリンは少しの打撲でも出血しやすいですから」とのことだった。念のためレントゲンも撮ってもらったが、医師の言ったように骨に異状はなかった。「患部に負担をかけなければ、だんだん良くなっていきますよ」と言ってもらって安心した。

僕の持病である心房細動(不整脈)は、発作時に血栓ができることがあり、それが脳の血管へ流れて詰まり、脳梗塞を起こす…ということがある。先日のブログでも、僕自身8年前に脳梗塞になりかけた体験談を書いたけれど、それ以来、予防として血液をサラサラにするワーファリンを毎日服用している(効き過ぎても危険なので定期的に血液検査をし、薬の効き具合をチェックしています)。だから人よりは出血しやすいし、血も止まりにくい。今回の左すねの痛みの症状は、ワーファリンとの因果関係によるもの…みたいなことだった。

当日のことを思い返してみると、プールで1時間余り泳いでから、風呂に入ったあと、ジムでかなり入念にストレッチをした。特に下半身のストレッチを、今から考えると、いつもよりかなり無理なポーズも採り入れて、長い間した。その直後にこのマシンを使って、すねに強く圧迫を加えたので、たまたま左のほうのすねの「細かい血管が破れた」のだろう。まったくやっかいな体であるが、今後はこういうことも念頭に置いて運動しなければならない。

今も立ち上がる時など、左すねが痛む。その部分に力を入れると痛むのだ。注意深く動いていれば、日常生活にはほとんど影響ないと思うのですが、運動のほうはしばらくお休みです。おとなしくして、TVで明日からのサッカー・W杯でも見ています。(そんなことがなくても、絶対に見ますけどね。へへっ)。

ただしW杯も、見ているうちに興奮する…
ということのないようにしなければね~

 

 

 

 


 

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食習慣の見直しで…

2014年06月04日 | 心と体と健康と

6月2日。定期的に通院している徳〇会病院へ行った。4月下旬から心房細動が異常に活発になり、日常生活に支障が出はじめていた。この前のブログにも書いたけれど、5月12日に同病院へ行き、症状が酷くなったことを医師に訴えた。医師はいま1日2錠服用している薬を3錠に増やしてみて、それでもまだ強い心房細動が出るようであれば、不整脈の専門医がいる隣接市のS病院に紹介状を書くので、そちらで対応してもらうようにしましょう。3週間後にまた来てください、ということであった。


その3週間が経ち、今回の診察だ。ありがたいことに薬の効果が出たようで、あれ以来、心房細動の状態は目に見えて良くなり、ここ2週間以上、全く出なくなり、とりあえずホッとしているところである。あの頃は、階段を上がっただけで息苦しくなっていたし、いつ心臓ドキドキ・パクパク症状が起きるかわからない状態で、外出も控えねばならず、一時はどうなることかと心配したので、まぁ、よかったです。


さて、今回は、今年3月以来の血液検査もした。検査結果を見ると、いつもは基準値を大きく上回っているガンマGTP(アルコールによる肝臓のダメージ度)だが、去年11月が125で、次いで今年3月が74に下がり、今回はさらに67に下がっていた。いま、別にアルコールを控えているわけではないが、ただ、これまではビールのほか、焼酎、日本酒など度数の強いものも飲んでいた。で、最近はもっぱらビールだけにしているのが良かったのかもしれない。やはり飲むアルコールの度数が強いと肝臓のガンマの数値も上がるようだ。


今回の検査結果を見ると、肝臓の数値以外にも改善された症状がいくつかあった。中性脂肪が去年11月は158で基準値(33~149)を超えていたのが、今年3月には108に下がり、さらに今回は89まで落ちた。高めだった血糖値も下がったし、元々糖尿病を抱えていた僕にとって大事な検査項目である「ヘモグロビンA1c(過去1ヶ月~2ヶ月の血糖状態を表す数値)」も、今回久しぶりに基準範囲内の5.9に収まった。体重も少し減り、体脂肪率は13ぐらいまで下がった。


…ということで、4月末から半月余り心房細動に悩まされたが、そのことを除くと、体の状態は良好だったということがわかって、今回の検査結果には満足した。そして、今年あたりから食生活の習慣を少し変えてみたので、それがよかったのかな~と思ったりするのだ。


まず朝一番に「生姜紅茶」を飲み始めた。しかし紅茶には心房細動に悪いカフェインが入っているのでしばらくしてそれをやめ、スキムミルクに変えた。そこへ生姜(チューブ入りで十分)適量を絞って入れ、次に「タマネギ氷」をひとつ入れお湯を注ぎ、最後に茶色か黒の砂糖を入れる(白い砂糖はダメ…とのこと)。


「タマネギ氷」というのは雑誌で知ったもので、適当に切ったタマネギをレンジで柔らかくし、少しだけ水を加えてミキサーでドロドロにし、それを製氷容器に入れて冷凍庫へ。四角いタマネギ氷が出来上がる。それをひとつ入れるのだ。いちおう氷だからそこへ熱湯を注いでもほどほどに冷めてくれるのでフーフーしなくても飲め、甘みがあっておいしい。「タマネギ氷」は、インスタントみそ汁にも入れたりその他の料理にも手軽に使えて便利である。


また、背の青い魚が身体に良いとされているので、これまで滅多に食べなかったイワシを最近はしょっちゅう買って、アタマと内臓を取り、だし汁少々と酢をドボドボッと入れて弱火で20分近く煮込む。酢も身体にいいし、魚は骨ごと食べられるし、ビールのアテにもなかなかよろしい。このごろ週に2~3回はメニューに加え、イワシが好きではない妻にも「ヘルシーだから食べたほうがいいよ」と勧める。モミィは酢の味が苦手なので「イヤや!」と拒否しますけど。


それ以外にも、食卓になるべく多くの種類の野菜を並べたり、肉類では鶏のムネ肉が良いということで、皮を剥ぎ「鶏ムネ肉の蒸し焼き」などを作る。作る時は多い目に作って冷凍保存しておき、週に2回ぐらいはメニューに加えるようにしている(これはモミィも大好きです)。


ビールを飲む時は、揚げ物などの脂の多いものではなく、低脂肪で良質のたんぱく質をしっかり摂るようにして飲むと、肝臓にやさしいだけでなくカロリーオーバーも防げる…ということなので、いつまでもおいしくビールを飲めるよう、あれやこれやと“研究”を重ねているところです。


こういうことには研究熱心なんですね。他のことは全然あきませんけど。

 

 

   

   わが家の「タマネギ氷」です。 皆さんもぜひお試しを!

 

 

 

 

 


 

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心房細動のこと

2014年05月24日 | 心と体と健康と

このあいだ、自宅に「第18回大阪・淀川市民マラソン参加申し込み案内」という封書が届いた。11月2日の開催である。淀川市民マラソンといえば、去年、ネットで申し込み、参加料を振り込んで、さぁ久しぶりのフルマラソンに挑戦だ~と意気込んだ大会である。


…で、数ヶ月間練習に励んだものの、なかなか25キロ以上走行距離を伸ばせず、あげくに体調を崩して参加できなかった大会だ(がっくり)。一応、去年の申込者として登録されているので、この「参加申し込み案内」が大会本部から送られてきたのだろう。ありがたい配慮だけれど、去年の夏から秋にかけての練習に無理があったのか、それ以降、体調不良に悩まされることが多くなった気がするうえ、最近、心房細動にちょっとした「異変」が起きたところなので、もう今年は申し込まない。激しい運動は今の僕の体には良くないんだもんね。(でも心臓に負担の少ないウオーキングなどはしています。一昨日は約20キロを4時間余りかけて歩きました)。


この心房細動というのは不整脈の一種だけれど、その話をすると「不整脈やったらオレもあるよ」という人が多い。自分で気づかないうちに脈が飛んでいて、心電図などの検査時にわかったりする。それも不整脈の一種である。


つまり一口に不整脈と言ってもピンからキリまであって、そういう自覚症状のない不整脈から、突然死に至る心室細動(かつて高円宮様が急死された不整脈)のような恐ろしい不整脈まで、さまざまである。僕は「心室細動」ではなく「心房細動」なので、死に至る病ではないのが救いだが、その発作が出ると、動悸が激しくなり、息苦しく、うずくまっていても全力疾走しているほどの脈拍数で、それはそれはしんどいものである。


発作時に服用した薬が効くのをひたすら待ち続ける間(1~2時間程度)、ふとこのまま心臓が止まるのでは…とひどく不安に襲われる。「のんさん、大丈夫ですよ。心房細動では死にませんから」といつか主治医が僕にかけてくれた言葉をそのたびに反復し、「大丈夫、大丈夫」と言い聞かせるのである。この時が、今の自分の人生で一番トホホな時間である。これさえ無ければ、あとの悩みは耳鳴りぐらいだ。まぁ、これはこれで24時間休みなしに鳴り続けで辛いけれど、心房細動のような喘(あえ)ぐような苦しみや危機感はありませんのでね~。


耳鳴りでお悩みの皆さん。現在、耳鳴り以上につらい症状がなければ、それはそれで「ま、いっか」と思ってください。むろん、耳鳴りのつらさはこの7年間で僕もよく知っているつもりですが、物は考えようですので…。


さて今週は、月曜日(19日)午前にスポーツクラブへ行き、水泳をしたあとジムで軽い筋トレをし、帰宅して昼食を口にしたとたん、ドキドキドッキンと心房細動が出て、約2時間寝転んでいましたが、4時ごろに収まりました。いったん収まると、もう元気なもので、5時からモミィをECCに連れて行き、レッスンを見学した後、迎えに来た嫁さんにモミィを連れて帰ってもらい、僕はそのまま一人で電車に乗って阿倍野に出て、昔の走る仲間の久しぶりの飲み会に出席し、大いに飲みました。「過度の飲酒」は避けなければならないはずでしたが、気分よく飲めたようで脈が飛んだりはしませんでした。嬉しかったですね~。


5月に入ってから、ほぼ禁酒を続けていましたが「もう、そろそろ1本ぐらいいいか」と油断してビールを飲むと、そのとたんに脈が飛び、心拍が乱れ始めたことがあったので、警戒していました。しかしその月曜日の夜の飲み会では、みんなでワイワイ騒ぎながら飲んで、いい気持になるばかりで、また飲んで…と、かなりの量を飲んだのですが、脈は飛びませんでした。…が、すっかり酔っ払って、最後のほうは記憶が飛びました。ビールを飲んで脈が飛ぶより、記憶が飛ぶほうがまだマシですよね(笑)。


ちなみにそれ以来、今日まで(4、5日の間ですが)心房細動は出ていません。
先週までまだ弱気が尾を引いていましたが、今、少~し自信が戻ってきました。

 

 

 

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礎…いしずえ

2014年05月21日 | 心と体と健康と

元ビートルズのポール・マッカートニーさんの日本での公演が、ご本人の体調不良のため、すべて中止となった。楽しみにしていたファンの方たちの嘆きの声がここまで聞こえてきそうである。チケットの払い戻しは約30億円と言われている。しかし体を悪くされたのだから、これだけは仕方がないですね。


公表された病名は「ウィルス性炎症」ということだが、声が出なくなる症状…とも言われ、また、今朝のニュースでは「下痢と嘔吐を繰り返すらしいです」とキャスターが話していたけれど、わかりにくい話だ。病状が長引かないことを祈るばかりです。


今回のポールの来日にちなみ、ビートルズが初めて日本へやって来た時(1966年)の映像がテレビで流れていたが、あのころ僕は高校生だった。そして48年の歳月が経ち、ポールも来月には72歳になる。その年齢で今も世界を舞台にライブ活動を続けるのだから、よほど強靭な体の持ち主なのだろう。年齢が年齢なので、いくら元気でも体調を崩すこともあるのでは…と思うけれど、ポールに限ってはそんなことはないんだろうな~と感心していた矢先のことだった。ふ~む、やっぱりポールもスーパーマンではなかったのだ。いずれにしても、健康を損なうと全てが崩れてしまうという事実を改めて突きつけられた出来事だった。


ここから自分の話になりますが…


1ヶ月ほどブログを休みました。理由は、まあ体調不良ということです。


4月下旬から持病の心房細動(不整脈の一種)がちょこちょこ出るようになり、今月中旬に病院で医師に相談し、薬の量を増やして様子を見ることにしました。それ以来、発作の回数はグンと減り、今はとりあえず落ち着いています。過度な飲酒、無理な運動、根を詰めることなどは避けて、適度に用心しながらリラックスした生活を心がけることが大事なことのようです。一昨日は昔の走る仲間たちと久しぶりに宴会の席に出て、かなり飲みましたが、心房細動は出ませんでした(ま、過度な飲酒もたまにならストレス発散に役立つのかも…えへへ~)。


ほぼ従来の生活に戻りつつあるので、久しぶりにブログをアップしました。
ホント、健康は生活の礎(いしずえ)ですね。
これが崩れると、すべてが崩れてしまいます。


そんなごく当たり前のことを身に沁みて感じていた1ヶ月でしたが、今回ポールの体調不良による公演中止のニュースに接し、またその思いを強くしました。

 

 

 

 

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8の倍数の年齢の時に…

2014年03月02日 | 心と体と健康と


今年1月に65歳の誕生日を迎えた時、ある方からこんなメッセージをもらった。「男は8の倍数の歳に体調が悪くなったりするそうですが、あなたは8の倍数である64歳を乗り越えたのですから、今日から体調が上向きになりますよ」…と。


8の倍数なぁ…。どこかで聞いたことがある。ちょっと調べてみた。


東洋医学では、女は7の倍数、男は8の倍数の年齢の時に、体調の変わり目が訪れる…ということが文献に書かれているそうである。つまり、その年齢の時は体に悪いことが起きるので要注意…という意味なんだろうか。


   http://www.yomeishu.co.jp/x7x8/


まあ、8の倍数といっても、8歳から16・24・32・40・48歳あたりまでは、健康な男性にとってさほど「体調の変わり目」も気になるとは思えないけれど、ただ、人生も50年を過ぎると、気がつかないうちにジワジワと老いの影が忍び寄ってくる。そんな時期に迎える最初の8の倍数は56歳ということになる。ここらあたりから、この「8の倍数説」を検証していくのがわかりやすいのではないか。


ただし、僕に関しては56歳の時(2005年→平成17年)は、体調を崩すどころか、今も印象に残る楽しい出来事が多かった。1月に妻とイタリアのフィレンツェに旅行したのが56歳の始まりだった。ドイツのフランクフルト空港で乗り換えた飛行機がフィレンツェ空港へ着こうとしたが、濃霧のため着陸できず、方向を変えてボローニャの空港へ着陸した。それを…他に1人の日本人もおらず、早口の外国語の放送の意味も分らない僕らは、フィレンツェ空港に着いたものと思い込み、荷物を持って外に出て、タクシーを見つけ、フィレンツェ駅へ行ってくれ…と頼んだ、すると運転手は驚き「フィレンツェだって? 旦那、ここはボローニャですぜ」と言われ、天地がひっくり返るほどビックリしたのを思い出す。いわば羽田空港に降りて、そこを伊丹空港だと思い込み、タクシーで「新大阪まで行って」と頼んだようなものである。こんなことから始まったフィレンツッェ旅行だけど、今から思えば僕らの海外旅行の最高傑作の部類に入っていた。


またその年の夏から、生まれて初めてブログというものを初め、多くの見知らぬ人たちとネット上で知り合うことができ、これまで経験したことのないウキウキした気分を味わった。


10月には仲間たちと100キロウオーキング大会に出場した。大阪城前から出発し、兵庫県の明石大橋が見える塩屋というところで折り返す往復100キロのコースを、23時間25分のタイムで「完歩」した。土曜日の午前10時に出発し、帰ってきたのが日曜日の午前9時25分だった。そのことをブログに書いたら、沢山のブログ仲間たちから「おめでとう」のコメントをいただき、うれしかった。


そしてそのウオーキング大会の2日後に、モミィが誕生した。8の倍数に当たっていた56歳の僕にとって、その年はとてもいい年だったのです。


ところがその翌年。仕事中に、不整脈が原因で、「一過性脳虚血発作」という、軽い脳梗塞の症状に見舞われ、短時間だったけれど右半分が麻痺し、ろれつが回らなくなり、病院へ運ばれた。これに始まって、翌年は不整脈の手術に失敗したり、耳鳴りが発症したり…と、体調面ではあまりいいことはなかった。8の倍数が過ぎた翌年からである。


そして去年の1月の誕生日に、また8の倍数の年を迎えた。64歳である。まあ、これくらいになると、みんな体に何らかのトラブルを抱えているものだから、僕も不整脈や耳鳴りのほかにも、腰痛や、アレルギー性鼻炎や、最近は指の第1関節に痛みが出る「ヘバーデン結節」なども加わり、一人前の年寄りになりつつあった(笑)。でも、大した異変もなくその1年は過ぎた。


そして今年1月の誕生日に65歳になり「8の倍数を乗り切った」はずだったのに、なんとまあ、それを待っていたように、立て続けに体に異変が起きているのである。トホホ。


前回も56歳を乗り切ったとたんに、体のあちらこちらに異変が起き始めた。


今回も64歳を乗り切ったとたん、わずかふた月足らずの間に、飛蚊症や胃腸病や心拍異常に襲われて、その都度、お医者のお世話になった。


「女は7の倍数、男は8の倍数の年齢の時に、体調の変わり目が訪れる」というのもアテになりませんねぇ。むしろ僕の場合はその翌年に大きな体調の変わり目が訪れた、ということになります。まあ年齢と共に、体のケアをその節目(倍数)の歳に特に意識しよう…という点では有効かもしれませんが…
 

 

 

 

 

 


 

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一難去ってまた一難

2014年02月28日 | 心と体と健康と

24日(月)に行った胃腸科の医院は、医師の腕がいいので、とにかく評判が良く、いつも大勢の患者さんで賑わっている。僕もかつてここで胃カメラの検査を受けたことがあるが、全く苦痛は感じなかった。


その胃カメラの検査に関することだけど、話は2007(平成19)年の10月にさかのぼる。


その年の9月下旬に耳鳴りが発症した。耳鼻科へ行くと「耳は正常です。神経から来ているのでしょう」と適当にあしらわれた。しかし吐き気や下痢は続くし、持病の不整脈はこれまで以上に出るし、正常だった血圧も上がるし、夜も眠れないし…と、気が変になりそうだった。循環器科、脳神経外科の診察を受け、心療内科へも行ったが、安定剤を出されたくらいで、耳鳴り改善への手掛かりはなかった。吐き気と下痢の症状が一番つらかったので、その胃腸科へ行き、症状を訴え、吐き気止めや下痢止めの薬をもらって帰った。…が、下痢症状は良くなったものの、やはり吐き気は相変わらずだった。


僕はもう一度その胃腸科へ行き、医師が「どこも異状はないですよ」という言葉に抵抗し、とにかく精密検査をしてください…と無理に頼んで胃カメラの検査をしてもらった。結局それでも異状なしだった。今から思えば、耳鳴りによるストレスが全身を狂わしていたのだろう。


今回ここを訪れるのはその時以来である。下痢、胃の膨張感、頻繁に出るゲップ、腹部の痛み、胸部の圧迫感などの症状がネットで見た胃がんの症状とよく似ていたので、正直言って診察を受けるのが怖かった。問診では医師から、ゲップをしたとき酸っぱい胃液のようなものが出ますか…?と聞かれたが、それはなかった。吐き気は…? それもなかった。胃の上部から腹部全体に痛みが出る、と言うと、医師は「原因は胃じゃなくて腸でしょうね」と、僕をベッドに仰向けに寝転ぶように言い、お腹をさすったり押さえてみたりした。「お腹が張っている…ということはありませんね。ゴロゴロしてますけど」ということだった。


「腸の働きが異常に活発になっていて、それが胃を押し上げるので、胃にも痛みや膨張感が出るのだと思います。3種類の薬を2週間分出しますので、それでもまだ症状が治まらなかったら内視鏡で検査することにしましょう」


そんなことで、医院を出た。家に帰り、もらってきた3種類の薬の説明書を妻と一緒に読んでみたら、


ひとつは、腸管神経に作用し腸の異常な運動を抑える
もうひとつは、過敏性腸症候群による消火器症状を改善する
最後のひとつは、胃酸分泌を抑制する


…というようなことが書かれていた。


その日の夜から服用し、今日で4日目を迎えた。それらの薬が効いてくれているようで、胃腸の症状は良くなってきた。あぁ、これでひと安心…


…と、「お腹の話」はここで終わるはずだったけれど、実は昨日(27日)、信じられないことにまた体の別の部分にトラブルが起きた。今度は持病の不整脈(心房細動)と関係したものだった。何だかこんな話ばかりで恐縮ですが、このトホホな話も、ついでだから書き加えておきます。


一昨日から昨日にかけての深夜、寝ている時に不整脈が出た。朝晩2回服用しているシベノールという不整脈薬を、この時は頓服として飲んだ。いつもなら眠っているうちに収まるのだが、午前3時頃に目覚めたら、収まってはいたものの、何かおかしい。脈拍を確かめると異様に速い。時計を見て計ると1分間に130くらい脈打っている。安静にしているのにランニングをしている時ほどの脈拍数だ。胸のあたりがモヤモヤして気持ち悪い。そのまままたウトウトして、朝になった。身体を動かすと息苦しい。脈拍は相変わらず130前後。おかしい。また、不整脈の薬を飲んだ。脈拍が乱れているわけではないのだが、これしか頼るものがない。そのうち治るだろうと思って我慢し、午前中はテレビなどを見ていたが、いつまでもその状態が続く。こんなことは初めてだった。せっかく胃腸のほうが良くなりかけている時に、何なのだこれは!


軽い昼食を済ませたあと、収まりそうにもないので、診察時間外だが、心房細動で定期的に通っている徳〇会病院に電話をして症状を伝え、診てもらうことにした。間もなくモミィが下校してくる時間なので、妻は家に残り、僕はタクシーを呼んで1人で病院へ行った。


病院に着いてすぐにベッドに横になり、心電図や脈拍、血圧などの検査があったあと、いつもの担当の循環器の医師はいなかったので、別の内科医がやってきた。内科医は僕にいくつか質問したあと「じゃ、点滴をします」と言って、あとは看護師に託し、出て行った。しかし約1時間の点滴でも、横の機器のディスプレーに示されている脈拍数は130~135を行ったり来たりで、収まる気配がない。途中、医師が様子を見に来て、「う~む、まだあかんなぁ…」と顔をしかめながら、看護師に何やら指示をした。このまま入院ということになるのだろうか…。あぁ、気持は暗くなるばかり。


点滴が終ってしばらくそのままでいると、看護師さんが来て「では薬を入れますね」と言い、針が入っている僕の腕のところへ何かをシューと注入した。すると…機器が示す脈拍の数字が130から100そして90と、見る見るうちに下がってきた。と同時に、胸のモヤモヤがす~っと引いて、気分が良くなったのだ。聞けば、最初の点滴が効かなかったので、やや強い薬を注入したということだった。


看護師さんが点滴の針を抜きながら「気分はどうですか?」と尋ねたので、「えぇ、すっきりしました」と答えた僕の目には、看護師さんの姿が(大げさではなく)菩薩に見えた。ありがとう…。約12時間続いた頻脈からやっと解放された。あの息苦しさというか、胸のモヤモヤ感は、もう二度と味わいたくない。治ってよかった~


…という顛末でした。夕方には無事家に戻ることが出来ました。


ところで、点滴をする前に内科医がいくつか質問したのですが、「お酒は飲みますか?」と聞かれたので、「はぁ、飲みます。好きですから」と答えると、毎日どのくらい飲むのかと尋ね、僕がビールで言えば中ビン2~3本だと言ったら、「お酒は心拍に悪いから飲みすぎは厳禁です。また今日みたいになるかも知れないので、当分控える…というより、やめることですね」と言われちゃいました。


で、僕は素直ですから(笑)、昨日から禁酒することにしました。胃腸のトラブルといい、そのすぐあとに起きた心拍の異状といい、同時期に2つの体調異変が起きたのは一体何だろうと思いますが、しばらくは様子を見ながら、体調管理を最優先にした生活を送っていきたいと考えています。


皆さまも、健康にはくれぐれもご留意ください。変だな…と思ったら、すぐお医者さんに行きましょう(…と、自分にも言い聞かせています)。

 

 

 

 

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お腹に不快感。もしや…

2014年02月26日 | 心と体と健康と

ソチ五輪が幕を閉じた。五輪が始まってから、このブログもそのことばかり書いて来たが、実はその間、ずっと体調が思わしくなかった。


2月8日のブログで胃腸が痛むことに触れ「来週あたり医者へ行こう」と書いたけれど「そのうち治るかも」と、例によってグズグズし、行かなかった。


症状というのは、軟便や下痢が繰り返され、お腹に不快感があり、胃の上部あるいはお腹全体が時々痛み、胃の膨張感があり、ゲップが頻繁に出る。そんな状態が続くのだ。ネットで調べてみたら、恐ろしいことに、胃がんの症状と酷似していた。それを見て、僕は激しく動揺した。


医者へ行って、恐ろしいを宣告されたらどうしょう…? そう思うと、心配性の僕は不安と恐怖で体がすくんでしまい、ますます医者へ行くのが怖くなってきた。そのうち元に戻るだろう…と祈りながらも、症状は良くならない。


ソチ五輪に熱中し、ブログでもそればかり書いたのは、他のことを書く気分にならなかったことと、気を紛らわせたい一心からのことだった。モミィの世話に忙しい妻には、心配させてはいけないので、あまりそのことは言わなかった。


そして、この23日(日)にウダウダ会の今年最初の例会があった。こんな状態でウダウダ会に参加するのも無理かと思い欠席を考えたけれど、ひょっとして、これから当分参加できないような事態になるかも知れない…と思えば、仲間の顔を見ておきたい気持も強く働き、トイレを気にしつつも、参加することにした。


当日は絶好の行楽日和で、姫路市沖の瀬戸内海に浮かぶ家島へ渡り、10数人の仲間と島を歩いた。僕はそこで何人かの仲間に今の体調のことを打ち明けた。仲間たちはみんな「早く医者に行って診てもらわなければ」…と言ってくれた。僕も重々承知だけれど、なかなか腰を上げられないと言うと、
「放っておいて良いことなんてひとつもない。すぐに行くべきです」


そうやな。どうせ行かなあかんのやから…。仲間の人たちに背中を押され、余計なことは考えないようにして、明日、医者に行こう、と決めた。


翌日24日の月曜日に、近くにある評判のいい胃腸専門医院へ行った。予約なしに行くと何時間も待たなければならないので、ネットで予約をして、自分の順番が近づいてきた昼過ぎに、妻に見送られて家を出た。


あらかじめパソコンで、3週間前ぐらいから始まった今の症状の詳細や、これまでの病歴、現在服用している何種類かの薬のことなどを打ち込んで印刷したメモを用意していたので、それを受付に提出し、順番を待った。


  …………………………………………………………………………


…で、診察結果は、恐れていた状態ではなかったようです。3種類の薬を出され、2週間これで様子を見て、まだ悪いようであれば内視鏡での検査をします…ということを医師から言われました。診察の詳細は、また次回に書きます。


少し気が軽くなりましたが、でもまだ「晴れ晴れ」とはいきません。不安はまだ残ったままです。

 

 

 

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飛蚊症(ひぶんしょう)

2014年01月18日 | 心と体と健康と

昨日モミィが学校から持って帰ってきた「学級だより」というプリントを見た。「みんなで五・七・五のことばを楽しもう」と先生の字で書かれていた。「へぇ~、学校で俳句やるの?」とモミィに聞くと、「やるで」と自信に満ちた答えに続けて「私もひとつ作ったのよ」とちょっと改まったモミィ。「そう? どんなん作ったん?」と聞いたら、


お正月 おもちを食べて おいしいな  


さて、ここから今日の本題です(笑)


1週間ほど前から、どうも右の目がヘンな具合なのに気がついた。どうヘンなのかと言えば、右の目の真ん中よりやや右上のほうに、黒いアメンボの足のようでもあり糸くずのようでもあるような(うまく例えられない)、とにかく黒くて細いものが視野に映るのだ。それを見ようとすると、それはさらに右へ動く。視線を左にやるとやはり同じような場所にそれは動く。時々そうなっていたのが、徐々に頻繁になってきた。大和川堤防に出てランニングやウォーキングをすると、一面に青空が広がるような場所だと特によく見えるので、気になる。俗に言う「目の前を蚊が飛んでいる」現象なのかも知れない。


妻から「すぐに眼科で診てもらわなければ」と言われ、一昨日の16日、眼科へ行った。もともと近視と乱視があり、眼圧も高い方なので定期的に目の検査にも行かねばならないのだが、ついつい怠って、その眼科にも2年余りご無沙汰していた。久しぶりに行って、受付で症状を言い、そのあと視力検査をし、しばらく待合で待った後、名前を呼ばれて診察室に入った。


「飛蚊症ですね」。暗い診察室で、目に光を当てられたり目の玉をくるくる動かせたりして検査を受けたあとに、医師からそう言われた。やはり「蚊が飛んでいる」症状なのだった。医師はその現象を、目の構造も含め丁寧に説明してくれた。目の中の硝子体というものが濁る…とかいう説明だった。「網膜剥離などの病気が原因だとか、その前触れだとかいう心配はありません。ただしこの治療法というのは、ないんですよね」ということだった。


「黒いものの数が増えたりすることもあるかも知れませんが、さほど心配する必要はありません。ただ、視野が狭まったり、暗く見えたりしたらすぐ来てください。ま、そのままでも、定期的に検査されることをお勧めします」


…ということで眼科を後にした。昨日、プールで泳いでいても、水中で右上のほうに細くて黒いものが見えた。ただし意識しても、見えない時もある。耳鳴りのようにず~っと休みなく鳴り続けるほどタチは悪くなさそうだ。


といっても…
また体の中に荷物がひとつ増えた。


ええもんはちっとも増えへんのに、こんなもんばっかり増えよる。
やれやれ…と、また、ため息ですわ。

 

 

 

 

 

 

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徳洲会病院のこと

2013年11月27日 | 心と体と健康と

今日もまた病院の話です。あしからず~

今週の月曜日、2ヶ月に一度通っている松原市の徳洲会病院へ行き、いつものように心房細動(不整脈)の状態や脳梗塞予防薬ワーファリンの効き具合、血糖値や尿酸値、肝臓の数値などに関する検査・診察を受けてきた。2か月分の薬も、沢山もらって帰ってきた。この病院通いは、まぁ僕の健康を支える軸になっていると言っていいですね。


その徳洲会が、いま大揺れに揺れていますよね。


創始者であり前理事長である徳田虎雄氏の次男・徳田毅衆院議員の公職選挙法違反で、親族らが逮捕された事件に続き、今度は東京の猪瀬知事が、徳洲会から都知事選前に現金5千万円を受け取ったというニュースが大きく報じられているのはご存知のとおりです。猪瀬さんも、会見のたびに言うことが違って、チグハグで、どうも怪しいな~という印象を大半の人々が持っているでしょう。せっかく東京五輪招致に成功したというのにね~。


で、テレビでニュースをつけると、その都度「徳洲会、徳洲会」という言葉が連呼されているので、ついそちらに気が行ってしまう。たぶん、このニュースを見ている多くの人たちは、「猪瀬はけしからん、徳洲会もけしからん!」と思われていることでしょうね。ま、当然ですけど。


そこで自分の話になるのですが…
僕が徳洲会病院に通い始めたのは、今から5年少し前のことである。

なんで通うようになったのか、といえば…


6年前の6月のある夜、それまで時々発症していた心房細動が激しくなったうえ、止まらなくなり、かかりつけの医院に飛び込んで点滴などを受けてみたが、収まらない。医師が「入院ということになってもいいですか?」と聞いたので、僕も仕事を持つ身だったけれど、覚悟を決めて頷いた。で、医師がいくつかの大きな病院に電話をしてくれたが、夜なのであちらでもこちらでも、担当医がいないとか何やらとかで断られた。どうなることか…と思っていたら、ようやく医師から「診てくれる病院がありました。今からすぐ行ってください」と言われた。その病院というのが、隣接の松原市にある徳洲会病院だった。


長男の車でそこへ運んでもらい、当直の夜勤の医師の点滴治療を受けたら、しばらくして収まった。「入院の必要もありませんので」とそのまま帰宅することができた。やれやれ…と、この時は本当にうれしかった。


その後、かかりつけ医の勧めで近大病院で心臓のカテーテル手術を受けたけれど、なんとまぁ、手術は失敗に終わった。1週間の入院も無駄となり、もうその病院には二度と行かず、おまけにその1ヵ月後にストレスからか、耳鳴りまで発症した。つくづくカテーテル手術の失敗を恨んだものだった。


その病院を紹介したかかりつけ医のところへも、やがて通うことをやめ、思い悩んだ末、いつぞやの夜にお世話になった徳洲会病院に電話した。あのときの日付も記していたので、その時診てもらった当直の医師の名前を教えてもらった。K先生ということだった。で、僕はK先生の診察日に予約を申し込んだ。


…それから今も2ヶ月に一度の定期検査・診察が徳洲会病院で続いているというわけである。K先生も僕のことを親身になってよく診てくれたし、特にこの病院は心臓などの循環器分野で実績が高いと言われているのでこれも好都合だった。


また、いつ何どき、自分の体に異変が起こるかわからないけれど、その時は「24時間いつでも来てください」と言われているので、心強い限りである。


その徳洲会が…
連日、猪瀬知事とペアで大きく報道されているわけだ。徳洲会のイメージはどんどん悪くなっている。かといって、僕が通う病院そのもの、医師そのものとは関係のない話なので、まあ、当然、そこは別ものとして考えてはいるけれど…


でもね…
徳洲会は、今でこそ日本最大の病院グループ…などと言われているけれど、元はといえば、1973年(昭和48年)、大阪府松原市で「徳田病院」というごく普通の小さな一病院としてスタートしたのである。僕はその松原市役所に、38年間勤めてきた。


就職したのが1971年(昭和46年)なので、その2年後に徳田病院ができたことになる。だから僕は、徳田病院を創設時から知っている。おまけに、昭和50年に、僕の父方の祖父が徳田病院に入院し、その病床で息を引き取った。そんなこともあって、徳田病院は、僕にとって、忘れられない病院なのである。


連日の猪瀬知事と徳洲会に関する報道を見聞きしながら、とても複雑かつへんてこりんな気分がしているこのごろである。

 

 

 

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耳鳴りで数年ぶりに病院へ

2013年11月24日 | 心と体と健康と


最近耳鳴りが大きくなって苦痛が増してきたことは、このブログにも書いてきた。2008年1月から大〇前病院で始めていたTRT療法には、もう長い間行っていない。発症してから相当の年月が経つので、それなりに耳鳴りに順応してきたので、大丈夫だろうと思っていた。耳鳴りを制御する機器(TCI)も故障したままだったが、それほど気にはならなかった。


でも、1年ほど前から少し大きくなったかなぁ~と思っていたのが、最近は特にひどくなり、我慢が限界に達しかけていた。そこで今月7日(ブログ「ため息が青息吐息に変わり…」を書いた日ですが)に大〇前病院の耳鼻科へ電話をし、TRT療法の予約をした。そして20日、久しぶりに同病院に出向き、視聴覚室の〇〇先生とお会いしたのだった。


「お久しぶりです」と挨拶を交し合ったあと、「どれくらい来ていないんでしょうね?」と聞いたのは僕のほうだ。「そうですね、2年は経っていますよね」と〇〇先生。う~ん。1年以上来ていないとは思っていたけれど、2年以上とはねぇ。そんなに長い間ご無沙汰していた?


帰ってからこのブログで調べてみたら、2011年の1月に大〇前へ行ったことを書いていた。終りに「次の予約は3月17日だ」と記しているので、その日の前後のブログを見たのだけれど、3月11日に東日本大震災が起きたので、ブログにはそのことしか書いておらず、大〇前に行ったかどうかは、まったく触れていなかった。そのあと、また予約をして行ったのかどうかは不明だが、たぶんこの3月17日が最後だったのではないかと思う。「耳鳴りにも慣れてきたようだ」と当時に書いているので、きっとそうだろうな、と思うのである。


そうすると、2011年3月を最後に大〇前病院へ来ていないわけで、2年半もブランクがあったことになる。TCIも故障して2年くらいになるのかな? いつも吐くセリフだけど、歳月というのはなんでこんなに早く過ぎて行くのだろう…


さて、〇〇先生にまず、1年ぐらい前から耳鳴りが大きくなり、最近それがさらにエスカレートして、周波数も高くなって、キーンと頭に響きまくるのでとても辛い、ということをお伝えした。そして、頼みの綱となるはずのTCIが故障したので、それを出して「新品の電池を入れても音は鳴らないのです」と、先生の後ろに控えていた器具を販売する会社の人に調べてもらうことにした。


するとその人が僕のTCIをちょこちょこと触って耳につけたら「あれ? 聴こえますよ」と言ったので驚いた。「えっ、新しい電池を入れても全然聴こえなかったのに。故障じゃなかったんですか?」わけがわからなかった。受け取って耳につけてみたら、ザーっという懐かしい音が聴こえてきた。やった~。


このTCIは2年以上使っていなかったのだが、その頃には新品だった電池も、その人の言うには、月日の経過とともに使用期限が過ぎていたのでしょう、ということだった。で、今「本当の新品」の電池を入れたらちゃんと音が鳴ったということだ。僕もまぁ頼りないことである。電池が「新品」のまま消耗していたのに気づかず、最近それを入れて「あ、聴こえない!」と、TCIそのものが故障したと決めつけてしまったのだもんね。


いや~、それにしても、なにせ購入価格6万円もする器具である。故障でなかったことがわかったのは有難いことだった(ただ、古くなってきたので、故障する可能性は結構ありますよ、とのこと)。


〇〇先生から改めて聴力検査をしましょう、ということで、視聴覚室を出て、耳鼻科の外来へ行った。しばらく待った後、名前を呼ばれ、聴力検査室に入った。そして右耳と、耳鳴りのある左耳の両方の検査が、いくつかの方法で行われた。この部屋へ入るのも久しぶりである。


検査結果の書類を持って、また視聴覚室へ戻り、〇〇先生に結果を分析してもらった。先生は何年か前にした僕の検査結果と、今日の結果を比較し、聴力自体は以前よりやや落ちているけれど、それほど大きな落ち方ではない、ということだった。これを見る限り、耳鳴りが増幅して聴力に影響を与えているところまではいかない…というやや安心する結果だった。耳鳴りのほうも、消えてくれ…とまでは言わないが、せめて気にならない程度におさまってほしいというのが切実な願いである。〇〇先生は最後に、「じゃぁ、これから耳鼻科での診察を受けていただいて、それで今日は終りです」と言われ、次回は12月下旬の日に予約をして、視聴覚室を出たのである。


そしてそこで、思いがけないことが…


…時間はさかのぼるが、この日の朝、大〇前病院に来て視聴覚室の前のソファで名前を呼ばれるのを待っていた時、yukariさんからメールが届いた。数日前に、僕が20日の9時から大〇前を予約したことをお知らせしていたのだが、yukariさんも僕以上に長い間病院とはご無沙汰しているので、一度聴力検査に行こうと思っています…ということだった。そのメールにはこれから大〇前へ行きますという意味のことが書かれていた。そして、そのあとも「今病院駐車場の前ですが満車なので順番待ちです」「あと1台です」というメールが届いていたのだった。


そして〇〇先生と1ヵ月後の予約をして別れ際、ドアに手を当てながら振り向き、「あ、そうそう。yukariさんも今日、聴力検査に来られるようですよ」と言うと、以前yukariさんのことを診ておられてよくご存知の〇〇先生が、「えぇっ、そうなんですか」と驚かれた。そして僕は一礼をして視聴覚室のドアを開けた。開けたら…廊下に2人の女性が立っておられた。「あれぇえ…?」と思ったら、「こんにちは~」と、yukariさんとお母さんだった。僕はドアを全開して、〇〇先生に、「あ、もう来られてました」と言うと、yukariさんが入り口から〇〇先生に「先生、お久しぶりでございます」と挨拶を交わされた。


…ということで、yukariさんとも、もう3年以上お会いしていなかった。「のんさん、視聴覚室にいてはるかな~、と思って母と廊下で待っていたんです」とのことであった。わざわざ…嬉しいことですね。yukariさんは「私はここへは4年以上来ていません」とのことだった。へぇ~~、4年以上も経つのですか? いやぁ、ほんと、歳月は人を待たないです。


僕は耳鼻科へ診察に行くところだったので、同じところで検査をされるyukariさんたちとそちらへ行き、耳鼻科前の待合の長椅子で、名前を呼ばれるまでの間、yukariさんとお母さんと一緒に3人で座り、いろんな積もる話をした。中でもやはりyukariさんとの耳鳴りに関する話には、一段と熱がこもった。2人とも同じ時期に耳鳴りを発症し、今もしつこく悩まされ続けているわけで、それに関する体験談を交わし合うことで、お互いにとって、少しでも気持ちの負担が軽くなる気がするのである。


大〇前病院へ行くことに対して、「今さら行ってもなぁ…」などと、なかなか重い腰を上げられなかったが、思い切って行ってみたら、こうしてyukariさんとお会いすることも出来たし、TCIが故障でなかったこともわかったし、久々に聴力検査もして、〇〇先生ともいろんな会話も交わせたし…と、いいことが沢山あった。


あれこれ考えるのも、決して悪くはないけれど、
やはり行動に出なければ、多くは得られない。
…そのことを、改めて思い知った次第です。 

 

 

 

 

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耳鳴り 奇跡の90分

2013年10月28日 | 心と体と健康と

先週の水曜日に一通の葉書が届いた。肉筆でギッシリと隙間なく文章が書かれていたが、要するに「いい酒があるので貴兄に振舞いたい」というお誘いであった。差し出し主は日本ウダウダ会の会長さんである。翌日さっそく電話があり、「明日の金曜日はどうや?」との問いあわせ。夕方にモミィをダンスに連れて行く日だが、それは妻に任せることにして、「僕は大丈夫です」と返事した。


翌日、電車に揺られて15分、河内天美という駅から歩いて5分程度のところにある、メンバーの一人が所有する狭い作業小屋で、鍋を囲み酒を飲んだ。皆はここを「避難小屋」と呼んでいる。男性5人、女性1人がまさに膝を突き合わせるように固まって飲んだ。ひとり、料理が上手な人がいて、その人が鍋の加減をみはからって、僕らの器においしいところを入れてくれる。骨付きの鶏肉が絶品であった。そんなことでビールやコップ酒が、かなり進んだ。


家に帰って布団に潜るとすぐ寝てしまったようだが、眠りの浅い僕は夜中に何度も目が覚めた。深酒をしたときは、ごくたまに耳鳴りが聞こえなくなるときがある。「あ、聞こえない」とボケた頭が一瞬冴えるのだが、意識するともうだめで、そのあとすぐ「キーン」という耳鳴りがしてくるのである。1日24時間、決して消えない耳鳴りの唯一の例外が、その瞬間なのである。しかし日常飲んでいる程度では消えてくれない。むしろ大きくなる。ところが…その小屋で酒を飲んだ翌日のことであるが…


土曜日だったので、いつもより長くベッドの中にいた。時計を見ると7時。モミィも妻も、学校が休みなのでまだ寝ている。ごそごそひとり起き出した僕は、とんでもないことに気がついた。なんと、耳鳴りが消えているのだ。夢ではないかと思った。6年間、消えたことのない耳鳴りが、今、起きてうろうろしていても聞こえてこないのである。なんだこれは!


しかし、耳鳴りは意識するとすぐにやってくる。一瞬の油断もならない。僕は気を紛らわすために、故障中のTCI(音響療法用治療器)の代わりに最近使っているipodを耳鳴りの左耳にはめて雑音のスイッチを入れてまず防衛策を取った。ひょっとして、うまくいけば、このまま消えてくれるかもしれない…と、自分でも楽観的過ぎるとは思ったが、そう信じたかった。死ぬまで逃れられない(と思っていた)耳鳴りから、開放されるなんて、…いや、これは一時的なものだ。昨日の酒が残っていて、頭がまだ麻痺しているに違いない。もう間もなく「キーン」という音が右の耳から聞こえてくるのだろう。


でもひょっとして奇跡が…いやいや、今だけだろ。


自問自答を繰り返しながら、30分ほど経ったけれど、耳にはめているipodの雑音から、キーンといういつもの耳鳴りは聞こえてこない。間違いなく、この6年間で30分以上も聞こえてこなかったのは、これが初めてである。そわそわドキドキしながら、お茶をわかしたり、洗濯機に衣類を放り込んだり、とにかく身体を動かして、用事をして、意識を耳鳴から遠ざけようと必死だった。


1時間経ってもまだ聞こえてこなかった。本当に喜んでいいのか…? 今喜んだら、また元に戻ったときの反動があまりに口惜しい。…そのうち、少しずつだけど、左耳の騒音から突き抜けてくるように「キーン」という音が、小さいながらも聞こえてきた。ああ、やっぱりなぁ。


「キーン音」は徐々に通常のボリュームに戻ってきたので、ipodを外すと、やれやれ、いつものとおり、高温のキーンという馴染みのイヤな音が響いていたのである。やはり、酒を沢山飲んだことによって脳がボケていたせいで、耳鳴りもボケていたのだろうか。脳が戻れば耳鳴りも戻る…と、まあ、こういうことか。(といっても、これまではもっと酔っていても耳鳴りは続いていたのだ)


6年ぶりに起きた耳鳴りの奇跡も、わずか90分程度で終わってしまった。


でも、まあ、耳鳴りのない時間を少しでも過ごせたことは幸せだったかも。

 

 

 

 

 

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体に良い食べ物は…

2013年08月07日 | 心と体と健康と


朝のNHKニュース「おはよう日本」の中で、6時45分ぐらいから始まる「まちかど情報室」というコーナーがある。モミイが学校へ行く時は、この時間、パンを食べながらこのコーナーと、そのあと「めざましテレビ」にチャンネルを変えて「今日の占い」を見るのが朝の楽しみになっている。そのモミィの好きな番組のひとつ「まちかど情報室」で、先日ちょっとした健康に関する話題が取り上げられた。


今のこの暑さの中では、なるべく外に出ないようにする人が多いが、そうすると秋には筋力、体力が衰えることになるので、毎日こまめに身体を動かしましょう…というテーマだった。そしてその中で、立ち上がったりするときには、「よいしょ」などと声を出して立つのが良い…と、専門家の先生が勧めていた。


なんのこっちゃ?…と思いながら見ていたら、例としてテニスのシャラポワ選手の試合の様子が映し出された。彼女がボールを打つ時に甲高い叫び声をあげる映像を紹介しながら、先生は「動作の瞬間に声をあげると興奮状態が高まり、より力が出るのです」と説明した。それと同じように、僕たちの日常でも、立ち上がる時や力を入れる時などに「よいしょっ!」と声を出せば動作に勢いがついて運動効果が高まる…ということであった。


今まで、何か動作をするたびに「よいしょ」と言うのは、年寄りの証拠である…な~んてからかわれたこともあるし、からかったこともある。いちいち「よいしょ」って言うな! オジン臭い! …というのが、これまで言われてきたことだと思うのだけど、この番組ではそれを勧めていたのだから、世の中の常識と言うのはアテにならない。


健康といえば、食べ物に関しても、人気のあるテレビ番組で「これはダイエットに最適です」と紹介されようものなら、過去の寒天や納豆やバナナなどの例を挙げるまでもなく、沢山の人たちがそれに飛びつき、たちまちスーパーなどでその食品が売切れてしまう…という現象がよく起きる。今回も、僕は見ていないが、たけしの番組で「サバの缶詰には痩せるホルモンがいっぱい含まれていて体重を減らす効果大」と紹介されたそうで、それが視聴者だけでなく、ネットを通じても大きな話題になり、スーパーやネット販売でサバ缶が売れ過ぎて品不足になっている…とかいう話である。やれやれ、今度はサバ缶ですか~


もともとサバやイワシ、サンマなどの青魚は低カロリーかつ高蛋白のうえ、血液をサラサラにする成分が多く含まれて体に良い、と言われてきた。僕も3~4ヶ月ほど前に鎌田實さんの「がんばらない健康法」という本を読んで、そこに書かれていたこと…


酢が体に良い。
青魚、特にイワシが体に良い。
つまり、イワシを酢で煮たのをアテに一杯やるのが良い。


…というのを読んで、それ以来、僕は自分用に夕食の別メニューとして、2、3日に一度はイワシを酢と醤油と生姜で煮て、ビールのアテにしている。モミィはアタマから「そんなん、いらんわ~」と言って決して食べないけれど、青魚をあまり好まない妻には「体にいいから」と無理に「おすそわけ」して少しでも食べるように勧めている。


それともうひとつ、鎌田さんの著書に書かれていたのが「小腹が減ったとき、牛乳に酢を混ぜたのを飲んでいる」という話だった。これはもう、僕は半年以上前に新聞で「お酢の効果」という記事を読み、食後に酢(水や牛乳で薄める)を飲むと、食後の血糖値も下がり、内臓のあらゆる部分に良い、ということで、すでに「酢牛乳」を実践していた。さすがにこれは妻に勧めても「いや。それだけは飲メマセン」と言われてしまいましたけど(笑)。


先日の月曜日、徳〇会病院へ定期検査に行った。血液検査の結果を見ると、2ヶ月前よりも善玉コレステロールが標準範囲を超えて増え、中性脂肪が減り、糖尿病のヘモグロビンの数値が安定的正常範囲におさまり、血液サラサラ度の数値が上がり…と、イワシや酢のおかげかどうかはわからないが、いろんな数値が良くなっていた。「いいですね~」と医師もほめてくれた。僕は「でも、最近体調がおかしくなったりしましたけど…」と言うと、「この暑さですからね。こまめに水分をとってください。で、暑いのも要注意ですが、涼しくなったときに水分を補給しないのが一番怖いのです」とも言われたので、肝に銘じておいた。2週間ほど前の一連の体調不良は、やはり暑さと、知らず知らずのうちに水分補給を怠っていたことが主な原因だったのだろうか、と反省した僕である。


テレビで何かがダイエットなどに効く…と放映されたらたちまちその食べ物が売り切れてなくなる…という現象は、相変わらずである。今回の「サバ缶」騒ぎで、缶詰会社はさぞ喜んでいることでしょう。


僕はこの種のバラエティ番組での健康情報などゼンゼン関心がない(というか、何を今さら…という当たり前のことが多い)ので、ほとんど影響は受けないが、本や新聞で書いてあることには熱心に実践したりする。まあ、似たようなものかも知れませんけどね~

 

 

 

 

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ヘバーデン結節とは何か?

2013年07月18日 | 心と体と健康と


2、3週間前から、両手の指に痛みを感じ始めていた。右手も左手も、人差し指と中指の第1関節を曲げると痛いのである。痛みは日増しに強くなり、それぞれの第1関節に、かたいコブのようなものができて、赤く腫れてきた。指を少し曲げるだけでも、痛い。


数日前からやや痛みもやわらぎはじめ、左手のほうはかなり指を曲げられるようになり、腫れもマシになったかなぁ…というところだけど、右手の人差し指と中指は、今もまだ第1関節が赤く腫れているし、曲げると痛い。


何年か前もこれとよく似た感じで指が痛くなったことがあった。でもその時は、指の第1関節がこんなに赤く腫れたりはしなかった。整形外科医に行っても、レントゲン検査では異常なしで「大した症状ではありません。単に使い過ぎですね」と医師から言われ、湿布薬をもらって帰ってきただけである。なるほど、そのうち気がつけば治っていた。


その時医師から「指先にあまり負担をかけないように」と言われたのを覚えている。しかしそう言われても、僕は料理を作るのが好きなので、どうしても両手の指はよく使うし、また長時間パソコンのキーを打ったりマウスをクリックしたりもするので、「指を動かさないように」って言われてもなぁ…と思ったけれど、それでも、まあ料理はしばらくの間、簡単に作れるものを主にし(つまり手抜き)、パソコンを打つのも控えめにしていたら、やがて自然に治癒したのである。


今回はその時よりも症状がきつい。第1関節が赤く腫れて痛む、というのが何だか不気味だった。それでも、以前のこともあるので、そのうち治るだろ…と医者にも行かず、放置したままでいた。そして昨日、ようやくこれをネットで調べてみようという気になった。


ヤフーで「指の第1関節の痛み」と打って検索すると、「ヘバーデン結節」という名の症状に行き着いた。読んでみると、症状がピタリと一致した。「ヘバーデン結節」なんて、これまで聞いたこともない言葉だったけれど。


http://www.joa.or.jp/jp/public/sick/condition/heberden_nodes.html



そして、手近な治療法としては、やはりまず指を安静にすること、とある。どうしても使わなくてはならないときはテーピングがお勧めです、とも書かれている。僕は料理やパソコンなどの他に、モミィの練習を手伝うためにエレクトーンを弾いたりもしているけれど、夢中になって長時間弾いていると指を酷使することになるので、これも控えなければ。でも、パソコンはねぇ…。ブログも、せっかく皆さんにお励ましをいただいたのですから、これからも続けたいし、これはちょっと控えにくいわけで…。


うん、そうだ。ブログも短いものを心掛ければいいのですよね。むしろそのほうが、読んでくださっている方にも負担が少なくなるでしょうし。


これから、なるべくそうすることにします。

 

 

 

 

コメント (4)
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