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 僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

歯医者は続くよどこまでも

2021年08月29日 | 心と体と健康と

右上の奥歯が痛むので今月の11日に歯医者に行ったことは、このブログに書きました(今月13日付)。僕は歯だけは誰にも負けないぐらい丈夫だったので、「虫歯です」と言われた時はビックリしたのですが、治療を受けたらすっかり痛みもとれてやれやれといったところでした。でも「次は24日に来てください」と言われていたので、その日にまた行きました。

「どうですか、その後は」と医師に聞かれて、僕は、
「えぇ、もうすっかり治って痛みは全然ありません」
とニコニコして言ったら、
「いや、治ったのではありません。痛みがとれているだけです」
と言われてしまいました。

これまで虫歯など経験したことがなかったので、何の知識もない。
聞けば、虫歯に汚染された神経を少しずつ除去し、内部を洗浄・消毒して薬剤を詰める作業を続ける必要があるので、1回や2回で虫歯の治療が終わることはない、という話でした。

ふ~ん。そうなのか。前回の治療で痛みが取れたので「治った」と思っていたら大間違いだった。「治るまでには時間がかかります」ということだった。

というわけで、この日も前回と同じように大きく口を開き、ガリガリガリッと歯なのか詰め物なのかわからないけど、削られたり、鋭い針のようなものでカチンカチンとされたり、時々神経に触るのか「痛い!」という瞬間もあって緊張した時が続いた。大変なんだなぁ歯の治療ってと、この歳になって初めて思った。

それが30分以上続いたあと、やっと終わった。

「では、次は1週間後に来てください」
ということだったので、僕は医師に、
どのくらい、この治療が続くんですか?」
と聞きたかったのだけど、何となく口に出せなかった。

で、次は1週間後の31日に来てください、ということだった。
それで終わりでは到底なさそうな感じである。

31日というと、明後日である。

早く終わってほしいけど、治療はいったいどこまで続くんだろう?

去年のテレビドラマで、
「恋は続くよどこまでも」
というのがあり、毎週楽しみに見ていた。
「恋つづ」と呼ばれて大人気でしたよね。

今の僕の心境は、歯医者の治療はいつまで続くのか?
というところですが、
まさか、
「歯医者は続くよどこまでも」
では、ないでしょうねぇ?

「はいつづ」
なんて言われたくないもんね  

 


  

 

 

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この歳で初めて虫歯になりました

2021年08月13日 | 心と体と健康と

自慢じゃないけど、僕は歯だけは周囲の誰よりも丈夫だった。虫歯はないし、子どもから大人になり、さらに年を重ねていっても、いつも「きれいな歯やねぇ」とほめられた。歯医者さんにも、生まれてから一度も行ったことがなかった。

そんな自慢の歯に異変が起きたのは、60歳の時だった。左の上の奥歯が痛い。なんか、冷たい水を飲んだりしたらその部分がヒリヒリする。そこで、近所の歯医者さんに行ったのが初めての「歯医者体験」だった。

その時は歯科医師から「知覚過敏ですね」と言われ、少し様子を見ましょうと言われた。「知覚過敏? なに、それ?」。「様子を見る」って、これからも左上の歯がヒリヒリするのを我慢しなければならないわけ?

納得が出来なかった僕は、歯医者さんをいろいろ調べ、藤井寺駅前にあるフクダ歯科というところへ出掛けました。

そこで事情を話すと、先生はレントゲンを撮ってくれ、
「歯にヒビが入っています。抜歯しなければなりません」と言い、
「でも一番奥の歯ですから、抜いても入れ歯の必要はないです」
と説明をしてくれた。

「知覚過敏です」と言って何の処置もしてくれなかった最初の歯科医とはえらい違いでしたわ。ほんと。

それで、生まれて初めて左上の一番奥の歯を抜かれたわけですが、奥歯だから入れ歯をする必要もなく、それから12年間、またず~っと歯の調子は良かった。もちろん今も入れ歯はゼロだし、固い食べ物もゴリゴリと噛めます。
(金メダルは噛みませんけどね)。

  ………………………………………………………………………………

ところが

一ヵ月ほど前から、今度は右上の一番奥の歯が水を含むとヒリヒリした。歯を磨いてブクブクすると、右上の奥歯が飛び上がるほど痛い。ソーメンを食べて右上の奥歯の部分にかかった時は死ぬほど痛かった。 

そのうち治るかも、と思いながら放っておいたけれど、水を飲んでもその部分にかかると「痛!」となる。先日、いよいよ限界だなと思い、いま、モミィが定期的に歯のケアに通っているのが、たまたまあの60歳の時に抜歯をしてもらったフクダ歯科だったので、そこへ妻に電話をしてもらい、予約を取って診てもらうことにした。

そして一昨日、午後3時からの予約で、駅前のそのフクダ歯科へ行った。
実に12年ぶりである。

予約時間に行くと、まず先生の助手である女性が出てきて、僕が診察券を渡したら、なにせ12年も前のことなので彼女は「カルテにはないんですけど、いつごろお越しになりました?」と尋ねたので、「12年前です」と答えた。

「はぁ、そうですか」とその女性。
でも、僕は彼女を覚えていた。
あの12年前に左上の奥歯を抜歯してもらった時にも助手をしておられた。
彼女は気さくな人で、あの時、間もなく市役所を退職するという僕に「退職された後のことは、なにか考えておられます?」と、にこやかに聴いてくれたことを覚えている。いや~懐かしい。むろん彼女は忘れてるでしょうけど。

それを伝えると、「え~、そうだったんですか。いやぁ、あの時からは太っちゃいましたけど」と笑った彼女は、確かに体型はすこしふっくらしたようだけど、雰囲気はまったく変わっておらず、あの日同様、この日もとても気分を和らげてくれました。

さて、そんなことでフクダ先生に、12年前に奥歯にヒビが入っていて抜歯をしてもらったことを告げると、今回の僕の症状を聞いて「あのときと一緒かもしれませんね」と言い、「レントゲンを撮りますから」と狭い部屋に案内された。

その結果、
「いやぁ、よかったですね。前回同様ヒビが入ったかなと思いましたけど、違いましたよ。虫歯でしたよ」
という言葉を聞いて、僕はビックリしました、

えっ、僕が虫歯? 

生まれて一度も虫歯になったことなく、
完全にひとごとだと思っていた虫歯に。

「ええ、だから抜歯はしなくてもいいです」
と、フクダ先生。
ふむ、虫歯でよかったんだ、と僕。
先生は僕の虫歯のレントゲン写真を見せてくれ、
「ここが痛みを感じる神経です。治療ではここを取り除きます。痛みますので、痛かったら言ってくださいね」

そんな説明を受けながら、ア~ンと口をあけて、細いものでカチカチと神経のところを押さえられたり、ガリガリガリ~っとものすごい音で歯に触れられたり、歯に空いた穴に何かを詰められたりと、まぁ、そんな感じの治療が30分以上続きました。痛かったことも何度もありました。そしてその都度、ブクブクと口を漱ぐのですが、だんだん、口をブクブクしても、先ほどまでのようなツーンとした痛みを感じなくなってきたのには、ちょっと驚きながらも、嬉しかったです。

で、治療を終えると、先生は、
「このあと、3時間程度は飲み物はいいですが、食べ物は口にしないようにしてください。物をかむと、頬っぺたを嚙んでしまいますから」
とのことだった。なぜか、すぐに物を食べると頬を噛むのだそうだ。

3時から医院に入り、そこを出たのはもう4時半だった。

家に帰ると、さっそくお酒を飲みたいのに、
「飲み物はいいですが食べ物を噛むと頬っぺたを噛むので、食べるのは数時間控えてください」
と言われたので

そこで、帰り道、イオンの食料品店に寄り、明太子マヨネーズというのを見つけて、それを買い、家に帰って妻に今日の話をしながら、お皿にムニュっと絞り出した明太子マヨネーズをスプーンで口に運びながら、缶チューハイを飲んだ次第です。これなら頬っぺたを噛まなくて済みますからね~(笑)。

ということで、
この歳になって、初めての虫歯治療の体験でした。

治療から2日経ちました。
今ではヒリヒリ感もなく、完全に元に戻りました。 
また、24日に、もう一度行くことになっています。


   

 

 

 

 

 

 

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2回目のワクチン接種は意外な結果に

2021年07月19日 | 心と体と健康と

ところで今日は7月19日(月)ですが
僕はてっきり今日は祝日だと思っていた。

わが家のダイニングの壁に貼られているカレンダーには、19日は赤で塗られていて「海の日」とあった。だから今日は祝日だと思っていたのだ。

モミィの学校では16日(金)、17日(土)と今日19日(月)の三日間、保護者懇談会が行われており、妻は三日目となる今日、懇談会出席のため学校へ行った。モミィは授業はないけれど、クラブ活動で三日間とも学校へ行っている。だから僕は今日「祝日だけどクラブ活動があって保護者懇談会もあるんだなぁ」と、カレンダーを見ながら思っていたのだった。

ところが

スマホのカレンダーを見ると19日は「海の日」ではなく、ただの平日だった。
そして、22日(木)と23日(金)が赤に塗られている。
見れば22日が「海の日」で、23日が「体育の日」となっている。
え~? あっ、そうか!
オリンピックの開会の日が体育の日になったんだ、ということを思い出した。でも、海の日が19日から22日に変わったのはなんでやろ? ちっとも知らなかったわ~  

これがわが家のカレンダーです。
妻の字でいっぱい予定(主にモミィの予定)が書きこまれています。

  

19日が赤い数字で祝日になっていて、22日と23日は普通の日になっています。このカレンダーが作成された時点では、まだ祝日の変更が決まっていなかったんでしょうね。
ひょっとして、同様のカレンダーを家に貼っている人は、今日は祝日だと思って会社を休んじゃったりして。
(おらんやろ、そんな人)

しかしまぁ、
僕は毎日家にいるので、もう、いつが祝日で休みなのか? 
わかりまへ~ん。

 ………………………………………………………………………  

さて、昨日受けた2回目のワクチン接種について書こうと思いながら、つい祝日の話になってしまいました。ここから本題に入ります。
(と言っても、すぐ終わりますけどね)

3週間前の1回目の接種では、その翌日、注射された左腕が痛んで、ほとんど動かすことができず、左手で頭を掻くこともできなかった。そして2回目の接種では、1回目よりも副反応がより強く出ると言われており、実際、妻も2回目は翌日に発熱し、ほぼ1日、横になっていました。

また、近所の奥さんからも、2回目の接種では夜に眠れないほど全身が痛んだり、息苦しかったりしたという話を聞き、正直言って僕はビビっていました。

そして昨日の午後、不安を抱えながら体育館へ行き、2回目の接種を受けたのですが

接種後、夕方ごろから左腕が痛み出したものの、それは前回も同じ。夜も、寝返りを打つと左腕が痛むので何度か目が覚めました。でも今朝、起きてみたら、その左腕の痛みも和らぎ、1回目のように腕を上に上げると激痛がするということもなく、頭を掻いても痛くない。また、昨晩から熱も測っていたけれど、ず~っと6度台で平熱。妻は熱があった上に体がだるい、と言っていたけれど、僕はそれもない。とてもピンピンしていて元気です。

要するに、僕の場合、1回目の接種よりも2回目のほうが副反応の症状が軽かったということなんですね。ホント、こんなに軽く済むとは思わなかった。

意外な結果でしたが、正直言って、やれやれ、と安堵しているところです。

ところで、アルコールに関しては、接種の前日もお酒は控えていないし、昨日の接種後の夕食の時もいつも通りグイグイ飲みました。

接種はしましたけど、節酒はしていません。
(またダジャレかいな!)

すみません。
失礼しました。

 

 

 

 

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明日、2回目のワクチン接種です

2021年07月17日 | 心と体と健康と

昨日(16日金曜日)、妻が2回目のコロナワクチン接種を受けた。

昨日は1回目と同様、注射された腕が痛いという程度だったようだけれど、今日の土曜日になったら、朝からなんだか疲れた表情をしていた。
聞けば熱が7度5分ほど出ているそうで、
「やはり、2回目は症状がきついみたいね」
ということだった。

土曜日でもモミィは学校なので、朝に出て行った。
「モミィもいないし、横になってゆっくりしたら?」
と僕が言ったら、
妻も「そうするわ」と、和室に入って寝たようだった。

そのあと、僕が近所のスーパーへ行ったら、近所の奥さんとバッタリ。
「あれぇ、珍しい、今日はお一人ですか? 奥さんは?」
と言われてしまった。
一人やったら、あかんのかい!(笑)

「いや、実は昨日ワクチン接種を受けて、熱が出て寝ているんです」
と僕が言うと、その奥さんもすでに接種を2回受けられたそうで、
「あ、そうなんですか。いや、実はわたしもね
と、その奥さんが言うには、

1回目の接種では腕が痛い程度だったけれど、2回目の接種では、そのあと、熱が出て、息苦しい症状が出た。しかもそれに加えて、
「全身が痛くて痛くて、その夜は一晩中、眠れなかったの」
ということだった。

全身の痛み、というのは、たぶん関節痛だと思う。
結局その痛みは、徐々に和らいだけど、1~2週間続いたということだった。
「そうでしたか? 大変でしたねぇ」と僕。
「ところで、あなたはもう受けられたのですか?」と奥さん。
「はぁ。実は、明日に2回目の接種を受けるんです」と答えた僕でした。

そ~なんです。
明日の日曜日の午後、僕は2回目の接種を受けることになっています。

なのに、その前日である今日、近所のその奥さんにそういう話を聞かされると、ビビりますよね。

あぁ

特に心配するほどではないかも知れないけど、でも、ひょっとして、僕もこの奥さんと同じように、息苦しくなって、全身に痛みを感じ、一晩眠れない、というようなことが起きないとも限らない。イヤやなぁ。

何度も言いますけど、怖がりですからね~、僕は。

では、明日の接種に備えて、今日はもう寝ることにします(寝不足などで体力が落ちると接種には良くないらしい)。

おやすみなさ~い。

(7月17日(土)午後9時55分)

 

 

 

 

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ワクチン接種の流れはこんなふう

2021年06月30日 | 心と体と健康と

コロナのワクチン接種については、人を怖がらせるようないろんな情報がテレビなどで流されていますね。

ある人は接種を受けた直後に倒れたとか。
接種が原因で心筋炎(心臓の筋肉に炎症が発生し心不全の原因になる)になったとか、心筋症(全身へ血液を送るポンプ機能が低下)になったとか。
そんな怖い話がいっぱい出ています。特に僕は心房細動と心臓弁膜症という疾患を持っているので、そういうのがとても気になります。

まぁ、そういうきつい副反応が出るのは確率的にはごくごく低くて、まずは大丈夫ということなのですが、それでも僕は怖がり屋で注射も大嫌いなので、一回目のワクチン接種の日が近づいてくると、「あぁ、接種なんてしたくないなぁ」と思ったりしながら、不安が募るばかりでした。

接種の当日はそんな緊張感を少しでも和らげようと、安定剤のデパスを飲んで家を出ました。
僕は怖がりのうえ、気が弱いのです。(ホンマか?)

さて、場所は市立体育館。
いわゆる集団接種、というやつです。
ネットで予約したのが4月の27日で、やっと2ヵ月経ちました。

予約時間は午後3時だったのですが、30分ほど早く行きました。会場には思ったほど人はいなくて係員の人のほうが多く、僕が自転車置き場から入口に入ろうとしたら、「何時のご予約ですか?」と尋ねられ、「3時なんでちょっと早かったですかねぇ?」と言うと、「ど~ぞ」と中に案内されました。時間まで待たされると思ったのですが、そんなことはなく、スムースに流れて行きました。

最初の受付窓口の人に、事前に送られていた接種券などの書類と身分証明書を提示したら、それらに何かの書類を加えてファイルに入れ「どうぞ、ではあちらへ」と、次の場所を示されました。そこへ行って、また何かを受取り、次は2階へ上がり、そこの係員さんが「〇〇番へどうぞ」と言われたブースに入りました。

中に男性の医師が一人いて、僕が事前に書いてきた書類に目を通しながら、
「え~っと、不整脈で血液サラサラの薬を飲んでおられるのですね?」
と言われたので「はい」と答えたら、
「接種が終わったら、5分ほどその部分を押さえておいてください」
と言われた。つまり、注射の後に血が出やすいから絆創膏の上から押さえておけということで、これはもう、僕も言われなくてもわかっていることでした。
さらに医師は「今夜はお風呂に入ってもいいですよ」と言ったので、僕は「じゃぁビールは飲んでいいですか?」と聞いた。
というのはウソです。えへへ。

テレビで、接種が終わった当日の飲酒は「過度でなければ問題ない」と言っていたので、飲んでもいいのは知ってました。この日も、もちろん飲みますよん。

で、そのあと、また1階に降りていよいよ接種会場へ。

ガランとしたその接種会場へ行くと、係の人が「どうぞ、〇〇番へ」と言われ、そのブースへ入って行くと、医師と看護師さんがおられた。医師は女医さんだった。Tシャツをまくり上げて、左腕の肩に近い部分に「チクッとしますよ」と、注射針をブスリ。
怖いんですよね~この瞬間が。
「いてててて!」とはもちろん言っていませんが、
でも、終わってやれやれでした。

接種を終えてまた別の人の案内で廊下を歩き、広い部屋に案内されました。そこには何十人の人たちが椅子に座っていました。これだけ多くの人を見るのはきょう初めて。

接種後、15分以上ここに座って様子をみる、ということで、接種を終えた人たちがいたのです。シーンとして、話し声はほとんど聞こえない。

接種をした左腕は痛かったけれど、ほかにはどこも異常はなく、20分ぐらい経ったのを確かめて、その部屋を出た。出口にまた職員の人たちがいて、僕が持っていたファイルをそこへ提示したら、その書類に、1回目の接種が終わったシールを貼ったりしてくれて、「お疲れさまでした」とねぎらわれ、僕も「お世話になりました」とお礼を言い、それでこの日の予定は終了しました。

前回のブログで、その翌日に左腕が痛んだことを書きましたが、あれから2日。今はもう、ほとんど痛みはなくなりました。左手をサッと真上に上げても大丈夫。左手でアタマも掻けるし、両手を上げて洗濯物を物干しざおに干すこともできます(笑)。

やれやれ、と一安心です。

二回目の接種は3週間後、7月中旬です。

変異株が次々と出てきているようなので、二度のワクチン接種を終えたら感染の恐れは全くないのかというのはわかりませんけど、とりあえず一回目を終えて一応ホッとしているところです。

でも、二回目の接種を終えたとしても、感染対策はこれまでと変わらず続けなければね。

東京ではまた感染者数が増えつつありますし、五輪も迫ってきているし、まだまだ絶対に気を抜いてはいけない、と自分自身に強く言い聞かせています。


さて、今日は6月30日。明日から7月です。早いですね~
コロナ・コロナと言っている間に、1年のちょうど半分が過ぎました。
明日からの「後半戦」で、ぜひコロナが収束してくれることを祈ります。

 

 

 

 

 

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新型コロナワクチン接種 1回目を受けました

2021年06月28日 | 心と体と健康と

昨日(27日)新型コロナウィルスの第1回目のワクチン接種を受けました。

4月27日にインターネットで市の集団接種の予約が取れ、1回目が6月27日で2回目がその3週間後、ということで、あれから2ヵ月が経ちました。昨日やっと1回目を無事に受けられてよかったです。
ただ、ちょっとモンダイがありまして

接種を受けた昨日は何ともなかったのですが、今日は朝から注射された左腕が痛みます。腕を上げると痛い。動かしても痛い。注射された部分に軽く触れても痛い。何か用事をしていて、つい左腕を使うと痛むので、全部右手でしなければなりません。

頭がかゆくなって左手で掻こうと腕を上げたら「うっ、痛い!」となるので、右手でボリボリ掻かなければならない。Tシャツを着る時や脱ぐときも、両手を上げたり動かしたりして袖に腕を入れたり出したりするので、そんな時にも、左手が「痛っ」となる。

要するにとにかく左腕を動かすと、痛いのです。歩いていても、両手を前後に振ると、左腕だけが(この場合は少しだけですが)痛む。だから、歩きながら右手は振るけれど、左手だけは動かさない。ヘンな歩き方です(笑)。

それと、今日の午前に妻と買い物に駅前まで歩いたのですが、なぜか足がだるかったので、イオンに着いて、少しフードコートの椅子に座って休憩しました。

昨日、接種を終えた後に職員の方からもらったチラシには、「接種後、数日以内に現れる可能性のある症状について」という項目があって、そこに、「50%以上の人が接種部位の痛み、疲労、頭痛、10%~50%の人が筋肉痛、関節痛、発熱、接種部位の腫れ」などと書かれていました。

足がだるかったのは、ここにある「筋肉痛」だったのかも知れないな、と思っていますが、まぁそれほど強い症状ではありませんでしたけど。

僕より2日前に接種を受けた妻は、翌日だけ左腕が痛かったと言っていましたが痛みの度合いは僕ほどではなく、さらにその次の日、つまり接種から2日後は痛みも消えて全く普通に戻ったと言っています。僕も接種から2日後の明日は、この症状が消えてくれることを祈っています。左手を上に高く上げられないのだから、洗濯物もなかなか干せませんしね~

接種についてはもう少し詳しく書きたいのですが、あまり根を詰めてパタパタとパソコンを打ち続けて調子が悪くなっては困るので、今日はこの辺で(僕は心配性なんですよね)。

調子が戻ったら、またこの続きをアップしますね。

 

 

 

 

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耳鳴りと 「うつ」 の関係

2021年06月06日 | 心と体と健康と

前回、深キョンと大坂なおみ選手の適応障害と「うつ」について書きましたが、今日は自分のことです。

僕はこれまでの人生で心の病にかかったことはなかったと言いたいところですが、それに近いようなことは経験しています。

このブログの第一回目「自己紹介と近況報告」(2007年12月1日)という記事の中で詳しく書いていますが、あの頃が僕にとって一番つらい時期でした。僕のこのブログは、そのつらさを紛らわすために始めたと言っても過言ではありません。

この年の8月。近畿大学病院で心房細動(不整脈)のカテーテル手術を受けたのですが、手術中、カテーテルの先が心臓を突き破りそうになった(という病院側の説明)とのことで急きょ中止になり、結局手術は失敗に終わりました。

再び手術を受けるかどうか迷いに迷っていた時、忘れもしない9月下旬の夜のこと。風呂の湯舟に浸かったとたん、左耳の奥のほうでキーンという高い音の耳鳴りが勃発したのです。その夜は一睡もできず、動悸や吐き気もしました。

翌日、耳鼻科へ行きましたが、医師に「耳鳴りがするんですけど」と言うと、イヤな顔をされ、「薬を出しておきます」と、ビタミン剤を出されただけ。頭がおかしくなりそうなほどの症状なのに、何もしてもらえなかった。

次に隣の市の大きな病院へ行き、耳鳴りのために気分がすぐれない、ということを伝えると、そこで言われたのが「不安症でしょう」という答えでした。

どうすれば耳鳴りが治るのか、ということには全く言及せず、
「この症状は、うつですね。自律神経失調とか、男の更年期のようなものです。ですから、心療内科の診察を受けることを勧めます」
と言われるたのです。
耳鼻科じゃなく心療内科? なんや、それは。

耳鳴りで受診したのに、あっさり「心の病」として片づけられました。今から思えば、ストレスが耳鳴りという症状を誘発した、ということなんでしょうか。そういえばその医師は、「頭痛がする人の半分以上は自律神経の乱れから来ています」と言ってました。そのストレスというのは、僕の場合、心房細動のカテーテル手術に失敗したことで生じたもの、ということなるんでしょうか。つまり、うつ的な心理状態が耳鳴りを引き起こした?

あるいは「うつ」の状態になったため、耳鳴りが発症したのか?
「うつ」が先か「耳鳴り」が先かという、まるでニワトリと卵みたいな話になってしまいました。それにしても、耳鳴りだけは医師も手の施しようがないようで、たいていは「心の病」のように言われてしまいます。

あの時から早くも14年の歳月が流れました。

勤務先の市役所を定年退職しても、耳鳴りは退職してくれず、この14年間ず~っと耳鳴りはキーンキーンと鳴り続けています。うるさいです、本当に。

しかも最近はますます音が大きくなっているような気がします。さらに左耳だけでなく、右の耳も時々鳴るようになってきました。

精神安定剤のデパスは毎日欠かせません。
この薬が耳鳴り自体にどれほど効果があるのかわかりませんが、とにかく14年前から1日2錠、欠かさず服用しています。1錠は日中で、もう1錠は夜中に目が覚めた時に睡眠薬代わりに飲んでいます(耳鳴りの発症以来、一晩中ぐっすり眠ったことは、酔いつぶれた時以外には一度もありません)。

それにしてもねぇ。
何でこんなうるさい耳鳴りが自分の中に入って来たのだろう?

文句を言って行くところもないので諦めるしかありませんけどね。
それに、この耳鳴りは死ぬまで鳴り続けることはわかっていますし。

そんなこともあってか、最近は死ぬことが怖くなくなりました。
死んだらこのうるさい耳鳴りから解放されますし。

いつか死んで耳鳴りから解放されるというのが、今の僕の楽しみの一つです、と言ったら、言い過ぎですかいな?

 

 

 

 

 

 

 

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深キョンの 「適応障害」 と 大坂なおみ選手の 「うつ」

2021年06月04日 | 心と体と健康と

     

深キョンこと深田恭子さんが「適応障害」のためしばらく休養するという発表があったのには驚きました。あの深キョンが? どうして? 

すると数日後に、今度はテニスの大坂なおみ選手が、全仏オープンで記者会見を拒否し、主催者側から罰金処分を受けて大会を棄権、「会見拒否」の理由は数年前から彼女が「うつ」に苦しんでいたからというニュースが流れた。あの「熱血のアスリート」大坂選手が「うつ」とは。これまた、どうして?

深キョンや大坂なおみ選手のように、今を時めく女性がなぜ
不思議でならなかったのですが、人の心の中というのは、他人にはわかりませんからね~

さて、「適応障害」と「うつ」ですが。

このふたつはどう違うのか?

「適応障害」を広辞苑で引くと、
「自分の外的・内的状況にうまく適応できないことに起因する精神的疾患または症状。身体面や行動面の不調を起こすこともある」
と書かれています。

つまり、ある特定の状況や環境が自分にとって耐えがたいと感じ、強いストレスとなって気分や行動面に症状が現れるもので、憂うつな気分、不安感、焦りが生じたり意欲や集中力が低下、またイライラ感など。さらに身体症状としては頭痛、めまい、動悸、倦怠感などが起きるそうです。それがさらに進行するとうつ病になるというのですから、うつ病のほうが重いということなんですね。

大坂選手の場合は「うつ病」ではなく、「うつ的症状に苦しんでいた」と言われています。「うつ」を広辞苑で引くと、「気のふさぐこと」と書かれているだけです。しかし大坂選手はうつ病とまではいかなくても「長い間うつに苦しんでいた」ということだから、やはり相当な心の病だったんでしょうね。

かつて、僕の周辺にも、心の病で苦しんでいた人が結構いました。同じ職場で働いていた同世代の友人は、僕なんかよりはるかに物に動じない剛毅な男でしたが、別の職場になってから後、突然、心の病で職場から姿を消しました。また、有志で作っていた野球チームの若手だった後輩も、上司のパワハラに耐えきれず出勤できなくなり、藤井寺の駅前にある心療内科に通っていました。

こういう症状は性格的に真面目な(もっと言えば真面目すぎる)人がかかりやすいようです。真面目なだけに、物事に取り組む姿勢も真っすぐで、それが強いストレスを生じさせたりするのかな、と素人ながらに思うわけです。と言って、性格は簡単に変われませんからね。自分でわかっていてもすぐにストレスを感じてしまう。そういう気持ちを察すると、胸が痛みます。

それにしても「心の病」って、適応障害やうつ病のほかにもいろいろあるようですね。「統合失調症」と言われていた人も知っていますし、学生時代からの親友が「パニック障害」になったこともありました。他にも神経症(いわゆるノイローゼ)とか、双極性障害(いわゆる躁うつ病)とか。いずれも心の病だと思うのですが、精神医学的には少しずつ違うのでしょうかね~

ともあれ深キョンは、モミィが日頃から彼女の出ているCMを見るたびに「テレビに出ている女の人で一番美人やなぁ」と目を光らせている女優さんだし、早く復帰してほしいです。また、大坂なおみ選手も、一時はどうなることかと思いましたが、彼女に理解を示す人たちも多く出てきて、本人も「五輪に出場したい」と意欲を見せているので、これ以上悪い事態にはならないようで安心しました。

それにしても、ありきたりな表現ですが、人の心の中というのは、本当にデリケートだし、複雑で微妙ですねぇ。

次回は僕が医師から「うつ」と診断されたときの話をしたいと思います。発端は耳鳴りでした。

深キョンや大坂選手のようなチョー有名人と並べて語るわけではありませんけど、まあ、僕もこういうことにはとても関心がありますので。
ではまた次回。
皆さま、良い週末を!

 

 

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お酢を飲むと筋肉の疲れが和らぐ !

2021年06月01日 | 心と体と健康と

最近読んだ五木寛之さんの「ゆるやかな生き方」という著書の中で、こんな一節がありました。

人が気持ちよく生きるための第一条件は、そこそこに快適な体調を維持すること。要するにからだのコンディションを保つということである。な~んだ、そんなことかとあきれる人もいるだろうが、真理というものは常に平凡な姿をしているものなのである

これを読んで「な~るほど」と思う人は多いだろうなぁ、という感想をまず持ちました。本当にね。どんなに才能があっても、どれだけやる気があっても、先立つものは体調です。体調が悪ければ「気持ちよく生きる」ことは難しい。

そして五木さんは別の著書でも「どんなふうに生きていくかは一人一人違うのですから、世間全般で言われている健康法、たとえば食事は1日3食規則正しく食べろとか、野菜を沢山食べて栄養バランスがどうとかはアテにならない」とも書かれています。つまり自分に合った健康法を見つけるってことですね。

て、そこそこに快適な体調を維持して気持ちよく生きたいと願っている僕も、食生活や運動などで、自分なりの健康法を、ささやかながら実践しています。

それで、いくつかある「わが健康法」のうちの一つですが

1年近く前から、朝食後にお酢を飲んでいます。大さじ1杯余りの量のお酢を、冷えた麦茶で5倍以上に薄めて飲んでいるのですが、新聞で読んだのがきっかけでした。

その記事によると、筋肉にたまって疲労の原因となるのが乳酸やビルビン酸というものだそうですが、お酢には、脂肪の代謝を活発にして、その乳酸やビルビン酸を分解する作用があるとのこと。僕はウオーキングが趣味なので脚の筋肉を酷使することが多い。だからこの記事に「酢を飲むと筋肉の疲れが和らぐ」と書かれているのを見て、すぐに実行することにしました。

ただし、効果があるのは天然醸造の酢や黒酢で、合成酢はダメということ。で、自分用の「純米酢」をスーパーで買ってきて毎朝飲んでいます。

元々僕は酢の味はどちらかと言えば苦手で、いくら麦茶で薄めても、最初の頃は「ウェッ」となったり、気が進まない分、飲むのを忘れたりしていました。でも味に慣れてくるとそれが徐々に「おいしい」に近い感覚になり、今は朝食後のお酢は気分的にも欠かせないものになっています。

それで筋肉の疲れが和らいでいるのかどうか、はっきりわかりませんけど、先日のようにアベノまで歩いたりしても、次の日にそれほど筋肉痛が起きたわけでもないので、それなりに効果は出ているのかな、と思っています。まぁ、「効果はあるぞ~」と信じていればそれでいいんですけどね。

ほかにも「自分のからだに良さそうなこと」はしていますけど、今日はお酢の話をしました。

本当はお酒を控えるのが自分にとっての最上の健康法だとわかっているんですけどね。でもそれがなかなか出来ない(あるいは続かない)ので、そのマイナスを他のこと(今の場合はお酢)でカバーしようという魂胆ですわ。

このお酢作戦が救世主となるか? 
救世酢! なんちゃって。

 

 

 

 

 

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誤嚥 死ぬかと思った!

2021年04月24日 | 心と体と健康と

今月の6日に痛めた右の肋骨ですが、あれから半月以上経過し、だいぶマシになりました。今は激しい痛みや内出血の跡は消えましたが、でもまだ、姿勢によっては痛んだり、歩いていても少し痛んだりと、完治状態とは言えません。

しかし思えば、あの痛かった時期に、こんなことがありました。

昼食時、食べ物を口に入れ、水を飲んだ時、それが気管に入って「ゴホゴホゴホッ」とむせたのです。

それを収めようと「エヘッエヘッ・ゴホッゴホッ」と強く咳をしたら、その瞬間に右の肋骨が強烈に痛みました。あっ、そうだ、今はこの状態なんだ。と思い、今度は咳を我慢して気管の詰まりを懸命にこらえていたら

なんとまぁ気管が本格的に詰まったのか、息ができなくなったのです。
「わっ、えらいこっちゃ!」と気が動転!

これはもう肋骨が痛もうが折れようがそんな場合ではない! と思って、激痛を覚悟の上で思い切り咳をしました。最初は声もロクに出ない状態でしたが、とにかく喉が通り、呼吸ができるようにと大声で「ゴッホゴッホ、ゲッボゲッボ」と咳き込みました。妻も、何が起こったのかわからず、茫然としていたようです。

そして、そのあげくに、どうにかこうにか、やっとこさ、気管の詰まりが収まって喉が通り、息ができたので、やれやれと胸をなでおろした次第です。

僕は普段から食べ物や飲み物がよく気管に入ります。でもすぐに「エヘン、エヘン」と強い咳をしたらすぐに元に戻っていたので、まさか今回のようなことになろうとは。肋骨が痛かったので強い咳をしなかったのが原因でしたが、こういうのを今よく言われている「誤嚥」というのだそうですね。経験してわかりました。本当に怖いです。

一瞬の出来事でしたが、マジで死ぬかと思いましたわ。


*ご参考までに 

4月21日(水)の午後7時半から放映されたNHKテレビの「ためしてガッテン」は「むせやすい」というのがテーマでした。物を飲み込みやすくするトレーニングなんかも紹介されていました。来週水曜日(28日)の午後3時10分から再放送があるそうなので、関心のある方はぜひぜひご覧ください。

  https://www9.nhk.or.jp/gatten/articles/20210421/index.html

 

 

 

 

 

 

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あ~ぁ まさかこんなことが起きるとは

2021年04月11日 | 心と体と健康と

「それ」 が起きたのは、4月5日から6日にかけての真夜中だった。

5日の夜、僕は家でいつもより沢山のお酒を飲んだ。そして夜も更けて3階の自分の寝室へ上がって行った。部屋に入ったとたん、足がもつれてよろめき、どうやらどこかに思い切り体をぶっつけた。「どうやら」というのは、お酒のせいではっきり覚えていないからです(トホホ)。

そして、そのままベッドに倒れ込んで眠ったようだ(これもはっきり覚えていませんけど)。で、夜中に目が覚め、ベッドの上で寝返りを打とうとした時、体の右側の肋骨のあたりに強烈な痛みが走った。ギェッ~!

「なんだ? なに、なに、なに?」

夢か現実かわからないままの状態で、それでまた寝入ったようだ。
そして4月6日(火)の朝が来た。

目が覚めてベッドから起き上がろうとしたら、右の肋骨が痛くて起き上がれない。やはりあの痛みは、夢ではなかったのだ。どうしたのだろう? どこでよろめいて、どこで右の肋骨部分をこんなに強くぶっつけたのだろう? よくわからない。でも、いずれにしても昨日の飲み過ぎが原因でこうなったということは否定できない(情けないボク)。

そして
なるべく痛まないようにと、体勢をいろいろ変えながら、片足をそろりと床へ下ろそうとしたら、また右の肋骨が痛~~~い!

体の動かし方によってその部分の痛みが強くなったり弱くなったりするので、ベッドで蛇のように体をくねらしながら、ゆるゆると両足を着いてやっと起き上がることができた。そろっと歩き始めても痛みがあり、特に右脚を踏み出す時に右の肋骨が痛む。何とか我慢して階段を降りて、2階の居間兼キッチンへ入ってテーブルの席でまでたどり着いた。椅子に座ったら、強烈な痛みはいったんマシになった。しかし椅子から立ち上がろうとするとまた痛い。歩いても痛い。とにかく体を動かすと、右の肋骨の部分に鋭い痛みが走るのだった。

他にもたとえば、体をそらしたり、肩を動かしたり、深呼吸とか咳とか、くしゃみ、あくびなんかをしても、右肋骨に痛みが走る。いや、息を吸い込んだだけでも痛む。ホントにねぇ。何だか生死にかかわるようなことになるんじゃないかという恐怖すら湧き上がってきたのでした。

それにしてもこの4月6日という日は、
モミィの高校の入学式の日だったのです。
あぁ~(深~いためいき)。

やれやれ。なんでこんな日に、と、
ガックリと肩を落とした僕でした。

 …………………………………………………………………………

僕は、心配する妻に付き添われて近くの医院へ行き、X線検査の結果、肋骨自体は骨折はしていないことがわかった。しかし肋骨に接している軟骨については、骨折しているかどうかはX線では確認できないとのことだった。しかし痛みがひどいことに加え、僕の患部には手のひら程度の大きさの皮下出血があったので、軟骨が損傷していることは間違いないだろう、ということでした。「1週間から2週間程度、様子を見ましょう」と医師が言い、痛み止め等の飲み薬と塗り薬、そして患部に貼る湿布薬などを処方してもらいました。

そして最後に、患部を固定するためにコルセットのようなものでバリバリっと体の上半身を巻き付けられました。少々窮屈ですけど、何となく右の肋骨部分の痛みが軽減するような気分でした。

妻が医院に付き添ってくれたので、結局この日のモミィの高校の入学式には2人とも出席できずじまい。記念写真も撮れなかったし。本当に残念なことでした。

あれからもう、1週間近くが経ちました。
今も痛みはありますが、今日あたりはだいぶ楽になってきたようです。

 

 

  
きょう撮った患部の写真です。
これは僕の体の右側の肋骨部分。
今も皮下出血の跡が残っています。

 
 痛み止めの薬と、胃の粘膜を保護する薬。


 
 こちらは塗り薬。
 「右肋骨に塗布」とあります。


 
 そして湿布薬。
 

というようなことで、9日ぶりのブログでした。

モミィの入学式の様子を掲載できなかったのが残念でしたけど。

 

 

 

 

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そして γ(ガンマ)GTPは下がったのか?

2021年03月06日 | 心と体と健康と

さて昨日(5日)の朝、7時前に家を出て雨の中を駅まで歩き、電車に乗って松原市内の病院へ着いたのが7時半。受付開始は8時からなので、来た人から順番に院内の椅子に座って待ちます。すでに数十名の人が座っていた。

僕のあとから来て、僕の近くの椅子に座ったお年寄りの女性が「あっ」と小さく叫んで立ち上がり「マスク忘れたぁ」とバッグの中に手を入れたままつぶやくのが聞えた。確かにマスクをされていなかった。僕は予備の新しいマスクをリュックに入れていたので、すぐにそれを取り出し「これ、どうぞ」とその人に渡してあげた。すると、すごく丁寧に「ありがとうございます」と何度も頭を下げられたので、こちらが強縮してしまった。普段は人の役に立つことを何もしていない僕なので、たまにこうしたことがあると、良い気持になれます。
今日の検査も良い結果が出るかもね(それとこれ、関係ある?)。

受付が始まり、検査室へ行って採血。そのあと循環器内科へ行き、そこのカウンターに書類を置いて9時からの診察開始を待つ。そして9時半過ぎに名前を呼ばれ、診察室に入った。さぁ、検査結果はどんなんやろ?  

「おはようございます」と医師とあいさつを交わしながら椅子に座った。

実は今年に入ってから、心房細動(不整脈)は1月に2回、2月には初旬に1回症状が出ただけで、それ以降、一度も出ていない。1ヵ月も出ないということはほとんど記憶にないことなので、今日はまず医師に「このごろ、すごく安定してるんですわ」とその状況を伝えた。

「あ、そうなんですか」と医師は僕の検査結果をプリントしたものを手にし、
「γ(ガンマ)もずいぶん下がっていますね」と、僕に見せてくれた。
「おおっ、やったぁ~」と心の中で快哉を叫ぶ僕でした。

前回(去年の12月)の肝臓に関する数値と言えば、
ガンマが180という、これまでで最も高い数値が出た。
同じく肝臓のぐあいを示すGOTとGPTも基準値を超える高さだった。
それが今回は、軒並み下がっていたのだから嬉しい。

前回と今回の数字を比べて見ると、
γ(ガンマ)GTPが 180 から 63(基準値は49以下)
GOTが 52から 30(基準値は37以下)
GPTが 93から 36(基準値は45以下)

というものでした。
「下がっているかな?」とは思っていたけど、
ここまで下がっていたとは。

「お酒は控えられたのですか?」と医師。
「えぇ、まぁ、飲むことは飲んでいますけど、飲まない日を作ったりね」
「あぁ、休肝日をねぇ。いいことです」
と、前回は珍しく厳しかった医師も、今日は元の柔和な雰囲気に。

正確に言うと、一昨日に書いたように2週間前まではいつもの調子で飲んでいました。そして2週間の禁酒。それは医師には黙っていましたが、まぁええやろ。それにしても2週間でここまで回復するんですね。
まだまだ肝臓の回復力はしっかりしているんだ。うふふ。

ところで、γ(ガンマ)GTPをはじめ GOT や GPT というのは、肝臓の解毒作用に関係している酵素であり、脂肪肝をはじめ、慢性肝炎、肝硬変などの指標として重要な数値とのことです。ですから、これが下がったということは大変喜ばしいことに違いありません。

検査結果票のその部分の写真です。

 
 γーGTP、GOT、GPTの数値の部分に医師が赤線を。
 右端の数字は基準値範囲です。

 
 その横の空欄に「肝酵素 改善。減酒 継続しましょう」
 と、医師が書いてくれました。

診察を終え、会計を済ませたあと、次の予約日は5月▼日とのことで、70数日分の薬をもらって帰途につきました。

途中、イオンに寄ってハイボール500mを数本買って帰ったことは言うまでもありません(笑)。でもね。くれぐれも調子に乗らないこと。
休肝日は必ず作りましょう(今度こそ)。

喉元過ぎても熱さを忘れず! 

忘れたらあかんで、その言葉を。

 

 

 

 

 

 

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2週間の禁酒で γ(ガンマ) GTP は下がるか?

2021年03月03日 | 心と体と健康と

またお酒と健康に関する話です。

去年の12月、病院で血液検査をした際、γ(ガンマ)GTPの数値がかなり高かった。まぁ昔から高い目だったけれど、この時は180もあって、これまでで最も高い数値が出た(基準値は50以下)。

お酒の飲みすぎで肝臓が悪くなると γ(ガンマ) GTPの値が高くなるので、医師からも常々飲酒は控えるように言われていたんですけどね~

僕の場合、持病の心房細動(不整脈)の発作が出る一番の原因は飲み過ぎということなので、できれば医師の言うとおり、飲むのを控えなければならないんですけど、「今日ぐらいええやろ」と毎日毎日、自分に都合の良い言い訳をし、ついつい飲み過ぎてしまう、という生活です。「知ってるわ」と言う方も多いでしょうけど(笑)。

その去年12月の検査のこともブログに書きました。

不整脈はお酒が原因 とわかっていても (去年12月12日)

そしてまた病院へ行く日が明後日(3月5日)に迫ってきました。また血液検査をします。またガンマの数値が出ます。

これでまたまた数値が高かったら、またまた医師から注意されること必至。今度は「厳重注意」になるかも知れない。さらに「次は必ず奥さんと一緒に来てください」と強く言われるかも知れない。

それで、実は2週間前から禁酒をしています。

へへっ。
一定期間お酒を断てば 、ガンマの数値も下がるんじゃない? 
な~んてね。

とはいえ、肝臓の回復力も年齢と共に衰えてくるそうなので、2週間禁酒してもガンマの数値が下がらないことも十分あり得るらしい。その意味で言うと、今回は自分の肝臓の回復力がどれくらいなのかを知る機会にもなりますけど。

でもねぇ。
検査の前だけあわてて禁酒し、そしてもし良い結果が出たら、「その気になればいつでも禁酒して、ガンマの数値くらいストンと落とせるんだから」なんていい気になることは、僕の性格から見て間違いありません。

わたくし流の「その場しのぎ」の短期間禁酒が、
明後日の検査結果に、果たしてどう影響するか?

早く明後日が来てほしい。
と言っても結果を知りたいのではなく、
半月ぶりに飲めるからですけどね~(なんじゃ、そら)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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不整脈はお酒が原因 とわかっていても

2020年12月12日 | 心と体と健康と

昨日の11日(金)、また病院へ行きました。前回書いたように、その6日前の5日(土)に不整脈の症状が止まらなくて駆け込み、点滴を受けた病院です。昨日の場合は、前から決まっていた2か月に一度の定期検査・診察でした。

昨日は通常の採血に加え、心電図と心臓の超音波検査(心エコー検査)と心臓のレントゲン検査もしました。

検査を終え、1時間ほど後に診察室に呼ばれました

担当医は電子カルテのデータを見ながら、先日僕が不整脈が止まらずこの病院で点滴を受けたことに関してその時の様子を詳しく聞き、
「う~ん。なんでこんなことになったのかな?」
と首をかしげて、先ほどの採血の検査結果を画面で確かめ、
「ガンマも上がっていますし」
と、肝臓の数値が高くなっていることを指摘したあと、
「お酒のほうは、控えてますか?」と僕の目をググっと覗き込んだのです。

「えぇ、まぁ、あの、その、ムニャムニャ…」
お酒は控えていないので、僕もウソはつけない。
でも「はいは~い、飲んでまっせ~」とも言いづらい。

「いつも言っていますように」と、医師は僕をじっと見て、
あなたの場合、お酒が不整脈の主な原因だと思われますので、そこをきちんとしなければ、何度でも同じことを繰り返しますよ」
と、いつになく、きつい口調で言われた。
そしてさらに、
「次回は奥さんと一緒に来られませんか?」とも言われた。
「お酒をやめるか控えるかはご家族の協力も必要ですし
と、僕だけに言ってもダメだと思ったのか、医師は真剣な顏でそう言った。
「いや、それは」と僕。ちょっと大層じゃない? 妻もビックリするで。
「ま、無理にとは言いませんけど」と医師も少し口調をやわらげた。

そんなやりとりが続き、とにかく僕の場合はアルコールが不整脈の主な要因である可能性が高いので、これを控えることが何より先決、ということで昨日の診察は終わりました。

僕もわかってるんですけどね。
確かに、僕の不整脈は飲み過ぎた日の夜に出ることが圧倒的に多いのです。

これから年末年始です。
まぁ、今のコロナ禍だから、外で忘年会や新年会には行かないけれど、だからと言って飲む量が減るわけではない。家で飲むのも好きですからね。

でも、先日のように、何日も不整脈が続き、病院へ駆け込んで点滴を受けなければならないというような事態は、もう懲り懲りです。

断酒、までとはいかなくても、1日に500mlの缶ビール(とかチューハイ)を1本だけにし、さらに週に1日か2日、休肝日をつくる、というふうにしたら不整脈も起きにくいし、肝臓の数値も下がるだろうと思う。なにせ最近は1日に2本から3本、時には4本飲むときもあるので、これはやめなければね。

あ~あ。
もう、これまで何度も何度も同じような決意をしてきたのに、意志が弱いのでその決意を貫けない。でも今度こそ!

で、さっそく今日から実行しようと思いましたが、
今日の夜、おでんを炊いて、2本飲んじゃいました。

よ~し。
明日から。
明日から!
1本だけにしておこう。

と、酒飲みのひとり言です。
できるかどうか、怪しいもんですけど。

 

 

 

 

 

 

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不整脈に悩まされた5日間

2020年12月08日 | 心と体と健康と

先週3日(木)の朝、目が覚めると何となく胸がモヤモヤする。心房細動(不整脈)が出ているようだが、まぁ珍しいことではないので普通に起きた。朝食後、いつもの薬を飲んで回復を待ったが収まらない。昼になっても夜になってもドキドキ、モヤモヤが収まらない。いつもの発作より明らかに長いけど、ごく稀に24時間続くこともあったので、ただひたすら我慢して収まるのを待つだけだ。

夜、体調が悪いまま「おちょやんと河内弁」のブログをパソコンで打ってアップして、それから安定剤のデパスを飲んで寝た。

しかし翌朝もまだ続き、24時間を過ぎてもず~っと心拍は不規則なまま。そしてその日も収まらなかった。心房細動の持病を抱え始めて15年近くになるけれど、2日間も連続して続くのは初めてのことだ。

そして発症3日目となる5日の土曜日も、信じられないことに不整脈はまだ収まらなかった。しかも朝から頻脈に変わり、1分間の心拍数は130前後まで上がっていよいよ気分が悪くなった。もう我慢も限界だ。いつも通っている松原の徳〇会病院へ駆け込んだ。

土曜日は循環器内科の診察はなかったので、一般内科で診てもらうことになったが、受付で症状を伝えると、看護師さんのカウンターの後ろ側にある急ごしらえの狭いベッドに寝かせてもらった。近くにあるいくつかの緊急用のベッドは一杯だったといことだ。

1時間ほど寝たままでいたところ、やっと医師が来て「点滴をしますから」と言ってすぐにどこかへ行ってしまった。さらに30分ほどしてから、看護師さんが点滴の機械を持ってきてくれて、やっと始まった。受付のすぐそばのベッドにいたけれど、周囲は慌ただしい雰囲気だった。看護師さんもバタバタと忙しそうだ。今、こんな時期だから、コロナ禍と関係あるのだろうか?

そんなことを思いながら、点滴を受け、心拍数も80ぐらいになった。でも心拍数は落ちたけれど、鼓動がまた不規則になり、いつもの不整脈はまだ少し残ったままだった。それでも頻脈は収まったということで、看護師さんが、「はい。ではこれで終わります」と、点滴を外した。

僕は少し楽にはなったものの、まだ何となくモヤモヤ感が消えず、戸惑ったけれど、看護師さんに「また調子が悪くなったらいつでも来てください」と言われてベッドから起き上がった。「今もまだ完全には調子良くないんですけど」とは言えませんでした。看護師さんたちも忙しそうにされてましたからね~

病院に来たのが10時頃だったが、時計を見たらもう午後1時半を過ぎていた。すると急にお腹がグーっと鳴りました。

そんなことで、12月3日の朝に不整脈が出てから、4日も1日中それに悩まされ、5日に病院へ行って点滴を受ける、という3日間だった。ところが翌日6日の日曜日もまた不整脈が出て、収まったかと思うとまた出て、という繰り返し。

さらに昨日(7日)の月曜日も、午前中は調子が良かったのに昼からまた少し心拍が乱れるというようなことで、結局3日の朝から昨日まで、5日間、調子のよかった日は1日もありませんでした。

ほんとにねぇ。こんな5日間も連続で不整脈なんて、僕にとっては前代未聞のことです。

そして今日(8日)、やっと脈拍は安定し、朝から今(午後9時)まで、スッキリした気分で過ごすことができています。やれやれですわ。

普通に生活ができることの幸せを、改めて噛み締めています。

 

 

 

 

 

 

 

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