どんなにもっともらしい弁舌を行なおうと、議論している場に於いては
正しい事を言っている様に見えても、冷戦に見ている国民からすると、
如何茶番で、子供だましの発言をしているかが解ります。
国の最高機関で、最高の頭脳が集まって国の政を行っているとは言い難く
私情を交えた言い訳三昧は、聞いているだけで不愉快極まりないものです。
近年、日本中で自然災害が猛威を振るい、更には、人々の生活も一向に向上せず
国民の苦しみは増すばかりです。
中小企業は相変わらず先が見えない中で苦しみ、地方の駅前商店街は
シャッターが開かない商店が立ち並び、中央への一極集中化が目立つだけで、
一部の企業や富裕層が潤っているだけが、日本経済の現状と言えます。
多くの社会人が、働けど働けど楽にならない生活に喘ぎ、先の見えない生活に
自分の将来に夢を抱く事さえ無くしているのです。
日本社会が、一部の方々に都合良く作られていて、殆どの国民にとって
如何に息苦しい事と成っているのか、私欲を求めている政治屋には解らないでしょう。
自由主義社会とは名ばかりで、殆どの人達は、生まれた時から自分の将来が限定され
自分の生まれた環境から、どんなに努力しても、思い通りの人生が送れない若者が
非常に多いのです。
何でも手に入ると言われる日本にあって、生活苦から、毎日の生活で精一杯で
自分の将来を考えられない人が増えているのです。
能力が有れば、道は広がると言うのは、理想であって現実ではないのです。
生れた時から進む学校が決められ、将来の進む道が決められている学生も多く、
頑張っても自分の思い通りの未来を築けない若者が少なくないのです。
優れた環境で未来を保証される人たちは、努力以前に道が開けていて、
しかも、学校だけでなく、社会に出てからも有利な職場に就職できる条件が
与えられている事が多いのです。
日本は、誰もが平等な社会と言われても、実際は、様々な階層が作られていて
その構造が崩されない様に、上位に居る人たちは、世の中を自分達に都合の良い様に
作り変えて行るのです。
様々な環境で差別があり、身分に依る選り分けが行われているのが日本社会の実態です。
もう十年以上不景気と言っているのは、一般の庶民であり、日本を牛耳っている
一部の方々からすれば、不景気と言うのは全く感じられないのです。
私達は、そんな不公平な社会を平等にしようと、選挙を行い、我々の声を国会に届けようと
様々な人材を送り込むのですが、残念ながら、私達の代表と思われた人たちも、
甘い言葉を掛けられると、簡単に踵を返し、私欲に走る事が多いのです。
私達国民の気持ちを国会に反映すべく政治家となったはずなのに、いつの間にかに、
私欲を満たしてくれる方々に尻尾を振ってしまった結果が、見苦しい発言を並べる
本当に腹立たしい姿をさらす事と成るのです。
素晴らしい頭脳は、国民を幸せにするために有るはずです。
自分の行いをごまかしたり、弁解をする為に使うものでは無いのです。
しかしながら、彼らの行動や言動を捉えて、その真偽を正しても、無駄と言えるのです。
何故なら、彼らは、人の気持ちを平気で裏切って、私欲に走る様に、人生を送って来たのです。
経済社会の申し子の様に、常に、一番になる事を目的とし、目的を達成するの為には
手段を選ばず、自分の利益にならない事には一切関わらず、人を蹴落とし、欲しいものを
すべて手に入れて来た人生を歩んで来たからです。
いつまで経っても楽にならない生活、未来を夢見られない人々が増えていいるのは、
祭りごとを行う人たちが、自分の生活を豊かにすることを中心に考えていて
国民の事は、二の次と言えるからです。何故、あれ程にも、黒を白と言えるのか。
堂々と、カメラの前で、躊躇う事無く、国民の前で言い訳が出来るのか。
それは、社会の常識は、彼らにとって眼中になく、自分達の生き方が正しいと
確信しているに他ならないからです。
これ程にも美味しい仕事は無いのです。
国民からは先生と言われ褒めちぎられ、多くの企業からは、美味しい話が舞い込み、
国民から吸い上げた膨大なる税金は、自分達の思うがままに使えるとあっては、
経済社会に於いて、最も経済的に豊かな生活を送れる事から、彼らの行動こそ
日本の真義と成るのでしょう。
もし、国民の思う、日本人としての常識が有るのなら、余りの恥ずかしさで
当の昔に、その職を辞しているはずなのですから。
しかしながら、産業革命以来、西洋から資本主義経済が入って来て百数十年と成りますが、
最も近代化が進んだ今、国民の心は、最も苦しみ、病んでいると言えます。
日常生活の全てが近代化され、一見、誰もが、豊かな生活をしている様に思出ますが、
この生活をする事に苦しんでいる国民が実に多いのです。
消費経済を優先する事に依り、常に、出費が伴い、どんなに働いても、生活の至る所で
様々な出費が求められ、実際に自分の自由になるお金は減る一方です。
豊かな生活をしている様に見える人たちも、ローンに追われ、生活費の増加に苦しみ、
日常的な出費に常に悩んでいるのです。
生活を維持するための出費が大きくのしかかり、殆どの国民は、支払いの為に働いている
と言っても過言ではないのです。
更に、出費が収入を上回り、多くの借金を抱えている人たちも非常に多く、借金をしてまで
出費を優先する社会を作り上げているリーダー達の責任は非常に大きいのです。
国民は生活で苦しもうと、自分達は更なる私欲を満たすとなれば、いったい、お前たちは
誰の為にその地位に居るのかと言いたくならざるを得ないのです。
経済優先社会に於いて、常により多くの支出を求められる事から、そんな社会で育つと、
誰もが、果ての無い消費迷路に迷い込み、とめどの無い欲望から逃れらなくなるのです。
手に入れた物は、直ぐに過去の物と成り、常に新たなる物を手に入れる事が生きがいとなって
欲望を満たす誘いには簡単に乗ってしまうのです。
決して彼らを弁護するのでは在りませんが、消費経済社会に在ると、どんなに豊かになろうと
より魅力的な条件を示されると、まるでダボハゼの様に、目の前に落ちて来た餌には、
反射的に口を使ってしまうのです。
いわば、日本国民の代表として、地位と名誉が手に入っても、更なる誘いがあると簡単に
手を出してしまうのが、今の日本社会の特性とも言えるのです。
つまり、誰でも、社会的地位が出来て、自由とお金が手に入ると、同じような事をしてしまう
可能性が大きいのです。
その事が、いつまで経っても、この手の政治家の不祥事が無くならず、どんなに優秀な人を
国会に送り出しても、簡単に国民を裏切る訳でもあるのです。
日本国民の環境は、今の経済優先の社会を貫いている限り、同じような政治家を生み
更には、一部の人の独占社会と成り易いのです。
日本社会の仕組みが、今の国民を苦しめる環境を作り、役に立たない政治屋を生んでいるのです。
つまり、外見的に豊かな日本社会は、その見た目と裏腹に、国民は進歩していなくて、
一度自分の思い通りになる生活が出来ると、他人の事を考えられない、まだ大人になれない
未成熟な国民と言えるのです。
本当に、日本国民全体が幸せになる為には、経済優先社会では無く、人々の心を幸せにするための
子供の頃からの環境を作り変える事が重要と言えます。
私達日本国民が、長い間、豊かな感性を育て、自然を人を心から慈しみ、大切に思っていた歴史を
もう一度顧みて、私達日本人にとって最も相応しい社会を築きなおす事が大切です。
経済優先の社会になって、まだ百年そこそこです。
外見的には豊かになったのに、日本人の心が救われない原因は何であるのかが解らずして、
外面ばかりを整えていても、国民は幸せにはならないのです。
太古の昔から、日本人の心と身体は、如何に作られて来たのか、たかが百数十年の経済的に豊かな
消費社会で、日本人の心が豊かになるはずが在りません。
汚れきった海や川、人の事を顧みない自分だけ良ければいいと言った我儘な社会が、人々が求める
本当の幸せを呼ぶはずはないのです。
国民は、心の中でずっと前から感じているのです。今の生活は、本当の生活でないと。
それなのに、いまだ、外見を求める事を良しとする政策を出している様では、これから先ずっと
日本人は幸せになるどころか、心が病み続けるのが落ちと言えるのです。