めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

地震と戦争は突然に

2017-07-05 15:09:09 | 日本

日本周辺の緊張が益々高まっています。
遂に、北朝鮮は、ICBМの開発に成功したと高らかに宣言をし
アメリカも、これによって自国に対する危機感を強めています。
一発触発と言っても良い状態なのに、トランプは、ツイッターで
まるでゲームを楽しむかのような他人事の態度を示せば、
我が国のリーダー達は、都議会選挙の大敗を受けて、我が身を
守る事には必至と成るも、この非常事態の中で、国民は置き去り
遂に、日本丸は船長不在で、嵐の海を漂う事と成りました。

東日本大震災の前、何年も、大地震の警告が成されながらも、

我が国のリーダー達は、どこ吹く風と言った他人事でしたが、
いざ、起こると、想定外と言う言葉を並べて責任転嫁を計るも
対策は後手に周る一方で、いまだ、多くの人々が苦しい生活を
強いられているのです。

戦後70年になり、日本経済は長足の進歩を遂げたものの、

戦争の後遺症は、いまだ多く残り、その痛みは、諸外国からの
様々な日本バッシングにも表れています。
日本人の大半が戦争を知らない世代と成り、日本が、かつて
アメリカと戦ったという実感の有る人達は殆どいません。

その為、多くの国民は、日本が戦争をすると言う実感はほとんど無く

頭の中ではそれぞれ理解していても、実際に起った時、如何なる
想定外の事態と成るかはわかっていません。
自分が傷つき死ぬという事の具体性は無く、更には、目の前で
人が殺される事に依る、想像を絶する心の痛手は考える事すら
出来ないのです。

しかし、今や、その可能性が有るのです。

中東で行われている地獄絵図が、我が国の中で起こるかもしれない
緊急事態ともいえるのです。
その為にと、時折テレビで流れる政府広報のミサイル対策は、
如何に、リーダー達は、戦争に対して安穏と構えているかが
良く解り、自分達の命の安全確保が一番である事が伺えます。

戦争と地震の大きな違いは、リーダー達が準備できるか出来ないか

に有ります。
多くの戦争は、突然起こった様に思われる事が多いですが、実際は
様々な国際間のトラブルが頻発し、お互いの緊張の糸が切れた途端
どちらからと言わず、戦火を交えると言えます。

しかし、この間、何が成されているかと言えば、当然、戦争の準備を

お互いに行って行くのですが、最大の準備は、戦いが始まるまでに、
国の代表と成る方々やそれに関わる方と企業の安全を図る事です。
戦争は、要人の安全が確保されていなければ行われないのです。

つまり、国民が犠牲になるかならないかは二の次なのです。

この緊迫した東アジアの各国は、戦う以前に、自分達のリーダー達
そして国の経済を担う企業の安全存続を確保するのです。
トランプの東アジア諸国歴訪も、アメリカが戦争を起こしたとき、
その周辺国への安全宣言と協力を求める物であり、いざ戦いと成って
周辺国が敵国に寝返りをしない為の策とも言えます。

かつて、アメリカは、日本が第二次世界大戦に突入する何か月も前から、

周辺国や世界の列強と話し合いを重ね、もし、アメリカと日本が
戦争になった時の協力を仰いだのです。
北朝鮮を兵糧攻めにしたことも、周辺国に対する理解を求める行為も
次第にその日が近づいている可能性が高いと言えるのです。

しかし問題は、アメリカが北朝鮮と戦うと言う事は、韓国と日本は、

アメリカの同盟国として戦う事になる事です。
しかも、どちらも、アメリカの駐留基地が在り、当然、そこに真っ先に
ミサイルが飛んでくることは明らかです。
つまり、日本国土にミサイルが着弾すると言う事です。
しかも、アメリカ軍の基地だけを狙って攻撃すると言う事は考えられず、
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、と言う様に、日本はアメリカ同等に
標的と成ると考えられるのです。

と成れば、我が国が対抗できるのは、自衛隊とアメリカ軍の力だけと言えます。

しかし、日本国内は、戦争を想定した国創りを行って来ていません。
そんな状態で、日本全土を、どうやって守ろうと考えているのでしょうか。
そう考えると、あの政府広報は如何に国民をバカにしているとしか
言いようが無いのです。


とはいっても、今のリーダー達は、ミサイルが日本に着弾するかどうかと

考える以前に自分達の事で精一杯なのかもしれません。
と言うより、政治屋として、生き残る為に必至なのかも知れません。
残念ながら、今の日本は、民主主義国家とは言えないのです。
リーダー達は、この消費経済社会を円滑に運営して行く為に働くだけで、
目的は、あくまで個人的な地位と財産なのですから。

今の資本主義社会は、国民と社会を動かす企業達の橋渡しを担うのが

政治家の役割であり、その陰の報酬が時折マスコミに暴露されて問題となり
国民から非難を浴びるのであって、国民からより多くの収益を得られる
富裕層中心の社会を築くことが彼らの役割と成っているのです。

殆どの国民は、国への多額の税金に苦しみ、企業が提供する生活必需品の

出費で二重に苦しんでいるのです。
より、経済的に豊かになる事を将来の目的とさせる社会は、個人の事を
考えているというより、より豊かな納税者と出費者を育てる為と言えます。

ピラミッドの頂点にお金が流れる様に、末端の生活者まで全てから資金を集め

その頂点の富裕層への橋渡しが政治家の役割と成っているのです。
彼らは、自分達の地位を守るために、選挙が近づくと、急に国民の方を向き
満面の笑みで国民の幸せを訴えます。そしてその裏では、頂点の方々に向かい
媚び諂い報酬を要求するという構図が生まれてい来るのです。

選挙は、国民の気持ちを反映できる政治家を生むためと言うのは表向きで、

より経済的に豊かと言われる、多くのお金が企業に流れる社会を築ける人を
生む事と成り、何故政治家になりたいのか、と言う質問に対し、
国民の為にと言う建前で当選しようも、いつの間にか、美味しい話を持ち掛ける
人々に尻尾を振る政治屋を生む事と成るのです。

国民に対し、国民の思いを胸に当選した議員たちが、その後どれだけ初心を忘れず

常に国民に対して初心を忘れず努力をしてきたか、時は政治家を変えてしまう
という言葉が当てはまる議員がいかに多い事でしょう。
政治家としての巧みな弁舌は、国民を豊かに幸せにするために発せられず、
己の保身と誤魔化し言い訳に使われる様では、政治家としての資質どころか
人間としても、最低の部類に入るともいえるのです。

そんな人たちがリーダーシップを握り続ける日本の国民は、本当に不幸で

可哀想な国民と言えます。
外見を気にして、一生懸命、まともで余裕のある生活をしている様に見せますが、
街を歩く人達の多くが、日々の生活に苦しんでいる現状を、彼らは知りません。
何てったて、経済的に豊かな生活を送って来た坊ちゃんお嬢ちゃんが多いからです。

国民の事を第一に考えていると言う数々の弁舌は、頭の中で作られたものであり、

官僚が創り上げた文面に過ぎず、本人の心から出ているものでは有りません。
つまり、何不自由なく生きて来た人間は、不幸な人達を見ても、まるでテレビの
ニュースを見ている様なもので、しょせん他人事であり、それに対する言葉も
自分を取り繕うパフォーマンスに過ぎないのです。

今や、ミサイルが日本国土に着弾するかも知れない事態ですが、彼らにとって、

戦争になろうが自分達の安全が確保されていれば、どんなに犠牲が出ようと
心には何も感ぜず、またもや作られたお悔みの言葉を並べるだけなのです。
そして、それ以上の事態と成ると、お得意の、想定外という逃げ口上を述べ
自体の収拾を図るのです。

決して戦争になってはならないのですが、例えなったとしても、その後の日本が

今と同じような政治体制であるなら、戦争以上に不幸と言えます。
日本国民は、どんなに犠牲を払おうと、いつになっても、真綿で首を絞められる様な、
一部の人達だけが幸せな生活が出来る、今と変わらない生活を強いられるなら
選挙自体が必要でない、民主主義国家には程遠い国を棄て、新たなる自由の国を求め
難民と成らざるを得ないのかもしれません。