めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

生物として感じる異様な気配

2017-07-19 19:39:53 | 日本人

地球温暖化の影響は、年々目に見えて大きくなって来ました。
日本国内に於いても、毎年、私達が肌で感じる気象変化も、
ニュースで取り上げられる様々な異常気象からと言うだけでなく、
日常的に、かつての穏やかな四季が続いていた日本ではない事が
生活の全ての面に於いて、ただならぬ異常事態として、ひたひたと
忍び寄って来ている様に感じます。

私達日本人は、長い歴史の中で、毎年訪れる感動的な四季に
心も身体も生かされてきました。
四季折々の様々な色あい、季節季節に現れる多種多様な動物達
そして、変化に富んだ大自然からの目に見えない息吹と
優しい抱擁に、日本人の豊かな感性が育てられて来たのです。

美しい大自然に包まれて、私たち日本人の五感は研ぎ澄まされ、
全ての生き物に対して、豊かな感情を抱くようになりました。
私たち日本人の心は、豊かな日本の自然によって育てられ、
大自然によって生かされる事の素晴らしさを感じながら
成長してきたのです。

しかしながら、日本の経済的発展は、私達日本人を育てて来た
大切な大自然を破壊してしまいました。
生きる事の意味を、大自然と共に感じられていたのに、
いつの間にか、生きる価値観が、経済的な豊かさに変わった事で
日本人の苦しみが始まったのです。

小さい頃から、経済的に豊かなになる事を目的とした教育を受け
日本中が、豊かな国家が自分達の幸せを呼ぶと習いました。
それまで、自然と人に生かされて成長してきた日本人が
経済的欲求を満たす事で生き甲斐を感じようとした頃から、
いつまで経っても、心が満たされない、外見的な物ばかりで
満たされた息苦しい日本人が増えてしまったのです。

私たち日本人は、時代が変わったとは言え、自分以外の様々な事に
心豊かに反応する性格は変わりません。
その為、変わり果てた日本の自然に対しても、多くの人達が心を痛め
元の様な自然豊かな日本になる事を望んでいます。
また、対人的にも非常に敏感で、必要以上に周りに気を配り、
自分が傷つく以上に、人を傷つけない様に気を配ります。

この事は、日本人の美しい心として、海外の方から高い評価を受けるのですが、
日本人の豊かな感性は、太古から受け継がれて来たものであり、日本人としては
ごく普通の感覚と言えるのです。
日常的に、自然界人間界に対して、感情豊かに感じる事で、自分自身の存在と
生きて行く喜びを感じていたのです。

しかし、現代社会は、人々に、人と人の豊かな関わり合いよりも、より経済的な
能力を要求します。と言うよりも、生きる目的を経済性に求めたのです。
更には、自然を破壊してしまった事で、人工的に作られた自然景観や、
外見的に美しい街をつくる事に依って、自然界に感じていた喜びと同じものを
感じさせようとしました。
たしかに、戦後の何も無かった状態の時ならば、代用として満足は出来たでしょう。
しかしながら、作られた偽物からは、本当の感動や喜び癒しは得られない事を
本能的に人々は感じているのです。

小手先で作られた、経済性のみを追い求めて作られた街や自然には、多くの人が
心を癒されることは無く、かえって、偽物の環境に苛立ちすら感じているのです。
経済性だけを追い求めている方々にとって、生活環境と言う物は、二の次であり
日本中の近代的な街並みが、何処であっても同じような作りであり、特定の業者と
政治家が勝手に創り上げた、自分達に都合の良い街に過ぎないのです。

度重なる災害に対し、多くの資金が投じられて、新たなる街が創られるのですが、
そのどれもが、その街には相応しくない、業者と政治家が結託し作り上げた、
復興事業と言う経済対策で生まれた、単なる機能的な街に過ぎないのです。
被災者たちにとっては、生活すべてが失われた訳ですから、文句を言う事は
出来ないと我慢するのでしょうが、新たに作られた街は、何処も、故郷と
言うには程遠く、災害と共に、人々の心までも失われてしまうのです。

今や、地球温暖化は、世界中の人々の、平穏なかつての自然を変えているのです。
単に、自然環境が変わって、動植物の生態系が変わってしまうと言う事だけでなく
人々が生きて来た、肌で感じて来た環境が変化して来たと言えるのです。
日本の夏に於いても、ただ、気温が数度高くなったというだけでなく
全ての動植物からの気配が無くなり、夏の大自然から得られる夏の匂いが
消えているのです。
そして、新たに感ずるもの、それは、生き物達の死に絶えた、砂漠の様な
命が感じられない不毛の気配です。

人間とて動物ですから、特に、日本人の様に、四季折々の動植物や気象を

膚で感じて来た民族は、動物的カンと言うか、何やらただならない気配を
日常的に感じているのです。
これまでは、経済的に豊かになっても、日本の大自然が破壊され、
人と人の間い豊かな関わり合いが失われた事に対する心苦しさを
多くの人達が感じていたのですが、それにも増して、地球規模的な
全ての生き物の末期を思わせる気配を感じ始めているのです。

その具体的始まりが、異常気象であり、環境異変であると言えるのです。

かつて、近いうちに来ると騒がれていながら、一方で単なるお騒がせの様に
思っていた大地震が突然日本を襲ったように、近い将来、地球規模の
生き物の大絶滅が起こるかも知れないのです。
これまで、地球の歴史の中で、生物が大絶滅した時が5回在りました。
一番最近は、恐竜が絶滅した事が有名ですが、今や、次なる絶滅に向かって
次第に生き物達の環境が悪くなっている事が解っています。

しかし、それとて、地球の歴史からすると、人間が心配する事ではない先と

考えられていました。
所が、過去100年の間に、絶滅した多くの動植物は、それ以前の数千年の
時間に絶滅した生き物達よりも、けた外れに多くなっているのです。
この原因は、もちろん人間であることは解っているのですが、これ程にも
急激に地球環境が悪くなるとは、学者すら想像が出来なかったと言います。

今や、このスピードは、年々上がる一方と言われ、絶滅する動植物の種類は

一日で100種を超える様になりました。
今後、このペースで絶滅する生き物が増えると言うより、この数字よりも
遥かに大きな数と成り、更には、食物連鎖の下で生きている地球の生き物は
一種類でも絶滅すると、その関連した生き物まで大きな影響を受けると言われます。

まだまだ先の未来の世界と思っていると、近い将来、人類は、とんでもない

地球大異変に遭遇するかも知れないのです。
そんな時代に、己の欲望だけを満たし、自分の生きている時だけ幸せであれば
後は知った事は無い、と言った自己中心的な経済至上主義の生き方は、
如何に、人類にとってだけでなく、地球上の生き物にとっても許しがたい
考え方と言えるのです。

今や、多くの日本人が抱く、経済至上主義の考え方は、余りにも自己中心的で

これからの時代にそぐわず、人々の幸せにも繋がらないのです。
綺麗な街を歩いても、身近な川面や海辺を見ても、私たち日本人の心を癒し
豊かにするものは有りません。
これらの作られた豊かさや、汚染された自然は、日本人にとって何の価値もなく
本当に生きている幸せを感じる環境とは言えないのです。

多くの日本人が辛いのは、経済的に苦しいからと言う事ではなく、どんなに

豊かになって、何でも手に入る様になっても、心が満たされず幸せにならない
日常で暮らしていかなければならない事です。
日本人の心を棄ててしまって、経済的に豊かになる事を幸せと感じる人にとって
より経済的に豊かな日本になれば、日本人は幸せになると思っているのでしょうが
殆どの毎日生活に苦しんでいる人たちの方が、本当の幸せを求めている事を知って
欲しいものです。
経済的に豊かになる事は手段であって目的ではないのです。
日本人の心を癒せる社会と成って、其々が、自分の心を幸せに出来る
きめの細かい政策が出来ない限り、日本人は本当の幸せを得られないのです。