慌ただしい年末から、あっと言う間に正月が過ぎ、
また、いつもの日常がやって来ました。
数日の休みを取り、故郷に帰ってきたものの、
そこは、まるで何年も時間が止まったかのような
人の活気も気配も感じない、私が生まれた街では
有りませんでした。
年々老いて行く両親と、荒れ果てた、家を取り囲む
昔ながらの庭には、あの時代がもう遠い過去の
思い出の中に在る事を感じさせました。
小さい頃は、空にも届くのではと思われた古木は、
二階の屋根を辛うじて超える程の高さで、半分以上
上部が朽ちて無くなっています。
水害の後、土地は高くかさ上げされ、縦横無尽に
巡らされた水路は、何処を見渡しても見つけられず、
ただ、どんよりと澱んだ下水道が大きな道路に沿って
流れるでもなく、新たに設置されているだけです。
正月のせいか、町内を歩く人は皆無、ただ、近くの
大手コンビニは、年末から変わらず賑わっています。
都会においては、隣に住んでいる人が誰なのか知らない
というのは珍しく有りませんが、田舎においても、
同じことが言えます。
古い町並みや景色がどんどん変わり、新興住宅地が増え
田畑の中に、突然、巨大なマンションが立ち並びます。
城下町の街並みに、昔から残る家は数少なく、殆どが
外部からの移住者であり、家も、近代的な建築であり
一体どこの街か解らない状態です。
しかも、お祭りの様な特別の事が無い限り、日頃は
全くの交流は無く、各家が、それぞれのテリトリーで
生活している、寒々とした街と成っていました。
所で、新年を迎えて、日本の未来は、多くの日本人にとって
近年まれにみる程不安で不可解な状態となっています。
国内外共に、日本の置かれている現状は、非常に厳しく、
国民一人一人がゆとりを持って一年を送れる可能性は
感じられない事態となっています。
単に、経済状態が安定していないと言うだけでなく、
日本人が日本人として、心に余裕を持てない、やり場のない
むな苦しさと不安に満ちています。
自分の仕事に、将来に、社会に、心の安らぎを感じられず、
それを、経済と言う鎧で補っていた人達すら、余裕のない
言いようのない不安感に包まれています。
一部の富裕層であっても、人間として、社会に対し自分自身の
生活に対し、経済力では補えない恐れと不安に襲われ始めていて
すでに、日本人は、経済力を増せば幸せになるとは言えない
精神的に追い詰められた状態となっているのです。
高度成長期の様に、お金が有りさえすれば幸せになると言った
経済力が幸せの基準とする考えは、すでに過去のものであり、
新たなる価値観を生まない限り、日本人はこの苦悶の世界から
抜け出ることは出来ないのです。
不況とは言え、経済的に豊かな人々は多くいるのですが、
彼らとて、何でも手に入れられる事で心が満足しない事は
うすうす解っているのです。
今や、日本は、全ての世代、全ての社会に於いて、不安に包まれ
明日を夢見る事が出来ない国となっているのです。
いつ起こるとも知れない大地震、気象災害のみならず、何処からか
聞こえるきな臭い足音に、少なからず、怯えているのです。
戦後、半世紀以上も他国と戦っていなかった事も有り、国民の
殆どは戦争を知らない世代です。
しかしながら、今や、いつ、突発的に戦いに巻き込まれても
不思議ではない時代と成っているのです。
もし、戦争と成れば、東日本大震災どころではない、未曽有の
人的物的な被害が起こり、しかも、国民すべてが巻き込まれる
という、大きな不安に心が締め付けられ始めているのです。
そうなれば、生活が苦しいとか豊かとか言う段階では有りません。
誰もが、命を奪われる可能性があるのです。
日本人の多くが、暗い雲の中に続く、階段を上っている様で、
その先に、命を絶つ死刑台が存在する可能性を感じているのです。
問題は、この、恐ろしい被害の現実では有りません。
今の日本人は、このような恐ろしい事態に対して、多くの人々が
繋がっていない事です。
例え、何百万人も生活する大都会であっても、その多くが繋がらず
バラバラの状態でこの不安を抱えているのが問題なのです。
もしもの時は、国が、自衛隊が国民を助けてくれると言う幻想が
辛うじて、不安を抑えてくれているのですが、実際は、そんなに
甘いものではなく、一度戦火を交えれば、一瞬にして、数百万の
命が失われるほどの規模となる可能性のあるのが、いま日本が
おかれている現状なのです。
かつて、日本が、世界の国々と戦っていたときは、例え、戦況が
不利であっても、日本中の人々が一致団結して、その局面を超え
国としての存在を守ってきたのですが、今や、そんな気概の有る
日本人はいません。
極端に言えば、日本を本当に守ろうと思う国民はいないのです。
というより、戦争はしたくないと言う国民が殆どです。
戦えば、莫大なるリスクを負ってしまう事の無意味さを感じ、
自らの生活の平穏、平和を願って、例え、国が他国に支配されようと
構わないとする人々が増えているのです。
リーダーたちは、日本を守るため日本国民を守るために、他国と
戦火を交えても致し方ないと言う考えが根底にあり、それが
日本人を守る手段と考えますが、実際は、そんな高尚な考えでなく
根底には、例え戦火を交えようと、自分たちが生き残る可能性が
高いという考えが有るのです。
第二次世界大戦の時であっても、戦争を決めた政界財界の人たちは
あの悲惨な状況でも、生き残り、その後、戦後の日本の中心と成って
生きてこれたからです。
かつては、お国のためにと教育されてた日本人も、今では、国の為に
自分が死ぬこともい問わないと言う人は皆無でしょう。
そんな中で、一部の人々の勝手な構想で動かされている日本は、
日本人全体に大きな不安を抱かせているのです。
日本国民を日本の大自然を犠牲にして自分達の富を守って来た一部の
富裕層の方々は、またしても、自分達を生かすための政策を国民全体に
強いる事に依り、新たなる危険性を生んでいる事が解っていません。
日本の経済成長と共に大きく変わり果てた故郷は、今や、昔の面影も
あの賑やかな笑顔溢れる街並みも有りません。
小さな城下町の周囲に無造作に立ち並ぶ高層建築、更には、都心へと
幾つも伸びる高速道路と環状線、そんな中に取り残された人々は
ただ個人的に我が家に閉じこもり、テレビやネットで世の中の様子を
伺いながら細々と生きて行くだけなのでしょうか。
日本は、民主主義国家では有りません。
経済的に主導権を握った人々が、自分達を生かすための国家なのです。
便利な世の中を提供する事に依り、多くの人々に幸せの錯覚を抱かせ
常に国民の富を吸い上げるシステムを創り上げているに過ぎません。
今や日本は、多くの人々が、全ての世代に於いて、不安と不信の毎日を
送っていると言っても過言では有りません。
物を信じ人を信じない、外見だけで判断するつまらない人間を育てる
とても文化的な国家とは言えないのが現状です。
都会のみならず、田舎に行っても、表情が暗い人が非常に多く、
その顔が笑顔になる時は、何か利益を得た時だけである事が
残念です。
日頃、お互いに相手の事を想い、気遣い、感謝を込めた生活は
日本人の当たり前の生活でした。
相手の地位や財産外見でしか判断できなくなっているのは、
お互いの心の繋がりを無くす大きな原因となり、社会不安を
より高める要因ともなるのです。
ネットに依る情報の増加に伴い、人々の生活は豊かになったものの
更に、人と人との孤立化が目立ち、何かのイベントでも持たなければ
地域社会の連携が取れないのは、日本人同士の横のつながりが、如何に
希薄となっているかが解ります。
新アメリカ大統領が、経済的に頂点をなす様な人物であることから
世界経済が変わるのではと、日本経済界も期待をしているようですが、
ハッキリ言って、どんなに経済が豊かになろうと、人々の不安と恐れは
無くなる事は有りません。
すでに、誰もが、どんなに地位を上げても、所得を上げたとしても、
自分自身の心の進歩とはならず、心の安らぎにはならない事を
知っているからです。
日本人は、太古の昔から、人と人との関わり合いを大切にして
生きて来た民族です。
それぞれの生き方を尊重し、お互いに助け合いながら、大自然と共に
生きて来た、生かされて来た民族です。
物によって、地位や名誉にによって、人の価値を決める様な、
安っぽい民族ではないのです。
目先の便利さ豊かさを持って、人を判断する様に仕向けた今の経済は
日本人には合っていないのです。
昔からある言葉に、和を持って尊し、というのが有ります。
日本人の生き方を象徴するような言葉です。
物事に対して繊細で、人の事を気にする優しい民族なのです。
そんな国民を、エコノミックアニマルに仕立て上げ、更には、
経済的に豊かな事が、幸せとする考えを植え付けようとする
今の社会は、日本人を苦しめるだけでなく、日本と言う
世界でも希な、豊かな大自然に育てられた素晴らしい民族を
たった100年そこそこで滅亡させてしまいかねないのです。
日本が長年築きあげて来た文化や技術は、人の為に有り、
人々の心を豊かにし、幸せにするものだったはずです。
しかし、便利で経済的に豊かな生活を目的とした途端
人々は、いつまでも続く欲望の虜と成ってしまったのです。
日本人が日本人を苦しめる社会であってはならないのです。
現代社会は、孤立社会とも言われます。
多くの人々が、一つのコロニーに生活していながら
誰もが孤立して生きています。
どんなに生活が豊かになろうと、人と人が繋がらない
殺伐とした社会が広がっているのです。
私達の生活には、あらゆる便利な品物で溢れ、欲しいものが
際限なく増えて行きます。
しかし、それを幸せと感じるのは、戦後から高度成長期だけであり
今や、人々はそんな便利グッズに埋もれて、目の前の人の顔さえ
認識できない生活を送っています。
家族でありながら、心は、それぞれバラバラに違った方向に
向いてしまっている事が、珍しくないのが問題です。
人が、外見や社会的地位、財産でしか判断されなくなったら
全ての物を手に入れて、欲望の品に囲まれた人が一番幸せという
馬鹿げた縮図が日本人の姿と成ってしまうのは、本当に残念と
言うより、日本の終焉としか思えません。
新年を迎え、何処に日本が向かっているのか、相変わらずの
経済優先社会を進むのか、人々は、つま先立ちの生活を送るのか
いずれにせよ、トランプがくしゃみをしただけでおたおたするような
情けない国にならない事を心から願いたいものです。