ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

新美南吉と私 (4)

2013-08-06 |   新美南吉
 そもそも日本人は早死にした人が好きである。

 例えば源義経。判官びいきという言葉があるのは、義経が早死にしたからである。
 新撰組の沖田総司に人気があるのも同じ理由。
 平家物語の「敦盛」だって、美少年で早死にした「敦盛」がタイトルになっているから有名なエピソードになっているのであって、早死にしていない「直実」はタイトルに選ばれないのである。

 早死にした人(それにくわえて美少年だったり美少女だったりすると完璧)がどうしてひいきされたり、人気が出たり、伝説になってしまうのであろうか。
 それは「もし長生きしていたら・・・。」と続きの人生を想像することができるからではなかろうか。

 例えば「もし新美南吉が長生きしていたら・・・」などと想像する。
「きっともっと多くの作品を残していたにちがいない。ああ、それが読みたかったな。」
「30代、40代、50代・・・のときはどのような作風の作品を書くようになっていただろうか?」
「どんなおじいさんになっていただろう?」
「晩年はPCで創作活動していただろうか?」
「日本児童文学協会会長に選出されていただろうか。」
 などといろいろ妄想できる。

 それが楽しかったりする。夭折した本人が聞いたら、勝手なことを想像するな、と怒るかもしれないけれど、本人がこの世にいないので、文句も言われず勝手に想像できる。
 人生半ばにして、断ち切られた人の人生の続きをいっしょに創作できるような錯覚に陥ることができる。
 こうして早死にした美少年とか美少女と一体感を感じることができる・・・のが楽しいのかもしれない。

 次に早死にした人に対して、特にその人が独身のまま死んだ場合、ついつい清純潔白なイメージを持ってしまいがちだ。
 穢れることなく、世間の垢にまみれることなく、儚く息絶えた人・・・ご本人は死んでしまってもう汚されることはけしてない。ああ、よかった。
 こうして美しく純粋なものが好き、という人にとっては、早死にした人は「好きなタイプ」の1人になってしまう。

 だから早死にした人には人気が出てしまう。

 新美南吉は早死にしたから人気が出た人、ではなく、あくまで童話作家として人気のある人だ。
 特に「ごんぎつね」が教科書に採用されていることが大きい、と思う。
 (考えてみれば子狐ごんも早死にした狐である。)

 しかし、作家、しかも子ども向けの童話作家であり、20代で結核で、しかも独身のまま死去。と紹介されると、ついつい清純なイメージがつきまとってしまう。
(それと、最近になってようやく新美南吉の顔が分かった私が言うのも何ですが、南吉さんは美青年だと私は思うのですが、どうでしょ? イケメンというより、最近の日本男子にはいないタイプの美青年だと思います。この人の目を見ると、「ああ、これは芸術家の目だなあ。」といつも思います。) 
 
 そんなわけで、新美南吉に美しい清らかなイメージを持っている人も多いと思うけど、実際のご本人はそうではなかったらしい。
 大人になっても子どもらしい視線を持ち合わせている人ではあったと思うけど、残された日記や手紙を読むと、一筋縄ではいかない人だったことが分かります。
 心の中にどろどろしたものがあって、自分でもそれをうまく整理できていなかったように感じます。
 
 新美南吉は謎が多い。捕まえられない。だから奥が深い。
 だから多くの人に読まれるような作品を生み出すことができたのだと思います。
 

新美南吉と私 (3)

2013-08-06 |   新美南吉
 そして今年になってから、翻訳作業が始まりました。
 ただ作品だけ訳して見せるのではなく作者の経歴も紹介しなくてはいけない。
 それで角川文庫の最後に入っている年表を参考にしながら、ロシア語で文章を作っていると、ちゃんとした写真もいることに気がつき、ネットで検索することにしました。
 そして新美南吉記念館のサイトで写真を発見。

 これがその写真。
 あれ? めがねかけていない? しかも坊主頭???

 ・・・また新美南吉のイメージが変わってしまいました。

 しかもネットで検索しているとブログなどで
「新美南吉といえばこの写真ですよね。」
などと書いてあるのを読んでまたびっくり。私だけが知らなかったのか・・・。
 さらに
「新美南吉といえば帽子とステッキ。」
とあって、またびっくり。 

 一言で言うと私にとって新美南吉はずーっと顔が分からない人だったのです。

 宮沢賢治とちがうところは、宮沢賢治は(たぶん)一生同じ髪型(坊主頭)だったりして、イメージが固まっている、ということです。
 新美南吉はイメージが(少なくとも私の中では)固まっていなくて、外見が変化していて、名前は知っていても顔が浮ばない人でした。

 今はこの写真があるので、ようやくイメージができてきましたが、そもそも作家というのは外見が大事なのではなく、どんな作品を書いているのかが大事です。
 
 それで、全部ではないのですが、せっせと新美南吉の作品を読み始めました。
 子どものときだったら、純粋な一読者として読めていたはずなのですが、今は「この作品を翻訳するかどうか」という視点を持って読んだので、ある意味純粋な心で読めずこの点が残念です。
 もっと早くに新美南吉童話と出会っていれば、と後悔しました。

 さらに翻訳するに当たって、その人となりを勉強しないといけません。翻訳する際にそれが助けになることもあるからです。
 それであれこれ新美南吉の人生について調べました。
 私が感じたのは、童話の中の文章とは違って、日記には本人のどろどろした心のうちなどが吐露されていて、ちょっとびっくりしました。
 さらに学校で教師として生徒に見せていた顔はまたちがっていて、三重人格というか、なかなか本当の姿が見えてこない人だと思えました。

 このようなわけで、新美南吉は私にとって、外見も中身も確定しないイメージの人なのです。
 でもそうだと言って、新美南吉のことをわけの分からない人で、こんな人の作品を読まなくていい、と言っているわけではありません。
 逆にもっともっと知りたいな、と思わせる人物なのです。
 

(つづく)

新美南吉と私 (2)

2013-08-06 |   新美南吉
 1999年9月日本文化情報センターが開設され、私は所有文献数を増やすために本を寄贈してくれる人を探したり、チロ基金の予算で書籍を購入したりしていました。

 宮沢賢治の本は、寄贈者様の中に私と同じく熱烈賢治ファンの人が1人いて、たくさんの本(文庫が多いですが)を寄贈してくれました。
 (それを改めて読んでまたうっとり。)
 宮沢賢治の人生を子ども向けに書いた本もありました。

 新美南吉の本は・・・表紙が取れて茶色に日焼けしたかなり古い角川文庫1冊(牛をつないだ椿の木)をロシア人の知人の知人が寄贈してくれました。
 さらに賢治ファンの方からの寄贈本の中にもフォア文庫の「おじいさんのランプ」(岩崎書店)が1冊まじっていました。
 この2冊だけでした・・・。

 しかし日本文化情報センターで仕事を始めると、職業柄、所蔵文献について把握しておかないといけないので、片端から文献を読むことにしました。
 特に児童文学は優先しないといけない分野だったので、全て先に読むことにしました。

 そこでやっと人生で初めて南吉童話をちゃんと読むことになったのです。
 まず角川文庫の「張紅倫」・・・「ごんぎつね」と「てぶくろを買いに」しか読んだことのなかった私には
「へえ、新美南吉ってこんな話も書いていたんだ。」
と驚きの連続でした。
 角川文庫の「おじいさんのランプ」は巽聖歌があとがきを書いていて、収録作品も巽聖歌チョイスなのですが、有名な作品のほか脚本の「病む子の祭」なども入っていて、バラエティーに富んでいる。そのわりに入門者向けというお勧めの本です。
 フォア文庫のほうも読んで、すっかり感動しました。
 
 日本文化情報センターには他にも「小川未明童話集」とか「浜田広介童話集」などもあるのですが、(意外にも小川未明を読んでもうっとりできず)読み比べてみても、あまり心が動かなかったです。
 今年がもし例えば小川未明生誕100年だったとしても、日本文化情報センターでこんなに力を入れて特別展やろう、とか翻訳しようとか思わなかったと思います。

 これはやはり新美南吉だからこそ、訳してベラルーシの人にも紹介したいと思うわけですよ。
 作品にもよりますが、南吉童話の世界は、人種に関係なく、通じる部分がとても大きいと感じています。

 ・・・で、角川文庫のほうですが、後ろのほうに新美南吉の写真が載っています。
 それが、この大学生時代の写真ですよ。
 中学生のときに初めて見た写真しか新美南吉の顔を見たことがなかった私は
「あ、あれ? 眼鏡なんかかけていたっけ?」
とびっくりしました。
 こっちの写真のほうが目鼻立ちももう少しはっきり写っている写真だったので、ようやく
「こういう顔していた人だったのか・・・。」
と思いました。
「きりっとした感じの顔だなあ。やっぱり頭よさそう。」
というのがそのときの感想です。
 ついでに言うと
「この髪の毛、絶対ポマード塗りたくってるよねえ。こういうのが当時ははやってたのかなあ。」
とも思いました。 
 こういうわけで1999年からずっと私の頭の中では、新美南吉は眼鏡かけてて髪の毛七三分けにしてポマード塗っている人、というイメージが形作られてしまったのです。
 

新美南吉と私 (1)

2013-08-06 |   新美南吉
 新美南吉と私、と言ってもご本人と会ったことがあるわけではないのですが、今年生誕100年を記念して、南吉作品のロシア語・ベラルーシ語翻訳に関わったというご縁と、先日読売新聞から取材de質問を受けては返しているうちに、こんなタイトルの記事を書きたくなりました。

 ベラルーシで南吉童話を翻訳して広めています、などと言うと、元から新美南吉の大ファンだった日本人なのだろうと、思われがちですが・・・すみません。日本に住んでいた間の20年余り、新美南吉の作品は「ごんぎつね」と「手袋を買いに」しか読んだことがありません・・・。

 今ごろになって「どうしてたったの2作品しか読んでないのだろう。」とか「感性豊かな子ども時代に南吉童話をもっと読んでおけばよかった。」とか考えてしまいました。

 実は私は子どものころから現在に至るまで、宮沢賢治の大ファンなのです。
 小学6年生のとき、学校図書館に宮沢賢治全集が入るやいなや、全巻読破しました。家にも宮沢賢治の本があったし、「銀河鉄道の夜」がアニメ化されると、映画館まで見に行きました。大人になった今でも何回も読み返しています。宮沢賢治の本はベラルーシにも持って行きましたよ。

 しかし、新美南吉は・・・確か小学校低学年のころ、おそらくそのとき購読していた子ども向け雑誌のお話のページに「手袋を買いに」が載っていたのを読んだのが人生初めてで、その後4年生の教科書で「ごんぎつね」を読んで・・・ちょうどそのころ学校の体育館で「ごんぎつね」のアニメが上映されたので、それを見て主題歌のサビのところだけが記憶に残っている・・・という有様です。

 宮沢賢治には熱中していたのに、同じように図書館にあったはずの新美南吉はどうして読んだことがないのでしょう・・・。
 我ながら不思議に思い理由を考えてみました。

 それで分かったのは、「賢治にはうっとりできるけど、南吉にはできないから」ということに気がつきました。つまり
「ああ、私も銀河鉄道に乗って宇宙を旅したい・・・。」
とうっとりできるけれど
「ああ、私も栗をこっそり誰かにあげたい・・・。」「一人ぼっちで夜遅く手袋を買いに行きたい・・・。」
とは思わないし、うっとりできないのです。

 そして賢治の作品に出てくる登場人物の名前・・・「ジョバンニ」「カムパネルラ」「ゴーシュ」「オッペル」「グスコーブトリ」「クラムボン」(←これって登場人物だっけ?)(^^;) 
 でもって舞台はイーハトーブ!
 カタカナが多くて外国みたい! 夢の世界そのもので、うっとりしてしまう。

 しかし南吉作品の登場人物で、カタカナの名前の人っていたっけ??? 兵十に加助に弥助、吉べえさん・・・ 舞台はどこか日本の田舎の村・・・
 だめだ・・・。うっとりできない・・・。

 というわけで、私は新美南吉の本を進んで手に取ることはなかったのです。

 これは別に「うっとりできる宮沢賢治作品がすばらしくて、うっとりできない新美南吉作品はだめ。」と言いたいわけではありません。
 単に子どものときの私は、うっとりできる夢の世界が書いてある童話が好きだった、というそれだけのことなのです。
 大人になった今は新美南吉の「久助君もの」をとても興味深く読んでいるのですが、もし子どもの時にたまたま「久助君」に出会っていたとしても、今の私のようにおもしろいとは感じなかったでしょう。
  
 このように「ごんぎつね」も「手袋を買いに」は好きな話だったけれど、他の作品を探して読むことはないまま小学校を卒業しました。
 当然子どものころは作者の名前が新美南吉である、というのは教科書で習って知っているけれど、その人がどんな顔しているのか、どんな人生を送った人なのか、全く興味もなく知らないままでした。
 宮沢賢治の顔はちゃんと知っているのに、新美南吉の顔も知らないままだったのです。

 やがて中学に入学した春。
 国語の教科書の副教材として「国語資料総覧」という資料集が学校で配られました。
 この資料集が優れもので、教科書よりずっとおもしろいので、ベラルーシにも持って行き、現在に至るまで仕事の役に立っているほど愛用しています。

 そして、その資料集に
「ま、日本人なら常識としてこれぐらいの文学者の名前と代表作ぐらいは覚えておきなさいよ。」
という感じで、夏目漱石やら森鴎外やら文学者の紹介がずらっと並んでいるページがあるのです。
 その中に、新美南吉がおりました。そのとき私は人生で初めて、新美南吉の顔というものを見たのです。
 資料集のそのページをスキャンしたので、見てください。

 最初の感想は
「若いなあ。」そして「こんな写真じゃあんまり顔が分からん。集合写真を切り取って無理やり載せた写真だな。もっとましな写真を撮る機会もなかった人なのか。」
・・・というものでした。
 そのとき初めて、30歳ぐらいで若死にした人なんだと知り、「だから年取ったときの写真なんてないんだな。」と思いました。
 この資料集に載っている他の文学者の中で新美南吉より若く死んだのは、樋口一葉だけ。
 童話作家で載っているのは、南吉さんと宮沢賢治ぐらいです。

 しかし、「有名な作品だから読みましょう」と言う感じで紹介されているのが「おじいさんのランプ」でこのイラストですよ。
 同じ資料集でも宮沢賢治のほうは「銀河鉄道の夜」なので、だめだ、やっぱり「おじいさんのランプではうっとりできない」私は、中学生になっても全く新美南吉を読むことはありませんでした。

 それにこの資料集の作者紹介の文章中に「ユーモアの漂う独自の世界を展開した。」とか書いてあるけど、私が読んだことのある「ごんぎつね」と「手袋を買いに」にユーモア漂う世界は感じなかったので、この文章を書いた人に対して違和感を感じました。紹介されている「おじいさんのランプ」にもタイトルからして、このイラストからしてユーモアが漂っている感じがさっぱりしなかったのです。

 こうして新美南吉作品に触れることなく大人になってしまいました。

ベラルーシのネットニュースで新美南吉生誕100年が報道されました

2013-08-05 |   新美南吉
 ベラルーシのネットニュース「マラドスツィ」で新美南吉生誕100年記念朗読会のニュースが報道されました。
 
 今のところトップニュースになっていますが、おそらく来月(9月)になるとこのページは閲覧できなくなりますので、注意してください。
 全文ベラルーシ語ですが、日本文化情報センター内の新美南吉展を見ている子ども達のようすなどが見られます。

 ちなみにマラドスツィというのはベラルーシ語で「青春」という意味です。

ベラルーシの新聞「クリトゥーラ」に新美南吉童話ベラルーシ語訳が載りました!

2013-08-03 |   新美南吉
 2013年8月3日付のベラルーシの新聞「クリトゥーラ」紙に新美南吉の作品のベラルーシ語訳が掲載されました!
 掲載されたのは「去年の木」「あめ玉」「でんでんむしのかなしみ」の3作品です!
 一度に3作品も載ることにしてもらい、大変うれしいです!

 はっきり言ってベラルーシとはまるで縁のない外国人の作家のことをベラルーシの新聞社がニュースにしてくれるので、驚いています。
 やはり、翻訳を読んで、作品の内容に編集部も共感してくれたのだと思います。
 改めて南吉童話の影響力を認識しました。

 この画像は1ページ目の記事だけスキャンしたものです。次のページに3作品のベラルーシ語訳が掲載されています。

 

新美南吉の翻訳企画について質問と回答

2013-08-01 |   新美南吉
 電話取材とメールでの取材を読売新聞から受けたのに、ご覧のとおりベラルーシの部分はすっかりカットされてしまいました。
 しかし受けた質問のほとんどは、多くの日本人が
「なんでまたベラルーシで新美南吉を翻訳?」
と思っていることを代わりに質問しているのだと思います。

 ここでやりとりしたメールの内容を元にインタビューを公開します。

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・なぜ今回、新美南吉の作品を、ベラルーシの皆さんに知ってもらおうとされたのでしょうか。
100周年だから?南吉の魅力とは?といったあたりを伺いたいです。

 日本文化情報センターがミンスク市立児童図書館の中に開設されていることが一番の理由です。
 ベラルーシでも村上春樹などは日本文学でも翻訳されており、たくさん書店で売られていますが、有名ではない外国の児童文学は売れない、お金にならないの理由で昔話をのぞき、全くと言っていいほど翻訳されていませんし、ロシアからも輸入されていません。
 弊センターは日本の文化をベラルーシ人に知ってもらうために開設され、また商業ベースではされないことをするようにしており、今回生誕100年を迎えたのをよい機会として、新美南吉の作品を翻訳することにしました。
 もちろん理由はそれだけではなく、新美南吉の作品についてベラルーシ人に知ってもらいたいという理由もあります。
 ただ新美南吉の作品全てがベラルーシ人に受け入れられる、あるいは高く評価されるとは思っていません。そのため翻訳する際には私が作品を厳選しています。


・翻訳・掲載は文化情報センターの企画、ということでいいのでしょうか。

 はい、そのとおりです。


・ベラルーシ語でなくロシア語ということですが、これは準公用語だから、ということでいいのでしょうか。

 ベラルーシではベラルーシ語とロシア語が公用語です。そのため、両方の言葉に翻訳しました。
 私自身はベラルーシ語の翻訳は「ベラルーシ語→日本語」はできますが、「日本語→ベラルーシ語」はとても下手です。
 「日本語→ロシア語」のほうが早くできますので、早く翻訳を作って、「ビブリヤテカ・プラパヌエ」誌編集部に持って行きました。ベラルーシでは無名の作家、無名の翻訳家の作品なので、早く持って行って交渉を始めないと、今年中に掲載されない可能性が高かったからです。生誕の年が終わってから掲載されたら、かっこ悪いでしょう。
 その後ベラルーシ語にも翻訳し、もうすぐ新聞に載る予定です。これも5月に渡して、何とか新美南吉の生まれ月である7月中に掲載されないか祈っているところです。 (この新聞にはその後、記事が掲載されました。)

 ロシア語訳を載せるのか、ベラルーシ語訳を載せるのかは、編集部の方針によります。


・地元の新聞にも掲載される、など南吉が注目されているようです。無名の作家がそこまで取り上げられる、というのはなぜでしょうか。それは南吉作品のよさがわかってもらえたから、ということなのでしょうか。

 はい、そうだと思います。実際に編集部の人間が翻訳された作品を読んで共感を感じたので、掲載を了承してくれたのだと思います。
 一方で私は30箇所を越える雑誌、新聞、ラジオ、テレビなどに打診しましたが、結果はご覧のとおりです。打診された側全員が共感したわけではないと思います。
 見方を変えれば、反応がゼロかもしれない、という予想もしていましたので、それに比べれば、意外に多くの掲載の了解が得られたほうだと思います。
 またベラルーシには文学者で、マクシム・ボグダノビッチという人気詩人がいますが、この人が100年ほど前に26歳で結核で死んでいるので、新美南吉を「日本のマクシム・ボグダノビッチ」と捉えているベラルーシ人も多いです。


・また、作品を厳選とのことですが、どんな作品だと読んでもらえそうなのでしょうか。逆にどういう話はベラルーシでは読まれないのでしょうか。

 読んでもらえそうな作品というのは、哲学的であることです。人種が変わっても分かってもらえそうな内容です。「でんでんむしのかなしみ」や「去年の木」がこれに当たります。
 読んでもらえそうにない話は仏教が出てくる話です。こちらはキリスト教の国なので、仏教色が強い作品は翻訳の対象から外しました。
 またベラルーシではアルコール中毒が社会問題として最大の問題なので、酔っ払いが出てくる話はご法度です。児童図書館内には置いてはいけないという決まりがあります。
 個人的には好きな話ですが「百姓の足、坊さんの足」は両方にひっかかるので、絶対にベラルーシでは(児童文学としては)紹介できない作品です。
 「和太郎さんと牛」は酔っ払ったうえに子どもを授かるという話ですが、ベラルーシではアル中の親が子どもを育児放棄している大問題があり、とてもこの作品はベラルーシ人には理解してもらえないでしょう。
 

 ・日本の児童文学は、読みごたえがあるというか、レベルの高い方だと思うのですが、辰巳さんからみてどうですか。そのなかでの南吉作品の位置付けもお願いします。

 私もそう思いますし、「ベラルーシ人は村上春樹ばっかりではなく、他の作家の作品や児童文学にも目を向けてほしい。」としょっちゅう思います。
 しかしやはり翻訳されなくては理解してもらえない、と今回強く思いました。
 日本人が「日本の児童文学はレベルが高いほう」と思っていても、ベラルーシでは全く知られていませんし、そのような認識はベラルーシ人にはありません。アニメはレベルが高いと思っているでしょうが・・・。
 逆に日本の児童文学や絵本、教科書の中に、飲酒、喫煙、放屁のシーンが平気で出てくるのは、ベラルーシ人からすれば「レベル低い」になると思いますよ。 
 国語の教科書に採用されている話でも酔っ払いが出てくるものはあります。ベラルーシ人からすれば信じられない話です。

 新美南吉の作品は小さい作品であっても、深みがあり、哲学的です。(ベラルーシ人はドストエフスキーのようなロシア文学を読んで育つので、とにかく哲学的な作品が大好きです。)
 新美南吉の作品には作家本人の人間性がにじみ出ているように私には思えます。読めば読むほど、新美南吉という人のことが分かってくるように感じます。
 子ども向けの作品ですが、大人になっても作家と作品を通じて対話できるのがすばらしいところだと思います。
 新美南吉は童話だけではなく、詩や俳句、短歌の作品もたくさん作っていますが、「詩人」「歌人」というよりやっぱり「童話作家」として有名で、そのように紹介されることが多いです。
 読んでいて詩や短歌の作品もすてきだと思うのですが、やっぱり童話作品のほうに、より深く新美南吉らしい個性が出ていると思います。それは童話作品のほうが作家との対話がしやすいからだと思います。