1989年か90年頃、パソコン通信の専門誌『Networker』に、松本侑子さんという若い作家と、彼女の仕事場のようす、使っているパソコンなどが紹介されたことがあります。PC9801に一太郎を用いて小説を書き、CD-ROMのシェークスピア全集を検索して『赤毛のアン』の翻訳に豊富な引用を発見した作家・翻訳家の素顔は、意外なほど若々しく繊細な、良家のお嬢さんふうでした。
数年後に、御本人の講演に接する機会に恵まれ、『赤毛のアン』翻訳にまつわるエピソードが興味深く、松本侑子訳『赤毛のアン』をさっそく購入して読みました。物語のストーリーの面白さもそうですが、数々の引用について触れられている脚注を、興味深く読んだものです。
本書『読書の時間』は、その著者の、1991年当時のエッセイ集です。筑波大学からテレビ局の仕事をするようになり、虚構の世界でのうつろな生活をやめて、89年に作家として独り立ちした頃の、読書にまつわる短い文章。孤独な生活ゆえか、意外なもろさを感じさせるところもあります。ただし、当方が感じるのは、廃刊されて久しい「ASAhIパソコン」誌の名前(*)や、一太郎の解説本が百万部も売れたのに、小説は何部売れるのかと慨嘆するあたりの、ちょっと昔の懐かしさです。
なるほどと思い、感心したのは、「パリから闇が消え行く頃」と題する、ボードレール著、安藤元雄訳『悪の華』(集英社文庫)を取り上げた文章です。これは、他のに比べてずいぶん長い(p.186~195)。それだけでなくて、ボードレールのオリエンタル趣味を当時の植民地主義的な偏見に根ざすものと指摘するなどの、斬新な痛快さもあります。
う~ん、そうですねぇ、本書で紹介された本の中で、すぐにでも読んでみたいと思ったのは、実はあまりありませんで、むしろ彼女が訳した『赤毛のアン』の続編、『アンの青春』を読んでみたいと思ったことでした。中年の選択はわがままです(^o^;)>poripori
(*):著者も「ASAHIパソコン」と書いていますが、実はロゴは「ASAhI」パソコンだったはずです。なんでhだけ小文字なのか、不思議に思ったものでした。
数年後に、御本人の講演に接する機会に恵まれ、『赤毛のアン』翻訳にまつわるエピソードが興味深く、松本侑子訳『赤毛のアン』をさっそく購入して読みました。物語のストーリーの面白さもそうですが、数々の引用について触れられている脚注を、興味深く読んだものです。
本書『読書の時間』は、その著者の、1991年当時のエッセイ集です。筑波大学からテレビ局の仕事をするようになり、虚構の世界でのうつろな生活をやめて、89年に作家として独り立ちした頃の、読書にまつわる短い文章。孤独な生活ゆえか、意外なもろさを感じさせるところもあります。ただし、当方が感じるのは、廃刊されて久しい「ASAhIパソコン」誌の名前(*)や、一太郎の解説本が百万部も売れたのに、小説は何部売れるのかと慨嘆するあたりの、ちょっと昔の懐かしさです。
なるほどと思い、感心したのは、「パリから闇が消え行く頃」と題する、ボードレール著、安藤元雄訳『悪の華』(集英社文庫)を取り上げた文章です。これは、他のに比べてずいぶん長い(p.186~195)。それだけでなくて、ボードレールのオリエンタル趣味を当時の植民地主義的な偏見に根ざすものと指摘するなどの、斬新な痛快さもあります。
う~ん、そうですねぇ、本書で紹介された本の中で、すぐにでも読んでみたいと思ったのは、実はあまりありませんで、むしろ彼女が訳した『赤毛のアン』の続編、『アンの青春』を読んでみたいと思ったことでした。中年の選択はわがままです(^o^;)>poripori
(*):著者も「ASAHIパソコン」と書いていますが、実はロゴは「ASAhI」パソコンだったはずです。なんでhだけ小文字なのか、不思議に思ったものでした。
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